新たなはじまりの部

そして、神となる

  森のなか湯気をたてるシチュー鍋をみんなで囲めば

  ほおら 幸せのときがはじまる


 《鬼》に乗ったまま塔のなかを進むシュランドの耳に歌声が響いた。どこから聞こえてくるのかはわからない。けれど、はっきりと聞こえる。

 少女の声だ。

 涼やかで透明感のある美しい少女の声。静かななかにもどこか哀切な響きがあるのが印象に残った。


  物語語り 歌を唄い 笑いかわして

  相手の存在喜び 自分の存在喜ばれて

  ゆったりと過ごそう

  すべてはそのひとときを得るために

  狩りをしたいから狩りをするわけじゃない

  そお この場に戦う勇気なんていらない

  幸せ感じる心だけがあればいい

  森のなか湯気を起てるシチューをみんなで食べて

  日差しを浴びながら横になろう


  物語語り 歌を唄い 笑いかわして

  相手の存在喜び 自分の存在喜ばれて

  ゆったりと過ごそう

  すべてはこのひとときを得るために

  狩りをしたいから狩りをするわけじゃない

 

 その歌声は不思議なくらい深くシュランドの心に染み渡った。その歌詞がシュランドの思いそのままだったからだ。そう。シュランドは戦いたくて戦ってきたのではない。すべてはほんのささやかな幸せを得るためだった。

 少女の歌声に導かれるようにシュランドは《絶対者》の前へとやってきていた。

 《絶対者》。

 それは人間ではなかった。人間以外のいかなる生物でもなかった。また、機械でもなかった。それは『目』だった。虚空に浮かぶ巨大な目。

 大蛇の目だ。

 オロチの目だ。

 人々の暮らしを見つめ、ときに仇をなし、ときに幸をふるまう蛇神の目。それが、この世界を作りあげた《絶対者》だった。

 《絶対者》――虚空に浮かぶ巨大なオロチの目の上に、人と同じぐらいの大きさをした生き物が座っていた。シュランドに響く歌声はその生き物から発せられていた。

 歌がとまった。

 「……彼が好きだった歌」

 ぽつり、と、感情を感じさせない声が言った。

 その生き物が立ちあがった。一切の感情を感じさせない表情でシュランドを見つめた。さらさらの短い銀髪が静かにゆれ、紅玉を思わせる深紅の瞳が輝いていた。

 「……やっときた」

 「《姫》か」

 《鬼》の目を通じてその姿を認め、シュランドは呟いた。

 それはまぎれもなく、彼の人生の最初から影のようにつきまとっていた《姫》だった。あれほどきらっていた存在なのに、いまでは何だかなつかしくさえ思える。最後に会ったのいつだったろう。そうだ。熊の王を倒し、村を出ることを決めたあの晩だ。

 ――五年前か。

 心に呟いた。と、ひどく不思議な感じがした。そうだ。あれからまだ五年しかたっていないのだ。それなのになんと昔のように感じられることか。まるで何千年もたち、幾度ともなく生まれ変わってから再会したような気がする。それぐらい、この五年間にはさまざまなことがあった。

 「いい歌だった」

 「ありがとう」

 「久しぶりだな」

 旧友に対するかのような言葉が自然と口に出た。

 「ずいぶん、落ち着いている」

 「おれはもう、あの頃の子供じゃない」

 「そう……」

 「それより、教えてもらうぞ。すべてのことを」

 「陰陽師として目覚めたなら、わたしの正体もわかっているはず」

 「ああ。あんたこそは陰陽師の祖。自由に動く《絶対者》の分身」

 「そう」

 《姫》はうなずいた。

 「眠りて目覚めぬ《絶対者》にかわり、この世界を見届けるために生み出された監視人。それがわたし。シュランド。あなたはなにを望む?」

 「すべての真実を」

 「それを知ればあなたは苦しむことになる。ふたつの罪のうち、どちらかを選ばなければならなくなる。それでも知りたいと?」

 「そのことはカグヤから聞いた」

 「そう」

 《姫》は呟いた。紅玉を思わせる深紅の瞳が遠くを見たようだった。

 「では、すべてを話す。あなたの知りたいすべてのことを」

 「ああ、そうしてもらう。まず、ここはなんなのか、陰陽師とはなにものなのか。それから教えてもらおうか」

 「ここは――」

 「ここは?」

 「宇宙船のなか」

 「ウチュウセン?」

 「そう。ただの宇宙船ではない。ふたつの宇宙の間に広がる虚数空間。そのなかを進むために作られた超次元潜行船。その居住ブロック。それがあなたたちの世界、『永遠路』と呼ばれる世界。あなたたちは宇宙のなかにいる」

