《スサノオ》(4)
「くそっ、出せ、出せえっ~!」
暗い地下牢にシュランドの叫びが響く。
鉄の格子に両手をかけ、力任せにゆすりながら叫んでいる。いくら力を込めてもびくともしないと見ると、今度は牢の一番後にさがり、勢いをつけて体当たりした。もちろん、そんなことで牢の扉が開くはずもなく、シュランドの小柄な体に骨が折れたかと思うような痛みが走っただけだった。
シュランドが痛みに思わずうずくまっていると、
「……つくづく、無茶をするの。おぬしは」
タマモの声がした。
「……タマモ姫」
シュランドは痛みに顔をしかめたまま、扉の外に立つ姫君を見上げた。
タマモはそんなシュランドの姿にため息を吐き、同時に苦笑した。ひとりでむきになっている少年の姿がおかしくもあり、あきれもしたのだろう。
「おぬしのように無茶な男、わらわははじめてじゃ。なぜ、あんな真似をした?」
「なぜって……」
シュランドは立ちあがった。タマモは心底不思議そうに小首をかしげた。
「おぬしは通りすがりの旅のものじゃ。わらわにも、出雲の町にもなんの義理もない。それなのに危険を冒してわらわを助け、なおかつ、あんなにもむきになった。なぜ、そんなことをする?」
「理由なんてない」
シュランドは吐き捨てた。彼にとってはそんな質問をされることこそ不思議でならない。危険にさらされている人を助けるのは当然のことではないか?
「おれこそ聞きたい。なんで君は自分から死のうとするんだ?」
「王の娘だからじゃ」
タマモの声には微塵の迷いもなかった。
「王の娘として生まれた以上、わらわには民人のために尽くす義務がある。わが生命ひとつで民人が救われる可能性がわずかでもあるならば、わらわは喜んでこの身を捧げよう」
「馬鹿!」
「馬鹿じゃと⁉」
「そうだ! 君は馬鹿だ、大馬鹿だ! なにが王の娘だ、なにが義務だ! そんなこと関係あるもんか、そんなつまらない意地のために死ににいくなんて大馬鹿のすることだ!」
「だまれ、だまれ、だまれ! つまらない意地とはよくも言ったな! その誇りこそわらわのすべてじゃ!」
「タマモ……!」
「うるさい! おぬしの説教なぞ聞く筋はない。そこで当分、頭を冷やしておれ!」
そう叫びのこし、タマモは地下牢を出て行った。遠ざかる背中に向かってシュランドは叫びつづけた。
「馬鹿な真似はやめるんだ!」
その叫びは地下牢の冷たい意志の壁に吸い込まれ、むなしく消えて行った。
△ ▽
そして、朝が訪れた。
中天に浮かぶ天球が回転し、太陽の面を見せはじめ、大地に一条の光が差し込みはじめた頃、タマモはその身を清めるための湯浴みをはじめた。
白い湯気の立ちこめる浴場に入り、お付きの女官たちの手で湯をかけられ、若駒のように引きしまった若々しい肢体を洗い清められる。湯をかけられるたび、瑞々しい白い肌がほんのりと桜色に染まる。白い湯気に包まれたその体は女性が見てさえ手でさわり、口づけし、愛撫したくなるほどに蠱惑的だった。
女官たちは歯を食いしばり、涙ぐみながら姫の身を洗い清める。タマモは彼女たちとは対照的な静かな表情で女官たちの手を受けていた。
△ ▽
同じ頃、シュランドは日の差し込むことのない地下牢のなかでひとり、抜け出すための格闘をつづけていた。
鉄の格子の一本を両手で握りしめ、その手前の格子に足をかけ、全力で間を押し広げようとする。歯を食いしばり、こめかみの血管が破れるのではないかと思わせるほどの力をこめ、鉄の扉に挑んでいる。肩の筋肉がふくれあがり、足がぶるぶる震えている。鉄の扉はわずかでも揺らぐ気配はない。それでも、シュランドは渾身の力を込めつづけた。
△ ▽
タマモは湯浴みを終え、白装束をまとった。桜色に上気した肌と白い衣裳とがほのかな色香をもつ対照を見せていた。立ちのぼる湯気とともに少女自身のもつ匂い立つような香が辺りに立ちこめる。
