第8話 至高の大艦【下】

眼前にある敵艦の砲が、此方を向いてまた火を噴く。動きの鈍くなった艦では避けようがなく、甲板上の青年、森山萩一戦艦長門は已むを得ず衝撃に備えた。


少しの間の後、立つ所から数十メートル離れた位置に砲弾が直撃する。

自分の身体を貫くような衝撃と共に艦が大きく揺れ、其方でも火が上がった。がはっ、と、口から空気の塊が吐き出される。


(やっぱり痛い……これでもう何回被弾したんだろうか)甲板で勢い付く炎は止まるところを知らず、艦自身も右へ数度傾いている。

このまま攻撃を受け続けると、沈没するのは時間の問題だった。


戦艦陸奥は無事だろうか、と痛みに霞む思考でぼんやりと考える。涙を浮かべながら自分に背を向けた姿が思い出された。彼女もぼろぼろだったから、無事に港まで帰れていたら良いのだが。

そんな事を思っている間に、次は艦が突き上げるように震えた。魚雷を喰らったのか、腹に穴を開けられたような気分に陥る。


こんな程度の攻撃すら、もう既に避けられない。(……もしかして、俺、相当悪い状況なのかもな、今)考えたくもないが、ここでんでしまうのだろうか。


こんな所で? まだ何も、果たせていないのに? 嫌だ、とは思うが、心の何処かではそれでも良いかと諦める自分もいる。

また自分だけ残ってしまうくらいなら、さっさと消えた方がどれだけましだろうか――


突拍子もない思考に思わず笑みが洩れた。馬鹿げた考えを振り払うかのように、戦艦長門は主砲を相手に向け放つ。1、2発程だけ敵艦に命中し、そこで火柱が上がった。


一緒に上がった水柱が消えると、当たり所が悪かったのか敵艦の一部は既に沈み始めている。

だが、その仇を討つかのように、無事だった主力艦が主砲を此方に向けた。


まずい、と思う間も無く砲弾が放たれる。巨大な主砲だった。きっと喰らうともう立て直せないだろう。しかし傾き始めた自艦では素早く避ける事など出来そうにもない。


(仕方ない……もう、いいか)寄り縋っていた手摺から重心を離す。溜息を小さく吐くと、諦観と共に眼を閉じた。

刹那の後、ずどんっ、と爆発音が辺りに響く。だが、想像していた衝撃と痛みは襲ってこない。不思議に思って、恐る恐る眼を開けた。



何処からか飛んできた別の砲弾が、目の前に迫っていた弾に命中、爆発していた。



「……!」思いもよらなかった出来事に、反射的に弾が飛んできた方を探す。自艦の左右斜め後ろに巨大な戦艦が二隻並んでいた。


砲弾から少し遅れて「なっ、がっ、とぉーーーーっ!!!!!!」とここまで聞こえる大声が響いた。

「長門ーーーっ! だーいじょうぶかーーーっ⁉︎ 長門ーーーっ!」と、声の主は続けて好き勝手に叫く。この元気良さと声色、其れにあの超弩級の大きさを備えた戦艦は――


上手く回らない頭を無理矢理回転させて答えを出したのと同時に、『長門くん』と、付けっぱなしにしていたインカムからもう聴き慣れた総帥の声が届いた。


『大丈夫? 生きてる……⁉︎ 良かったまだ居て……ありがとう、食い止めてくれて』

礼まで言われてしまった。その労いの言葉が予想以上に嬉しく響いて、身体の痛みも薄まった気がする。


「……旗艦ですから」

そう口から洩れた返答は、自分でも驚く程安心しきったものだった。





旗艦だから、とそう長門くんは気丈に応えてくれる。しかし、僕の乗る戦艦大和から距離を挟んで見る限りでも、戦艦長門の状態は壊滅的だった。艦は右に傾いているし、甲板には大穴が空いている箇所も少なくなかった。


「……酷い……」

僕の横に立っている大和くんが奥歯を噛み締める。僕も全く同じ気分だった。

幾ら敵艦とは言え、うちの旗艦をあそこまで傷つけるなんて……どうしてやろうか。


「長門ぉーーーっ! 退がれーーー、俺達が代わるからーーーっ!!」

「インカム使いなさい梅花。うん、でも、そうだね。長門、僕と戦艦武蔵できみの前回り込むから。後は任せて」

大和くんはそう言うと、艦を時計回りに大きくターンさせる。戦艦武蔵も対称的に、反時計回りで戦艦長門と敵艦の間に割り込んだ。


『司令官、指示くれ!』

兄の言う事に従ってインカムの電源を入れたらしく、耳元で武蔵くんの声がする。

戦艦長門が完全に僕達の後ろ側に隠れたのを確認して、僕は大和くんにも聞こえるように声を張り上げた。


「――撃ち方、始め!」

「『了解!』」


僕の合図と共に、まずは小手試しと言わんばかりに二隻の副砲が火を噴く。耳を刺す爆音に、大和くんが満足そうに眼を細めた。敵艦を覆う煙が晴れると、小型の艦艇は既に艦首を沈め始めていた。

「流石だね……」

「えへへ。ちっちゃいのはこれで大概沈めたかな。後は――」

『兄貴! 下っ!』


突如、武蔵くんのがなり声がインカムから届いた。その声に釣られて海中を見下ろす。海面から見えるかどうかといった所を、イルカのような黒い影がこちらに向かってきていた。

