第7話 至高の大艦【上】
「取舵一杯っ!」
僕の掛け声に合わせて、乗っている艦が左側に強く揺れる。その直ぐ傍を爆弾が落下していき、大きな水柱が立った。
『司令官、もう良いか⁉︎』
「まだ! 安定して真っ直ぐ前向くまで待って!」
隣を走る艦から通信が届いた。焦燥に溢れているが、慌てて撃ち漏らす訳にはいかないのだ。
そうしているうちに僕の乗る艦も落ち着きを取り戻し、また艦首を相手へと向ける。
視界の中に味方の艦は撤退済みでもう無いことを確認したので、漸く指示を出せる。
「OK、大丈夫――主砲起動!」
「『了解!』」
二人の声が重なる。全く同じタイミングで、敵を見据えた主砲が火を噴いた。世界に並ぶものが無い、巨大な砲。
数瞬だけ間をおいて、一層夥しい量の火柱、水柱が同時に上がる。その熱が、その水滴が、僕達の所まで届くような気がした。
時は数時間前。
顔合わせもあと二隻で終わりだったので、さっさと終わらせようかと僕は待ち合わせ場所に向かっていた。
その節は済みませんでしたもう俺ボケてきてるのかもしれませんね、と申し訳なさそうにしていた長門くんが調整してくれたのだ(そりゃこのこめちゃくちゃ多忙だからな、仕方ない)。
という訳で、金剛くん達が居たロビーの座椅子にまた座る。
腰を下ろした瞬間、「わっ!」と、真後ろから声を張り上げられた。その声に驚いて、つい座椅子を蹴って立ち上がってしまう。
「うっわ何何何⁉︎ 誰⁉︎」
「へへっ、司令官思ったより面白いリアクションするな」
慌てて振り向くと、そこにはにんまりと笑みを浮かべた、背の高い青年が立っていた。
青みがかった髪を左肩から垂らし、重そうなマントを同じ方に掛けている。檸檬色をした目が満足気に細められていた。
「誰、って聞いたな。第一戦隊所属、
可笑しくて堪らないといった様子のまま彼、武蔵くんは白手袋の手を差し出す。取り敢えず握手に応えるが、周りを見渡しても僕の近くには彼一人しか居なかった。
「あぁびっくりした……うん、宜しくね……もうあんな事しないでよ? ところで、君しか来てないの?」
確か、大和型戦艦の筈なのでネームシップのこがもう一人いるのだが、ここには居ないのだろうか。
「えーと、兄貴人見知りっつーか、誰かに会うの嫌いっぽいから取り敢えず俺だけ来た。でも司令官まともそうだから大丈夫かな……ちょっと呼んでいい?」
「うん、是非そうして」
僕の返答を聞くと同時に武蔵くんは携帯電話を取り出し、誰かに通話を繋いだ。
「あーもしもし兄貴? うん、提督、いや司令官かな? がお前にも会いたいって。うん、うん、大丈夫大丈夫、そんなヤバそうな人じゃないっぽいし……はぁ⁉︎ 行きたくない⁉︎」
どうも難航しているようだ。お兄さんが渋っているらしい。
「いいから来いって! ああ、うん、分かったよ……お眼鏡に敵わなかったらすぐ帰っていいからさ。はいはい、了解了解。それじゃ、早くしなよ。切るぞ!――はぁ……済まん、やっと終わった……」
特大溜め息と共に通話を切る。これでは、どちらが兄かよく分からない。
そんな僕の気持ちを感じ取ったのか、武蔵くんは仕方なさそうにずり落ちたマントを直した。
「はは、何つーか、昔色々あってな。兄貴の方が酷い目見たから、どうもその時の弊害でさ。俺はそこまで思う事は無いんだけど」
そう言って彼はへらりと笑う。
伊勢くんの話を聞いた時も思ったが、皆結構辛めの過去を持っているな……そういう子供をわざわざ集めているのかもしれない。
何の為に? 考えたくもないが、ふと一つ仮説が浮き上がってきてしまった。その悍ましさに思わず鳥肌が立つ。何の為か、そんなの――
