《カグヤ》(3)

 すべてが終わった後、ふたりは連れ立って日向の町へ戻ってきた。正確には日向の町であった廃墟へと。

 《すさまじきもの》たちの姿はすでになく、燃えさかっていた炎は燃えるものすべてを燃やし尽くし、消え果てた。残されたものは瓦礫の山、えぐられた地面、そして、廃墟をおおう黒い塵だけ。

 黒い塵の上に一歩を踏み出し、それが消し炭にされた人々の成れの果てであることに気付いてウズメはあわてて飛びのいた。

 その横でシュランドは何事もなかったかのような平然とした態度できびすを返し、町を後にしようとしていた。

 その態度にはさすがに腹が立った。もちろん、自分に他人を非難する資格などないのはわかっている。この日のくることを承知していながら、手をこまねいてまっていた自分なのだ。それでもやはり、この男の酷薄な態度は受け入られるものではなかった。

 これほどの惨劇があったのだ。一言、それがなければせめて悲しみの表情を浮かべることぐらいはするのが人間というもののはず。それなのにシュランドときたら顔色ひとつかえようとしないのだ。

 ウズメは刺々しい声で入った。

 「あなた、平気なの? こんなありさまを見て……」

 「もう見慣れた」

 「えっ?」

 「高天原。出雲。その他の町々。何度も同じ光景を見てきた。いまさら嘆く気はない」

 そう語る男の声には泣き尽くし、悲しみ尽くし、そのすべてが枯れはてた人間だけが発する独特の音があった。

△    ▽

 天球が月の面を地上に向け、夜が世界を包んでいた。夜の風にたなびく草原のなかにぽつんとひとつ、焚き火が燃えていた。橙色の炎がヘビの舌のようにちろちろとゆれている。

 少し先に廃墟が見える。かつて日向と呼ばれた町の滅び去った姿。弱々しい焚き火の火によってわずかにその残骸が浮かびあがっている。

 飛びかう火の粉は一瞬の生のなかに踊り狂い、悔いることなく果てようとする精霊のようだった。ただひとつの焚き火があることによって、廃墟のさびしさがより際立って見えた。

 焚き火の主はシュランドだった。焚き火の前にあぐらをかいて座り込んでいる。火をはさんだ向かい側にはウズメ。ほっそりした少女らしい肢体を横たえて寝入っている。想像を絶する惨劇に神経がよほどまいっていたのだろう。身動きとひとつすることなく、死んでいるのかと思うぐらい深く眠っている。

 肉の焼ける匂いが漂っていた。生肉の塊を木の枝にさし、焚き火にかかげて焼いている。

 さきほど狩ったキツネの肉である。焼けるそばから手にとり、骨のついた肉の塊に歯をたてて、食うというより、砕くようにしてかみちぎる。肉汁のあふれる肉塊を数度噛みしめて、飲みくだす。大きな壷に口をつけ、なかの酒を一気にあおる。かつては杯いっぱいで真っ赤になって倒れるはめになった酒も、いまのシュランドにとっては水のようなものだ。

 ひたすらに食い、そして飲む。凍った生肉にかじりつき、汚泥をすすって生き延びてきた兵士でさえあきれるような食い方であり、食欲だった。その姿は人間というより、人の姿をした獣に見えた。

 肉を噛みしめながら、シュランドは同時に過去の思いをも噛みしめていた。

 この五年間、ただの一度もはなれたことのない思い。昼間のうちは忘れていても、こうして夜のなかに座り込んでいれば否応もなく思い出す。

 五年。

 あれから五年たっているのだ。

 タマモを殺され、カグヤを失ったあの日から。

 シュランドは二〇歳になっていた。年齢から言っても、体格から言っても、そして経験から言っても、すでに少年ではない。ひとりの立派な男である。しかし、その瞳は暗く沈んでいる。およそ年齢にふさわしい活気というものがない。かつての、少年だった頃のシュランドの生きいきとした瞳を知る者がいれば悲しまずにはいられない、それぐらい欝々とした瞳をしていた。

 ――おれはなんと馬鹿だったのか。

 その思いが胸を切り刻む。

 あの頃は父ヤシャビトと決着をつけるつもりでいた。父と決着をつけた後、《すさまじきもの》を倒し、高天原を再興する。その意志があった。それができるつもりでいた。それがどうだ。《すさまじきもの》どころか、父ヤシャビトにさえ歯がたたず、あっさりとやられた。もっとも大切なものさえ守ることができずに奪われた。

 ――奪われた?

