第3話 神様の御座す地

あの戦闘から帰ってきて数日、僕は書類の束を抱えて一人廊下をほっつき歩いていた。長門くんから手渡された分厚くて重い紙束。


『実は俺、皆に仕事配りに行く最中だったんですよ。旗艦だからって全部押し付けられて。

緊急の方を優先したんですけどねぇ……そうしたら遅いって金剛に説教喰らった……ふふ、とばっちりですよ本当……』


欠けた足の治療を受けつつ不気味に笑う彼を見ていると、流石に手伝うと言わずにはいられなかった。

という訳で今、僕は『扶桑』と『山城』を探しているのだ。しかし。


「い、いない……」


そう、いないのだ。波止場やホール、果ては風呂場やトイレ、寮部屋まで探しに行ったが影すら無い。

一度長門くんに連絡入れてもらった方が良いのかなぁと書類と共につらつら考えながら角を曲がろうとする。


その時、「っ退いて退いて退いて退いてぇ!!」と少年の悲鳴が聞こえた。

「えっ」勢いよく曲がった、きっと走ってきたのだろう少年の慌てふためいた表情が眼前に有る。と思った瞬間、僕と彼は見事なまでに衝突した。衝撃で、くす玉を割った時の様に書類が飛び散らばる。


「あぁーいっつぅ……ご、ごめんなさい! 怪我してませんか⁉︎」

「いや、僕は大丈夫だけど……君こそ平気? 滑ってなかった?」


顔を上げると、ガラス玉のような大きな橙色の目と視線がぶつかった。栗皮色の髪を首の下に組紐で括っている。

おれは大丈夫ー、とその少年が表情を緩めたのと、彼の頭がばしっ、と叩かれたのはほぼ同時だった。


「だから気を付けろって言ったろ……ったく」

「あだっ! わっにいちゃん!」


ぶつかってきた少年の後ろから、もうひとり青年が出てきた。こちらは同じ色の髪を同じ組紐で高めに縛っている。二人とも海軍支給の軍服に、神主のような上着を羽織っている。

