第16話 食堂間宮【上】

とん、とんっ、と思い掛けず足取りが軽くなる。今日は珍しく、完全オフの日だった。闘いに心が揺らがないのは良い事だ。

とは言え其れは裏を返せば、暇、という事にもなる。部屋に篭っていた所でしたい事も特に無いので、僕は敷地内を適当に散歩しようと決めたのだった。


そして館内を暫く歩くと、僕は大きな重そうなドアに辿り着いた。開いているのか閉まっているのか分からないが、何処からかとても良い匂いがする。

この奥からかな、と様子を伺っていると、「司令官!」と後ろから声が掛かった。この声はもしや――


「あ、大和くん。武蔵くんも」

「よっ、おひさ! 此処まで降りてくるって珍しいな。司令官も飯?」

飯? と突如出てきた単語にぽかんとしていると、次は大和くんがご機嫌そうに口を開いた。

「うん、あのね、ここ食堂なんだよ。間宮と伊良湖がやってくれてるの。暫くぶりに開くらしいから、楽しみで楽しみで! 皆もう来てるんじゃないのかな。司令官も食べて行こう?」


間宮と伊良湖、か。聞いた事の無い名前だ。でも偶には、こうして艦乗りのこ達との食事も楽しいかも知れない。皆集まっているのなら、久しぶりに話が出来そうでもあるし。


「そうだね、今日はそうしようかな」

「っしゃ、決まり! 兄貴も司令官も、早く入ろうぜ!」

元気に言うと、武蔵くんは勢い良くドアをこじ開けた。ほんの少し隙間が空いただけなのに、もう芳しい匂いが鼻腔を擽る。びっくりするほど美味しそうな香りだった。

皆こんな所でご飯食べてたのか……羨ましいな……早く知りたかった。




「いらっしゃいませ――あら、知らない顔ですこと」

ドアが開いた音を聞きつけたのか、テーブル席の向こうから少女が顔を出した。ふんわりとしたボブカットに、クラシカルで裾長のメイド服。何故か耳元には無骨なヘッドセットを着けている。


扶桑型姉弟と話していたらしいが、此方に気がつくと僕に近付いてくる。扶桑ちゃんと山城くんも、目が合うと軽く会釈してくれた。

メイド服の少女は僕の前で立ち止まると、長いスカートを摘み上げて恭しく礼をした。


「連合艦隊所属、相田アイダモミジと申しますわ。コードシップは『給糧艦間宮』でございます。初めまして、チーフ」

「……給糧艦?」

「ええ。艦の皆様に食事を提供する為の、補給艦の一つでございます」


そんな艦種も有ったのか……という事は、彼女が艦乗りのこ達のご飯作っているのだろうか。

「ええ、はい。わたくしひとりで切り盛りしている訳では無いのですけれど」

という事は、ほぼワンマン運営なのだろうか。先程大和くんが言っていた、伊良湖、というこも居るのかも知れないけれど。


「総督。大和に武蔵まで引き連れて珍しいな。私達艦乗りの誰かに用か」

少し考え込んでいると、扶桑ちゃんが遠慮がちに此方に声を掛けてきた。大和型兄弟ともそうだが、最近戦艦のこ達とは会っていなかったので少し懐かしく感じる。


「いや、特に用事は無いよ。つい、良い匂いに釣られてふらふら〜っ、と」

「成る程な。確かに此処からは、昼時は形容し難い程の馨しさが溢れているものだからな」

深く頷きながら、扶桑ちゃんは目を閉じて恍惚の笑みを浮かべている。

「そうですそうです、姉上の仰る通りで――」と山城くんが同意しかけた瞬間、ざっばぁ、と彼の頭上に未だ湯気の立つスープが降ってきた。


「うわ熱っつ⁉︎」

「陽ぁっ! このど阿保!」

「ぎゃあーーーっ山城にいちゃんごめん本当ごめん⁉︎」


……一気に騒がしくなった。このこ達兄弟が居ると静かになる事が無いな。

声の主の方を見ると案の定、テーブルに足を引っ掛けたらしく四つん這いに青い顔で喚く日向くんと、頭を抱える伊勢くん(とスープでずぶ濡れの山城くん)が居た。「私、布巾取ってきますわね」と、間宮ちゃんがぱたぱたと駆けてゆく。


