《カグヤ》(7)

 それからどこをどう歩いたのかシュランドはまったく覚えていなかった。とにかく歩いた。ふらふらと。目的さえ定めずに。

 いつの間にか森を抜け、都市へと脚を踏み入れていた。もちろん、そんな都市があると知っていたわけではない。知らないのに脚が勝手に向かっていた。陰陽師の血が、その血のなかに刻み込まれた遺伝子コードが、シュランドをそこへと導いたのだ。

 そこはシュランドの知る町とはまったくちがった。見上げるばかりの高層ビルが立ち並び、道路という道路は舗装され、あちこちに反重力ビーグルが乗り捨てられている。

 かつてはさぞ輝かしい場所だったことだろう。気温も、湿度も、大気の組成やそのなかの微生物までが完璧に制御された科学の都市。そこに住んでいるかぎり、何人たりとも病気や、飢えの心配なしに絶ゆ対的な庇護に守られて生きることのできる永遠の揺りかご。しかし――。

 そこもまた、廃墟。

 シュランドの馴れ親しんだ廃墟だった。

 高層ビルは崩れ、瓦礫となって道路に積もり、その道路は破壊され、穴だらけ。乗り捨てられた反重力ビーグルはビルにつっこんだり、引っ繰り返っていたり、粉々に砕けていたり。

 そして、足元には白骨。この都市の住人たちだろう。あちこちに白い骨がごろごろと転がっている。骨はどれもぼろぼろであり、少しさわっただけで崩れ落ちそうだった。長い年月の間に皮も肉も腐り落ち、骨だけが残り、そのまま野ざらしにされてきたのは明らかだった。

 ぽきん、と、シュランドの足元で音がした。シュランドの足が一本の骨を踏みしめ、砕いたのだ。それはおとなの椀骨だったろうか。それとも、子供の大腿骨か。とにかく、長くて太い骨だった。骨を踏み砕いてもシュランドはなにも感じなかった。いまさらそんなことに感慨を感じることはない。シュランドの心はとうに死と破壊に対して麻痺してしまっていた。

 廃墟の都市のなかにただひとり、血肉を備えた姿の人影が立っていた。

 ヤシャビト。

 人類の裏切ったシュランドの父。彼がいま、廃墟の都市のなかで息子を迎えていた。

 「……きたか」

 淡々とヤシャビトは言った。

 「まさか、お前が陰陽師として目覚めるとはな。おれが渾身の力を込めてかけた封印を破れるものがいるとは、想像もしなかったぞ」

 「親父か……」

 シュランドは呟いた。父を前にようやく意識が現実に引き戻されたようだった。

 「カグヤを返せ」

 そう言っていた。

 自分でも意外な言葉だった。そんなことを言うつもりでいたわけではない。ただ、こうして父を前にしたとき、ごく自然にその言葉が出てきたのだ。まるでそれこそがすべてであるかのように。

 「なんだと?」

 ヤシャビトが眉をひそめた。

 シュランドは繰り返した。

 「カグヤを返せ」

 ヤシャビトは失笑した。

 「なるほどな。それがきさまがここまできた理由というわけか。よりによって人形風情に恋い焦がれ、やってくるとはな」

 「カグヤを返せ」

 「陰陽師として目覚めたいまのきさまにはわかっているはずだ。《カグヤ》が何者か。そしてなぜ、お前とともに行動していたのか。なにもお前に特別な感情を抱いていたわけではない。ただ、遺伝子に命じられるままに行動していたに過ぎん。それと承知してなお、人形を求めるか?」

 「カグヤを返せ」

 シュランドはただ繰り返す。まるで、もうそれ以外の言葉はなにひとつ忘れてしまったかのように。

 ヤシャビトはため息をついた。質の悪い女に引っ掛かり、いれあげている息子の愚かさを憂う親の態度だった。

 「まあ、そうあわてるな。どうせ、おれを殺そうとしても、もう手遅れなのだからな」

 それがヤシャビトの答えだった。

 「それより、ついてこい。久しぶりの親子水入らずだ。飯ぐらい、食わせてやる」

 ヤシャビトはそう言って歩きだした。シュランドは無言であとについていった。

 シュランドが連れて行かれたのは大きな建物。都市のなかのレストランだった。

 かつては、さぞ立派なレストランだったのだろう。アンティークなテーブルも椅子も、天井からさがる照明も、銀製のフォークやスプーンにいたるまで、そのすべてが洗練され、贅をこらしたものだった。これに比べればシュランドたちの使っていた家具や食器など原始人の土器にすぎない。

 しかし、それらの調度品もいまでは床に放り出され、散乱している。まるで、巨大な地震に襲われたあとのようだ。

 しかし、廃墟であっても機能はなお生きていた。客の訪れを感知し、天井の照明がやさしい光を放ち、音楽が鳴りはじめた。店のなかをかすかに果物の香のする清浄な風が流れはじめた。

