第15話 茜さす【下】
『――戦闘、開始です』
鳳翔さんがそう呟くと、其れに合わせて橙色の戦闘機が宙を舞い始めた。敵機から放たれる機銃を回転を掛けて避け、翻ってはまた直ぐに体勢を戻す。
でも、今飛んでいるのは鳳翔さんの色の付いた機体だけだ。あれって確か、練習機の扱いだったんじゃ……?
「……なぁ、飛龍、いや瑞鶴でも良いんだが。居るんだろ? お前らの機体って……何処やった?」
同じ事を思ったのか、赤城くんが恐る恐ると言った様子で問い掛けた。
『え、置いてきたっすよ? おれの機はもうほぼ残ってなかったし、碧のもあんまり使える様子じゃなかったっすから』
『左に同じくです』
「お前ら何の為に来たんだ⁉︎」
『じゃあ鳳翔さんの機体しか無いの……⁉︎』
悲鳴が上がった(そりゃそうだ)。置いてきた、じゃないだろ置いてきたじゃ。僕が空母赤城に飛んでくる時、飛龍くんが残りの機体までくれたのもあるので怒る訳にもいかないけど。
しかし、鳳翔さんは依然微笑を絶やさないまま啖呵を切る。
『随分と僕を侮りますね、颯。其れに鏡花も。十二年前、文字通り右も左も分からない子供だった貴方達を其処まで育て上げたのは一体誰だと思っているんです?』
その言葉が終わらない内に、鳳翔さんの機体はもう一度くるりと旋回すると機銃を放ち始める。避けようと上昇を始めた敵機を、また別の機体が追いかけては撃つ。
華麗なチームワークに、敵機は一機また一機と数を減らしていった。その美しさに、僕は息をするのも忘れて唯見上げるだけだった。
あっという間に、敵機群はその数を半分以上に減らしていた。たかが練習機でこの腕前? 何が役立たずなのだろうか、まだ闘えてる。鳳翔さん、強いじゃないか。
扶桑ちゃんと話した時も思ったけれど、本当前評判なんて当てにならないな。そんな事言ってる方が愚かだ。皆、立派じゃないか。少なくとも、僕は提督として彼等彼女等の事を心から誇れる位には――
『……Admiral。あれは、一体?』
インカムに一度ノイズが入ったかと思うと、エリザベスちゃんからの通信が再び繋がる。
彼女達も困惑しているのだろう、あと僅かで艦隊最強の空母二隻を沈めることが出来る筈だったのだから。そうでなきゃ普通に訊いてこないでしょ。
「さぁね。ご想像にお任せするよ。でも一つ確かに言える事は、僕達には味方が増えて、君達には敵が増えた。これくらいかな?
――さぁ、どうする?」
此処は多少強気に出るべき所だろう。(正直な話、鳳翔さん一艦分の戦闘機なら彼女等は本気を出せば潰せるだろうけど)ブラフを掛けろ、駆け引きならばお手の物だ。
頼む退いてくれ、と半ば心の中で祈りながら彼女の返答を待つ。答えが返って来るまでの沈黙が嫌に長く感じられる。やがて、彼女は『……そうね』と口を開いた。
『どうなの、Ark? ……そう? 解ったわ。
聞こえるかしら、Admiral,クウ。 わたし達、今回はもう退かせて貰うわね。Arkの艦載機も少なくなってきたらしいもの』
溜め息混じりにエリザベスちゃんはそう答える。姿は見えないが、彼女の澄ました様子らしく肩を竦めるのが想像できた。
良かった、やっと此れで帰れるのか。安堵の息が洩れない様に気を付けながら会話を続ける。
「そ。ありがとう」
『まぁね。正直な話、わたし達何もしなくても良かったのよ、本当は。
だからやっと帰れると思う気持ちは一緒よ、と彼女は嘯く。
僕が黙ってしまった隙を突いて、『最後に、』と声が聞こえた。
『これはアカギとカガにも訊きたい事だから、全共有を入れて貰えると助かるのだけれど。良いかしら?』
「ああ、うん、分かったよ。はい、此れでどう?」
「うお、すげぇ何か聞こえる。其れにしても元帥、お前今の今まで俺達の事殺そうとしてた奴等とよくそんなに話せるよな」
インカムのボタンを弄ると、上手く共有が始まったらしく赤城くんが感心したような声を上げた。
『ありがとう。御免なさいね、質問ばっかり。其れ程貴方達は不可解な存在なのよ、