「陽、てんめぇ……何回目だよ! あれだけ摂津にも怒られてたってのにもう忘れたのか⁉︎」

「……摂津?」

はて、聞き慣れない名だ。そんなこ、此処に居ただろうか。「ねぇねー、摂津って誰?」同じ疑問を抱いたのか、大和くんが率直に訊いた。其の名を叫んだ山城くんはしまったとでも言いたげな顔だったが、彼の代わりに扶桑ちゃんが口を開いた。


「摂津、か……懐かしいな。なぁ伊勢、日向?」

「……まぁな」

扶桑ちゃんが伊勢型ふたりに話を振った瞬間、ふたりは目に見えて静かになった。ふたりにも関係のあるひとだったのだろうか。


「……摂津は、摂津師匠はぼく達超弩級戦艦の先輩だよ。『戦艦摂津』だ。此処じゃ、ぼく達の兄姉代わりだったな。走り方を、撃ち方を、闘い方を教えてくれた」

「へぇ。其のひとは、今何処に?」

ちょっとした興味本位で訊いてみただけだったが、僕の問い掛けで特に日向くんがしゅんとしてしまった。そのリアクションの意味が分からずに居ると、「……総督。済みませんが、あの、」と山城くんが申し訳無さそうに僕の袖を引く。


「別に構わんぞ、山城。頭領が此処に居る以上、いつか話すべき事だからな」

だが伊勢くんは事も無げにそう言う。否、敢えて軽く振る舞っているだけかも知れない。山城くんは少し戸惑った様子だったが、伊勢くんの言葉を邪魔しようとはしなかった。


「摂津師匠は、十二年前、突然姿を消したんだ。何で、だったんだろうな……でも、摂津師匠も、富士さんも初瀬さんも安芸さんも、出て行ったっきり帰って来なかった。敷島さんと鹿島さんは戻って来た……んだったよな、山城?」

「……まぁ。でも結局直ぐ、居なくなった、から」


伊勢くんは一度山城くんに話を振ったが、相槌を受けると再び口を開いた。彼の独白は続く。

「解らない事ばかりだ。あのひと達が何処に行って、何をしていて、そして何が有ったのか。いつか居なくなるんじゃ無いかと幼心に思ってはいたがね……まさかあんなに早い、とは。いい加減なひと達だったから。……でも」


彼は其処で一度言葉を切った。扶桑型姉弟や日向くんはおろか、大和型のふたりまで口を閉ざしたまま。僕に目を合わせないまま、伊勢くんはぽつんと呟いた。


「……優しい、ひと達だった」


何も言えないまま、僕は立ち尽くすしか出来なかった。正直な所、驚いたと言うのが感想だけれど。

沈黙が場を満たしたが、「あー黙るな黙るな。そんなつもりで話したんじゃない」と彼は軽く肩を竦めるだけだった。


「山城さん、布巾お持ち致しましたわ」

会話の切れ目を縫って、戻って来た間宮ちゃんが白い布巾を山城くんに渡す。その時、彼女の後ろからもうふたり少年が顔を出した。


「伊勢さん、日向さん。あの、」

「ん、瑞鶴と、其れに翔鶴か。戦艦隊まで寄るなんて珍しいな、どうした?」


少年ふたり、翔鶴くんと瑞鶴くんは其々航空戦艦のふたりに向かって行く。

伊勢型ふたりの顔を見上げつつ、鶴兄弟は何かを手渡した様だった。あれは……戦闘機?


「えーと、彗星さんと瑞雲さんから伝言です。とっとと整備を終わらせろ、との事でした」

「うげ、やっぱり小言か……無茶言うよ本当……コードファイターって言ったって、一々全機人型と同期させてないくせにさぁ。ねぇにいちゃん?」

「全くだ……」


伊勢くんと日向くんは揃って肩を落とす。その様子が可笑しかったのか翔鶴くんが微かに笑ったが、直ぐに慌てて笑みを引っ込めた。失礼だとでも思ったのかも知れない。彼らしいな。


其れにしても、コードファイターか。コードシップが艦乗りならば、さしずめ機乗りとでも言った所だろうか。彗星、と、瑞雲。何処かで聞いた名だ。そんなが居た様な――

違和感がちりちりと頭の奥を突くが、どうも此れ以上発展しそうに無い。頭を捻っている間に、「なぁなー、」と武蔵くんが鶴兄弟に話しかけていた。


「おまえ達さ、翔鶴と瑞鶴、だろ? うわ、本当に空母だ……! 初めて見たなぁ」

「は、はい。僕が空母翔鶴、此方が弟の、空母瑞鶴です」

急に話しかけられて翔鶴くんはびくついていたが、武蔵くんは其れも気にせず明るい声で話を続ける。


「俺殆ど空母見た事ないんだよね、俺達大和型みたいに大きいのも居るんだろ? 翔鶴と瑞鶴の事、名前だけ知ってたけど、会ってみたかったんだ。特に瑞鶴! だっておまえって、『幸運艦』って有名で――」「止めてくださいっ!」


