《スサノオ》(8)
最初に我に返ったのはカグヤだった。
「シュランド。タマモ姫を……」
いわれてシュランドもようやく我を取り戻した。
祭壇に駆けより、タマモ姫を下におろす。
「い、いったい、なにが……」
シュランドに抱きかかえられて祭壇をおりながら、タマモは呟いた。
シュランドたちは事情を説明した。
聞き終えたタマモはその信じがたい話を、しかし、素直に受けとめたようだった。あるいは、あまりにも悪夢的な光景を見せつけられて思考が混乱し、話の不思議さに気がつくどころではなかったのかも知れない。
ともあれ、彼女は彼女にとってもっとも大切なことは理解していた。ヤチホコの死体を見下ろしながらしみじみと呟いた。
「……この方がヤチホコさま。百年の時を越え、ふがいなき子孫を助けてくださったか。感謝いたします」
タマモは両手をあわせた。
シュランドとカグヤも自然と手をあわせ、それぞれに冥福の言葉を唱えた。
ふいに、タマモがシュランドをにらみつけた。その視線の激しさたるや、さすがのシュランドが怯えたほどだった。
「なぜ、きたのじゃ!」
その声は視線以上に激しかった。
「なぜって……君を助けに……」
少年のしどろもどろの返答は白装束姿の少女の怒声にたちまち呑み込まれた。
「わらわは町民のためならばいつでもこの身を捧げると言ったであろうが! よけいなことをするでない!」
「よけいなって……そんな言い方はないだろ、おれは君のために……」
シュランドはさすがにむっとして反論しかけた。だが、タマモの怒りはそんなものはたちまち蹴散らしてしまうぐらい激しかった。
「だまれ! わらわのためにおぬしまで死んだらどうする! しかも、カグヤどのまで連れてくるとは何事じゃ! 身の危険をちらっとでも考えなかったのか、この能天気のお調子者の馬鹿者が!」
タマモはののしりつづけた。シュランドはなぜここまで彼女が怒っているのが理解できず、わめき散らす少女を唖然として見ていることしかできなかった。
シュランドをさらに唖然とさせたことにタマモの目に見るみる大粒の涙があふれ出した。まさかこの勇敢な女武者が泣くことがあるなどとは想像もできなかったシュランドはすっかり思考の停止した目で少女の泣き顔を見つめていた。
「わらわは……わらわは……」
タマモはそれ以上、言えなかった。いきなりシュランドの胸に突っ伏すと、大声で泣きはじめた。
シュランドは何がなんだかわからなかった。女の子が泣いている。それだけでもどうしていいかわからないのに、よりによって自分の胸で泣いているのだ。どうすればいい? こんなとき、男はどうするものなんだ?
シュランドは途方に暮れた。答えを求めてカグヤを見た。カグヤはやさしい微笑みを浮かべながら静かにうなずいた。タマモに視線を戻した。肩を震わせ、泣きつづけている。 シュランドはそんなタマモの背中をそっと抱きしめた。最初は恐々と、次には力強く。はじめて抱きしめる女の子の肉体。その肉体のかぼそさ、柔らかさに少年は心からの驚きを感じた。
――女の子って……こんなに気持ちのいいものなのか。
そう思った。女の子を抱きしめるってどんな気持ちなんだろう。何度もなんども想像した。どんな想像よりも実際の少女の感触はすばらしかった。生まれてはじめてのときめきを感じ、タマモを抱く腕に力を込めた。
タマモはひとしきり泣いた後、ようやく、シュランドの胸から顔を起こした。
「す、すまぬ……」
涙でくしゃくしゃになった顔を拳でぬぐいながら言った。
「カグヤどの、勘違いしないでくれ。これは……」
タマモがなぜカグヤにそんなことを言うのか理解できず、シュランドはきょとんとして武門の姫を見つめた。たおやかな少女はやさしい微笑みを浮かべながら答えた。
「お気遣いなく。わたしたちは姫の考えているような関係ではありませんわ」
「えっ……?」
「わたしは過去の記憶がないんです。シュランドは旅先で偶然わたしと出会って、そのことに同情してくれて、わたしの過去を捜す手伝いをしてくれると言ってくれたんです」
「そ、そうなのか? わらわはてっきり……」
「てっきり?」
カグヤはいたずらっぽく微笑むと小首を傾げた。
タマモの顔は見るみる赤くなった。そんなところはどんなに尚武の気質であってもやはり、年頃の女の子だと思わせるかわいらしさだった。
「……な、なんでもない」
タマモは顔を真っ赤に染めたままあわてて後ろを向いた。そんな経験が一度もないせいでまったく事情のわからないシュランドはひたすらきょとんとしてタマモの姿を見つめている。事情のわかっているカグヤのほうはおかしそうにくすくす笑った。
しばらくしてからシュランドが言った。
「さあ、早く逃げよう。こんなところはもうおさらばだ!」
「そうはゆかぬ!」
タマモは叫びながら振り返った。そこにいたのはすでに先ほどまでの世馴れない女の子ではなく、勇ましい王家の娘だった。
