第11話 比翼の鶴

促されるまま声を辿り港に出る。開けた停泊場には、巨大な軍艦が六隻並んでいた。

のっぺりとしたシルエットで、左端と左から三隻目だけは艦橋が左に付いている。真ん中の二隻だけ少し小柄だが、両端の、特に左側二隻はとにかく大きい。あれ、戦艦長門よりも、というか殆どの戦艦よりも大きいんじゃ……


想定よりも巨大な艦を呆然と眺めていると、「長ー官っ!」と弾んだ声と共に後ろから肩を叩かれた。

振り向くと、良い笑顔をした飛龍くんと、少し離れて蒼龍くんが立っている。


「ね、ね、長官。誰の艦に乗るんすか? もし決まってなかったら是非是非おれに乗って欲しいっす!」

期待に満ちた輝いた目である。でも、提督としては旗艦に乗るべきなのではないだろうか。そう思い赤城くんの方をちらと見たが、彼は「誰でも良いだろ」とこちらを適当にあしらった。


と言うことなので、お言葉に甘えて有り難く空母飛龍に乗らせてもらおう。

「良いんすか⁉︎ やったー! じゃあちょっと鍵開けてくるんで! もーちょっと待ってて欲しいっす!」

そう言ってダッシュで艦の方へと走っていく(蒼龍くん同様めちゃ速い)。彼が去ったのとほぼ同じタイミングで、後ろからも足音と声が聞こえてきた。


「ほら、駈! 提督もう来てるって! 走って急いでもっと!」

「ま、待って、もう、深月は元気だね……」


少年が二人、片方がもう一方の手を引きながら走ってくる。

前方を走る少年が僕を見て、もう大丈夫だろうと言いたげに引いていた手をもう一方の少年から離した瞬間、手を引かれていた少年は大きくバランスを崩し自分の足にもう片足を引っ掛けて、思いっきり顔面から地面とハグした。不運なこだった。


「駈ーっ!」

「……えーと、君達、大丈夫……? どちら様……?」

「うう、平気です……いつもの事なので……上官、ですか?」

と地面に倒れていた少年は顔を上げた。鼻には先程の擦り傷、頬にも大きなガーゼが貼ってあり所々に包帯が巻かれているのを見る分に、怪我しやすいこなのかもしれない。

などと思っていたら、彼は慌てて服や顔に付いた泥を払い、もう一人の少年の手を引いて立ち上がった。


「ひぇっ、どろっどろ……ごめんなさいこんな格好で……第五航空戦隊所属、千年原チトセハラカケルです。コードシップは『空母翔鶴』っていいます」

「後で背中も払ってあげるからさ。同じく第五航空戦隊所属、千年原チトセハラ深月ミヅキです。コードシップは『空母瑞鶴』をやらせてもらってます」


空母瑞鶴と名乗った少年が、空母翔鶴と自己紹介した少年の袖の泥を片手間で落としながら、二人揃って挨拶する。

翔鶴くんは右が長いアシンメトリーの色の抜けたような白髪に露草色の瞳。左側が長い緑がかった灰髪で、若草色の気の強そうな目をしているのが瑞鶴くんか。双子なのだろうか、二人とも顔から体付きからパーツが瓜二つだ。


「駈、着替えてきたら? もう洗わないと取れないってこれ」

「あ、ああうん、良いよ良いよ。そんな時間も無いだろうしね」

「そう? じゃ行こうよ。また先輩に怒られる」

瑞鶴くんは一歩前に出て再び翔鶴くんの手を掴もうとする。だが翔鶴くんは「大丈夫だよ、先行きな」と腕を軽く引っ込めた。瑞鶴くんは一言、そう、と呟くと、特に気にする様子もなく小走りで艦の方へと去っていった。場には僕と翔鶴くんだけが残る。