『幸運艦』の単語が出た瞬間、瑞鶴くんがそう声を荒らげた。その余りの迫力に武蔵くんの言葉が止まる。其の間も、瑞鶴くんは構わずがなり立てる。

「皆、皆どうせそう言う……! 幸運って、そんなもの、そんな白々しい言葉聴かせないで! 先輩も兄も護れなくて、結局は沈んで、何が幸運ですか! あんたなんかに、戦艦無用の長物なんかに、何が解るん――」

「深月」


優しい声が割って入った。瑞鶴くんは勢い良く声の主の方を振り返ったが、翔鶴くんは相変わらず諭す様な声で続ける。

「深月、そんな酷い事言っちゃいけないよ。おにいちゃんとのお約束。ね?」

「……うん」

「御免なさい、武蔵くん。深月は、えっと、瑞鶴はあんまりこんな言葉慣れてないので……代わりに謝ります」

流石は兄だ。ひりつきそうだった雰囲気をすんなりと戻した。当の武蔵くんも、「はぁ、まぁ……こっちこそ、無神経な事訊いたな……ごめん、瑞鶴」と素直に頭を下げた。


「うーん、難しいな、思った事全部言っちゃいけない、と……」

「まぁまぁ。武蔵、貴様はまだ若いからな。仕方無いさ。戦の只中に生まれた平和を知らないと云うのは案外そういうものだ。都も伊勢も進水直後は大分ひねてたもんさ」

「あ、姉上……!」

「一言多いぞ扶桑」

扶桑ちゃんがにまにまとしながら武蔵くんの肩を叩く。突然名指しされた挙句に過去を暴露されたふたりには悪いけど、うん、ちょっと面白かった。


「あーもー、ったくもー……行くぞ陽! 翔鶴、瑞鶴、飛行機共んとこまで案内してくれ」

「は、はい、了解しました」

「わぁにいちゃん待って待って! あ、じゃね頭領!」

僕に忙しなく手を振ると、日向くんは兄に続いてばたばたと駆けていく。瑞鶴くんは最後尾を行こうとしていたが、ふと僕の方を振り返った。


「そうだ、上官。上官は最近、不思議な夢を見ませんか?」

「……夢?」

うーん、最近変な夢見たっけな。此処の所出撃が多かったからか、海の上、空の上を往くもの位しか見てない気がする。

「どう、だろ……船と、飛行機の、夢……?」

「……そうですか。まぁ気になる夢見たなら雲龍にでも相談すると良いですよ。あのこは不思議な勘が効くんで」

それだけ言い残すと、彼はまた「それじゃ」とくるりと背を向けた。そのまま前を行く三人に着いていく。


「僕、着替えてきます……」

「そうか。都、着いていった方が良いか?」

「いえ、そんな、姉上の手を煩わせる訳にはいきませんから!」

まだスープの雫が髪から滴り落ちている山城くんも、そう言って部屋を出て行った。其れを見届けてから扶桑ちゃんも「失礼するよ」とカウンターへと向かう。あっという間に僕と大和型ふたりだけになってしまった。


僕達もご飯食べよっかなー、と大和くんは辺りを見回す。と、その時、会話が途絶えたのを見計らったのか「指揮官」と声が掛かった。僕の事を指揮官と呼ぶのは――


「久しぶり、です。その節はレオお兄が連れ回して失礼しました」

そのまま彼、榛名くんは小さく頭を下げる。四兄弟お揃いのコートの裾が僅かに揺れた。

「わぁ榛名だ! 久々に見たなぁ」

「大和……うん、確かに。ね、指揮官借りて行って良いかな」

「どうぞー、叩き売りだからな!」「売らないで?」

武蔵くん酷い。でもまぁ、久しぶりに金剛型のこ達と話せるのも楽しみだな。僕の袖を引く直前、榛名くんはちらりと大和くんを横目で見たが、直ぐに目線を戻した。


その動きが微かに引っ掛かったが、「こっちです指揮官。どうかしました?」と袖を引く彼の顔に先程までの圧は欠片も無い。止まっている訳にもいかないので、僕は大和くんと武蔵くんふたりに別れを告げると、大人しく榛名くんに着いて行く事に決めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る