「まさか……魚雷⁉︎」『気をつけて下さい……! 奴等の魚雷、相当な威力です!』


後ろにいた長門くんから通信が届く。戦艦長門は僕達が来た時には既に傾いていたので、彼もこの兵器に苦戦したのかも知れない。

しかし避ける程の時間は無く、仕方なく衝撃に備えるしか無かった。が、暫く経っても揺れはやってこない。

「……あれ? 魚雷、何処行ったの?」

「え、司令官も何も感じなかった? んー……あっ待って、刺さってるかも」

「嘘でしょ?」

何だしょぼいなぁ、と大和くんは足首を摩る。全くもって平気そうだった。恐ろしいくらいの耐久性、其処に不沈艦の真髄が垣間見えた様な気がした。


『はっ、全然怖くねぇな! 沈め!』

少し攻撃の手を止めた戦艦大和に代わり、戦艦武蔵は副砲を全門起動させる。楽しそうだ。


しかし敵もただやられっぱなしでは無かった。その証拠に、何かが敵艦の辺りから飛び立ったのが見える。見覚えがある、呉で襲われた、あの時と同じ気配がする。


「戦闘機……! 大和くん、武蔵くんも、対空砲起動!」

『うっわ、上⁉︎ っていっだぁ⁉︎』

武蔵くんがそう叫んだ。少し遅かったかもしれない、戦艦武蔵の甲板へ爆弾が落下してゆくのが見えた。戦闘機はそのまま戦艦武蔵に攻撃を集中させる。


『いっででで来るんじゃねぇ! 墜ちろ!』「梅花! 加勢するよ!」

大和くんがそう叫び、戦艦大和が高角砲を全て戦艦武蔵上空を飛ぶ戦闘機に向ける。全基フル起動によって戦闘機は次々と海上へ堕ちていった。


最後の数機が撃ち墜とされるのと同時に、巨大な爆弾を投下しようとしているのが確認できた。

攻撃の集中していた戦艦武蔵へ落とそうとしている機と、いつの間にか戦艦大和の真上に居た機が。


「二人とも! 爆弾来るよ、取舵一杯っ!」

僕の声を聞いて、二隻とも舵を切った。僕の乗る戦艦大和も左に大きく揺れて、バランスを崩さないように何とか踏ん張る。その横を黒いものが落下していき、水柱が上がった。


『司令官、敵機全部墜としたぞ! 敵戦艦狙っていいか⁉︎』

「安定して前向くまで待って! 大和くんは大丈夫?」

「All OK。何時でもどうぞ」


大和くんは好戦的に笑みを浮かべる。武蔵くんも、声は焦っている風にも聞こえるが威勢は充分すぎるようだった。

ここまで意欲を見せてくれるなら、提督として応えない訳にはいかないだろう。


「よし……主砲起動!」

「『了解!』」

二人の声が重なり、タイムラグ無く両艦の主砲が敵艦を捉えた。世の中に並ぶものの無い、四十六センチの巨大な砲。頼もしい、ただそう思った。


「――撃てぇっ!!」


僕の合図と同時に、主砲が火を噴く。耳をつん裂く轟音と、気が遠くなる程の衝撃。反動で大きく揺れ、艦がそのままばらばらになるのでは無いかと思った程だ。戦艦長門の主砲も大きかったが、それとは比べ物にならないくらいの威力だった。


ほんの少しの間を置いて、敵艦付近から巨大な火柱と水柱が同時に上がる。

早く煙が晴れてほしい、早く彼等の戦果を観たい、そう思っていたのかいつもより晴れるのが遅いように感じた。


一陣風が強く吹き、黒煙が薙がれてゆく。視界の先がクリアになると、敵戦艦の船体は激しく炎上していた。

戦艦長門、戦艦陸奥でも苦戦したのであろう立派な艦ではあったが、こうなるともう形無しだった。


その時一際激しい大爆発が巻き起こり、敵戦艦はあっという間に波間に姿を消した。その衝撃で立った大きな波が戦艦大和と戦艦武蔵を揺らす。激浪が収まるかどうかといったタイミングで、全ての敵艦は海中に没した。


『っしゃあ! 大勝利っ! 司令官さすがぁ!』

『勝った……んですか? 良かった……!』

武蔵くんと長門くんの嬉しそうな声が耳元から届く。

大和くんはそれを黙って聞いていたが、波が消えるのを見届けると不意に「司令官」とこちらを向いた。


「ごめんなさい」

「何が。どうしたのさ突然」

「僕、結局今までずっと司令官のこと疑ってたから。信じきれてなかった。どうせこれ迄のひとと同じ様に、僕達を兵器としか見ていないんだろうって。最強、最大、そんな上っ面しか知らないんだろうなって。

でも司令官は違った。知ってくれている、そんな気がした。あなたの指示で戦うの楽しかった。初めてこう思えたよ」

そこで一度言葉を切ると、大和くんは真紅の瞳で僕をしっかりと見据えてきた。


「ありがとう。あなたが提督で、良かった」


そう言って照れたように笑う。その言葉に、こちらも何処か嬉しくなる。

頑なだったこのこ達の心を解せたなら、僕のやり方も間違ってないと言ってもらえた様な気がして。


「……こちらこそ、ありがとう。帰ろうか」

僕がそう声を掛けると、大和くんは無言で頷いて艦を反転させた。戦艦武蔵もそれに続く。戦艦長門も傾いてはいたが、何とか走行出来なくはない様子だったので、後ろをゆっくりと着いてくる。


艦が完全に振り返って列島の方を向き終えたとき、大和くんは「……」と口を開いた。

「……平和な世の中に、なると良いね。『戦艦大和』」

誰に聞かせる訳でもなく、彼は微かに囁く。それが自らに向けたものなのか、海淵に眠る別の誰かに宛てたものなのかは分からないが、そうあって欲しいと、僕も彼の横でこっそりと思った。

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