《カグヤ》(5)

 高千穂の峰の頂上は刃物で切り取ったようにまっ平らになっていた。そこには豊かな森が広がり、中央にはこれもまた計ったように丸い形をした湖があった。

 「同じだな、高天原と。どうしてこんな山があるんだ?」

 「たしかに不自然ね」

 ウズメが答えた。

 「日向の神話でははるかな昔、天上の神々がやってきて自分たちの住みかとするために山頂を切り取った……と、あるけど」

 「神々、か。黄泉比良坂にはたしかに変な男がいたけどな」

 「考えていても仕方がないわ。行きましょう」

 「そうだな」

 ふたりは湖に向かって歩き出した。ウズメが岸辺に立ち、呪文を唱えた。彼女の額の 《大地の目》が輝き、水面を照らした。するとどうだろう。水面は音もなくふたつに割れ、湖底が現われた。さすがのシュランドが唖然とするほどの壮大な光景だった。

 しかも湖底には自ら輝く立派な道ができていた。その道の先には六角錐の巨大な建物。

 「あれがピラミッドか?」

 「ええ、そう。さあ、行きましょう」

 ウズメは先に立って歩き出した。シュランドもつづいた。

 両側を切り立った水の崖にはさまれた道を歩いていくのは何とも奇妙な感覚だった。湖に住む魚たちが水から顔を出し、困ったように口をぱくぱくさせているのはつい吹き出してしまう滑稽な姿だった。魚たちも何が起きたのかわからず困惑しているのだろう。

 ピラミッドについた。こうして間近に見上げるとそれは何とも巨大な建物だった。シュランドが知る一番高い建物のいったい何倍だろう。その美しすぎる形がなければとても人工物とは信じられない大きさだった。

 ピラミッドの壁面はうっすらと輝き、木の葉の仮面をかぶった人間の顔の彫刻が施された大きな扉があった。

 シュランドはそっとピラミッドの壁にふれてみた。

 「同じだな。高天原や黄泉比良坂の地下通路と」

 「同じ存在が作ったと?」と、ウズメ。

 「だろうな」

 シュランドはうなずいた。

 何者かは見当もつかないが、この世界にはとんでもない技術をもった種族が存在していたらしい。いや、いまも存在しているのかも知れない。シュランドは黄泉比良坂で出会った謎の人物を思い出していた。

 あの人物の言葉は何ひとつ理解できるようなものではなかった。シュランドに理解できたのは『自分たちとはまるでちがう存在だ』ということだけ。あるいは、このピラミッドの奥にも同じような人物がいて客人の訪れをまちわびているのかも知れない。

 「いずれにしても行ってみるしかないな。ウズメ、頼む」

 「ええ」

 ウズメはうなずいた。再び呪文を唱えた。《大地の目》から一筋の光が放たれ、扉に刻まれた人の顔の額に当たった。木の葉におおわれた両目が開き、巨大な扉は音もなく開いた。水の割れ方といい、この仕掛けを作った存在はずいぶんと静かなのがお好みだったようだ。

 扉が完全に開いた。その先には真っすぐに通路がつづいていた。

 「この先か?」

 「ええ」

 シュランドが問い、ウズメがうなずいた。ふたりは通路を歩き出した。ふたりの後ろで扉が閉まった。

 やがて、ホールに出た。シュランドは立ちどまった。息を呑んだ。それほどに美しい場所だった。タンポポの綿毛のような光の珠がふわふわとただよい、ドーム状の天井をステンド・グラスがうめつくしている。青を基調としたそのステンド・グラスの壮大さ、精緻さ、そして美しさはとても言葉では言い表わせない、実際にその目で見なければわからないほどの荘厳さと感動に満ちていた。

 光がきらきらと輝き、日を浴びる魚のように飛び跳ねている。ガラスでできた水、などというものがあるとすれば、まさにこれがそうだった。表面で舞い踊るきらめきのダンスは見ているだけで天国へとのぼっていけそうだった。

 「生神の継承の儀式が行なわれる場所よ」

 ウズメの言葉がシュランドを現実に引き戻した。

 「ここが……」

 シュランドはあらためてホール全体を見まわした。

 床に目を落とせば魔法陣が広がり、そのまわりを台座に立った一二体の神像が取り囲んでいた。ただ、魔法陣も一二の神像も丹念に仕上げられた立派な芸術作品にはちがいないが、天井をうめつくすステンド・グラスにははるかに及ばない。すぐれた芸術家がその一生の最後に生み出したスワン・ソングと猿が遊びで描いた絵の差があった。

