第4話 忌み仔
呉の軍港に足を下ろす。やっと地上に生きて帰ってこれた……
なるほど、これは確かに伊勢兄弟、酷い運転技術だった。とにかく真っ直ぐ走らない。小回りは効くのに。
「頭領ー、大丈夫? 酔った? 顔真っ青だよ」
「誰のせいだよ全く……」
二人とも悪びれず僕に接するので、怒る気にもなれない。
「まぁ、それよか扶桑と山城だな。ドックにいるっつーのは明石に聞いたんだけども」
多分こっちで合ってるだろ、と適当に感じる足取りで伊勢くんは僕と日向くんを案内する。
その時「正解だよ」と背後からハスキーな声が聞こえた。
振り返ると、烏の濡れ羽のような髪をお団子ハーフアップに纏めた少女が立っていた。少女と言ったが、僕より少し背が高い。友禅のような厚い着物を肩から崩し、その下に軍服を着ている。
「貴殿が私達姉弟を探していたと聞いた。済まないな、呉までご足労頂いて。第一戦隊所属、
そう言って彼女は表情を緩める。が、その翡翠色の目の奥では隠し切れない不信感が渦巻いているように感じた。
その視線の冷たさに、思わず血の気が引く。心底人を信じていない目、そう思った。
「じゃー、おれ達適当にほっつき歩いてるから。終わったら送るから連絡してね、頭領」
そう言って日向くんと伊勢くんはさっさと何処かへ消える。
それを見計らったかのように「少し歩くか」と扶桑ちゃんは踵を返した。その時。
「てめぇ姉上に近づくなぁああぁあぁ!!!」
怒声と共に背中に強い衝激を感じた。と思ったら受け身を取る暇もなく床に叩き付けられる。腹と床が勢いよくぶつかって軽く息が漏れた。
「何しようとしてたんだよてめぇ……っ、けほっ、」
落ち着いて声を聞いてみると、僕の上に乗っているのはどうやら少年らしい。
彼は途中で言葉を詰まらせると、苦しそうに咳き込み出した。
「都⁉︎ どうして出てきたんだ!」
「いえ、誰かが僕達のことを探していると明石から聞いたので……」
途端扶桑ちゃんは困り果てたような呆れ返ったような表情になる。
「ああ……お前の下にいる奴、そいつだよ。伊勢と日向が連れてきた。私達の総督らしい」
「えっ? う、うわ、申し訳ありません!」
驚いたように彼は僕の上から飛び退いた。が受身に失敗したのか軽くつまづいた形になる。
なんだ、罵声と一緒に飛び掛かってきた時は恐ろしいこだと思ったけどしっかり謝れるこなんだな……
「まさか総督だとは思いもよらず……第一戦隊所属、
そう言って山城くんは頭を下げる。彼は紫光りのする髪をサイドに纏めている。第一印象が酷すぎて顔を見る余裕が無かったが、改めて見ると姉同様相当な美人だ。
しかし、何処か顔色が冴えないのが妙に気になった。駆けてきてから暫く経った今でもたまに咳き込むあたり、余り体は強くないのかも知れない。
「まぁ、それで、総督は何をしに呉まで? 大方予想は付かなくはないが」
「多分それで合ってるよ。長門くんから仕事のお届け物です」
「長門か……」
呉まで持ってきた書類を扶桑ちゃんに渡す。彼女はそれを覗き込むと、少し視線を落とした。
「……恵まれた奴には分かんないか、やっぱり」
「え?」
「なんでもない。とりあえず受け取ったから、早く伊勢兄弟に送ってもらえ。都、お前も戻れ」
書類を小脇に挟むと、扶桑ちゃんは足早に立ち去ろうとする。
だが困ったことに、仕事内容には誰宛てのものにも僕と行けと書いてあるのだ。本当困ったことに。故に彼女達を帰す訳にはいかなかった。
「待って待って、帰って貰うとちょっと困るんだけど……」「はぁ?」
剣呑な目付きで彼女は振り返る。僕達とは別の方向に戻ろうとしていた山城くんも、不穏な雰囲気を感じ取ったのかまた此方に近づいてきた。
「基本、仕事は艦だけで行かせるなって伝えられてるんだよね。だから僕も行くよ」