 「……骨は」

 「うん?」

 「外にちらばっていた骨はここの住人か?」

 「そうだ」

 「あんたが殺したのか?」

 「そうだ」

 ヤシャビトはうなずいた。

 「十五年前、高天原を滅ぼしたときと同時にな」

 それと聞いてもシュランドはもう、なんの感慨も感じなかった。

 「座っていろ」

 ヤシャビトは振り返りもせずにそういうと奥に向かった。

 シュランドはそのあたりに散乱している邪魔者――椅子やテーブル、食器類など――を足で払いのけ、透き間を作ると、その場にどっかとあぐらをかいて座った。『椅子に座る』という習慣はシュランドにはなかった。

 ヤシャビトはレストランのレプリケーターに料理を注文した。

 「串焼き肉に飯。それに茶だ」

 そう告げただけで魔法のように皿に盛られた料理が姿を現わした。

 かつてのシュランドであればその様に驚き、度胆を抜かれ、腰を浮かせて狼狽していただろう。それはまぎれもなく、人ならざるものの使う魔術にしか見えないものだったのだから。しかし、陰陽師として目覚めたいまのシュランドはそれさえも当たり前のこととして受け入れている。

 ヤシャビトは注文した料理をもって戻ってきた。シュランドの前に湯気をたてる料理を並べた。自分もあぐらをかいて座った。

 「食え」

 簡潔に言った。

 シュランドは串焼き肉を手にとった。ジュウジュウと音をたてる焼きたての肉を頬張った。

 ――うまい。

 思わず目を見張った。すでに心の一部を失っているはずのシュランドでさえ感動させるほどに、その串焼き肉はうまかった。

 どうやら牛肉のようだがその旨味、味わいはいままでシュランドが味わったどんな肉よりもはるかに勝っていた。焼き加減も絶妙。噛み締めるたびに染みだす肉汁がたまらない。シュランドは夢中になって食った。

 それから丼飯。これもまたいままでに食ったどんな米よりもうまかった。食後のお茶にいたるまで、シュランドがいままでに味わったことのない美味尽くしだった。

 「……うまい」

 「当然だ」         

 ヤシャビトはうなずいた。ヤシャビトは息子に食わせるばかりで自分はお茶の一杯さえ呑もうとはしなかった。

 「レプリケーターによって原子合成された代物だ。旨味成分から栄養素まで、すべてが理想的に配合されている。どんな天然物もこいつには遠く及ばん」

 『レプリケーター』だの『原子合成』だのいう聞き慣れない単語もいまのシュランドには理解できないものではなかった。遺伝子に刻み込まれた陰陽師としての知識。それがそれぞれの単語の意味をシュランドに教えていた。

 「見事なものだろう?」

 ヤシャビトは両腕を広げながら言った。

 「この都市には災厄が訪れる以前の文明がそっくり残っている。電気の明かりがあり、空調設備があり、交通網も情報網も完備され、人はいつでも知りたいことを知り、行きたい場所に行けた。食うのも、飲むのも、レプリケーターのおかげで不自由しない。医療が発達しているから病気にもならない。寿命も長い。生活のために働く必要もなく、争いもなく、ただひたすらに自分の好きなことだけをして暮らしていられる。まさに楽園がここにあったのよ。

 われらが田畑を耕し、獲物を狩り、漁を行ない、毎日、毎日、水を汲み、薪を刈り、血と汗にまみれてようやく日々の糧を得ていたとき、人間同士の争いに血を流しているとき、《すさまじきもの》たちとの戦いに死力を尽くしているとき、この都市の住人たちはただそれを眺めながら、己れの欲望を満たすためだけに生きていた。なぜか、わかるか?」

 「………」

 「われらは生け贄だったのよ。人身御供であったのよ。この都市の住人が地上の人間のうちに陰陽師を作り出し、《鬼》を与えたのは、《すさまじきもの》の目を引き付けるため。われらを攻めさせることで自分たちが襲われないようにするためであったのよ」

 「だから、裏切ったと言うのか?」

 ぽつり、とシュランドは呟いた。

 「だから、人類を裏切り、この都市の住人を皆殺しにしたと言うのか?」

 ヤシャビトはゆっくりとかぶりを振った。

 「そういうわけではない」

 「では、どういう意味だ?」

 「お前が知る必要はない」

 「ふざけるな。おれはあんたの息子だ。息子として父親のしたことを知る権利がある」

 「断ると言ったら?」

 「力ずくで聞き出す」

 「よかろう」

 のっそりと――。

 ヤシャビトが立ちあがった。

 数多の死闘をくぐり抜けてきた歴戦の勇士の目がシュランドを見下ろしていた。気の弱いものなら、いや、それなりに修羅場をくぐり抜けてきたものこそ、一目、にらまれただけで格のちがいを思い知り、平伏していたにちがいない。

 「やってみるがいい。この父をぶちのめし、泣いて詫びをいれるまで痛め付け、口を割らせてみるがいい」

 「わかった」

 シュランドも立ちあがった。

 父を相手に真っ向から対峙した。

 ヤシャビトの視線が歴戦の勇士のものであるならば、シュランドの視線は死を見つめつづけてきた死神のものだった。生あるものであれば誰も直視できない、むりに見ようとすればそれだけで恐怖と不安に駆られ、吐き気をもよおす。そんな目だった。

 十五年前――。

 ヤシャビトが人類を裏切ってからの苛酷な人生がシュランドをそんな存在へとかえていた。

 シュランドは言った。

 「どうせ、あんたに会ったら殺すつもりでいた」

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