《カグヤ》(4)

 「《天球に至る船》、か……」

 ぽつり、と呟いた。

 「船がどうかした?」

 突然、少女の声がした。いつの間にかウズメが起きあがり、横座りの姿勢で焚き火ごしにシュランドの顔を見つめていた。

 「寝ていたんじゃなかったのか?」

 「いま、起きたのよ」

 「そうか」

 それきり、シュランドは押し黙った。無言のまま、薪代わりの小枝を焚き火のなかに放り込んだ。炎の壁でウズメの視線をさえぎろうとするかのように。新しい枝をくべられて炎はパチパチと音をたてて燃えさかり、一瞬、シュランドの頭よりも高く火の粉が飛んだ。

 「驚いちゃったわ」

 ウズメが言った。

 「まさか、あんな怪物に勝てる人間がいるなんて思わなかった」

 「小物だったからな」と、シュランド。

 「王が相手じゃどうしようもない」

 「王?」

 「あのでかいやつだ」

 「あれが《すさまじきもの》の王なの?」

 「おれが勝手にそう呼んでいるだけだ。だが、あいつは高天原を滅ぼした一群を指揮し、出雲を滅ぼした」

 「そして、日向の町も……」

 「そうだ」

 それきり、ふたたび沈黙が訪れた。

 ウズメはいったん、視線をおとした。それから顔をあげ、もう一度じっとシュランドの顔を見つめた。

 「ねえ」

 「うん?」

 「どうして、わたしを助けたの?」

 シュランドは口ごもった。真っすぐに見つめてくる無垢な少女の視線が痛い。どうしても、かつて出会った少女を思い出してしまう。守りたかった、しかし、守れなかった少女……。

 シュランドは顔をそらした。

 「見かけたからだ」

 「そう」

 みたび、沈黙。

 ウズメはあきれたように言った。

 「あなた、暗いのね」

 思いがけない一言にさしものシュランドが目をぱちくりさせた。

 「暗い?」

 「暗いわよ。だって、全然、話がつづかないんだもの。男の人ってみんな、そうなの?」

 「さあ」

 「ほら。また一言で片付ける」

 ウズメは苛立った声をあげた。

 自分の町を滅ぼされた直後だというのに気丈なことだ。少女の自然なたくましさにさすがのシュランドも苦笑するしかなかった。

 「あまり、人と話したことがないから」

 「そう」

 ウズメは呟いた。

 「《天球に至る船》。そう言ったわよね?」

 「ああ」

 「なぜ、知っているの?」

 「君は知ってるのか?」

 「わたしは日向の生神よ。町にかかわる伝説はすべて知ってるわ。それより、あなたはなんで?」

 問われてシュランドはすべての事情をウズメに話した。自分の生まれ、旅立ち、高天原の地下で出会った《すべての鬼の母》、出雲での出来事、それからの放浪……。

 他人と話をした経験の少ないシュランドではとうていなめらかな説明とはいかなかったが、ウズメはその言葉を辛抱強く聞いていた。

 「たいへんな目にあってきたのね」

 ウズメが言った。

 シュランドは答えた。

 「君こそ」

 「わたしは……」

 すべて予知していたこと、とは言えなかった。シュランドがすべてを話してくれたのに自分がかくし事をするのは卑怯だとは思ったがいたしかたがない。

 ウズメは別のことを言った。

 「日向のすぐそばに高千穂の峰と呼ばれる山があるわ。その頂上の湖の底にピラミッドがあるの」

 「ピラミッド? 湖の底に?」

 「ええ。いつ、誰が、どうやって作ったかは誰も知らないけどね。日向の町はもともとそのピラミッドを祭るために作られたと言われているわ。生神の継承の儀式はそのピラミッドで行なわれるの。その奥に……」

 「《天球に至る船》があるのか?」

 ウズメは肩をすくめた。

 「ある……と言われているわ。見たことはないけどね。ピラミッドの奥は生神にとってさえ禁断の場所だから」

 「しかし、あるとしたらそこだけなんだろう?」

 「わたしの知るかぎり、ね」

 「そうか。ありがとう」

 「ピラミッドに行く気?」

 「もちろん」

 「どうしても?」

 「ああ」

 「わかったわ」

 ウズメは言った。

 「わたしも一緒に行くわ」

 「君も?」

 「ええ。わたしにとっても他人事ではないもの」

 「だけど……」

 「第一、あなただけでどうやってピラミッドに入るつもり? 何尋もの水の底なのよ。水を割って道を作ることができるのも、固く閉ざされたピラミッドの扉を開けることができるのも……」

 ウズメは第三の目をかたどった額の飾りを指差した。

 「この《大地の目》だけ。《大地の目》を扱えるのは継承の義を受けた生神だけ。つまり、この世にわたしただひとり、わたしがいなければあなたはピラミッドに入るどころか近づくことさえできないわ」

 そう言われては否も応もない。シュランドは降参した。

 「わかった。一緒にきてくれ」

 「ええ」

 「君はおれが守る」

 とは、シュランドは言わなかった。そんな格好つけられるほどの自信は持ち合わせてはいなかった。そのかわり、焼けた肉を差し出した。

 「では、食え」

 「えっ?」

 「何も食ってないだろう。食欲はないかも知れないが、食わないままで山には登れない。むりにでも食って、寝て、明日に備えるんだ」

 「え、ええ……」

 ウズメは肉を受け取ったが、表情は強ばっていた。手にもったまま食べるのをためらっていた。胸がいっぱいで食べられない、と言うのとはちがう。生神として上品で洗練された料理ばかり食べてきたウズメである。脂のしたたる肉の塊にかじりつくのは普通の人間が生きた野ネズミを丸かじりするのと同じぐらい、思いきりが必要だった。

 しばらくためらっていたがやがて目をつぶり、思いきってかぶりついた。かみちぎり、飲みくだす。

 「……おいしい」

 シュランドを見て微笑んだ。

 その微笑みにシュランドも思わず顔がほころんだ。それから驚いた。笑顔を浮かべたのなんていったい、何年ぶりだろう……。

 ウズメは肉の塊をきれいに平らげた。町の人々を見殺しにしたことに対する罪悪感はすでにない。むしろ、晴ればれとした思いだった。寝ている間にはっきりと予知したからだ。

 自分が天球で死ぬことを。

 自分の死が世界を救うきっかけとなることを。

 世の中のために死ねる。

 人々を見殺しにした彼女にとってそれは、何よりの救いだった。

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