第14話 茜さす【上】

『勘違いしないで欲しいのだけれど――』

突然現れた、顔馴染みの戦艦とその艦隊に呆然としていた時、突如インカムにそう通信が入った。


わたし達England貴方達Japanの敵という訳では無いのよ。ただ、艦隊貴方とは対立していると言うだけで』

「……随分なご登場だね、エリザベスちゃん。電波ジャックでもしたの?」

『さぁね。想像にお任せするわ』


澄ました彼女が肩を竦める所が想像出来る。

何処か気さくな雰囲気は伝わってくるままだが、彼女達の砲口は全て此方を向いているし、彼方の空母上空には、発艦を終え後は攻撃に移るだけとなった戦闘機が舞っている。


「……あいつら、何を言ってるんだ? 元帥?」

赤城くん達には聞こえていないのか、腑に落ちないといった表情で彼は此方を見てくる。

「特に今の所、有益な情報は無いけど……敵意は有る、のかな……」

『慇懃無礼な事言ってくれるじゃない、Admiral。ならば有意義な情報渡してあげましょうか』


彼女の背後からは『止めておいた方が宜しいのでは――』等々聞き取れる気もするが、エリザベスちゃんは其れ等を『五月蝿いわね。いいのよ、旗艦はわたしよ?』と一蹴した。

『とは言えわたしが知っていることも限られるのだけれど……そうね、



わたし達Englandの出撃は、貴方達Japanの艦船の内の【誰か】からの依頼である。



これくらいかしら?』

「……それって」

思わず息を呑んだ僕とは対照的に、彼女は小さく笑みを零す。これは、まずい……完全に後手に回ってしまっている感覚がある。


『元帥、あの艦は何と?』

痺れを切らしたのか、加賀くんも急かす様にそう訊いてくる。赤城くんも怪訝そうな顔をしているから、もう黙っておくのも難しいだろう。正直に言うのも気が引けるが……

「僕達の中に、裏切り者がいる、ってこと……かな……」

「はぁ⁉︎ どう言うことだよそれって!」

どう言うことと訊かれても、僕にもよく分からない。黙ってしまった此方を余所に、「正解よ、JapanのAdmiral」とエリザベスちゃんは勝ち誇った様に微笑んだ。


『さぁ、Admiral。それにアカギ、カガ。貴方達に特別な怨みは無いから、退いてくれたら其れはそれで有難いのだけれど。まぁ、その場合、本拠地がどうなるかは保証出来ないけれどね。――どうする?』

どうする、と訊かれても。そんなの、僕達に選択肢なんて無いも同然じゃないか。とは言え艦に乗せてもらっている以上、僕ひとりで決める訳にもいかない。

「赤城くん、加賀くん。どうしたい? 退くか、残るか」

ほんの少しの沈黙が返ってくる。だがそれも一瞬のこと。二人は仕方なさそうに、しかし固い決意を滲ませて声を揃えた。


「『残るしか――ない』」


「……そうだね。そうするしか無い、よね。

エリザベスちゃん。否、『HMS Queen Elizabeth』。聞こえてますか」

『ええ。何なりと』

彼女はゆったりと答える。其の手の上で踊らされているのは分かっている。けれど、もう引き下がれない――



「聞いての通りだよ。僕達は退かない」



『あら、そう。雰囲気に寄らず意外とShrewなのね、貴方。なら分かっているのでしょうね……?