「……罪悪感無く兵器とするため」
「? なんか言ったか司令官?」
つい口から出してしまったらしい。武蔵くんが不思議そうに此方を見つめていた。「いや、何も」と慌てて取り繕う。
「そうか。まぁいいや、そろそろ兄貴来ると思うから――」
そう言って彼は座椅子を引いて座ろうとする。
その時、ぱぁんっ、と破裂音が辺りに響いた。
「「っうわっ⁉︎」」
僕と武蔵くんの驚き声が綺麗に重なる。それに隠れる様にして、くすくすと押し殺した笑いが聞こえてきた。
「ふふっ、二人とも愉快な反応するね」
「待って待ってびっくりした……これってデジャブ……」
強い既視感を感じてもう一度振り返る。この数分で二度も背後を取られてしまった。
しかし武蔵くんも彼の襲来には気づいていなかった様で、僕の横で椅子ごとひっくり返っていた。
後ろには、案の定武蔵くんとそっくりの青年が立っていた。彼の手には破れた紙袋。
赤みがかった髪を右肩から垂らし、同じ重そうなマントを両肩に背負っている。大人しいが芯の強そうな、真紅の瞳が楽しそうであった。
「ああ……分かった、君のコードシップ」
「わ、すごい。じゃあ聞いてみようかな、何だと思う?」
彼はまた薄く微笑む。
何度見ても武蔵くんとそっくりの顔に長身、桜を象った髪紐。ここまで来れば、幾ら勘が悪い(と言われた)僕でも分かる。
「君は『戦艦大和』。大和くんでしょ?」
「――うん、正解です。あれだけ混乱してても僕の事解るのなら、見る目が有るってことかな。安心した、ちょっぴり信じられそう。第一戦隊所属、
言い当てられた事が嬉しいのか、何処か弾んだ声で大和くんはそう言う。人に会うのが嫌いだと聞いていたので気難しいこかと身構えていたのに、思ったより親密的だ。
その時、横で「兄貴ぃ……」と、ひっくり返っていた武蔵くんが迷惑そうに起き上がった。
「……何してんの?」
「いや、お前には急に呼び付けられたからこれくらい良いかなって。で、司令官の器の大きさもついでに確認しておきたかった、って訳」
あれが1番手っ取り早いでしょ? と小首を傾げる大和くん。
とはいえ武蔵くんも同じ事をしたという負い目は有るのか、じっとりと湿った視線を兄に送るだけでそれ以上は追求しなかった。
「まぁ、良いけどさ。まずは信頼してもらいたいからね」
「ひゅー、さっすが司令官器が違う」
「これ、梅花。ところで、僕達長門から伝言を貰ってここに来たんだけど」
そういえばそうだった。このこ達にも仕事は出ているのだろうか。多分強制だとは思うけど……
「そうそう。顔合わせと、あとは一戦交えてこいというか」
一戦。そう言ったところで大和くんの顔が明白に曇った。
「……行きたくない」
「えっ?」
「だから、行きたくない。行かない。どうしてもって言うなら梅花だけ連れてって」
そう顔を顰めると、彼はそっぽを向いてしまった。先程迄の友好的な雰囲気は消し飛んで、一気に尖った声色へと変わる。
「……兄貴」
「嫌なものは嫌だよ。出来る事なら闘いたくない。
そもそもさ、梅花。闘うことって楽しい?」
ぐ、と武蔵くんが返答に詰まるのが分かった。そんな弟に畳み掛けるように、大和くんはまた続ける。
「でしょ。今更やり直そうって言ったって、何を信じれば良いのさ。
何が不沈艦だ。何が最強だよ。無下な希望を見せやがって……!」
彼は固く拳を握る。喉から搾り出したその怒りは、まるで誰に聞かせることもできない悲鳴の様だった。
数瞬間置いて彼ははっと我に帰る。だがそのよそよそしい態度はまだ薄まらなかった。
「……ごめんなさい。でも……ううん、僕もう戻っていいかな」
「あ、うん……」