 同じ部屋にありながらなぜこれほどの差があるのか。それが不思議だった。

 「この魔法陣と神像は日向の民の先祖が作ったものよ」

 シュランドの思いを感じ取ったのだろう。ウズメが説明した。

 「ああ、なるほど」

 シュランドはうなずいた。それなら納得がいく。

 「美しい場所だけど、いまは何の用もないわ。行くべきは……」

 ウズメは真っすぐに前方を指差した。

 やってきた通路のまっすぐ先。そこにもうひとつの扉があった。

 「あの奥に《天球に至る船》が?」

 「ある……と言われているわ」

 ウズメは慎重な言い回しをした。

 ふたりは奥の扉の前に立った。ウズメが困ったように扉を見上げた。

 「……正直、開けられるかどうかわからないんだけど。この先は絶対の禁忌の場だったから」

 その心配はまったくの杞憂だった。その扉はただ立っているだけで勝手に開いた。呪文も、《大地の目》の光も必要とはしなかった。ウズメは拍子抜けした思いで口をぽかんと開けた。

 シュランドが言った。

 「誰が作ったかは知らないが、人間ぎらいというわけでもなさそうだな」

 「あなたよりは愛想がよさそうね」

 その言葉にはシュランドも苦笑するしかなかった。

 扉の先は再び、真っすぐな通路になっていた。ふたりは並んで歩き出した。

 「ねえ」

 しばらく歩いてからウズメが言った。

 「お父さんを倒し、《鬼》を手に入れたら……《すさまじきもの》を滅ぼすつもり?」

 「ああ」

 「何のために?」

 「この世界を人間の手に取り戻すために」

 それからしばらく沈黙が流れた。ウズメがもう一度、話しかけた。

 「《すさまじきもの》はなぜ、人間を殺すのだと思う?」

 「さあ」

 「また一言で片付ける気?」

 ウズメは少し頬をふくらませた。

 シュランドはバツが悪そうに答えた。

 「考えたこともないからな。殺される側にとっては理由なんて意味がないし」

 「本当に暗いのね」

 「……ごめん」

 「まあいいわ。でも、わたしは彼らがなぜ、人間を殺すのか。それを知ることが必要だと思う。彼らの殺し方は徹底していた。『人間をひとりも残してはおかない』というはっきりした意志が感じられた。彼らはただの怪物じゃない。はっきりした知性をもった存在よ。人間を殺すからにはそれだけの理由があるはずだわ」

 「なら、なおさらだな。《すさまじきもの》にそんな理由があるというなら、やつらを生かしておけば人間が生きていけない。一刻も早く滅ぼさなきゃならない」

 「あなた……そのためにお父さんと戦うの? それとも、カグヤという人を取り戻すため?」

 その問いにはシュランドは答えなかった。

 ふたりの前に階段が現われた。ふたりは階段をのぼりはじめた。階段は螺旋を描いて上昇していた。ふたりは黙々と階段をのぼりつづけた。やがて、ひとつの部屋に出た。そこには乗り物らしきものがひとつ、ぽつんと置かれていた。

 「これが《天球に至る船》?」

 ウズメが眉をひそめながら言った。いかにも自信のなさそうな口調だった。

 「ナマズの化けものって感じだな」

 それは大きな三角形の後ろに小さな三角形をつけような形をしていて、大きな三角形の真ん中にくぼみがついていた。そのくぼみの上には透明なフードがおおいかぶさっている。

 「このくぼみに座るのかしら?」

 「開けられるのか?」

 シュランドは透明なフードにふれた。シュッと音がしてフードはふたつに開いた。

 「乗ってみよう」と、シュランド。

 「ええ」と、ウズメ。

 ふたりはくぼみのなかに座り込んだ。透明なフードが再び閉まった。ぎょっとはしたものの予想はしていたことなのであわてはしなかった。何かが起きる様子もないのでそのまま座っていた。と、天井から光が降り注いだ。見上げるとピラミッドの頂上部分がふたつに割れ、空がのぞいていた。

 船が浮きあがった。ピラミッドを飛び出し、ふたりを乗せたまま天球めがけて上昇しはじめた。

 「やっぱり、これが……」

 「……《天球に至る船》」

 ふたりはどちらともなくうなずいた。

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