第22話 lookback

『弾着――今っ!』

霧島ちゃんの声と同時、水平線際に火柱が立った。その炎に照らされて、敵艦隊の姿が一瞬露わになる。僕は慌てて双眼鏡を構えた。

相手方も戦艦だろう。ただ、かなり古臭い……? 砲塔も此方を見据えはしているものの、超弩級戦艦達と比べると一回り程小さい様だった。此の距離だと届かないのか、未だ発射動作に移る事もない。


『……あれは……』

「兄様? どうか致しましたか?」

『いや……何でもない』

目元を擦る様な音と共に、金剛くんが微かに声を洩らした。其の間にも、砲弾の引き起こす閃光は幾度も煌めいている。

其れと対比する様に、周囲が先程よりも暗く変わってきた。上を見遣ると、黒い雲が月を隠し始めていた。道理で、影が落ちてきた筈だ。


『しかし……妙ですね。普通、此の距離ならば砲撃戦になると思うんですが。日和りやがって』

『さぁ、どうなんだろうね。ていうか山城、艦型って分かる? 見えてるなら教えて欲しいんだけど』

砲撃の合間を縫って、無線内で言葉が飛び交う。しかし、矢張り撃つのは此方だけで、反撃は無い。ぽつっ、と、頬に水滴が落ちてきた。最初は一つ、かと思えば次々と頬が叩かれる。

「ん……雨?」

「南国ですものね。少なくとも、日本よりは」

『しかし、参ったな。此の調子では空母達の発艦が出来ないのではないか? 贅沢は言えんな』

『確かに。でもさ扶桑、そもそも、艦載機飛んできて無いよね? 艦攻艦爆どころか偵察機まで飛ばしてないの?』

相手が撃ち返してこないと分かり始めたのか、段々と砲撃が片手間になってきた。勿論、上がる火柱水柱の量は変わってないんだけど。

初めは皆言葉が硬かったが、少しずつ饒舌になりつつある。ただ、彼等の中で金剛くんだけが先程から一言も発していない。


『レオお兄、気分悪かったりする? 大丈夫?』

『……ああいや、うーん、でも……? そんな筈、いや……うん』

榛名くんの声にも、歯切れの悪い言葉を返すだけである。

「金剛くん、僕だよ。何かあった?」

『ああ、指揮官。いや、未だ確証は無い。から、大丈夫。少し考えさせてくれ』

そう答える声も、何処か消極的だった。何かを見ながら考えながら言葉を選んでいる、そんな感じがした。

会話をしている間にも、雨はどんどんと強くなっている。今やもう、横殴りと言っても過言ではない程だ。金剛くんの様子を気にしつつ、額を滴る雨の雫を拭おうとした、その時だった。



僕達の背後で、炎が瞬いた。



勿論、それだけじゃない。後側からの砲撃、一番近い所に居たのは――

「ゔぁっ……⁉︎」

比叡くんが呻いて、甲板の端の手摺に蹌踉めき掛かる。重い、鎖が揺れる音と同時に彼の左足首が、ばぎんっ、と嫌な音を立てて銀色に欠けた。戦艦比叡が、ぐらりと傾いて破片を此方にも飛び散らせる。舵が、緩やかな右折のまま固まる。数瞬間置いて、艦の、被弾時の欠片がばらばらと甲板に落ちた。


『暦兄ぃ!』『畜生、近寄らせるな! 主砲斉射っ!』

「比叡くん、大丈夫⁉︎ 被害状況は!」

彼は左膝を付いて、荒い息を繰り返している。僕も比叡くんに駆け寄ろうとしたが、何故か妙に体、特に左肩が上手く動かない。殴り付ける様に降る雨のせいか、視界も先程より覚束無い。


「ええ、大丈夫、大丈夫です。幸い、砲弾は其れ程大きいものでは有りませんでしたから。御心配を掛けて申し訳ありま――指揮官様⁉︎」

僕の方に顔を向けた比叡くんが、其の孔雀緑色の目を大きく見開いた。挙句の果てには、欠けた足を無理矢理引き摺ってまで此方に向かってくる。

「いや、比叡くん、動かない方が……」

「何を仰っているのですか⁉︎ 指揮官様、肩が……!」

其の声に釣られて、動き辛かった左肩に手を遣る。ぬる、と、生暖かい嫌な感触が手に伝わった。

違和感を抱いて右手を見ると、降り頻る雨に滲んで、掌が真っ赤に染まっていた。其れが自分から流れる物だと悟ると同時に、今まで感じたことの無い激痛が走る。視界が、一際大きくぐらりと揺らいだ。