 宇宙船。

 ふたつの宇宙。

 虚数空間。

 居住ブロック。

 その言葉のどれひとつとしてシュランドにはなじみのない、知識にも経験にもまったくない、したがって理解不可能な言葉のはずだった。それでも、シュランドはなんとなしに理解していた。それこそ、陰陽師の遺伝子のなかに刻み込まれた種族的記憶の為せる業だった。

 《姫》はつづけた。

 「ふたつの宇宙の間に迫る破局。それを防ぐためにこの《船》は作られ、旅立った。なかには多くの科学者や研究者が乗り込んでいた。彼らは『宇宙を救うのだ』という使命感と、異なる宇宙の異なる知性との出会いに胸をときめかせ、日々を過ごしていた。ところが、ある日、巨大な災厄が訪れた」

 「《すさまじきもの》……」

 「そう。《すさまじきもの》の襲来。武器をもたぬ彼らはたちまち蹂躙され、駆逐された。永遠路はそのとき、一度、滅びた」

 黄泉比良坂で《スサノオ》から聞いた話だ。あのときはなにかこうお伽話でも聞いているようで実感というものがまるでなかった。

 陰陽師として目覚め、《姫》の口から直接、聞いているいまはちがう。実際にあった過去の歴史として実感をもって聞くことができた。それは悲しむべき、あるいは、憎むべき記憶のはずだった。それなのに、シュランドはなぜかなつかしさを感じていた。

 「ここが何なのかはわかった」

 シュランドは言った。

 「では、おれたちは何だ? 陰陽師とは何なんだ? なんで、おれたちだけが《すさまじきもの》と戦える?」

 「それは、あなたたちが武器だから」

 「武器?」

 「そう。生き残った人々は天球に結集し、《すさまじきもの》たちに対抗するための武器を開発した。それが陰陽師。合成遺伝子から生み出された、精神理力を極限まで高め、超常の力をもたせた人造人間」

 「それが、おれたちか」

 「そう」

 「おれたちは武器だと言うのか? 剣や斧と同じ……」

 「そう。天球に集まった人々――自然人類を守るために作られた道具」

 ぎゅっ、と、シュランドは拳を握りしめた。そんなシュランドをカグヤはいたたまれない様子で見守っている。

 「陰陽師の操る武器としてナノマシンの塊である《鬼》を開発した。陰陽師と《鬼》の仲立ちとして《カグヤ》を作った。ナノマシン遺伝子と人間の遺伝子とを合わせもつ半人半機械の有機インターフェース。

 陰陽師を養うために日常の仕事に従事する多くの人造人間を作り、野に放った。彼らは時とともにふえ、永遠路中に広がった。そうしてできあがったのがあなたの知る世界」

 「つまり……」と、シュランド。

 「おれたちは知らないところで他人に操られていたというわけか」

 「そう」

 きっぱりと、《姫》は無慈悲なほど冷静にうなずいた。

 「それもすべてはこの宇宙を破局から救うため」

 「その破局とは何なんだ?」

 「それは宇宙の構造それ自体から生まれる根源的な破局。それを説明するためには、そもそものはじまりから話さなくてはならない。遠いとおい昔の話」

 《姫》は思い出にふけるような遠い表情になった。それはこの、感情というものを感じさせない娘にはあまりにも似つかわしくない表情だった。

 「人類は当時、地球と呼ぶ小さな惑星に住んでいた。人類は宇宙の姿を知りたいと望んでいた。でも、その試みはことごとく失敗していた。宇宙の謎はなにひとつ解明されなかった。

