第二章 踊る空母
第10話 水平線を繋ぐもの
「――けなさい! こら! 東雲兄弟もそこに居るんでしょう⁉︎ やだじゃありません駄々っ子ですか貴方達は!」
最近新設されたらしい、小綺麗に磨かれた廊下を歩いていると、そんな怒った声が聞こえてきた。聞き覚えのある声に、つい音のする方へと向かう。
「どうしたの……って、君は」
「あ、総司令様。お久しぶりです、見苦しい所を……」
そこに居たのは、案の定小柄な青年だった。膝上まである髪と、優しげな茜色の瞳。少し前に公園で出会った時とは異なり、軍服(戦艦のこ達とは少しデザインが違う)の上に僧侶を模した上着を羽織っている。
彼の手は、目の前の固く閉ざされた扉のドアノブを握っていた。だが諦めたように一度手を離すと、体ごと此方を向く。
「はぁ……あのこ達は本当に……
ごめんなさい、自己紹介まだでしたね。第三航空戦隊所属、
そう言って彼は深く頭を下げた。長い髪がさらりと肩から落ちる。
「うん、こちらこそよろしくお願いします。ところで鳳翔さん、何か問題でもあったの?」
僕の問い掛けに、鳳翔さんは渋い顔をした。
「ええ……後輩、といいますか弟といいますか、まぁそのこ達が出てこないのです。提督もいらっしゃいましたのでどうにかして連れ出そうとはしているのですが……あっ」
そこまで言ったところで、彼はぱちんと手を鳴らす。そしてそのまま、形容し難いほど良い笑顔で僕の両肩をがっしりと掴んだ。
「そうだ、総司令! 貴方がいらっしゃるではありませんか、少し御力をお貸し下さいな!」
「えっ、ちょっと、鳳翔さんちょっと……」
あれよあれよとドアの前に立たされた。成る程、確かにしっかりと鍵が掛けられている。サブロックまで締められている程だ。
とは言え鳳翔さんも(期待に満ちた目で)見ている以上、提督として退く訳にもいかないし。中にどんなこ達が居るのか想像も付かないが、流されるまま扉をノックした。
「えーと、こんにちは……」
『……』
返事が無い。ドアの向こうからは重苦しい沈黙が返ってくるだけだった。どうしようかと思い鳳翔さんの方に目をやると、続けて下さいとでも言うように彼は頷いた。
ああもう、こうなったらやけくそだ。半ば突き放す様にしてドアを叩いた。
「こんにちはっ! 君たちの提督ですよ!」
『…………どうぞ』
先程より長い間の後、不機嫌そうな青年の声が届いた。その声と共に、がちゃん、と錠の降りる音がする。どうやらオートロックだったらしく、足音は聞こえなかった。鳳翔さんに軽く背を押されたので、腹を括って戸を開ける。
「こんにちは〜……」
結構重たいドアを押し開けると、そこは小さな応接間の様な部屋だった。両脇には巨大な本棚、奥には木机。目の前には重量感のあるソファが二つ並んでおり、そこに向かい合って二人の青年が座っていた。
左に座っているのは、赤褐色の短い髪に緋色の目をした青年。右に座っている青年は、茅色のサイドだけ長い髪で群青色の目をしていた。
二人とも、鳳翔さんと同じ軍服に柄の入った羽織ものを着ている。
射殺すような冷たさの二対の瞳に少し怖気付く。だが、左の青年の目が、僕を見てほんの一瞬大きく見開かれたのが分かった。ああ、やはり、彼も僕と同じことを感じているのかも知れない。
目の前の相手を
だがそれも一瞬の事、直ぐに彼はまた怪訝な顔へと戻る。
僕の背後の鳳翔さんが「自己紹介しなさい」と促してくれなければ、僕の乱入は無かったことにされただろう。二人は暫く押し黙っていたが、やがて重い口を開いた。
「……第一航空戦隊所属、
「同じく第一航空戦隊所属、