にいちゃん、と少年が呼んだ通り、ぱっと見はそっくりだ。雰囲気は全然違うけど。


彼は散らばった書類を集めてくれていたが、とある一枚を拾ったとき動きが止まった。紅色をした瞳が大きく見開かれる。


「こいつって――」

「あの、拾ってくれるのはありがたいんだけど、あんまりじっくり見られると困るというか……一応仕事の書類なもんで……」

だから返して欲しい、というニュアンスを含めて言ったつもりだったが、青年は「」とこちらを見た。

「ていうか『山城』もここに居ないよ。あの二人今呉のドックだもん。なぁにお兄さん、このふたり探してたの?」


的確に言い当てられ、少し驚いた。書類には人名しか記されていなかったはずだった。それなのに、名前だけを見て艦名まで的中させたという事は――


そんな僕の様子を感じ取ったのか、青年は少し口角を上げてこちらに手を差し出してきた。



「貴方だったか……ぼくは第二戦隊所属、三宮サンノミヤリツ。コードシップは『戦艦伊勢』。よろしくな、頭領」


「左に同じく、第二戦隊所属の三宮サンノミヤヒナタです。コードシップは『戦艦日向』。こんにちはだね」



やっぱり、このこ達も戦艦か。微かに抱いていた予想が確信に変わる。第一艦隊という事は、長門くんと陸奥ちゃんと同じなんだろう。

「ええと、伊勢くんと日向くんだね。よし、覚えた!」

「人名は?」




「そういえば、二人はどこか行く途中だったの?」

良ければ連れて行くか、と申し出てくれた伊勢くんのご厚意に甘えることにして連れ立っている所でふと聞いてみる。


「ああ……ちょっとな。ぼくらも仕事だ。いや、仕事って言うか……案内する前に少し寄って行っていいか?」

「勿論」


そう言ってまた暫く歩く。そうして数分経った後、二人は一度外に出て大きなコンテナの扉を開けた。


「ここだ」

伊勢くんが扉を開け切ると、彼から先に入ってゆく。日向くんもその後を着いて行ったのを見て、僕も中に入った。



中には、数十機の戦闘機が並んでいた。



目が合った、と思った。しかし所詮は機械、そんな事はある筈が無い。そうだとは分かっているのに、何故か視線を感じる様な気がする。

それも単純に見られているだけでは無い、見定めるような目利きするような、そんな視線。


ただやはり気のせいだったのか、そんな気分に陥ったのはほんの一瞬だけだったようだ。

「わぁ……凄い! これ、全部使っていいの⁉︎」

という日向くんの屈託のない弾んだ声に我に帰る。

声の主を見れば、嬉しそうにぱたぱたと戦闘機の内の一機に駆け寄ってゆくところだった。


「あー、こら陽ちょっと待て」

しかし伊勢くんはそんな弟を呼び止めると、こちらに向かって戻ってこいと手招きする。

日向くんも「ああ、そうだった言われてたね」と素直に戻ってきた。


何か言い付けられていたのだろうかと止まったまま見ていると、二人は揃ってコンテナの入口に並んだ。すっと背筋を伸ばす。

先程迄の、何処か賑やかしい雰囲氣は消え去っていた。タイミングを揃えながら二拝すると、まずは伊勢くんが口を開いた。


「掛けまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の――」


水が流れるように言葉が紡がれる。僕はただ唖然として見守る事しか出来なかったが、日向くんは知っていたのだろう、目も口も閉じてしっとりと立っている。


「――祓戸の大神達」まで伊勢くんが言うと、彼は一度口を閉じた。と思ったら「諸諸の禍事罪穢有らむを――」と日向くんが続きを語り出す。


二人で一人分を言い切る事は普通は無いのだろうが、この時だけは其れが一番しっくりくるように感じた。


「「――恐み恐みも白す」」


などと考えている間に、二人は声を揃えて言い終えた。


「今のって……」

「ああ……唯のポーズみたいなもんだ。純粋な空母共はこんな事しなくても良いんだけどな……無理矢理改造されたもんだから、こうでもしねえと上手く繋げなくて」


一気に言い終えたからなのか、それとも何か気力を使うのか、溜め息混じりに何処か疲れた様子で伊勢くんは答える。


「だから試行錯誤したんだよー。結果、こうするのが一番効くって分かってね。名前に関係でも有るのかな? っと、ねぇねぇにいちゃん、もう良いもう良い?」


はいはい、と苦笑しながら伊勢くんは弟を送り出そうとする。立ち止まった彼の手を日向くんが引いて、二人揃って戦闘機の方に走っていった。

途中で分かれると、不意に立ち止まって同じタイミングで戦闘機の頭に手を伸ばす。細い指先が機首に触れた。



ぱっ、と、戦闘機が弾けて消えた。



ように見えた。実際は銃弾みたいに小さくなって、収納されたんだと思う。そのまま二人は次々に機体を仕舞っていく。

ぱっ、ぱっ、ぱんっ、と全ての機体を収め終えると、また揃って戻ってきた。


「お待たせ。これでぼくらの仕事はお終い。航空戦艦としてこれぐらいは持っておけ、との事でな」


小さな巾着に手を突っ込み、片付けながら伊勢くんが近づく。日向くんは巾着の口を結ぶのに苦戦していたようだったが、それを兄にひったくられさっさと仕上げられていた。



早く行こう、と急かしながら先に外に出て艦の方に走っていく日向くんを歩きつつも追いかけながら、弟を仕方なさそうに見守っている伊勢くんに声を掛けてみる。


「面倒見が良いんだね」

「そうか? いや、ほら、やっぱり心配で……」

そんなつもりじゃ無いとでも言いたげに彼は頭を掻く。


「でも、日向くんのこと大切なんでしょ?」

「……まぁな。この世でたった一人の肉親だから、かな」

「それって……」


少し俯くと、伊勢くんはぽつりぽつりと言葉を零す。弟に聞こえないようにだろうか、少し声のボリュームを下げた。


「ぼく達は、いやぼくら兄弟だけじゃ無いんだが、この艦隊の奴等は殆どが家族の顔を知らない。大抵が捨てられたり死別したりした孤児か、食うものに困った親に売られたか、そのどちらか。だから、この世でたった一人、だ」

そこで彼は少し照れたように笑った。


「大事だよ。自慢の弟だ」


何処か楽しげに、兄は弟を誇る。ここまで想って貰えるなら日向くんもきっと幸せだろうなぁと呑気に思うなどした。


それにしても、そんな経緯で此処に居るのか……。思えば彼等は、自身のことをこちらから問わねば語ってくれなかった。長門くんら兄妹もそうだった気がする。


など考えていた所へ、伊勢くんが思い出したように話しかけてきた。

「そういえば、貴方が探してるっていうのは扶桑型の姉弟だったな。あー……ま、気を付けろ」

そう言って彼は僕の肩をぽんと叩く。その恐ろしい前置きには寒気を感じずにはいられなかった。




「にいちゃん、遅い!」「お前が早すぎるんだろ」


アジトの敷地奥、波止場にはいつの間にか二隻の戦艦が並んでいた。きっとこれが二人のコードシップ、『戦艦伊勢』と『戦艦日向』なのだろう。艦尾には何か平らな鉄板のようなものが打ち付けてあるのだろうか。


そう眺めているのも束の間、伊勢くんが「ぼくの艦で良いだろ。乗るぞ」と手を引いてきた。


艦橋に登って手すりに寄りかかったとき、視線を感じてふと上空を見上げる。そこには案の定、数機の戦闘機が飛んでいた。


「あー、なんか飛んでんな……嘘だろ、ここ領空内だぞ? どうする頭領、一応堕としておくか?」

そう聞かれ、僕は一瞬躊躇う。しかし領空内ということは堕ちた時街に被害が出るかもしれない。止めておくか。


「いや、いいよ。そもそもあんな高度の高い機体、戦闘機でも無ければ墜とせないでしょ」

「まぁ、出来なくは……でも頭領がそう言うなら」


不承不承というように伊勢くんは答える。そんな彼の手には、先程収納に使ったらしき巾着袋が握られていた。



広島から呉までの短い船路、しかしそこでの二人の運転技術には口を噤んでおく。

ただ、一言だけ言わせて貰うと、陸奥ちゃんの嘆きの意味が分かった気がしたというのが正直な感想だった。どうして真っ直ぐ走れないんだよ……

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