 たとえば『均質化問題』。宇宙はどの部分をとってもほぼ同じ密度で物質が存在しているように見える。それはなぜなのか。

 たとえば時間の問題。なぜ、時間は過去から未来へと一方的に流れ、逆流することがないのか。

 たとえば重力の問題。重力の正体とはなんなのか。なぜ、重力によって時空が曲がるのか。

 たとえば宇宙の加速膨張。なぜ、宇宙の膨張は時とともに加速していくのか。

 それらの謎に答えることができる人間はひとりもいなかった。でも、そこにひとりの男が現われた。それがすべてのはじまりだった。

 男は言った。

 『宇宙とはビッグバンによって生まれた空間ではない。ビッグバンの衝撃で発生した進行する波なのだ』と」

 「波?」

 「そう。水面に石を落としたと想像して。波紋が生まれ、広がっていく。当時の宇宙論では宇宙とは波紋の内側の空間だとされていた。でも、その男は波紋こそが宇宙だと結論づけた。もちろん、はるかに高次元の波紋だけど。

 その波は爆発エネルギーによって押され、進行していく。その波の動きは一方通行であって逆流することはありえない。そして、進行する宇宙はその過程において爆発エネルギーを取り込んでいく。爆発エネルギーは粒子となって宇宙に飛び込み、宇宙を拡大させる。最初は一筋の線にすぎない宇宙はそうすることによって拡大し、一枚の幕となっていく。降りしきる雪が地上の起伏をすべておおいかくし、均等にするように、宇宙に飛び込む粒子は物質密度の低いところに優先的に飛び込む。そのために、宇宙のどの部分を見ても密度はほぼ一定となる。

 そして、宇宙は拡大することで内部の粒子の位置を刻々と変化させていく。粒子の位置の異なる宇宙が幾重にも重なることで『時間』が生まれる。少しずつちがう絵を重ねることで絵が動いているように見えるのと同じこと。つまり、『時間』という本質は存在しない。あるのは運動と方角だけ。時間が逆流しないのはまさにそのため。

 幕のなかにはたまたま物質が多く集まり、密度が高くなった部分もある。密度の高い部分、つまり、重い部分は慣性の法則によってその場にとどまろうとする力が強くなる。同じ力で押しても軽い部分よりも動きが鈍くなる。そのため、宇宙という幕のあちこちに摺り鉢場のへこみが生まれることになる。すべての物質は面にそってしか移動できない。へこみに飛び込んだ物質はその底へ向かって移動することになる。底から再び飛びだすためにはそれだけ強力な運動エネルギーを必要とする。それだけのエネルギーをもたない物質は永遠に摺り鉢の底から脱出できない。

 この幕のへこみこそが重力。重力の強い場所とはそれだけ重い場所であり、進行速度が遅い場所。そのために、重力の強い場所は時の流れが遅れることとなる。ブラックホールとは重量が無限大に達したために移動することなく、永遠に過去にとどまることになった部分のこと。

 幕がへこむということはその部分が薄く引き伸ばされるということ。それだけ密度が薄くなる。密度が薄くなれば言ったように爆発エネルギーが粒子に姿をかえて飛び込んでくる。この粒子が重力子。重力子は幕に飛び込むことによって周囲の粒子を外にはじく。そうすることによって宇宙を膨張させる。だから、重力は充分に広い範囲では逆に斥力として作用する。幕が大きくなればなるほど重力子の飛び込む余地はふえる。そのため、時とともに宇宙の膨張は早くなる。

 膨張が早くなるということはその分、多くの爆発エネルギーを『食う』ということ。消費された爆発エネルギーはやがて底をつき、宇宙を膨張させることはできなくなる。膨張させる要因のなくなった宇宙は今度は自身の重力によって収縮する。やがて、一点に集まり、再び爆発する。つまり、ビッグクランチ」

 「爆発する?」

 シュランドが口をはさんだ。

 「それがあんたの言う『根源的な破局』なのか? 宇宙そのものが爆発して何もかもが失われることが?」

 「ちがう」

 《姫》はかぶりを振った。

 「いま言ったシナリオは時間の速度、つまり、波の進行速度が有限である場合。でも、本来、この波の進行速度は無限大。すると、このシナリオがどうかわるか、わかる?」

 「いいや」

 「すべてが同時に起こるということ。ビックバンによる波の発生、波の進行、膨張、収縮、そして、ビッグクランチ。そのすべてがまったく同時に起きる。それはつまり、ふたつのビッグバンが同時に起きることと同じ。