そのまま目線を合わせる事なく大和くんは踵を返そうとする。武蔵くんは僕と兄を幾度か見比べていたが、結局は黙ったまままた座椅子に腰を下ろした。
大和くんが引き返そうとしたのとほぼ同時、突然ロビーへと駆け込んでくる足音が耳に入った。
思いがけない来訪者に、思わず大和くんの足も止まる。入ってきた彼女、陸奥ちゃんは息を切らして僕達に近づくと、止まりきれなかったのかその場に膝をつく。
彼女の姿はぼろぼろだった。身につける袴やマントは所々破けて煤け、髪も乱れたままである。
そして何より、その左腕は肩口から殆ど千切れかけていた。手だけでなく、頬や足などもあちこちが欠け、金属膜が覗いている。まさに満身創痍、といった出立ちだった。
「っ、はぁ、はっ、そ、総帥……!」
「陸奥ちゃん⁉︎ ど、どうしたのその姿……それに、長門くんは……?」
兄の名前を出した時、彼女はがばっと顔を上げた。その藍色の眼が強い悲壮感に揺らぐ。
「総帥、
「落ち着いて陸奥ちゃん! 何があったの⁉︎」
勢いのまま僕の肩を力なく掴む。堪え切れなかったのだろう涙が滲むのが分かった。
「敵艦隊が、鹿児島県沖に襲来したんです! 誰かを呼ぶ暇なんか無くて、でも、想定より大規模で……! 此方には私と兄さんしか居なくて……!
だから、伝えてこいって……兄さんが彼方に一人で残っているんです! お願いします、兄さんを助けて!」
残っている? 艦隊相手に、長門くんが一人で? 想像していたよりも悪い状況に言葉を失う。なんだよそれ、と武蔵くんが歯軋りするのが聞こえた。
「なんつー無茶してんだよあいつ……! 司令官、俺が出る! 行くぞ!」
彼は熱り立って僕の腕を強く掴む。だが幾ら超弩級戦艦と言えども、戦艦武蔵一隻だけで立ち向かうのは少し早計だろう。
かと言って、何処にいるかも分からない他のこを呼んでいるほどの暇はない。
「――大和くん、否、戦艦大和。君も出てくれないか」
かくなる上は彼に来てもらうしかないだろう。世界最強とまで言われた大和型が二隻いれば、大抵の艦ならばどうにか出来るかもしれない。
だが、やはり大和くんはびくっと反応すると下を向いてしまった。
「……場所が悪いよ」
「お願い、大和くん。このままだと長門くんが危ないんだ」
でも、と彼は手を固く握り締める。「兄貴!」と武蔵くんが兄の腕を引いた。
「躊躇してる暇なんか無いだろ! 来てくれよ!」
「煩い! 黙ってろよ、お前なんかに分からないだろ⁉︎
意味のある
そう大和くんは吐き捨てる。だが彼が居ないと戦況は厳しいのだ。
開戦当時最新鋭だった長門型二隻を以ってしても苦戦するのならば。
「ごめん、大和くん。だけど来て欲しい。今の艦隊を潰せなければ次は本土に攻め入って来るだろう。列島が危険なんだ――
頼む、日本を守ってくれ、『戦艦大和』」
僕の言葉に、大和くんは今度こそ痛そうに口元を歪めた。そのままほんの少しだけ黙り込む。「……狡いなぁ」と、彼は小さく呟いた。
「……分かった、良いよ。僕も出る」
そう言って大和くんはマントを翻し、顔を上げた。その眼差しにはもう迷いは無かった。
大和型二人が来てくれると知って、これまで口を噤むしか出来なかった陸奥ちゃんの表情が少し明るくなった。
「それじゃあ……!」
「うん。陸奥、案内して」
「っしゃ! 俺達に喧嘩売ったこと後悔させてやる! 司令官、行くぞ!」
二人はそう踵を返す。
その背中は、あの巨大な戦艦を見た時と同じように、ただただ頼もしいと、そう思った。
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