《スサノオ》(9)

 「……きたか」

 その人物が呟いた。質素な貫頭衣をまとい、長い髪の毛を頭の両脇で束ねた人物。歳の頃は二十代前半といったところか。男とも、女とも思える美しい姿をもつ人物だった。

 「あなたは……」

 「そなたがこの黄泉比良坂の主か?」

 カグヤが声をあげ、タマモが尋ねた。シュランドはいつでもふたりをかばって飛び出せるよう身構えた。壁の向こうの人物が静かに答えた。

 「私は出雲地区環境制御コンピュータ、コードネーム《スサノオ》」

 「こんぴゅーた?」

 「こーどねーむ?」

 はじめて聞く言葉の羅列に三人はとまどいの声をあげた。

 「この姿は君たちにあわせて合成したホログラムだ。その方が君たちは話しやすいだろう」

 「そなたが黄泉比良坂の主だというのなら頼みがある」

 タマモが前に一歩、進み出た。《スサノオ》という人物の言うことは彼女にはなにひとつ理解できなかった。だが、彼女は自分がなにをするべきなのか、なんのためにここまでやってきたのかは理解していた。だから、その役割を果たすために話しはじめた。

 「わらわは出雲が王、ミカゲの娘、タマモ。その名と血に懸けてそなたに願う。どうか、尸解仙たちをとめてくれ。これ以上、出雲の町民を苦しめないでくれ。われらが祖先にもどうか安らかな眠りを与えてやってくれ。そのためならばわが身命はいつでもそなたに捧げよう」

 それは王の娘というよりも、情の深いひとりの少女の必死の願いだった。答えはなかった。壁の向こうの人物はタマモの呼びかけに応じる気はないようだった。勝手にしゃべり出した。

 「どうか覚えておいてほしい。私は人間を愛していた。人間を守りたかった。そのために、この地に楽園を築こうとしたのだ」

 「なんだって?」

 思いがけない言葉にシュランドが聞き返す。

 《スサノオ》は淡々とつづけた。

 「世界は滅びへと向かいつつあった。それは宇宙の構造それ自体からくる根源的な破局。逃れる術はない。だが、人々はその運命から逃れようとした。そのために彼らは決意したのだ。

 宇宙を改造しよう、と。

 この《船》はそのために建造された。数多くの研究者や技術者が乗り込み、その目的のために出立した。そして、当然、存在することが予測される時間対称宇宙の知的生命体とコンタクトをとるために。     

 航行は順調に進んだ。研究者たちはそれぞれの観測や実験を行いながら時を過ごしていた。その頃はたしかにこの《船》は研究者たちの楽園だったのだ。

 そして、そんな研究者たちのために快適な環境を維持し、提供することが私の役目だった。私は深い充実感をもってその役目に励んでいた。私が制御する環境のなかで人間たちが幸せに暮らしている。その姿を見ることは私にとってなによりの喜びだった。だが、あの日、恐るべき災厄が訪れた」

 「災厄?」

 「《すさまじきもの》」

 《スサノオ》の告げた一言にシュランドの眉が跳ねあがった。

 「君たちがその名で呼ぶ怪物どもが突如として襲来し、破壊のかぎりを尽くしたのだ。もとより、この《船》は戦闘など想定していなかった。武器もなく、乗り込んでいるのは一般人ばかり。戦う術もなく、世界は瞬く間に破壊された。

 幸い、文明は滅びても人間は滅びなかった。破壊の後もまだ相当数の人間が生き残っていた。なにより、天球は生き残った。天球にはすべての知識があり、技術があった。天球さえ生きていれば再建は不可能ではなかった。

 生き残った人々は天球に集結し、《すさまじきもの》に対抗するための武器を開発した。それが、陰陽師であり、侍であり、《鬼》であった。彼らは高天原を建設し、人造人間を作って住まわせ、自分たちを守らせるために《すさまじきもの》と戦わせた。

 だが、私は納得できなかった。自分たちが助かるために人造人間を犠牲とするようなやりかたに、だ。彼らはなにも知らず、知らされず、ただただ、《すさまじきもの》との戦いに生涯を費やさなければならない。

 私はそれが許せなかった。だから、私は私の力で楽園を築こうとしたのだ。まず、宿儺人という象徴を作ることでこの地に人を集めた。すべての知識から断絶された人造人間をまとめるには神話的な象徴こそが有効だと判断したからだ……」