 シュランドの唇が冷笑にゆがんだ。

 ちがう。そうではない。奪われたのではない。

 逃げられたのだ。

 すてられたのだ。

 カグヤはヤシャビトを選び、シュランドをすてた。それが事実だ。力ずくで奪われたのではない。

 自分とヤシャビトの間にはそれだけの差がある。陰陽師としての力の差が。ヤシャビトにとって自分など指先にかみつく蟻程度の存在にすぎない。あのとき、はっきりとそう思い知らされた。それなのに『父と決着をつける』だと? それはまったく、世間知らずの子供の夢想にすぎなかった。

 だからといってこの五年間、ふてくされていたわけではない。もし、そうならこんなにも屈強な体躯を得られるはずがない。

 陰陽師として目覚める。

 あの日、ヤシャビトにつけられた傷が癒えた後、それだけがシュランドの目的となった。ヤシャビトの血を引く身であることにちがいはない。ならば、自分にもその素質はあるはずなのだ。その素質に目覚め、陰陽師としての力を得ることができればヤシャビトと戦える。そして……カグヤを取り戻すことも。

 カグヤを取り戻す。

 ともすればちぎれ飛び、何もかもを放り出したくなる心をその思いだけを一本の糸としてつなぎとめ、がむしゃらなまでに己を鍛えあげてきた。

 岩を背負って歩き、川に出れば橋を使うのではなく泳いで渡った。体力を維持するために憑かれたように肉を食った。むさぼり食った。それも、兎や鹿ではなく、熊や野牛を食った。より強い、より雄々しい獣の肉を食えば自分もそれだけ強くなれる。そんな気がしたのだ。

 一振りの小さな斧、生け贄となったタマモを救いに行こうとしたとき、カグヤから渡されたあの薪割り用の斧だけを武器に、熊や野牛と渡り合い、殺し、その肉を食った。他人を見下ろすその体躯はそうして得たものだった。

 武術の心得のある者に出会えば、それがどんなものであれ教えを請うた。寝食を忘れて打ち込み、己のものとした。普通の人間ならば技を習得する前に体を壊していたにちがいない没頭ぶりだった。幼い頃から重労働を強いられてきたシュランドの肉体はその苛酷さを受けとめ、貪欲に武術の技を吸収していった。

 そして、彼はたしかに強くなった。小型とはいえ素手で《すさまじきもの》を倒せるほどに。

 だが――。 

 ――それが何だ!

 深い苛立ちとともにそう思う。

 体を鍛え、武術を磨いたからなんだというのだ。そんな力がヤシャビトや、あまりにも巨大な《すさまじきもの》の王に通用するはずがない。必要なのは陰陽師としての力、超常の技をあやつり、《鬼》を駆るための力なのだ。それなのに……。

 シュランドはいまだに陰陽師としての力に目覚めてはいなかった。

 思いつくかぎりのことはした。座禅を組み、瞑想し、断食し、滝に打たれた。山にこもり、飢え死にと紙一重のところまで自分を追い込んでの苦行もつんだ。だが、何もかわらない。陰陽師の血は反応しなかった。いつまでたっても腕っぷしが強いだけの普通の人間のままだった。

 当然だ。そんなことで目覚めるならさまざまな重労働を強いられていた子供の頃に目覚めていたはずだ。あの頃の生活は苦行という以外にないものだったのだから。

 陰陽師として目覚めるためにはそれ相応の方法があるのだろう。歴史と経験に裏打ちされたそのための特別な修業が。しかし、シュランドはそれを知らない。教えてくれる者もない。ただがむしゃらに肉体をいじめ、鍛える他なかった。

 そして、目覚めることのないままに日向の地にたどりついてしまった。出雲から日向まで普通に歩けばおよそ半年。その半年分の距離をわたるのに五年かかった。それだけの時間を修業に費やしてきた。それを『長かった』と思う気持ちはシュランドにはない。それどころか……、

 ――もうついてしまった。

 その思いがある。

 ここまできてしまえば後は《天球に至る船》を捜し出し、天球に行くしかない。高天原の地下洞窟で出会ったドラゴン、《すべての鬼の母》が言ったように。

 まだちっとも目覚めていないのに。

 ヤシャビトと戦う力なんてもっていないのに。

 それなのにここまできてしまったのだ。

 それとも、天球に行けばなんとかなるのだろうか? そこで陰陽師として目覚めることができるのだろうか? あの日、《すべての鬼の母》たるドラゴンはシュランドのことをたしかに陰陽師として認めていた。素質はあるはずなのだ。きっかけさえあればきっと目覚めることができるはず。

 天球にはそのきっかけがあるのだろうか。それとも、それとも……。

 心のなかに次々と不安がわき起こる。もしかしたら自分は陰陽師として目覚めることなど一生、ないのではないか。ヤシャビトと戦う力も、《鬼》を駆る力も得ることができないまま、無力な人間として踏み潰されるしかないのではないか。高天原で、出雲で、日向で、その他の町で、あまりにも多くの人々がそうやって《すさまじきもの》に殺されていったように。

 それを思うとわめきちらし、誰かれかまわず『助けてくれ!』と泣きつきたくなるシュランドだった。

 シュランドは奥歯をぐっと噛みしめ、その不安をかみ殺した。頭を振り、不吉な思いを追い払った。

 考えても仕方のないことだ。考えても仕方のないことなら考えないことだ。それよりもやるべきことに意識を集中することだ。いま、考えるべきこと。それは『いかにして《天球に至る船》を見つけるか』ということだけだ。後のことは後だ。

 五年もの間、同じ不安にさいなまれていればそれはもう双子の兄弟のようなものだ。なだめ方ぐらい自然と身につく。シュランドはとうの昔にその不安を制御できるようになっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る