「……あ、あの。上官」

どうして残ったのか、と言いかけたのとタイミングよく彼は遠慮がちに僕に声を掛けてきた。

「ん? どうしたの?」

「あの、ち、ちょっとお願いがあって。こんな事頼むのも失礼だとは思うんですけど……」

「良いよ、そんなの気にしないって」

と僕が笑いかけると、彼は数瞬間躊躇ったが、やがて意を決したように口を開いた。黒い手袋に包まれた右手で、そっと自らの頬のガーゼに指をやる。


「……のこと、深月の、瑞鶴の前では触れないで頂けますか?」

言葉と共に、彼は頬のガーゼを剥ぎ取った。露わになった右頬を見て、僕は思わず息を呑む。


その白い頰には、大きく赤黒い痣の痕が陣取っていた。何度も何度も殴られ、加えて切り傷でも負ったのだろうか、強く目を引くほどに痛々しい傷がある。

これほど酷い痕なんて、何年も殴られ続けていないと付かないだろうに――


「それは……?」

「……少し、過去にありまして。元親に、ちょっと。ここに来る前のことです。で、でも、深月には本当の事ずっと隠してるんです。あのこには、知らないままで居て欲しいから……だから、その……」

そこまで言って、翔鶴くんは僕から目を逸らし俯いてしまった。目を合わせようとしないまま、急いで隠すようにガーゼで痣を再び覆う。


「何だ、そんな事? 瑞鶴くんに心配掛けたくないんだよね? 翔鶴くん優しいね。大丈夫、確かに承りました」

「や、優しいだなんて、いや、その……でも、ありがとうございます。たった一人の弟だから、護ってやりたいんです。僕の不運も、僕の分の運まで深月に渡せてるなら、それで良いかなぁって……」

と翔鶴くんは眉を八の字にして笑った。戦艦のこ達を見ていても思ったけれど、皆一様に兄弟想いだ。どんな背景があって此処に居るのかは分からないが、その想いは出来るだけ尊重してあげたいと思った。


会話の途切れ目を見計らったかのように、左から三隻目の艦から少年が身を乗り出すのが見えた。

「長官ー、翔鶴もー! もう出るっすよー⁉︎ 準備ー、出来てるんすかー!」

飛龍くんが大きく手を振りながら声を張り上げる。それを聞いて、「わ、ま、まずい、急がないと……!」と翔鶴くんは駆け出そうとする。その時彼はふと振り返り口を開いた。

「ちょっと吹っ切れました。ありがとうございます、上官」


それだけ言い残すと、彼も空母翔鶴の方へと走っていく。

「どう致しまして。もう転ばないようにね?」

そう言ったのが効いたのか彼がまたすっ転ぶことはなかった。しかし艦のタラップに近付いたところで何やら肩を落としている。どうやら締め出されたらしい。自艦なのに。兎に角不運なこだった。




「いやぁー良い海っすよねぇ、瀬戸内って!」

艦橋にいる僕の隣で、そう言って飛龍くんが伸びをした。今から闘いに出るとはとても思えない程屈託のない声。


「うん、素敵な海でしょ。そう言うってことは、飛龍くんはここ出身じゃないの?」

「あ、えーと、生まれは横浜っす。そこからちょっとして、碧の所来たって感じっすかね」

「ふぅん……成る程、じゃ二人は兄弟じゃないんだ」

と答えると、飛龍くんは待ってましたとばかりにこちらを勢いよく向いた。


「そう! そうなんすよ! 血は繋がってるんすけどね、一応。従兄弟っす従兄弟。おれは弟の方。長官は確かおれ達の前に戦艦にも会ってきたんすよね? そっちは殆ど実の兄弟だったんじゃないっすか?」

そう問われ、少し思い返す。確かに、同型艦に充てられているのは兄弟ばっかりだったな……


「うん、そうかも」

「そうそう! その点、空母は他人ばっかりっすから。鳳翔先輩ともうひとり、は勿論、赤城先輩と加賀先輩も全くもっての他人だし……鶴兄弟は本当の双子らしいんすけどね。変な集められ方。

ね、じゃあ、長官って何処生まれなんすか? 海自慢するって事は、やっぱ広島?」

一回で当てられたので正直驚いた。ぽろっと零した一言だったけど、結構しっかり覚えてるんだな。


「そう、正解。よく分かったね」

「へへん、そうでしょそうでしょ! 因みに、兄弟は?」

「妹が一人居たんだけどね。家族諸共死んじゃった」

「……ごめんなさい…………」

質問に正解して得意気だった飛龍くんの顔が見る見るうちに曇った。やらかしたか。そんな変わった事だと思ってなかったから黙っては居たんだけど。


「だ、大丈夫大丈夫、僕気にしてないし! 孤児院でも友達は居たから!」

「うー……そうすか? 済みません……

孤児院って、其処は長官もおれ達と一緒なんすね」

「あ、君達もなんだ」

「はい。何だかんだ似てますよねー。

そうだ聞いてくれっすよ長官! 赤城先輩と加賀先輩ね、もうめちゃくちゃに喧嘩するんすよ! 今日の朝も鈍足がどうとか体力が無いとかなんとか……ただの五十歩百歩じゃないっすか!」