ねぇ、JapanのAdmiral。此れは興味本位だから答えて貰わなくても良いのだけれど。最後に貴方のお名前だけ教えて下さる?』

どうしてそんな事を訊きたがるのだろうか。不思議に思ったけれども、まぁ教えた所で特にどうと言ったことも無いか。

「……碇谷イカリヤクウ。だけど」

『クウ。クウね。空、なのかしら。素敵な意味じゃない。話したかった事は此れで全て。付き合ってくれて有難う。

――さぁ、殲滅よ、貴方達』


ワントーン低い彼女の声とほぼ同時、耳をつん裂くプロペラ音が辺りに響き渡った。途端、空母赤城の真横で水柱が迸る。

「! い、いつの間に⁉︎」

「嘘でしょ……⁉︎ ごめん、話に付き合ってる場合じゃなかったね。あれ、時間稼ぎだったか……!」


後悔している暇は無い。降ってくる爆弾を避ける為、空母赤城は大きく右へと舵を切る。その間にも、繰り出される攻撃は至近弾となって、艦の側の海水を巻き上げる。


『ちっ、ああもう! 戦闘機、帰艦せよ――うわっ⁉︎』

「加賀っ!」

敵艦付近に居た味方戦闘機が此方へと一度帰ってこようとする。其れ等を収納する為動きを緩めた空母加賀に、知らず知らずの内に近付いていた艦爆が襲い掛かる。

刹那、大きな爆発音が響き、空母加賀の艦尾から火柱が上がった。弾けた炎に、艦型が一瞬照らされる。僚艦の被弾に、赤城くんが悲痛な声を上げた。


『……っ、だぁ、甲板が……! それに、ごめん、舵が……利かない……!』

「はぁ⁉︎ お、おい、大丈夫なのかよ⁉︎」

その言葉の通り、空母加賀は左に船首を向けたまま緩慢に滑るだけだ。それでも、加賀くんは『着艦、中止……! 空中戦に専念!』と戦闘機に気丈に指示を出す。戦闘機はそのまま、空母の上空にいた敵機と戦闘を始めた。


だが、やはり数が少なすぎる。満身創痍のたった二隻しか居ない此方と、新しく補充したばかりの機体がわんさか居る相手。どう考えても、分が悪い。

その時、不快なプロペラ音が空母赤城の上でも響き始めた。きら、と、日光を反射して黒いものが瞬く。まずい、あれは、まさか――

「赤城くん! 敵機直上、急降下っ! 舵を!!」

「――え」

「早くっ!!」

彼は僕に釣られた様に上空を見上げる。その緋色の瞳が、一瞬、恐怖に揺らぐのが分かった。其れも仕方の無い事だろう、『空母赤城』が、どのような最期を迎えたのかを知っていたならば。彼にとってはきっと、古傷を抉るが如き。でも、僕が居る以上、同じ轍を踏ませる訳には行かない。


「この艦に魚雷は⁉︎」

「つ、積んでねえ……!」

「OK……ちょっとだけ我慢してね! 面舵一杯!」

僕の声に合わせて、空母赤城の巨大な体躯が一気に右へと進行方向を変える。でも、気付くのが少し遅すぎた。躱し切れるかは分からないが、少なくとも艦橋や胴体に当たるのだけは避けられた筈だ。

と同時に、左舷のすれすれ、甲板を掠めて爆弾が落ちる。ほんの一瞬間を置いて、巨大な衝撃が艦を揺らした。立ち昇った水柱が重力に従って落ち、甲板を洗ってゆく。ぐら、と、僅かに艦が傾いた。


「赤城くん、大丈夫? 被害は!」

「ああ、大丈夫、大丈夫だ。上手い具合に至近弾、か……ほんの少し傾斜した、だけだ」

彼は一瞬ふらついた様だったが、直ぐに表情を持ち直す。でも、先程の大浪で甲板が少し歪み、高角砲が幾つか波に攫われたらしい。其れとなく脇腹を気にしているのはその所為か。


『あ、赤城? 大丈夫?』

「お前が言うか其れ? 俺よか自分の心配しろよな……」

『私は平気だってば。もう火も消えたしね、後は舵さえしっかり効くようになれば――』

言葉の途中で、加賀くんは大きく息を呑む。何かあったのか? そう思ったのも束の間、『に、逃げろ赤城! 雷跡だ!』と彼は声を張り上げた。その瞬間、艦全体を揺さぶる嫌な感覚が全身に伝わる。轟音と、振動。水柱が上がり、水煙が視界を塞いでゆく。


艦が揺れた所為か、それとも人型にもダメージが伝わったのか、赤城くんが大きくバランスを崩した。彼が咳き込むと同時に、辺りに吐き出された血が飛び散る。その赤色に、背筋の凍る思いがした。大丈夫なのか。

