《すべての鬼の母》(4)

 天幕てんまくを一歩出るとそこは別世界だった。いくつもの篝火かがりび煌々こうこうと燃やされ、そのまわりを盗賊たちが陽気に踊りあかしている。

 あるものは笛を吹き、あるものは太鼓を鳴らし、またあるものはお手玉を披露ひろうし、他のあるものは一本脚の竹馬にのって曲芸を披露している。

 盗賊たちは総勢二百人以上もいただろうか。男だけではなく、女もいれば、子供もいる。村ひとつがそっくり移動生活をしている。そういっていい規模だ。

 ハヤトはといえば、ひときわ巨大な篝火の前にどっかと胡坐あぐらをかいて座っていた。なみなみと酒をついださかずきを片手に、左右に若い女をはべらして、顔を炎の照り返しと酔いとで真っ赤にしてながら歌っている。

 お世辞にも上手とか、上品とか、そんな風に言える歌ではない。それでも、堂々たる声量は見事なものだし、腹にずんずん響いてくる重低音は迫力満点。小綺麗な店のなかで聞くべき歌ではない。野や山で篝火を囲み、酒を浴びながら聞くのがふさわしい漢の歌だ。この歌で充分、稼げるのではないか。そう思わせた。

 それにしても――。

 改めてみると、ハヤトという男、やはり大きい。肉体の巨大さもさることながら、ずっしりとした重々しい安定感はなんなのだろう。まるで、人の姿をした巨岩がそこに鎮座ちんざしているようだ。ただそこに座っているだけで、他の人間がみんな安心できる。そんな雰囲気がある。

 ――自分を倒したのがこの男でよかった。

 シュランドはふと、そんなことを思った。

 その辺にごろごろいる程度の男にやられたのなら残るのは屈辱くつじょくだけだ。だが、これほどの傑物けつぶつ相手なら負けたのも納得……。

 ――いくか! 

 シュランドは心のなかで叫んだ。

 ふと心のなかに芽生えた相手への敬意を打ち消すためにあわててかぶりを振った。あいつは敵だ。敬意なんか払うべき相手じゃない。憎んでいればそれでいいんだ。

 ――そうとも。第一、おれは負けたんじゃない。カグヤに止められたから仕方なく中断しただけなんだ。それさえなければ……最後までやっていれば……おれが勝っていたんだ。きっと、きっと……。

 ハヤトがシュランドの存在に気付いた。野太い唇に人懐っこい笑みを浮かべた。シュランドの胴体よりも太い腕を差し出して手招きする。

 「おう、きたか、小僧」

 「シュランドだ」

 「まあ、座れ、小僧」

 「シュランドだ」

 シュランドは重ねて言った。

 そんなシュランドの態度にハヤトはにやにや笑う。この男にしてみればシュランドの意地など幼い子供の駄々にすぎない。まともに取り合う必要すらない。笑って受け流す程度のものだ。

 シュランドもそのことを感じ取った。どんなに虚勢きょせいを張ってみてもこの男相手では簡単に弾き返される。男としての圧倒的な格のちがいを見せ付けられて打ちのめされる思いだった。

 シュランドはハヤトの前に座った。ごく自然に正座してしまいそうになり、あわてて胡坐にかえる。両手を膝の上におき、『ふん!』とばかりにふんぞり返った。

 「ほう。もうすっかり元通りじゃねえか。カグヤに感謝するんだな」

 「おれは負けたんじゃないぞ!」

 「はっ?」

 「彼女が止めに入ったから仕方なく休戦しただけだ。いつだって再開してやる」

 反射的に放ったシュランドのその言葉に――。

 ハヤトは腹をかかえて笑い転げた。

 「わっはっはっ! 言うじゃねえか、小僧。やっぱ、殺さずにすんでよかったぜ。おめえみてえな威勢のいいガキを殺しちまったら酒がまずくならあ」

 その笑い声を聞きながらシュランドは両の拳をぎゅっと握りしめた。

 腹が立った。

 ハヤトが自分を殴らないことに。

 普通なら、盗賊のかしらともあろうものにこんな態度をとれば殴られるに決まっている。ほこぼこに殴り、屈伏くっぷくさせる。そうしなければ頭としての面子めんつが立たない。

 だのに、ハヤトは殴ってこなかった。理由はただひとつ。シュランドを子供扱いしているからだ。おとなの獅子が子供たちが自分にじゃれつき、噛み付いてくるのを放っておくようなもの。一人前の男と認められていないからこそ無事にすんでいるのだ。

 そのことにどうしようもなく腹が立っていた。シュランドにとって一人前の男と認められていないという現実はどんなにひどく殴られるよりも痛かった。

 カグヤも座った。シュランドの隣ではなく、ハヤトの隣に。たおやかな両手に酒壷を抱え、酌をはじめる。

 それを見たシュランドはぎりっと歯を噛み締めた。膝の上の拳を握り締めた。

 ――なんでそんなやつにそんなことするんだよ。そんなことしないでくれよ。

 自分のそばに座ってほしかった。ハヤトでも、他の男でもなく、自分の傍に。自分にこそ頼ってほしかった。

 そんなシュランドの態度に内心を見透かしたのだろう。ハヤトはますますにやにやと笑った。

 「まあ、おめえも飲めや、小僧」

 自分の杯を一息に飲み干してから、シュランドにも杯を突き出す。

 「今日は祭りだからな。無礼講ぶれいこうでぱあーっといこうじゃねえか」

 シュランドは両手で杯を受け取った。シュランドの顔よりも大きい杯にこぼれそうなほどいっぱいに酒がつがれている。少年にとってはそれだけで胃がいっぱいになりそうな量だ。