「宿儺人は死んだが、それで出雲が救われるという保証はない。なんとしてもこの地の正体をたしかめ、解決せねばならぬ。そうでなければ帰るわけにいかぬ」
「でも、どうやって?」
シュランドが尋ねるとタマモは白装束のなかから一本の棒を取り出した。
「それは?」
「『禁忌の棒』と呼ばれておる。代々、わが一族に伝わる家宝じゃ」
「家宝?」
「禁忌の棒?」
「うむ。もともとは出雲の地に林立していた豪族のひとつに伝えられていたそうな。統一のおりにヤチホコさまの手に渡され、以来、わが一族が伝えてきたのじゃ。どう使うのかはわからぬが、とにかく、伝説によれば『黄泉比良坂を滅ぼす力をもつ』と言われておる」
「黄泉比良坂を滅ぼす?」
シュランドは小首を傾げた。
「そうじゃ。むろん、黄泉比良坂はわれらが聖地。滅ぼすわけにはいかぬ。ゆえに、わが一族は代々、宝物庫のいちばん奥に大切に保管しておいたのじゃ。ために、父上も使おうとはなさらなんだ。じゃが、わらわはこの際は黄泉比良坂を滅ぼす覚悟も必要かと思っての。こっそりもってきたのじゃ。ヤチホコさまが一度、山をおりられたのも、この棒を持ち出すおつもりであったからではないかな?」
「ああ、そうか。でも、君が先に持ち出してしまっていた。だから、ヤチホコさまも戻ってきた……」
「うむ」
タマモはうなずいた。手にした棒をぎゅっと握りしめた。
「わらわは町民のためならばいつでもこの身をすてる覚悟はある。じゃが、無駄死にはごめんじゃ。ゆえに、宿儺人と交渉するつもりじゃった。わが身を捧げて、それで出雲が救われるならそれでよし。さもなくはこの棒を使って黄泉比良坂を滅ぼすつもりじゃった」
タマモは『禁忌の棒』を見つめながら言った。
シュランドは舌を巻いてその話を聞いていた。勇敢な女の子だとは知っていたけど、まさかここまで大胆だったなんて……。
――でも、勇敢なのはいいけどちょっと無鉄砲すぎるよなあ。使い方もわからないのに、古い伝説なんかをあてにして乗り込むなんて。もう少し思慮ってものを……。
シュランドはおとなぶって胸のうちに呟いた。その呟きをカグヤが聞いていれば彼女はくすくす笑いながら言ったことだろう。
『あなたといい勝負ね』と。
次に口を開いたのはそのカグヤだった。
「ですが、姫。ここからどこへ行けばいいのです? 見たところ、この祭壇の間はいきどまりですけど……」
「うむ。宿儺人の出てきたところを覚えておる」
タマモはそう言うと壁の一部に向かった。
「ここじゃ。この岩が左右に割れて、そこから宿儺人が現われたのじゃ」
岩にそっと手をふれた。すると、音もなく岩が左右に割れた。その先は箱のような小さな小部屋だった。
タマモは振り返った。彼女のために生命を懸けてここまでやってきてくれたふたりの仲間に向けた。
「わらわはゆく。一種にくるか?」
「もちろん!」
シュランドは勢いよくうなずいた。
「わたしも行きます」
カグヤは静かな決意を込めて言った。
「二度と帰れぬかも知れぬぞ。それでもいいのか?」
「もちろん。ここで君を見捨てるぐらいなら最初からきやしない。最後まで付き合うよ」
シュランドの宣言にカグヤもうなずいた。
タマモはそんなふたりの態度に涙があふれそうになった。王家の娘としての誇りを総動員してかろうじて押さえ込む。涙を隠すためにあえて大声を張りあげた。
「よろしい。では、ともにくるがいい!」
言いながら小部屋に入る。シュランドとカグヤもすぐに飛び込んだ。
岩が閉まった。と思うと、突然、床が沈みはじめた。
「な、なんだ?」
「なんじゃ?」
シュランドとタマモが同時に驚きの声をあげた。唯一の年長者であるカグヤはそれらしい落ち着きを示して冷静に言った。
「なにかの仕掛けでしょう。勝手に動きだしたのならいずれ勝手に止まるはず。そのとまった先が宿儺人のいた場所のはず。このまま連れていってもらいましょう」
「そ、そうじゃな……」
「……その止まった先で勝負、ということか」
タマモは『禁忌の棒』を握りしめて答えた。シュランドは自分を鼓舞するために舌なめずりしながら言った。
三人の少年少女を乗せて床は沈みつづけた。やがて止まった。入り口とは反対側が開いた。
三人はあたりをうかがいながら外に出た。誰かのいる気配はない。
そこは奇妙な場所だった。やけにつるつるした感じのする壁に囲まれた洞窟で、床も、壁も、天井も、すべてが光っていた。
「陰陽寮の地下に似てるな」
シュランドが言うとカグヤもうなずいた。
「ええ。同じ人たちが作ったんでしょうね」
三人はさらに先に進んだ。行きどまりになった。壁に手をふれた。音もなく壁が割れた。その奥はさらに奇妙な場所だった。
細かな突起物や読めない文字でつづられた文章、動く絵などで埋め尽くされた壁をもつ円形の洞窟。その奥は透明の壁で仕切られ、その奥にはひとりの人間が立っていた。
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