 ふたつのビッグバンによってふたつの進行する波が同時に生まれる。ただし、お互い逆方向に、相手に向かって突き進む波が。

 つまり、宇宙はふたつあるということ。過去から未来に向かって進むわたしたちの宇宙と、わたしたちに向かって、つまり、未来から過去に向かって進む宇宙とが。それが時間対称宇宙」

 「時間対称……。《スサノオ》の言っていたやつだな」

 「そう。時間対称宇宙を形作るのが時間対称粒子。その他の性質はすべて同じ。ただひとつ、運動する方向だけがちがう粒子。この時間対称粒子を集め、一点に照射することでわたしたちの宇宙の進行速度を遅らせることができる。その部分は宇宙の他の部分より時間が遅れることになる。黄泉比良坂の時間の流れが遅かったのはそのため。

 さらに多くの時間対称粒子を集め、照射することで宇宙の運動を逆転させることも可能。そうすればその部分は未来から過去に向かって進むことになる。《スサノオ》はそうすることで過去を復元しようとした」

 「しかし、失敗した……」

 「そう。宇宙の運動を逆転させるということは過去を未来にかえるということ。過ぎた時間を取り戻すことはできない」

 ほう、と、《姫》は軽く息をついた。それから、話を戻した。

 「ふたつの宇宙の間には圧力が生じ、その圧力が本来、無限大である宇宙の進行速度を有限のものにかえる。先頭の宇宙、つまり現在が圧力に押され、速度を落とす一方で後ろの宇宙、つまり過去は相変わらず無限の速度をもっている。過去の宇宙は現在に追い付き、重なって存在する。過去と未来のちがいはこうして生まれる。わたしたちが過去を覚えているのに未来を思い出せないのは、未来がまだ存在せず、過去が重なって存在しているから。

 これが、その男の提唱した『双方向宇宙論』。宇宙を制止した空間ではなく、進行する波としてとらえたとき、謎とされてきたすべての現象が単純な必然の重なりとして自動的に説明できるようになる。その男の登場によって、人類ははじめて宇宙の謎のすべてをひとつのメカニズムで説明できる理論を手に入れた」

 《姫》はいったん、言葉をとめた。

 「わかる?」

 「全然」

 「それでもいい。とにかく、宇宙はひとつではなく、ふたつあるということ。しかも、互いにたがいに向かって突き進む宇宙が。自然に任せておけばいずれふたつの宇宙は真っ向から激突し、ふき飛んでしまう。それこそが宇宙の根源的な破局。そこで、人類の間で論争が起きた」

 「論争?」

 「そう。その破局をどうするか、と。一方にはそれが自然の定めなのだから従おうというものたちがいた。でも、そうではなく、自然の定めにあらがってでも宇宙を生き長らえさせようとするものたちもいた。『双方向宇宙論』を唱えた男こそがその中心だった」

 「ちょっとまて」

 シュランドは口をはさんだ。

 「生き長らえさせるって、いったいどうやって生き長らえさせると言うんだ? ふたつの宇宙が衝突するというなら防ぎようなんかないじゃないか」

 「誰もがそう言った。でも、男はそのための方法を見出だした」

 「どうやって?」

 「簡単なこと」

 《姫》は指を振った。シュランドの前に楕円形の空間が現われた。そのなかでは逆方向に移動する二枚の幕があった。

 「同じ形だからぶつかる。そこでこうする」

 《姫》が言った。楕円形の空間のなかで劇的な変化が起こった。幕のうちの一方が上半分が後に折り畳まれた。同じようにもう一方の幕の下半分が後に折り畳まれた。折り曲げられたふたつの幕宇宙はぶつかることなくすり抜けあった。

 ――おおっ。

 シュランドの頭のなかでその思いがはじけた。

 「これがその男の計画。そして、さらに……」

 すり抜けあった幕は軌道をかえた。真っすぐな軌道から弧を描いた軌道へと。それに応じて楕円形であった空間は球形へと姿をかえた。球形となった空間のなかで、二枚の幕宇宙はお互いにお互いを追いかけるようにして輪を描いて動いていた。それはさながら、自らの尾を呑むウロボロスのヘビだった。