叫び声と共に彼は手摺を勢いよく叩く。興の乗り易いタイプなのかも知れない。


「っふふ、面白いね……」

「でしょ⁉︎ それで鳳翔先輩に説教喰らうのがオチっすよ。それも毎回毎回。そこまで行くともうただの仲良しだって! あんな無愛想に見えてもね、意外と滑稽な先輩方なんす。

ここだけの話っすよ? こんなんバレたら次どやされるのはおれっすから……」

にんまりと笑いながら、最後の方は声を顰める。

その後、わはは、と快活に笑い出した飛龍くんを遮るように、インカムからきまり悪そうな瑞鶴くんの声が届いた。


『あの、飛龍先輩……』

「あれ、瑞鶴じゃないっすか。どうしたんすか? 敵襲?」

『いや、その、誠に申し上げ難い事なんですけども、

――インカムのスイッチ、入りっぱなしです』


その声に釣られて、僕もインカムに手をやる。確かに、全共有スイッチがONになっているままだった。隣の飛龍くんを見ると、彼の顔色は一度赤くなった後一気に青く変化した。


「え、う、嘘……な、何で! 何で言ってくれなかったんすか⁉︎ 碧知ってた⁈ 嘘でしょ!」

『だって翼面白かったから』

「面白かったってそんなひど――」『飛龍』

ずっと繋がりっぱなしだったインカムから、そんなドスの効いた声がした。

『お前、黙って聞いてりゃ好き勝手……』

「ひ、ひぃっ! い、や、やだなぁ冗談っすよ可愛い後輩のお茶目な冗談! 加賀先輩もそう思うでしょ⁉︎」

『……私、今回ばかりは赤城の味方かな』

「えっそんないつも犬猿の仲の癖してこんな時だけ……! つ、鶴兄弟は⁉︎」

『『……』』

「四面楚歌っ⁉︎」


そんなぁ、と彼はがっくりと先程叩き付けた手摺に寄り掛かる。

暫く項垂れていたが、少しすると何かに気が付いたように顔を上げた。まだ涙目だったその山吹色の瞳が、大空の奥を捉える。


「……あ」

『気付いたか。お出ましだぞ、お前ら』

赤城くんが皆にそう声を掛ける。確かに遠くに艦隊が見えた。大きくて平らでしかし古臭い、あれはまさか、他国の航空母艦? 双眼鏡を構えると、その甲板には戦闘機が並んでいる様に見える。


飛龍くんも身を起こすと、狩衣の袖と裾を軽く振った。ばらばらばらっ、と辺りに銃弾が散らばる。

同じ様な物を伊勢兄弟も使っていた筈、そう思うと案の定彼は散乱した銃弾を一掴みすると、甲板に向かってばら撒いた。途端ぶわりと弾は膨れ上がって艦上戦闘機の形状へと戻る。幾つか別の形の、爆撃機も混じっているのか? 周りの艦を見ても、その甲板に同じ鉄鷲が鎮座しているのが分かる。


『さて、何が目的かは分からねぇが、日本を目指して来た以上は痛い目見てもらおうか――さぁ、元帥。指示を』

そう言われ空母赤城の方に目をやると、その艦橋のマストではするすると旗が揚げられていた。


旗艦に促された以上、僕も黙って見ている訳にもいかない。毎度の事なんだけど、幾ら繰り返しても余り気分の上がる物ではない。でも興醒めな事を考えるのは止めよう、空母のこ達にも認めて貰わないとな。


覚悟を決めて一つ息を吸う。天を仰ぐと、澄んだ空が視界を満たした。うん、良い風だ――

「発艦――全軍突撃せよ!」

僕の声と共に、空母赤城のマストの旗が勢いよくたなびき降ろされる。了解、と全員が声を揃えた。全艦から次々と戦闘機が飛び立ってゆく。


「さぁ、良いとこ見せないとどやされるっすからね……! 見ててくださいよ、長官!」

先程迄とは一転、勝ち気な表情へと変わって飛龍くんが笑みを洩らす。白い歯を零した彼と、きっと同じような顔をしているであろう彼らに、僕は精一杯の激励を掛けた。


「――健闘を、祈る」

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