第9話 閑話休題

大和型二人と一緒に長門くんを助けに行った、あの日からまた一週間ほど。僕、碇谷空は、今横須賀にいます。

事の発端は一日前。金剛くんが珍しく彼から声を掛けてきたのだ。



『おっ、居た居た。Hi指揮官!』

『あれ、金剛くん。どうしたの』

『あのな、横須賀にオレの師匠が居るんだけど、きみに会いたいんだって連絡来たんだ。是非行ってきてくれ、師匠動く気無いらしいし。オレの顔を立てると思って』

『横須賀? 随分遠いね……まぁ君が世話になったひとなら、僕も会ってみたいかな』

『ん、OK。じゃ明日かな、適当にアポ取っとくから』

『金剛くんは行かないの?』

『明日は弟妹きょうだいとデート⭐︎』

『さいですか』



という訳で横須賀の地に降り立った僕は、待ち合わせ場所だという海の近くの公園へと向かっていた。まだかなり時間に余裕があるので、海岸通りをぶらつきながら太平洋を眺める。いつもは広島の、瀬戸内海しか見ていないので、縹色をした海面は新鮮なものだった。

そのまま歩いて繁華街へと入る。通行人も多くなり、それなりに混んでいた。


小さく短い段差を登ろうとした時、不意に「おにいさん」と何処からか声を掛けられた。声のした方を振り返ると、車椅子に乗った少年が僕の顔を見上げている。黄金色をした形のいい瞳と視線が合った。


「……僕?」

「そう、おにいさん。自分、ここ登りたいんだけど、手伝ってくれないか?」

なるほど確かに、彼の車椅子では段差を越えるのは難しいかも知れない。そう思い立ち、僕は「分かったよ」と素直に車椅子を持ち上げた。


「ん、ありがとう。あと、良ければこの近くに大きめの公園が有るから、そこまで連れて行ってほしい」

そう言って彼が地図を見せてきた。丁度金剛くんから伝えられた待ち合わせ場所と同じ公園だったので、特に断る理由もない。時間もあるし。人には親切にしなければ。うちの軍の掟にもあった。


「いいよ、どうせ僕も行く所だったし」

「済まないね。連れがトイレに行くと言って消えてからもう三十分は帰ってこないんだ。迷ったんだろうなきっと……集合場所にしてあるから、其処で待ちたい」

彼は困った様に溜め息を吐く。お連れさん戻ってこないのか……大変だな。


「ていうかおにいさん、横須賀の人間じゃないよね」

「え、うん、そう。凄い、何で分かったの?」

「言葉が西寄りだからな。大方広島かそこらだろう。自分横須賀に居るのは長いから、まぁ見りゃ分かる」

聡いこだな。というか不思議な雰囲気を醸し出すこだ。そう感心しながら車椅子を押すと、「あと、」と彼はこちらを振り向き見上げた。

「おにいさん知らなさそうだから。ここで昔、何があったか」

「……昔?」


本当に知らないのか、と彼は呆れたように呟く。そのまま少し黙ったので、車輪が道路と擦れる音だけが辺りに響いた。

「広島には縁のない事だからな。無理もないか」

僕の故郷とは関係のないことか。それなら小さな頃の話なので、詳しくは知らないかもしれない。


「――もう十二年も前のことさ。ここ横須賀と、西は神戸。この東西の都市が、一晩で焼け野原になったんだ。


人呼んで『横須賀事変』『神戸事変』だ。


テロの様な形でね。犯人共の目的も、何処の奴で何故現れたのか今でも分かっていない。だが確かなのは、二つの都市は一晩にして殲滅された。生き残りはほぼ居なかったそうだ」


「……そんな、ことが」

余りにも壮絶な、僕が今踏み締めている土地の過去を聞いて、車椅子のハンドルを握る力を思わず強くしてしまう。80年以上経っても、人間というのは進歩しないのか。


「絶望したかい? でも、それが現実だよ。よくもまぁここまで、10年と少しで回復させたと思うけどね」

彼は眼前の碧い海を見詰めたまま語る。その静かな感情、その裏に潜む激しさに圧倒される様な気がして、僕は黙ったままでいた。


「それで、だ。おにいさん軍人でしょ? そんなあなたにクエスチョン」彼は不意に上半身ごと振り返って僕と目線を合わせる。

「あなたの死生観はどうなっているのかな? 幾ら昔とは違う、艦乗り数人しか乗っていないとは言え、おにいさん何隻か沈めてるでしょう。

横須賀神戸の殺戮劇と、軍として作戦として相手を屠ること。あなたにとって、これらはどう違うのかな?」


難しい質問が飛んできた。思いも寄らなかった問いに、僕は少し押し黙る。どう違う、と訊かれても……

「うーん難しいね……強いて言うなら対等かどうか、かなぁ」

「ふむ」

続けて、と言いたげに彼は掌を少し振る。


「だって、其れは一方的な殺戮でしょ? あんまり褒められた事ではないよね。僕達はその点やるかやられるかだから、仕方ない事ではあるのかなと思う。それだけ」

長門くんと陸奥ちゃんも、同じことを確か言っていた。彼は驚いた様に、丸くなった黄金の瞳でこちらの顔を見ていたが、「そうかい」と興味を無くした風にまた前を向いてしまった。


「……おにいさんも良い感じに狂ってるね。あのこ達とも気が合いそう」

彼はそう言って薄く微笑む。艦隊に案内された最初の時、上官から掛けられた言葉と同じだと思った。

でも、? あのこたちって、彼は一体誰を知っているのだろうか?