 「幕宇宙が圧力子の影響を受ける以上、その圧力を強めることで幕を変形させ、軌道をかえることが可能になる」

 《姫》は静かに言った。

 「そして、いったん弧を描く軌道に乗せてしまえば、あとはお互いの放つ圧力子につき動かされ、永遠の回転運動をつづけることになる。それが、その男の見出だした解決法。そして、この《船》はその事業を果たすために送り出された。

 そして、男は自らの手でその事業を完遂するため、自分自身の意識を空間に植え付け、《絶対者》となった。それはコンピュータではない。他のいかなる生命体でもない。いわば、宇宙という肉体に自分の意識を移植した『もの』。男は文字通り、この世界の神となった」

 「ちょっとまってくれ!」

 シュランドはたまりかねて叫んだ。

 「このままではこの宇宙が破滅するというのはわかった。くわしいことはわからないがとにかく、宇宙がふたつあって、このままだと正面衝突するということだけはわかった。そして、この《船》がそれを防ぐために旅立ったということも」

 シュランドはそこまで一息に言って息をついた。それからさらに勢い込んで叫んだ。

 「でも、それじゃあ、《すさまじきもの》とはなんなんだ? あいつらはなんで人間を殺すんだ? あいつらだってこの宇宙に存在する生き物にはちがいないはずだろう。宇宙が消滅したらあいつらだって消えてしまうんだ。それなのになぜ、破滅を防ぐ邪魔をする。おかしいじゃないか。

 それに、高天原で出会ったドラゴンは言っていたぞ。『ヤシャビトは人類が未来において犯す罪を防ごうとしたのだ』と。宇宙の破滅を救うことがなぜ、罪なんだ?

 それに、《スサノオ》は言った。『《すさまじきもの》を犠牲にしてでも……』と。犠牲にするとはどういうことだ? いったい、どういうことなんだ?」

 シュランドの叫ぶような問いに《姫》は淡々と答えた。

 「この宇宙が滅びても《すさまじきもの》は滅びない。その逆。この宇宙が生き残ったときにこそ、彼らは滅びることになる」

 「なに?」

 何がなんだかわからない。困惑の表情を浮かべるシュランドを前に、《姫》はさらに淡々とある事実を告げた。

 「《すさまじきもの》。それははるかな未来の生命。新しい宇宙に生まれるものたちの亡霊」

 「なんだと?」

 「この宇宙の破滅はしかし、世界そのものの破滅ではない。ふたつの宇宙がぶつかり、爆発することで新たな宇宙が生まれる。そう。この宇宙にとってのビッグクランチこそは、次の宇宙を生み出すためのビッグバンに他ならない。

 この宇宙が滅んだあとも、この宇宙を内包する世界そのものは存在しつづける。そして、生成と破壊を繰り返す。それは無限の過去から永遠の未来にわたってつづく宇宙の摂理。逆に言えばこの宇宙が消滅しないかぎり、新たな宇宙は生まれることができない」

 「それは……それは、つまり……」

 シュランドは息を呑んで言った。

 「おれたちが生き延びることで未来に生まれるすべての生命が、世界そのものが抹殺されるということか? 生まれることさえ出来ずに?」

 「そう」

 《姫》がうなずいた。

 「それこそが人類が未来において犯す罪。ひとつの、いいえ、これから先、永遠の未来にわたって生まれつづけるすべての宇宙と、そこに住む存在のすべてを抹殺する行為。 『《すさまじきもの》を犠牲にする』とはそういう意味」

 「そんな……」

 シュランドはなんと言っていいかわからなかった。永遠の未来にわたって生まれるはずの宇宙を抹殺しつづける。それはあまりにも大きすぎてとうてい理解できるものではなかった。

 《姫》はつづけた。

 「それはもちろん、未来の生命にとって容認できるものではない。その無念が、怨念が、奇跡を起こし、まだ生まれぬ魂をこの世界に送り込んだ。この宇宙を滅ぼし、自らの生まれる権利を取り戻すために。

 それこそが《すさまじきもの》。彼らは未来の生命。いまだ生まれていないものの幽霊」

 シュランドは魂が震えるほどの衝撃を受けた。

 それはシュランドにとって世界がひっくり返る以上の衝撃だった。血に飢えた悪魔と思っていた《すさまじきもの》。破壊と殺戮を楽しむ化け物にすぎないと思っていたその《すさまじきもの》が、実は自分たちの犠牲者であったとは。