そう聞きたいけど、言葉が出てこない。


荒い息を繰り返しながら、赤城くんは何とか立ち上がろうとする。でも、傷が予想以上に深いのか、再びふらつく。僕は其れを支える事しか出来なかった。


『赤城、元帥! 被害は……!』

「……っ、ぎ、魚雷が二本命中。畜生、土手っ腹にやられた……!」

艦の傾斜は依然直る気配が無い。何も言えないでいる僕に、『――元帥!』ともう一度加賀くんが呼び掛けてきた。


『もう、もういいから……護衛は付けます、だから逃げて下さい!』


「え……? そ、そんなの出来る訳無いでしょ⁉︎」

「……いや、俺も、そう思う。来れたなら、帰れるだろ。燃料も残ってる。此処に居たって、どうせ沈むだけだ」

ふるふると、諦めたかの様に彼は首を振る。

でも、退がりたくない。逃げたくなんてない。置いて逃げた、そんな経験が無い筈の記憶が脳裏にちらつく。【母艦を喪うなんて事、もう経験したくないのに】何だ、此れは。誰の、記憶だ。でも、言っている事は僕が思い浮かべているのと一緒だ。


もし、もしも僕が戦闘機ならば、上空を闊歩する敵機から彼等を守れただろうか。もしも僕が艦爆機ならば、鬱陶しい攻撃を繰り返す相手母艦を叩けただろうか。

「……駄目だ」

所詮、僕は人間だ。人間でしかない。呼ばれてもないのに勇んで来た癖に、何も出来ていないじゃないか。其れならばせめて、一緒に沈んでやるのが道理という物ではないのか。


「退かないよ。僕は此れでも提督だ。君達だけを残して退けるものか。……それに、どうせもう、帰らせて貰えそうにはないし、ね」

顔を上げると、此方を見据える鉄鷲の群れと目が合った。蜂球の如き荒々しさと、隠そうともされていない明らかな殺意。第何波かももう分からない新たな攻撃隊が、今にも僕達を屠ろうと近付いてくる。その禍々しいプロペラ音に、背中に嫌な鳥肌が立つ。


ひゅ、と、彼等が息を呑むのが分かった。理解したくもないが、解ってしまったのだろう。此れでもう生きては帰れない、と。

諦めたくもないが、もう割り切るしかないのかな。でも、こうして甲板に脚を付けて、母艦と一緒に沈むのも、まぁ悪くはないか。


もう一度だけ、僕は僕達を手に掛けようとする戦闘機軍を見上げた。相変わらず耳を刺す様な不快なプロペラ音。

しかしその時、プロペラ音が背後からも聞こえてきた。背後? また別の敵? ……そうじゃない。敵じゃない。だって、こんな温かな音、敵機から聞こえる筈が無いのだから――

そっと肩を叩かれた気がして、その音の方を振り仰ぐ。



日光を反射して美しく瞬く、赤とんぼが僕達の頭上を飛んでいた。



否、赤とんぼじゃない。鮮やかな橙色の戦闘機だ。しかし其れは、烈しくも威圧的でもなくただ優しげな雰囲気を醸す、美しい機体だった。新たな機が現れた事で、敵機は尻込みしたかの様に攻撃の手を止めた。

余りに突然の事に呆然と見上げている僕達を他所に、其れ等は隊列を組んで敵機の前へと立ち塞がる。「…………」と、赤城くんが微かに洩らすのが耳に届いた。


戦闘機の軌跡を辿って、慌てて視界を巡らせる。僕達の背後に、小さな空母が浮かんでいた。その船を護るようにして、傍にもう二隻が佇んでいる。

ああ、やっぱり。彼の機体だったのか。道理で、温かな雰囲気だと思った。


『――颯、鏡花。総司令。ご無事ですか?』

肩で息をしつつ、鳳翔さんは僕達をそう気遣ってくれる。

彼のような小柄な艦体、この荒れる海で航行するだけでも簡単な事では無かったろうに……


「……来て、くれたんだ」

ぎゅ、と目頭が熱くなる。提督として少し情けなくて、でも嬉しくて。僕の事まで心配してくれるのか。

『当たり前でしょう。貴方が僕達の事を大切に思って下さる様に、僕達も貴方が大切なのですよ』

さも当然かの様に彼は微笑を含めて嘯く。その後ろで、『ごもっともっすよ!』『流石鳳翔先輩。よく言った、とはこの事です』と少年ふたり、飛龍くんと瑞鶴くんの声もする。彼等も戻ってきてくれたのか。


『……これじゃ、何の為に帰したのか分かんないじゃん』

「っはは、そりゃそうだ」

加賀くんと赤城くんが、其々困った様子で、でも何処か爽快に微笑を零す。僕も全くもって同じ気分ではあるけど。

だけど、来てくれた彼等は余りに頼もしそうで、もう此れで大丈夫だと思うのには十分過ぎるほど眩しく見えた。信頼されていて本当に良かった、と思える位には。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る