緋色の目の方が赤城くん、群青色の目の方が加賀くんか。空母のこ達とは顔合わせをしていないので、僕も自己紹介しておくべきかも知れない。そう思い名前を告げたが、赤城くんは「……ふぅん」と一瞥をくれただけだった。加賀くんに至っては声を洩らす事すらしない。
「こら! 貴方達提督に向かって何ですかその態度は!」
僕の背後で鳳翔さんが怒った。小言を言われた事で焦ったのか二人は一瞬ぎょっとしたが、直ぐに「「……宜しくお願いします」」と声を揃えた。意固地そうな二人がすんなり従ったので少し驚く。
「鳳翔さん、お母さんみたいだね……」
「よく言われます」
だがその後直ぐに二人はまた黙ってしまい、気まずい沈黙が流れる。我関せず、といった様子で僕から目線を外した。流石にこれ以上の小言は無駄だと悟ったのか、鳳翔さんも何も言わない。
どうしよう顔は見せたし一回帰ってもいいかな、と心の中で唸る。
その時、目の前の机ががたんと音を立てて揺れた。まだ誰か居たのだろうか? 僕だけではなく、鳳翔さんも赤城くん加賀くんも音の出所に首を向ける。
「ねぇせーんぱーい、この時の燃料は……って、誰すか、あんた」
「あれ、鳳翔先輩もいるじゃないですか」
と言いながら、その時少年が二人机の影から顔を出した。
誰だ、と問いながら出てきた少年はシルバーブランド色の跳ねた髪に山吹色をした大きな目。もう一人彼の影にいた少年は青みがかって切り揃えられた黒髪で、その目は眠たげな浅葱色だった。支給の軍服の上に、お揃いの白い狩衣のような上着をきている。
「何だ、出てきたのか二人とも」
と赤城くんは席を立つ。そんな彼等の様子を見て、鳳翔さんは大きく溜め息を吐いた。
「やっぱり隠れてた、と言うか隠してたんですね……本当その人間不信どうにかならないものでしょうか……」
嘆声と共に、彼はぎろりと赤城くん加賀くんを睨む。
その眼光に気圧されたのか、「うっ済みません鳳翔さん……ほ、ほら、君達の提督だよ、二航戦」と加賀くんが半ば盾にする様にして少年二人を此方に押し出した。
その先輩の言葉に「えっ提督っすか⁉︎ 本物⁉︎」と山吹色の目の少年が目を輝かせ僕の顔を見た。浅葱色の目の少年も、言葉にこそ出さなかったが同じように期待に満ちた眼差しでこちらに体ごと顔を向ける。
そのまま二人はわくわくとした表情で僕に近づき、二人揃って口を開いた。
「第二航空戦隊所属、
「第二航空戦隊所属、
にこにこと人懐っこい笑顔を浮かべたまま、タイミングを合わせて小さく礼をする。
この二人からは赤城くんを見た時の様な不思議な感じは伝わってこなかったので、やはりあれはただの気のせいだったのかもしれない。
二航戦、と呼ばれた二人の話を聞いていると、「それで、」と赤城くんは僕の方を見た。
「何の用だったんだ? わざわざ訪ねてきたのか?」
そう訊かれたが、そういえば特に用事は無いのだった。鳳翔さんが怒っていたので何事かと覗きに行っただけで。
「うーん、特に何も……」
「ふぅん。あっそ。じゃそろそろ帰ってくれないか――」
こんこん、と。彼の言葉に被さるように、閉められていた分厚い扉が遠慮がちにノックされた。その音に、部屋の中はほんの少しの間静まり返る。
誰も何も言わなかったが、加賀くんがちらりと腕時計に目をやった後、「……どうぞ」と抑えた声で促した。
「また閉め切って。入るぞ――あれ、総帥?」
重たげな戸を押し開けて、長門くんが入ってきた。彼に道を譲るように鳳翔さんも部屋の奥へと入る。
ちらりと背後を窺うと、突然の来客に蒼龍くん飛龍くんはまた机の影へと隠れたようだった。
「……ちっ、やっぱお前か」
「こら、颯。舌打ちしないの」