不思議に思ったが、彼はその後黙り込んでしまったので訊くのは諦める。そのまま彼も僕も一言も発さないまま、僕は彼の車椅子を押し続けた。


其処から暫く車椅子を動かすと、広々とした公園に辿り着いた。微かに波立つ海が目の前に続き、広々とした中央広場では円形の噴水が水を上げている。日暮れが近づき、暖かな珊瑚色の西日が公園全体を染め上げていた。


そして、何よりも僕の目を奪ったのは、海原を背にして佇む。鋼鉄の体を傾き始めた日に照らさせ、Z旗が勝ち気にはためいている。世界三大記念艦とも称される、あの戦艦は――


「『戦艦三笠』だよ」


僕の思い描いていた姿と同じ艦名を、車椅子の彼は呟く。そう、戦艦三笠。日露戦争では連合艦隊旗艦をも務め、日本を勝利へと導いた立役者。そして、それからずっと現存する、日本唯一の戦艦。


ただ圧倒されて見上げていると、少年は「ありがとう。ここでいいよ」と突然。そのまま車椅子を置いて、ゆっくりとした足取りで戦艦三笠へと近づいてゆく。


「助かった。金剛からも聞いていた通り、優しいひとだ」

「え、ちょ、ちょっと待って、君! あ、歩けたの⁉︎ それに金剛くんから聞いたって……⁉︎」

「この公園外では足が利かないのは本当だよ。繋がれている自分の居場所は、ここだけだから」

そう言って彼は体ごと振り向く。強くなってゆく西日の逆光となり、その表情は解らない。しかし、その声は確実に薄く笑っていた。


「――『戦艦三笠』だ。初めまして」




「いやぁ、それにしてもおにいさん。察しが悪いってよく言われない?」

「心当たりしかない」


自覚はある。名前を訊くまでどの艦か、いやむしろ艦乗りなのかどうかすらも予測出来ないのだ。伊勢くんにもこの前突っ込まれたし。


車椅子は放っておいていいよ後は自分の連れがどうにかしてくれるから、と彼、否三笠くんは僕を呼んだ。僕の手を引きながら戦艦三笠へと歩を進める。


「弟子共が世話になったね。金剛の四兄弟はやんちゃで大変だったろう。扶桑の姉弟は対人が嫌いだし、伊勢の兄弟は自由人だからな。後は長門の兄妹と大和の兄弟か。長門のところは比較的まともかも知れないが、末っ子兄弟はちょっと難解な性格かもな。皆それぞれ個性的過ぎて困る」

やれやれと三笠くんは肩をすくめる。全ての戦艦の誕生を祝い、全ての戦艦を見送ってきた彼の言葉は、しかし動作とは裏腹に優しい想いに満ちたものだった。


「だがいいこ達ばかりだよ。おにいさん、いや、提督。あのこ達を、よろしく頼む」

そう僕の顔を見上げて微笑む。「うん、頑張る」と笑顔を返すと、彼の表情は気分良さげに綻んだ。


そのまま手を引かれ戦艦三笠の中へと入ろうとした時、「あっ、居ました居ましたっ……! 三笠さま……!」と後ろから駆けてくる足音が聞こえた。その声に三笠くんはぴくんと反応すると、僕の手を離して人影へと近づいていく。


「いや、居ましたじゃないでしょどこ行ってたんだおまえは! 頼む、懲りてくれ!」

「……迷ったんです」

「この間も鏡花に小言言われてたのに……その方向音痴さえ無ければ良い兄なのにね」


もう日が沈みかけ辺りは薄暗くなっているのでよく見えなかったが、声からしてどうやら走ってきたのは一人の小柄な青年の様だった。着流しに身を包み、膝上まである長い髪を息を切らしながら耳に掛ける。

青年は僕に気づくと、此方を向いて深く頭を下げた。


「貴方が三笠さまをここまで連れてきて下さったのですね。改めてお礼申し上げます」

「あ、いえいえ、僕も此処で待ち合わせしてる所だったんで……」

あれ、でも、金剛くんが会わせたいって言っていたのが三笠くんのことならもう良いのかな。


そう思い三笠くんの方をちらりと見ると、彼は近くにいた僕に今気が付いたように軽く瞬きする。そして隣の青年に声を掛けた。

「ああ、待ち合わせってもしかして自分と、か。って金剛が言ってたんだからそりゃそうか。丁度いい、ほら、おまえも挨拶しな。おまえのでもあるんだからね、」


肩を叩かれ、青年が弾かれたように顔を上げる。心底驚いた、見開かれた優しげな茜色の眼と視線が合った。


「――鳳翔。」

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