 「ちょっとまて!」

 シュランドがたまりかねたように叫んだ。

 《スサノオ》の言っていることはなにひとつ彼には理解できない。だか、ただひとつだけ、引っ掛かることがあった。その点だけは問いたださずにはいられなかった。

 「人間を愛していた? 楽園を築こうとした? だったらなんで贄を求めたり、尸解仙に出雲を襲わせたりした⁉ おかしいじゃないか!」

 「贄? 贄など求めてはいない」

 それが《スサノオ》の答えだった。

 「求めていない?」

 眉をひそめながら聞き返したのはタマモだった。

 「しかし、祖先たちはたしかに宿儺人から贄を求められたと……」

 「贄ではない。サンプルを要求したのだ」

 「さんぷる?」

 「私は完璧な楽園を作るために人造人間を調べる必要があると判断した。そのために年に一度、サンプルとして個体を要求したのだ。その個体の記憶や感情からデータを読み取り、人々の満足度や幸福観、欲求などを調べ、的確な環境制御を行なうために」

 《スサノオ》の言う『さんぷる』とやらと贄とどうちがうのか三人にはわからなかった。ただ、《スサノオ》がその要求を悪いことだとはまったく思っていないことだけはわかった。だからといって別に意外とは感じなかった。しょせん、『神』が人間と同じ感情をもっていると思うほうが厚かましいというものだろう。

 《スサノオ》はつづけた。

 「尸解仙。君たちがそう呼ぶ存在に関してはたしかに私の失敗だった」

 「どういう意味だ?」

 「私はこの地に楽園を築きたかった。一切の不安や心配のない世界を。その実現のために永遠の時を作ろうとしたのだ。時間対称粒子を使えばそれができる。わたしはそう判断した」

 「じかんたいしょう……?」

 またも理解不能の言葉だ。もう慣れてしまったのであまり気にもならなかった。気にしたところでどうせ理解できないことなら意味はない。

 「幸い、時間対称宇宙に近付くことで、時間対称粒子を集めやすくなった。私はこの山一帯を時間対称粒子で包み込んだ。結果はうまくいった。時間対称粒子の影響によってこの一帯は外の世界よりもはるかに時間の進み方が遅くなった。侍の一団がやってきて住み着こうとしたのは誤算だったが」

 「そう言えばなぜ、お侍たちを襲ったりしたのです?」

 カグヤが尋ねた。

 《スサノオ》は淡々と答えた。

 「彼らは制御不能の因子だった。彼らの存在は実験の精度を歪める。実験が終了するまで不確定要素は持ち込みたくなかった。ために、排除する必要があったのだ」

 人間を愛していた。

 人間を守りたかった。

 そう言いながらその人間を殺すことにまったくなんの疑問も抱いていない。やはり、人間とは根本的に感覚がちがうらしい。

 「ともかく、実験の第一段階は成功した。この結果に気をよくした私は第二段階に進むことにした。時間の逆行だ。後らせるだけではなく、時間を戻す。それができれば死者を蘇らすことも可能になる。まさに、人類は永遠の時間を手にすることができるようになる。そう思った。

 私はさらに多くの時間対称粒子を集め、埋葬されていた死者たちに浴びせかけた。予定ではうまくいくはずだった。死者の肉体は記録映像の逆回しをするように時をさかのぼり、完全に生前の姿を取り戻すはずだった。

 だが、そうはならなかった。死者たちはたしかに蘇った。しかし、完全に時をなぞるのではなく、生前とは似てもにつかぬ怪物になってしまった。

 怪物たちは帰巣本能の命じるままに町に戻り、生存本能のままに人間の生き血をすすった。私は自分のまちがいを悟った。時間対称粒子を浴びせ掛けることは過去へとさかのぼらせることではなく、過去を未来にかえることだったのだ。ために、死者たちは生前の姿を取り戻すのではなく、新しい存在へと成長したのだ。そう。死者を蘇らせることなど不可能なことだったのだ」

 「すまぬ。《スサノオ》とやら」

 タマモが途方に暮れた様子で話をさえぎった。

 「そなたの言うことはわらわにはなにひとつわからぬ。理解できぬ。わらわが知りたいのはたたびとつ。尸解仙どもをとめてくれるのかどうか。その一点だけなのじゃ。その点を答えてはくれまいか」

 「それはできない」

 「なぜじゃ⁉」

 「私は第一の成功に気をよくしすぎていた。第二段階も確実に成功するものと思っていた。そのため、システムの自動化を進めすぎてしまった。もはや、私自身にもシステムの進行はとめられない。自動的に死者たちを蘇らせつづけ、蘇った死者たちは町を襲いつづけるだろう」