 では、かつてハヤトの言ったことは正しかったのだ。《すさまじきもの》はまさに幽霊以外のなにものでもなかった。一人ひとりでは何もできない無力な幽霊。それが何億、何十億、いや、数えきれないほどに集まり、重なって、物理的な力までも手に入れた幽霊。ただし未来の、まだ生まれていない生命の、自分たちに滅ぼされる生命の幽霊……。

 いままで自分が《すさまじきもの》に抱いていた敵意はなんだったのか。あの化け物から人々を守らなくてはならないと思っていた決意はなんだったのか。シュランドはいままで信じてきたことの土台がすべて崩れ落ち途方に暮れた。

 《姫》はつづけた。

 「彼らは突如として現われ、殺戮のかぎりを尽くした。こんな邪魔が入るなどまったくの想定外。立ち向かう術もなく、この世界は一度、滅びた。

 向こうにしてみれば当然の行為。でも、こちらとしても未来を奪うことは承知の上ではじめたこと。明け渡す気はない。未来のすべてを殺し尽くしてでも生き残る。それが《絶対者》の立場。そのために、陰陽師を、《鬼》を、《カグヤ》を作りあげた」

 《姫》はいったん、言葉を切った。

 「次にあなたの父親の件」

 「親父……」

 「もう見当はついているはず。ヤシャビトがなぜ人類を裏切ったのか」

 「親父も同じことを知った……」

 シュランドは言った。

 「そして、未来を守ることを選んだ。そうだな?」

 「その通りよ」

 答えたのはカグヤだった。

 「わたしは覚えている。ヤシャビトさまがどんなに悩み、苦しんでいたか。そして、ヤシャビトさまは未来を守ることに決めた。

 『おれは親だ。自分が生き延びるために子供を殺すことはできない。子のために死ぬことこそ親の務めだ』

 そう仰って」

 「そのために……《すさまじきもの》について高天原を滅ぼした」

 「ええ。この都市を滅ぼしたのもそのため。この都市の人々を生かしておけばまた同じことをはじめるから。そして、シュランド、あなたに封印をかけた。あなたが決して陰陽師として目覚めないように」

 「なぜ?」

 「あなたが生き延びることができるように」

 「なに?」

 「自分が裏切れば人々は陰陽師の血統を根絶やしにするだろう。でも、その力がなければ殺されはしないだろう。どんなに白い目で見られ、つらい思いをしようと生き延びることはできるはずだ。生き延びることさえできればなんとかなる、と。

 ヤシャビトさまはあなたに生きてほしかったのよ。ふたつの宇宙の衝突の時が迫っているとは言え、あなたが生涯を全うするだけの時間はまだ充分にある。生き延びて、生き延びて、人生を全うしてほしかったのよ」

 カグヤが泣いていることがはっきりと伝わってきた。

 「そして、ヤシャビトさまは高天原を滅ぼした。わたしの記憶を消し、ひとりの人間の女として生きていけるようにして、それから……それから……腹を斬ったのよ」

 「ヤシャビトの封印にはてこずらされた」

 《姫》が言った。

 「ヤシャビトの力はわたしにとってさえ予想外なほど強力だった。その力のすべてを込めての封印。滅多なことでは解けない。そこで、ウズメを使った」

 「ウズメを?」

 「そう。陰陽師を作ったあと、その補佐役としてさらにふたつの人種を作った。ひとつが肉体の能力に秀でた侍。もうひとつが未来を予測するための生きたコンピュータとしての巫女。量子変動演算脳をもち、無限の計算能力を誇る種族。

 ウズメはその巫女の血統。彼女はもともとたぐいまれな巫女としての能力をもっていた。そのウズメに細工をし、能力を高めさせた。ヤシャビトの封印を破らせるために」

 では、死に際したウズメのあの、不思議なほど安らかな表情はそのためだったのか。自分に課せられた使命を果たすことができたという安堵のための。しかし……それでは、ウズメの人生はなんだったのだ? 自分を目覚めさせるという、その目的のためだけに消費されたのか?