従者に体を支えられ、ミカゲが現われた。娘の姿を見て、ため息をついた。
「……美しく育ったな、タマモ」
「父上……」
「すまぬ。わが娘に生まれたばかりに、その美しい身を生け贄などに捧げなくてはならぬはめになろうとは。実の娘に幸せな一生も送ってやれない父を呪ってくれ」
「いいえ、父上。父上の娘に産まれられたことはわたくしの喜びにございます」
「タマモ……」
「そんなことよりも父上。どうか出雲の国民をお願いいたします」
「もとより承知。もし、そなたの犠牲をもってしても事態のおさまらぬそのときは、出雲の民の最後のひとりまでも兵士としてでも黄泉比良坂に侵攻し、攻略してくれようぞ」 タマモは笑みさえ浮かべて父の決意に応えた。
「いいえ、父上。その必要はないと存じます」
その笑みの裏に隠されたタマモの決意にミカゲが気づくことはなかった。
△ ▽
シュランドは錠前を壊そうと奮闘していた。格子の間から両腕を前にのばし、ずしりと重い錠前をつかみ、力任せに引きちぎろうとする。指先が赤く染まり、爪が割れ、血がにじんだ。そのことに気がつく余裕さえないほどにシュランドは全身の力を錠前に注いでいた。
△ ▽
生け贄を送るための隊列が出雲の町を出立していく。護衛の兵士や巫女、博士たちの列のなか、タマモは輿に乗って運ばれていく。
薄い幕で包まれた輿のなかにひとり座りながら、タマモは誰に知られることもなく懐に忍ばせたものを白装束の上からさわっていた。
△ ▽
その頃、地下牢ではシュランドが足元の石畳のわずかな隙間に指をかけ、引きはがそうとしていた。鉄の格子も、錠前も、どんなに力を込めてもびくともしないので、石畳を引きはがして土を掘り、抜け出そうというのだ。
むろん、たやすく引きはがせるはずもない。隙間からして指先がかかるようなものではない。爪がわずかにかかる程度だ。それでもシュランドは石の隙間に爪をかけ、引きはがそうとした。爪が欠け、はがれ、血が流れる。石と石の間の溝が赤く染まる。シュランドはかまわずにつづけた。そこへ、静かな足音が近づいてきた。
「……ひどいわね」
頬を紅潮させ、汗にまみれ、指先から血を流しているシュランドの姿を見て、足音の主は同情するように呟いた。
シュランドは顔をあげると、表情を輝かせて叫んだ。
「カグヤ!」
「そうとう無茶をしたみたいね」
「ああ、カグヤ。無事だったんだね、よかった」
シュランドは扉にしがみついて叫んだ。カグヤは爪をはがし、血を流している指先を見て表情を曇らせた。
「君も捕まったんじゃないかと思ってたよ」
「捕まっていたわ」と、カグヤ。
「タマモ姫が出してくれたのよ」
言いながら魔法のように鍵を取り出し、錠前を開けはじめた。
呆気にとられているシュランドに向かい、カグヤは静かに言った。
「タマモ姫がくれたのよ。自分が出立したらあなたを出して、早くふたりで町から逃げるようにって」
錠前を開け、扉を開いた。
シュランドはカグヤを押しのけるようにして外に出ると、出口めがけて駆け出した。その背に向かってカグヤが叫んだ。
「まって!」
「止めてもむだだ!」
シュランドはカグヤ以上の大声で叫んだ。
「タマモ姫を死なせられるもんか……それも、生け贄なんかで! 誰がなんと言ってもおれは助けに行く! 止めてもむだだ」
カグヤはきかん気の強い弟を前にした姉のように肩をすくめた。
「止めないわよ」
「えっ?」
「『丸腰で行くつもり?』って言ったのよ」
言いつつ、小振りな斧を取り出した。
「カグヤ……」
「薪割り用の斧だけど、剣や槍よりは使い慣れているでしょう? わたしも短刀ぐらいなら使えるし」
「君も行くつもりなのか⁉」
「当たり前でしょう。わたしだって生け贄なんて気に入らないわ」
「でも、危険すぎる!」
