嵐の前の静けさ

「うへへへへ……」


 仕事中だというのに、コールの頬は緩みまくっていた。いつになく挙動不審なラーメン屋の息子に、ある者は不審、ある者は呆れが顔に出ていたが、そこは習慣で業務に支障が出る事はない。ただ、気持ち悪かった。


「ほい、ハーブラーメンお待ち。期間は本日で終了です」

「えー? 結構気に入ってたんだけどなぁ。もったいない」

「ありがとうございます。またの機会に新商品を出しますので、よろしくお願いしますね。へへへ……」


 愛想笑いのつもりが、またも引きつった表情を向けられたので、パンと自分の両頬を打って気を引き締める。油断するとすぐにこれだ。


 先日、コールはカトリシアとめでたく両想いになった。プロポーズはまだするつもりはなかったのだが、指輪用の石を見て感激したカトリシアに流されて……といった感じだ。あんなに自制していたのに我ながら脆い決意だったと情けなくなる。

 ちなみに瘴気の結晶を磨いて作った蒼石は次の日に徹夜して仕上げ、街の宝石店に指輪制作を依頼しに行った。完成までに一ヶ月ほどかかるので、届いたらいよいよカトリシアに正式にプロポーズする事になる。


(あーっ、それまで手が出せないのが生殺しだよなー。ちゃんと説明したからオーガスティンは納得してくれたけど……それだけに向こうもきっちり距離を取るようになっちまったし)


 想いが通じ合った時は箍が外れたようにキスしてきたのに、続きは婚約してからと二人で決めた後は同じ部屋で寝る事もなくなった。


『だって、絶対我慢できそうにないんですもの』


 辛さを隠すようにはにかんだ彼女の笑顔を思い出し、たまらなくなって壁を殴りつけていると、注文客が戸惑ったように声をかけてくる。


「あの、食べ終わったんですけど……」

「はっ!? いや、まいどありー」


 丼鉢をおかもちの魔法陣に置くと、重かったのは一瞬で、あっという間に中が空っぽになってしまう。カトリシアは本当に便利なアイディアを出してくれる……と、今では素直に称賛できるようになっていた。


「さて、次の注文場所に向かうか」


 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆


 その日は、とても忙しかった。

 来店客も注文客も多く、昼間はかき込むように賄いを済ませ、ナイチンゲールの餌を変えるのを忘れていたカトリシアがバタバタとコールの部屋に乱入する一幕もあり――


「女将さん、出前のご注文です」

「またかい? コールもまだ戻ってきてないのに、困ったね」

「あのー私、代わりに行ってきましょうか?」


 カトリシアの申し出に、母は少し考える。彼女が一人で出前に行った経験はない。だがダンジョンのような危険な場所でなければ、行ってすぐ帰るようにすれば大丈夫だろう。失敗はその時点で報告させ、フォローすればいい。


「それじゃ、行き先をメモしてここに置いとくから、魔法陣に書き込んでおくんだよ」

「はい!」


 そうしてカトリシアは、母が指差した先のカウンターに置かれたメモと、配達用の魔法陣をおかもちに入れ、転移ルームに向かった。


 出前から戻ったコールは、残りの注文メモと簡易魔法陣をおかもちに入れて再び出て行く。カトリシアを見かけなかったが、その時は席を外しているぐらいにしか思わなかった。

 異変に気付いたのは、出前がひと段落して店内を手伝いに入った時だ。


「あれ、オーガスティンはどうした?」

「それが、キューク村に出前に行ってからまだ戻ってきてないのよ。この忙しい時に何を手間取ってるんだろうね?」

「……キューク村?」


 母からそう聞いて、コールは首を傾げる。それはキューク村に行ったのは自分だったからだ。注文メモを見せて伝えると、母は青褪める。他の注文と交ざらないように、キューク村からの注文はカウンター席に置いたはず。


「上に別のメモが落ちたんじゃねえの? お袋、他はどこから注文来たか覚えてるか?」

「今日は注文が多かったから……ああ、やっちまったよ。キューク村なら絶対何も起こらないと思ったから任せたのに」


 実際そうだったのだが、今更あれこれ悔いても仕方がない。注文メモを並べながら場所を特定していたその時。


「サ、ラ、ワ、レ、タ! サ、ラ、ワ、レ、タ!」

「な……何だ?」


 ナイチンゲールがけたたましく叫びながら飛び回る。鳥籠に入れていたのにどうやって出たのか気になるが、それより――


「お前、喋れたのか!? 楽器はともかく、声真似は出来なかったじゃねえか!」

「そうか、音声合成技術……!」


 珍しく父が大声を出した。

 音声合成技術? と首を傾げるコールに、前世で人工的に人の声を作り、歌わせる機械が流行ったのだという。楽器なのだからガラガラと同じくこの世の全ての曲を再現できるナイチンゲールにも可能だと。それにしても自分の意思で音を選び取り、言葉として利用できる賢さは脅威だが……


「って、感心してる場合じゃない! 攫われたって、どういう事だよ!?」

「か、と、り、し、あ、サ、ラ、ワ、レ、タ!」


 必死に訴えるナイチンゲールから告げられた情報に、パガトリー家は息を飲む。人の声で喋るのは負担だったらしいナイチンゲールを休ませ、母は臨時休業にするとして来店客に事情を説明しに行った。


 詳細を今すぐ知りたいが、疲れているナイチンゲールに無理やり喋らせるのも時間がかかってしまう。母はナイチンゲールの額に指を当て、魔法で記憶を探り出す。そしてカトリシアの身に起こった出来事を家族に伝えたのだった。


 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆


「急がなきゃ……あっ!」


 休憩時間、コールの部屋に飛び込んで餌箱を入れ替えていたカトリシアは、手を滑らせて鳥籠を落としてしまった。ガチャン! と水や餌をぶちまけてしまい、ヒヤリとするが、ナイチンゲールは無事だった。


「よかった……ごめんね、すぐ入れ直すから」


 鳥籠をテーブルに置き直し、水と新しい餌を入れて扉を閉めると、カトリシアはパタパタと部屋を出て行く。この時、彼女は気付けなかった。鳥籠の扉が壊れていた事を……


 鳥籠から飛び出したナイチンゲールは、開けっ放しだった部屋のドアから転移ルームへ飛んでいく。そして出前に出かけるカトリシアの背に、こっそり留まったのだった。


 向こうについたカトリシアは、注文客に案内され騎士舎へと向かう。ナイチンゲールの方は、すぐ近くの中庭に植えられた木々へ。同じく珍しい羽色の鳥たちが歌っているのに惹かれたのだ。


 そこは、ドラコニア城に比べればやや小さな、古びた城の中だった。


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