 「なぜだ?」

 「なにが?」

 「なぜ、そんなことをした? おれたちや、巫女や、侍を作ったりした? おれたちを作ったやつらはなぜ、自分たちで戦わなかった?」

 「迷いがあったから」

 「迷い?」

 「そう。人類――わたしやあなたたちを創った自然人類にも迷いはあった。

 『未来を滅ぼしてまで生き長らえようとすることは本当に正しいのか。それこそが自然の摂理だというなら、そのままに滅びるべきではないのか』

 この《船》が送り出される前からその迷いはあった。そして、《すさまじきもの》の襲来を受けてその迷いはなおさら深くなった」

 「実際に未来の生命を見て決心がゆらいだ。そういうことか?」

 「そう。でも、だからといって自分たちの滅びを決めることもできない。そこで、彼らは第三者に決めてもらうことにした」

 「第三者?」

 「それがあなたたち。自然人類の創った人造人間。彼らはあなたたちに心を与え、判断力を与えることであなたたちに決めてもらおうとした」

 「おれたちに……おれたちに、自分たちと、《すさまじきもの》と、どちらを生き延びさせるか決めさせようとしたのか」

 「そう」

 「ずいぶんと無責任な話だな」

 「ヤシャビトもそう言った」

 「そして、親父は《すさまじきもの》を選んだ」

 「そう。歴代の陰陽師のすべてがその選択を迫られてきた。そして、誰も決めることができなかった。

 『いまはとにかく人類を守ろう。《すさまじきもの》を滅ぼすこともするまい。追い払うだけの戦いをつづけよう。まだ時間はある。最終的な決断は次の代の陰陽師にしてもらおう』

 誰もが最終的な判断をきらい、先送りにしてきた。そしてとうとう、ヤシャビトの代で判断がくだされた。《すさまじきもの》を選ぶ、と」

 「では、おれが同じ道を選んでもかまわないわけだ」

 「そういうこと。あなたが決めればいい。それはあなた自身のもつ権利であり、自然人類から与えられた使命。現在を滅ぼして未来を産むか、未来を犠牲に現在を生き長らえさせるか。あなたが決めること」

 「未来か、現在か」

 シュランドは息をついた。

 「どちらを選んでも……世界の破壊者だな」

 「そういうこと」

 《姫》は後ろを指し示した。

 「彼らがきた。答えてあげて」

 シュランドも気づいていた。自分の後ろに現われた気配に。ゆっくりと振り向いた。そこには《すさまじきもの》がいた。《すさまじきもの》の大群が。全長五〇メートルを超える大型の個体がいた。それよりは小さいものも。巨大な《すさまじきもの》の足元には人間程度の大きさの個体もたくさんいた。

 その大群を見るシュランドの心に、不思議な感慨がわいた。シュランドはもう、《すさまじきもの》たちを化け物と見ることはできなかった。むしろ、そこにいる大小さまざまな《すさまじきもの》は仲むつまじい親子に見えた。巨大な災厄を前にしてなんとか生き伸びようと健気に努力する家族の姿だ。

 ――戦えない。

 シュランドは思った。

 どうして戦えるだろう? 他ならぬ自分たちのエゴによって生まれることを阻まれようとしているこの未来の生命と。

 「シュランドよ」

 《すさまじきもの》の一体が言った。

 いや、それは《すさまじきもの》の大群がそろって送ってくる思念だったかも知れない。どちらでもいいことだ。一個体のものであれ、全体のものであれ、彼らの思いがひとつであることに疑いの余地はないのだから。

 「シュランドよ。我らとてお前たちを滅ぼすことは心が痛む。だが、そうする以外、我々が生まれる方法はないのだ。そして、お前たちは少なくともここまで存在してきた。だが、我々はまだ存在すらしていない。

 我らに道をゆずってくれ。お前たちだけに犠牲を強いるのではない。我らもまたいずれは同じ道をたどるのだ。お前の父ヤシャビトはそのことを理解し、我らに協力してくれた。シュランドよ。どうか、我らの生まれるのを邪魔しないでくれ。我らに道をゆずってくれ。頼む。それとも……我らを滅ぼすか?」