 むっとするような酒の匂いが立ちのぼり、思わず顔をしかめた。シュランドは酒を飲んだことはない。家畜以下の扱いのなかで酒をふるまわれることなどあるはずもなかった。水だって割り当てられた分しか飲むことを許されなかったのだ。だからと言って――。

 だからと言って、引きさがるわけにはいかない。『酒は飲めません』なんて、一人前の男の言うことではない。男なら差し出された酒は一滴のこらず飲み干すものだ。

 シュランドはそう思っていた。だから、気持ち悪さをこらえて飲んだ。ハヤトの真似をして杯を一気にあおった。たちまちむせた。唇が火膨ひぶくれし、喉が焼けるかと思うほどの刺激だった。それほど強い酒だった。

 杯を落とし、地面に手をついて咳き込んだ。飲み込んだわずかばかりの酒をたちまち吐き出した。周囲の男たちが一斉に笑いだした。

 なんのことはない。

 海千山千の男たちに酒の肴にされているだけだった。

 カグヤがすぐに近付いて介抱してくれた。それが少年にはまた屈辱だった。背中をさすり、口元を布で拭ってくれる。その優しい手つきが少年の自尊心を切り付けた。

 「子供扱いするなっ!」

 カグヤの手を荒々しくはねのける。ぴしゃり、と音をたててカグヤのぬけるような白い肌を打ち据える。

 「……ごめんなさい」

 カグヤは素直に言うと引きさがった。

 ――くそっ、くそっ、くそっ!

 シュランドは腹のなかでののしりの声をあげた。

 ――どうして、怒らないんだよ⁉ おれは君の好意を無にしたんだぞ、なのに、なんで……。

 自分に対して怒るどころか気分ひとつ害した様子のないカグヤにたまらなく腹が立った。これもまた子供扱いされているから。『子供の利かん気』として扱われているから。

 それがわかるだけにどうしようもなく腹が立った。

 怒ってほしかった。

 『失礼なやつ』とののしってほしかった。

 相手に対して怒るということは相手を自分と対等の、一人前の人間とみなしていればこそなのだから。カグヤに子供扱いされることはハヤトに子供扱いされる以上にみじめて心の痛むことだった。

 シュランドは地面に落ちた杯を手にとった。ほとんど自暴じぼう自棄じきの勢いでなかに残った酒を飲み下した。『おおっー』とまわりの男たちから歓声とも冷やかしともとれる声があがる。

 再びむせそうになるのを必死にこらえる。こらえた痛手はたちまち体に跳ね返ってきた。顔が真っ赤にはれあがり、頭のなかは蒸気がつまっているかのよう。いまにも爆発してしまいそうだ。

 息が苦しい。

 めまいがする。

 ただ座っているのさえ一苦労だった。

 そんなシュランドの態度に周囲の男たちから再び笑いがまき起こる。

 「おい、小僧」

 ひとしきり笑ったあと、ハヤトが言った。

 「おめえ、なんだってこんなとこにひとりきりでいやがるんだ? あてはあるのか?」

 シュランドは答えなかった。ぎゅっと唇を閉ざし、むっつりと黙り込んだ。言えない理由があったわけではない。ただ、しゃくにさわっただけだ。言われて答えるようでは屈伏しているように見えてしまう。そう思い、反発して押し黙っただけだ。