露骨に嫌な顔をした赤城くんを鳳翔さんが宥める。そんな二人を押し退けて加賀くんが長門くんの前へと動いた。
「はいはい、ぴったり時間通りだね。また仕事でしょう?」
「まぁ、そうだね。でも今回は前と違って、機動部隊六人全員で出向け、との事らしい。総帥もお願いしますね」
長門くんの答えに、加賀くんは沈黙を返して封筒を受け取る。ほんの少し中身を覗いた後、直ぐにそれを背後へと回した。
「空母艦隊まで態々ご足労頂き有難うございます、長門さま」
鳳翔さんが彼に対して緩く頭を下げた。長門くんはそれに「気にしないで下さい」と微笑みを返す。
そのまま彼は部屋を出て行こうとしたが、何かを言い忘れていたかのようにふと足を止め、ドアノブを掴んだまま振り返った。
「あぁ、そうそう。赤城、加賀、息災か? 何か困った事が有ったら直ぐ言うようにな」
「……兄貴面しないで。用事終わったなら早く行きなよ」
加賀くんは鬱陶しそうに手を振る。だが長門くんは取り合う様子もなく「そうか、なら良かった。それじゃ」と、今度は振り返らずに扉を閉じた。
「長門くんと知り合いなの?」
「……別に。唯の悪縁です」
そう言いつつも加賀くんはそっぽを向いたまま、僕と目を合わせようとしない。ほんの一瞬だけ、左手首の腕時計を摩ったように見えたのは気のせいだったのだろうか。
「まぁ、じゃあ、もう出るっすか? 一昨日も行ったばっかりなのに、ハイテンポっすよねーほんと」
「そうだな。善は急げ、だ」
「じゃあぼく鶴兄弟呼んできますねー」
赤城くんの返答が終わるのを待たずに、蒼龍くんは部屋を駆け足で出て行く(すっごい速かった)。其れを見送ってから飛龍くんはいそいそと準備を始め、加賀くんも部屋の奥へと戻っていく。
そんな三人の様子を見て、赤城くんが「……元帥」と遠慮がちに耳打ちしてきた。
「はい? どうしたの?」
「なぁ、俺達、何処かで会ったことないか? 二航戦どころか、加賀も反応しねぇから、気のせいかとは思ったんだが……
って、俺何言ってんだろ。やっぱ忘れてくれ」
これじゃナンパみてぇだな、と彼は直ぐに僕から離れる。即座に下がられたので返答のしようが無かったが、同じ違和感を抱いていたのは間違いなさそうだった。
でも、ここは一度忘れよう。僕の脳にはどうにもならない事をずっと悩んでいるキャパなんて無いし。
その後三人は次々と部屋を出て行って、室内には僕と鳳翔さんだけが残された。
「鳳翔さんは行かないの?」
「御用とあらば。でも僕の様な小型旧式が出たところで、きっと足手纏いになるだけですよ。こういう所も改装して下さっていたなら良かったんですけどね……これも含めて『空母鳳翔』って言いたいんでしょうか?」
諦観した目で鳳翔さんは笑う。
「そんな事な――」
「唯の事実ですよ。実際、戦争終盤では僕は役立たずでしたから。今戦力として数えられていない事が証拠です」
被せる様にして言われたので、それ以上言葉を重ねることも出来ない。
一瞬黙ってしまった僕の隙をついて、彼は「……いってらっしゃいませ。貴方達の航路に、幸多からんことを」と軽く僕の背を押した。その勢いに流され、少し蹌踉めく。
後ろ髪を引かれる思いで振り返ると、鳳翔さんは僅かに寂寥の混じった笑顔で緩く手を振っていた。
しかし戻る訳にもいかない。廊下の遠く向こうから、飛龍くんだろうか、僕を呼ぶ声が聞こえるのだ。
「――いってきます」
せめてもの礼とばかりに、鳳翔さんにそう告げる。そうして踵を返すと、迷いを置いてゆくつもりで、次はもう振り返らずに廊下の先へと僕は進んだ。
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