 シュランドはゆっくりとかぶりを振った。その動作はそのまま《鬼》の動作となった。翼をもつ《鬼》はその巨大な頭を左右に振った。

 「お前たちとは戦えない」

 《鬼》の口を通してシュランドの言葉が語られた。

 「では、我らに道をゆずってくれるのだな?」

 「いや」

 シュランド……《鬼》は答えた。

 「それもできない」

 「なに?」

 カグヤと一緒に生きていきたい。カグヤとともに日々の糧を得、子供をつくり、家族で暮らしていきたい。たとえ、自分を慕ってくれたタマモの思いをふみにじり、自分にすべての期待をかけて死んでいったウズメの行為を無にしてでも。それだけが、ただそれだけがシュランドの望みだった。

 もちろん、自分のことだけに限れば《すさまじきもの》に道を譲ったところで不都合はない。いくら、ふたつの宇宙の衝突の時が迫っているとは言ってもそれは宇宙スケールでの話。シュランドが天寿を全うするだけの時間はまだ充分すぎるほどに残されている。だが――。

 ふたつの宇宙がいよいよ衝突の時を迎えるというそのときになってもまだ、その宇宙のなかには生命がいるはずなのだ。いまのシュランドと同じく、愛するものと暮らしたいと望み、必死に生にしがみつく生命が。その思いをふみにじり、滅びを受け入れるよう要求することはシュランドにはできなかった。

 だから、できない。

 《すさまじきもの》に道を譲ることは。

 《すさまじきもの》が言った。

 「では、やはり我らと戦うのか?」

 再び、《鬼》はかぶりを振った。

 「それはできない。すでにそう言った」

 「矛盾だな」

 《すさまじきもの》のそれが答えだった。

 「解きえぬ矛盾だ。お前たちは存在しつづけるためには我らを犠牲にしなくてはならない。我らは生まれるためにはお前たちを滅ぼさなければならない。そこに妥協の余地はない。ふたつにひとつ。それだけだ。選ばざるをえないふたつの道をいずれも選ばず、先送りにする態度を『やさしい』などと言って正当化することはできぬぞ」

 「もし……」

 静かに、《鬼》は答えた。

 「お前たちがここにいないならその通りだろう。だが、お前たちはここにいる。未来に生まれるその姿とはちがうといえど」

 「だから?」

 「我々は生き伸びる。存在をつづける。お前たちに道を明け渡すことはしない。かわりに……お前たちがそれを受け入れてくれるなら、我々はお前たちを我々自身の神としよう」

 「なに……?」

 「我々はお前たちを神として崇め、奉ろう。たえまない尊崇の念を送ろう。お前たちの犠牲の上に我々の存在があるのだと」

 「我らにこの宇宙で存在しつづけろと言うのか? お前たちの神となって?」

 「そうだ」

 「納得すると思うか? 我らが生まれることができないことにかわりはないのだぞ」

 「しかし、存在はできる。本来の姿とちがうとは言えど。我々とお前たち、双方がともに存在していける」

 「しかし……我らは……」

 「受け入れてくれ。未来の生命よ。我々の神となって、我々とともに存在してくれ。そうすれば、お前たちもまた永遠の存在となる。新たな宇宙が消滅するとき、その運命を受け入れる必要はない」

 「しかし……しかし……」

 「永遠への旅をつづけるのだ、《すさまじきもの》よ」

 いつか――。

 シュランドは《船》をはるかに超え、無限の高みへと飛び立っていた。いや、それはすでにシュランドではない。カグヤ、そして、《鬼》と完璧に同調し、『聖なるマリアージュ』を遂げた彼はもはや人間をはるかにしのぎ、新たなる存在へと進化していた。

 神。

 そう。それはもはや、神とでも呼ぶしかない存在だった。

 「神となれ。我々の神となってくれ」

 そう言いながら、神となったシュランドは高みへたかみへと《すさまじきもの》の大群を引きつれ、飛翔をつづけた。

 それはまさに、神の旅路だった。

 ……同じ頃、虚数空間を進む《船》の前方に、同じほどの大きさの物体が姿を現した。その物体もまた虚数空間を移動していた。《船》とは逆方向に。もうひとつの幕宇宙のある方向から《船》のある方向へと。それはもうひとつの宇宙、未来から過去へと流れる時間対象宇宙から同じ目的をもってやってきた《船》だった。

 いまここに、ふたつの宇宙の知性がはじめての出会いの時を迎えようとしていた。


                  終

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神の物語 藍条森也 @1316826612

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