 「……お前たちこそ、ここでなにをしている?」

 逆にたずねた。

 ぶん殴られるのを覚悟の言葉だった。

 とにかく、抵抗していたかった。

 この男に反抗していたかった。

自分でも『なんでそこまで?』と思うぐらいだったが、とにかく、この男には反抗せずにはいられなかったのだ。

 「おれたちゃ盗賊だぜ。お宝があると聞きゃあ、その場に向かうのが生きざまってもんよ」

 そう言うハヤトの目は夢を追う子供のようにきらきらと輝いていた。

 あまりにも無邪気で力強いその目を見ているとなんだかこの男を好きになってしまいそうになる。そんな思いを振り払うようにシュランドは言った。

 「この町はおれの町だ。お前たちには指一本ふれさせない」

 「はっはっ、つくづく威勢のいい小僧だ。だが、安心しな。おれの言うお宝ってのは、おめえが想像しているようなもんじゃねえ。形のないものさ」

 「形のないもの?」

 「おめえ、よ」

 ハヤトの表情がかわった。はじめてシュランドを対等の話相手と認めた。そんな感じだった。その変化にシュランドのほうが思わず緊張する。

 「不思議に思ったことはねえか? 《すさまじきもの》はなんだって、人間を殺してまわるんだ?」

 「そんなの決まってるだろう! やつらはただ人を殺すのが好きなんだ。遊びで人を殺してまわっているだけなんだ!」

 「あいにくだが、おれにゃあそうは思えねえ」

 「なんだと⁉」

 《すさまじきもの》の肩をもつ気か⁉ 

 そう思い、たちまち頭に血がのぼった。腰を浮かせかけた。ハヤトが片手をあげてその動きを制した。ただそれだけで――。

 シュランドの怒りは押さえ込まれ、渋々しぶしぶ、座りなおした。

 「おめえは遊びと言ったがよ。それにしちゃあ、殺し方が周到しゅうとうすぎるってもんだぜ。まるで、人間をひとりも残しちゃおけねえとばかりにしつこく付け狙いやがる。遊びなら狙うべき獲物がいなくなっちまったらかえって困るはずだろう?」

 「それは……そうだけど」

 「それによ。連中が人を好きに殺せるようになったのは高天原が滅びてからだ。それまでは攻めても、攻めても、陰陽おんみょうの戦士の駆る《鬼》に追い払われていた。それでも、攻めてきたんだ。遊びだってえならそこまでするはずもねえだろう?」

 たしかにその通りだ。シュランドは腹のなかでハヤトの正しさを認めた。不承ふしょう不承ぶしょう、苦虫を噛み潰すようにして、だが。

 「それによ。おれにゃあどうも、あいつらがまっとうな生き物とは思えねえのさ」

 「生き物じゃない?」

 「ああ。生き物なら食って、眠って、くそしなけりゃならねえもんだ。ところが、あいつらはどうだよ? あいつらがなにか食っているのを見たことがあるか? 眠りこけているところは? あの図体ならひりだす糞だって途方もないでかさになるだろうに、そんなものにお目にかかったことはあるか?」

 「いや……」

 シュランドは首を横に振るしかなかった。そんなものを見たことはただの一度もない。考えてみたことすらなかった。

 そんなことはこの世界に生きるものの考えることではなかった。《すさまじきもの》は自分たちの生まれるずっと前から存在していた。

 ――そういうものだ。

 ただそう受け入れ、疑問に感じたりしないのがこの世界の人間の在り方だった。ハヤトはそのなかで疑問をもち、考えつづけている突然変異ともいうべき存在だった。

 「だろう? あいつらはなにも食わず、眠らず、糞もしねえ。それどころかどこからともなく現われ、どこへともなく消えていく。

 あんなでかい図体してどうしてそんな神出鬼没でいられる? あいつらがまっとうな生き物なら住みかのひとつやふたつ見つかっていたっていいはずだ。ところが、そんなもん、ただのひとつもありやしねえ。

 だからよ。おれぁ、あいつらはまっとうな生き物だとは思えねえのさ」

 「生き物じゃないなら……なんだって言うんだ?」

 「そうさな」

 ハヤトは小首を傾げてちょっと考え込んだ。

 「幽霊とかかな」

 「幽霊だって⁉」

 今度はシュランドが失笑する番だった。よりによってこの蛮族の王のような男から『幽霊』なんていう言葉が出てくるとは。予想外すぎて大笑いしてしまうところだった。

 「馬鹿を言うなよ。幽霊がどうやったら人を殺し、建物を破壊できるって言うんだ? やつらはまちがいなく、現実の存在だ。それぐらい、あんただってわかっているだろう」

 「そりゃあまあ、そうなんだがよ」

 ハヤトはぽりぽりとほおなどかいてみせた。シュランドが思わず目を丸くして驚いたことに――。

 この男はどうやら恥ずかしがっているようだった。まるで好きな女の子の話題を持ち出されたうぶな少年のように頬を赤らめている。

 『幽霊』という言葉はなにも考えがあって口にしたものではないのだろう。その場のノリというか、勢いというか、そんなものでついぽろりと出てきた。

 そんな感じだったにちがいない。

 『我ながら馬鹿なことを言った』みたいな感じで照れくさいのだ。

 「けどよ。弱っちい紙切れだって何枚、何十枚と重ねりゃあ鋼みてえに強くなる。幽霊も同じなんじゃねえか? 何万、何十万って幽霊が重なりあい、ひとつになれば、それぐらいできるようになるかも知れねえ。そうは思わねえか?」

 その言葉にはシュランドも目から鱗が落ちる気分だった。そんな風に考えてみたことはなかった。けれどたしかに言われてみると妙に納得できるものがある。

 「けど……そんな何十万もの幽霊なんていったいどこから……」

 「さあねえ」

 シュランドの問いにハヤトはあっさり肩をすくめた。

 「わからねえよ。なにもわかりゃしねえ。だからよ。おれはそいつを知りてえんだ。そのために、高天原を探ろうっていうのさ。つまりは、それこそがおれにとってのお宝ってことさ」

 そういうとハヤトは立ちあがった。

 もう話は終わった。

 そういう意味だ。

 両手を高々とあげ、叫んだ。

 「まだまだたりねえ! 音だ、音を出せ、歌い、踊り狂えっ~!」

 盗賊の祭りは盛りあがりはいやましていく。そのなかでシュランドはいつか眠りに落ちていた。

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