扶桑ちゃんと山城くんは揃って黙り込んでしまった。さて、どうするか……あの二人にも協力してもらうか。
「分かった、じゃあ伊勢兄弟も連れて行くからさ!」「何でだよ」
突然、すぱぁんと頭を引っ叩かれた。あれ、この感じ、何処かで覚えが……
「頭領、ちゃっかりおれ達のこと巻き込まないで?」
その声に振り返ると、思った通り伊勢くんと日向くんが立っていた。どうやら散歩を終えて戻ってきたらしい。
「別良いでしょ……どうせ君らにも仕事は出てるんだよ。一戦交えてこい、っていう内容のもあるから今纏めてやらない?」「「やだ」」
綺麗に二人の声がハモった。ええい仕方ない、こうなったら最終奥義だ。
「やだじゃない! 頭領命令!」
「げっ職権濫用……分かったよ行けば良いんだろ行けば」
伊勢くんは露骨に嫌な顔をしたが、そう言われると断れないのか渋々了承してくれた。兄の様子を見て日向くんも仕方なさそうに頷く。
扶桑姉弟はそんな僕等の会話を呆気に取られながら聞いていた。扶桑ちゃんは数秒黙りこくった後、無言のまま僕の後を着いてくる。どうやら引き止めることには成功したらしい。
しかしまた数秒経ったら、「だが、」と扶桑ちゃんの押し殺した声が届いた。
「私と都は貴殿のことを艦には載せない。絶対にだ。それだけは譲れない。伊勢か日向に載せて貰え」
「どうして?」
「……どうしてもだ」
そう言って彼女はまたそっぽを向く。山城くんも姉に続けて「申し訳ありませんが、そのような条件で宜しければ」と問いかける。
理由は確かに気になるが、まぁそれくらい良いだろうと思い直し、二人の申し出を了承した。
「伊勢くん帰りは僕が運転するから」
「いや出来ねぇだろ頭領」
ばっさりと切り捨てられた。もうあの運転の艦には乗りたくなかったのに……肩を落としているところを特に慰めもせず、伊勢くんは「しゅっぱーつ」と気怠げに艦を動かし始めた。
その横を行きと同じように戦艦日向が、僕等の少し前を戦艦扶桑と戦艦山城が進んでいる。
案の定、戦艦日向は此方に蛇行してくるし、伊勢くんはそれを特に何も思っていなさそうに走行を続けるので恐怖でしかなかった。
「やっぱり無理言っても扶桑ちゃんに乗せてもらった方が良かったかな……」
「……いや、止めておけ」
僕の独り言に伊勢くんが反応した。
「どうして?」
「あー……ぼくから言って良いんかな……ま、いいか。
なぁ、頭領は海軍の人なんだろ? 教育とかも受けてる筈なんだよな? なら分かるかな、戦艦扶桑と戦艦山城の最後について」
一応それくらいは知っている。確か、レイテの海戦で被雷、二隻揃って同じ戦いで沈んだ、と聞いた。
「そこまで解っているなら察して欲しいものだが……勘が悪ぃな、頭領は」
「なんで僕に今暴言刺したの……」
「じゃあ、生存者は?」
僕の問い掛けを無視して、彼は聞いた。あ、と気付きの声が喉から洩れる。
生存者。戦艦扶桑と戦艦山城の。それは――
「やーっと気付いたか。そうだよ、二人分合わせて二十人居ないらしいんだと。戦艦と呼ばれるだけに相応しい人数は乗っていた筈なのにな。だから乗せたく無い、と聞いた。頭領のことだけじゃなくて、人型をしているもの全部。もう一度全て喪うのが恐いから」
実際ぼくと陽も乗せてもらったことねえんだ、とそう言って彼は前を向く。
自分達の前方を行く二隻の戦艦の方を。
「……馬鹿らしいな」
伊勢くんがぽつりと洩らした。その呟きの意味が理解出来なくて、思わず彼の顔を見てしまう。
「ぼく達は所詮一介の兵器。今は唯の人間なのに。本当、馬鹿な姉兄だよ」
彼は此方には目もくれない。口から出た言葉が儚く溶ける。
ただじっと前を見つめるその紅色の瞳の奥には、一体何が映っているのか未だ僕には分からなかった。
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