「……っ、何、これ」

「喋らないで下さいませ! 失礼致します!」

彼は着ていたコートを脱ぐと、袖の部分で僕の肩周辺を強引に包んだ。其れは兄妹お揃いだった筈なのにと申し訳なく思うが、一度傷を知覚してしまうと其方にばかり気が行ってしまう。

「ごめん、比叡くん、僕には構わないで良いから……」

「何が良いのですか⁉︎ 謝るのは此方の方です、申し訳御座いません指揮官様、私が付いていながら……! 此の比叡がお預かりしている以上、必ずや生きて帰って頂かねば困るのです! ――っ⁉︎」

再び、頭上で金属音が響く。今度の砲弾は当たりこそしなかったものの、戦艦比叡を跨いで直ぐの舷近くに落ちる。至近弾となったのだろうか、大きな水柱に合わせて艦が揺らいだ。


「……比叡くん、通信借りるよ。此れは艦自身に向けて話させて」

「え、ええ、仰せのままに」

彼が取り外し差し出してくれたインカムを、何とか動く左手を伸ばしてひったくる様に受け取る。比叡くんに支えて貰いつつ、無理矢理口元へとマイクを近付けた。


「皆、聞こえる? こちら、空です」

『総督⁉︎ 心配したぞ、急に比叡が叫ぶものだから……! 何か有ったのか、引き返した方が――』

「そんな必要は無い。撃ち続けて」

一瞬、虚を突かれたように扶桑ちゃんは口を噤んだ。『――っ、それは、』と彼女が洩らしたのと、『もうやってるよ!』と霧島ちゃんが声を荒げたのはほぼ同時だった。戦艦霧島の第二砲塔付近で、炎が燦く。

『……霧島』

『今撃たなくて、ワタシ達が此処迄来た意味は何? 戦艦で在る価値は何⁉︎ 砲が火を噴かずして停まるなんて、提督と仰ぎ見た者の意志すら完遂出来ないなんて、戦艦の名折れよ! 扶桑、大丈夫よ、暦兄ぃはああ見えて結構しぶといから』

「言ってくれますね、錦」

妹の大口に、比叡くんの口角が僅かに上がる。同時に彼は、無事であろう後部の第四砲塔に仰角を掛けた。「……そういう事だよ」と少し口角を上げ出来る限り気丈に呟くと、其れを感じ取ったのか、扶桑ちゃんも『――極めて了解』と、砲塔を回した、らしい。

数拍遅れて、戦艦扶桑より此方側からも砲弾が放たれた。あれは多分、戦艦山城か。そんな僕の予想を裏付ける様に、山城くんが小さく吐息を洩らした音もする。良かった、彼等彼女等の脳のリソースを無駄な事に使わせずに済んで。


『あぁもう、擊ち難いなぁ……指揮官、陣形変えるよ』

『蓮華ずるい! ワタシも!』

僕の返事を待たずして、戦艦榛名が舵を切った。此方に近づいて来るつもりらしい。一拍置き、戦艦霧島もゆっくりと艦首を左に振りはじめる。其の間も相手側から飛来する砲弾は減っていない筈なんだけど……前言撤回、認識を改めよう。榛名くんも中々好戦的な様だ。


『全砲門、一斉射っ!』

『夾叉か……否、次は当てます! 右舷側、狙え――てぇっ!』

ばっ、ぱっ、と、炎が瞬いては消える。筈なのだが、どうも視界が振れて捉え辛い。降り頻る雨の所為か、血を流し過ぎたのか。前者だと良いんだけど。ただ、そんな回らない頭でも、一つ違和感が有るのには気付く事が出来た。


『……指揮官。比叡』

ぽつり、と、インカムを通して耳元で誰かが、違和感の正体が呟く。

「金剛、くん……」

「はい、兄様。……兄様?」

『済まない、』

沈痛な声で彼、金剛くんは謝ってきた。続く言葉は、耳を疑う物であると同時に、何処かで納得してしまう物でもあった。きっと、皆漠然と感じていたこと――



『オレには、を撃つ事が出来ない』

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海漫艦隊 かやぶき @thatched

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