シュランドの叫びにカグヤはじっと少年の顔を見つめた。はるかな高原に人知れず広がる湖のように静かな、そして深い目で見つめられ、シュランドはなにも言えなくなった。
「あなた、わたしの記憶を取り戻すために協力してくれるって言ったじゃない。だったら、わたしにもあなたのしたいことを手伝わせて」
「でも……」
シュランドは言いよどんだ。けれど、カグヤの瞳に浮かぶたしかな決意の前に降参するしかなかった。
「……わかったよ。一緒に行こう」
シュランドは微笑みながら言った。
カグヤもにっこりと笑った。
「ええ」
「君は絶対、おれが守ってみせる」
シュランドは斧をとろうとした。血に染まった指先が斧の柄にふれた。とたんに指に激痛が走り、シュランドは飛びあがって悲鳴をあげた。
いままで極度に興奮していたせいで気づかずにいたのが、一息ついたせいで痛みを感じるようになったのだ。指先を押さえてうずくまっていると、
「その指じゃむりね」
カグヤが言った。
「まず、治療をしないと」
「そんな暇はない!」
シュランドは反射的に叫んだ。
「こうしている間にもタマモ姫は生け贄にされようとしているんだ!」
カグヤもなにも言わず、シュランドの手を両手でとった。たおやかなその感触にシュランドは抵抗できなかった。カグヤはシュランドの指をふっくらとふくらんだ薔薇色の唇に
含んだ。どぐん、とシュランドの心臓が鳴った。息が荒くなった。生まれてはじめて感じる少女の唇の感触に肉体が反応した。血が猛り、股間が脈打った。自分の指を含む少女の唇が、なにか別の生き物であるかのように見えた。
カグヤが指を放した。シュランドは目を見張った。少女の口から解放された指先は血糊が消え、爪ももとに戻っていた。シュランドの指は完全に治っていた。
「な、なんで……」
シュランドは唖然としてカグヤを見やった。こんなこと、陰陽師にもできない。カグヤはむしろ悲しそうに首を横に振った。
「わからない……」
「わからないって……」
「自分の傷をなめたときに気がついたの。わたしはどんな傷でも治せる。理由はわからないわ。前にあなたにあげた薬もわたしの血を薄めたものなの」
「それじゃ……あのとき、おれがハヤトにぶちのめされたあと、体が治っていたのも……」
「ええ。わたしが治した」
少女は微笑んだ。かなしげに、そして、さびしそうに。
「わたしのこと、化け物だと思う?」
その表情にシュランドは胸をつかれた。記憶がないだけでもどんなに不安なことだろう。その上、自分でも理由のわからないこんな能力をもっているなんて。おそらく、いままでずっと自分の能力にとまどい、不安に思い、苦しんできたのだろう。この能力を見せてしまったがゆえに他人から『化け物』と罵られたことさえあるのかも知れない。
だとすれば、この能力を他人に見せることは大変な勇気が必要だったろう。それをおれのために使ってくれた。彼女はおれを信頼してくれている。おれを大切に思ってくれている。
そのことにシュランドの胸は喜びにいっぱいになった。カグヤの能力をいぶかしむ思いさえ消えていた。少年は心の底からの晴れやかな表情で叫んだ。
「そんなことないよ! とてもすばらしい能力だよ、君は最高の女の子だ。こんな能力があるのもきっとそのせいだよ」
新しいおもちゃを手に入れた子供のようにはしゃぐシュランドを前に、カグヤはしっとりとした目で彼を見つめた。そして、言った。
「ありがとう。シュランド」
カグヤはシュランドのすべての指を治してくれた。シュランドは小振りな斧を両手で握りしめた。しっかりと握れる。もう痛みはない。シュランドは笑顔を浮かべた。
「ありがとう、カグヤ。さあ、行こう」
「ええ」
カグヤは力強くうなずいた。
少年と少女は駆け出していた。
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