ねぇ、
意外な問いに、思わず赤城くんと顔を見合わせてしまう。案の定、彼もきょとんとした顔をしていた。
と言うか、聴こえているであろう加賀くんや鳳翔さん、挙句の果てには飛龍くん瑞鶴くんもぽかんとした様子で何も言わない。
「……考えた事、無かった」
「だよな……俺達記憶のある限りずっと
改めて問われてみると、此れは難しい。瞬きの仕方を訊かれているのと同じ様に、今まで意識しなかった事を考え直すというのは案外難解なのだ。
だがそんな僕達の返答に、エリザベスちゃんも絶句していた。
『……嘘、でしょう? 貴方達、本当にそんな適当な理由で命を賭けられるの?』
命を賭ける、か。艦乗りの皆は如何だろう、と思い返答を躊躇っていたら、『僕から、良いですか?』と鳳翔さんが入ってきた。
「はい、どうぞ」
『有難う御座います、総司令。聴こえておりますでしょうか、
『あら。貴方は確か、ホウショウ、だったかしら。Hermesが気にしていたひとじゃないの。ええ、何なりとどうぞ』
彼女が促すと、鳳翔さんは『では』と一つ咳払いをした。
『前置きが長くなりましたが、簡単に言おうと思えば一言で済むことです。……何故なら、』
そこで、彼の声のトーンが下がる。諦観の混じった何処か寂しげな声色が、強く僕を引き付けた。
『――僕達は所詮
「……兵、器」
本人達ですら、そう思っているのか。僕にはよく分からない。
だって、彼等彼女等は人間として生を受けた筈ではないのか。人間と同じ肉体に同じ声、同じ心を持っているのではないのか。
否定して欲しいのか肯定して欲しいのか自分でも判別出来ないまま、半ば助けを求める様な気分で隣の赤城くんの方を見たが、彼は僕から目を逸らして肩を竦めるだけだった。
暫く沈黙が辺りを満たしていたが、やがて『……馬鹿みたい』とエリザベスちゃんが口を開いた。
『Japan全土がそう、という訳では無いのよね。でもわたし達の方が幾らか幸せよ、きっと。だってわたし達、
『……まるで
『あら、違うのかしら』
加賀くんが絞り出した言葉にも、エリザベスちゃんは取り合わない。僕の方こそ、彼に違うと言って欲しかったが、インカムから返ってきたのは沈黙だけだった。
その静寂が暫く続いた後、英国の大艦隊は白波を立てて踵を返す。
『もう良いわ。帰るわよ、貴方達』
「行くの? エリザベスちゃん意外と引き際あっさりしてるよね」
『はぁ、そうかしら』
言葉を交わす間にも、艦隊は旋回を止めない。最後尾を行く戦艦クイーンエリザベスが完全に後ろを向いた時、艦橋上の彼女が此方を振り返った、かの様に思えた。
『――其れじゃ、日本のAdmiralさん。
次は『前弩級戦艦』と来たか。この前はビッグセブンに、と言っていたのに。彼女は一体、何を知って――
「元帥、帰ろうぜ」
赤城くんの言葉に、一度思考が中断される。まぁ良いか、後々ゆっくり考えよう。
「そうだね。皆、動ける?」
『加賀先輩、良ければ曳航しましょうか?』
『うん、頼むよ。ありがと、瑞鶴』
皆一様に帰還の準備を始める。いつもと変わらないその雰囲気が戻って来たのを感じて、思わず笑みが溢れた。
「何ニヤニヤしてんだよ元帥……不気味だな」
「えー? え、えへへ〜……」
兎に角辛辣な赤城くんの呆れ声が耳に届くが、取り敢えず笑って誤魔化す。そうしている間にも、空母隊はゆっくりと母国へ向かって反転を始める。
来た時はもう生きて帰れないかも知れないと不安だったが、今こうして皆生きている。良かった、と、もう一度心からの想いが堪え切れずに口から洩れた。
因みにこの後本土に着いた途端、飛龍くんが本気の大号泣をしながら赤城くんと加賀くん(と僕)にパワー全開の突進を嚙ましたお陰で満身創痍だった一航戦ふたりへの止めとなった事件も起きたのだが、其れはまた別の話。
まさかふたり掛かりでも受け止めきれないとは……飛龍くん恐るべし。
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