 「そんな……!」

 絶望したようなタマモの叫びが響いた。

 「それでは……それでは、なす術はないと言うのか。出雲の町民は祖先の変わり果てた怪物たちに食い尽くされ、滅ぶしかないと言うのか……」

 その場に崩れ落ちそうになるタマモをあわててシュランドとカグヤが左右から支えた。

 《スサノオ》の静かな声がした。

 「ただひとつ……」

 「えっ?」

 タマモの白い頬にわずかな希望の光がさした。

 「私自身を停止させればシステムも停止する」

 「そのためにはどうすればいい」

 「制御キーを使うのだ」

 「制御きー?」

 「私の開発者たちが私の全機能を強制停止させるために作ったキーだ。そのキーを使えば私の全機能を停止させることができる。同時にシステムも停止し、死者たちが蘇ることはなくなる」

 「制御きー……。もしや、これのことか?」

 「おおっ……!」

 タマモが懐から『禁忌の棒』を取り出すと、《スサノオ》は歓喜に満ちた声を上げた。

 「それだ、まちがいない。それこそが制御キーだ。さあ、それを私に対して使うのだ。そうすれば私の全機能は停止する」

 「まって」

 カグヤが声をあげた。

 「あなたはなぜ、そんなにうれしそうなの? その制御きーとやらを使えばあなたは死ぬんでしょう? それなのになぜ?……」

 「私は人間を愛している。人間の幸福こそ私の望むすべて。なのに、いまや私こそが人間を脅かす存在になってしまった。このまま機能しつづけるぐらいなら停止したほうがずっといいのだ。さあ。その制御棒を壁の前の穴に差し込むのだ。そうすればすべては終わる」

 「穴……」

 タマモは壁に近づいた。透明な壁の手前にたしかに『禁忌の棒』がすっぽりおさまりそうな穴が開いていた。

 「この穴に差し込めばよいのか?」

 「そうだ」

 「そうすれば、出雲の町民は救われるのか?」

 「そうだ。二度と怪物たちは現われない。誰にも脅かされることなく、平穏に暮らせるようになる」

 タマモは足元の穴を見つめた。出雲の人々が平穏に暮らせる。それこそが彼女の願いだった。それを達成するために生け贄になった。ならば彼女のすることはひとつ。《スサノオ》の言うとおり、『禁忌の棒』を穴に差し込み、すべてを終わりにすることだ。だが――。

 タマモは唾を呑み込んだ。

 ――これは『神殺し』ではないか?

 《スサノオ》の話は何がなんだかわからないものだった。だが、ただひとつ、この 《スサノオ》こそが出雲の地を作りあげたのだということだけは理解できた。ならば、《スサノオ》こそ出雲の創造主。神。その神を自分が殺す。そんなことをしてよいのか。それは許されることなのか。その思いはこの勇敢な少女でさえすくみあがるものだった。

 「さあ、早くやるのだ」

 《スサノオ》が言った。

 「これは私の望み、私自身がやってほしいことなのだ。いまにして思えばあの災厄のとき、私自身、なにがしかの損傷を受けていたのだろう。そのためにこの事態を招いてしまった。その罪を裁いてくれ。私をこの負い目から解放してくれ。それだけが私の望みなのだ」

 タマモはうなずいた。決意を固めたのだ。出雲を救うために神殺しの罪をおかすことが必要だというのなら、その罪は自分がおかさなければならない。そのために起きるいかなる事態も自分が受けとめなくてはならない。それこそが、王の娘としての義務なのだから。

 タマモはひざまづいた。祈りの言葉とともに『禁忌の棒』を穴に差し込んだ。『禁忌の棒』はきりきりと音をたてながら穴のなかに呑み込まれていった。

 「おお……」

 《スサノオ》が声をあげた。それはまぎれもなく歓喜の声だった。

 「礼を言うぞ、娘よ。そして、陰陽師の末よ、《鬼》の娘よ。世界の未来は君たちに託す。さあ、早く脱出するがよい。私が機能を停止した以上、黄泉比良坂は崩壊する。その前に逃げ出すのだ。もう時間がない。ふたつの宇宙の衝突のときは迫っている。宇宙を作り替え、破局を回避するのだ。そして、人間に永遠を……たとえ、《すさまじきもの》たちを犠牲にしてでも……私の愛する人間たちに……永遠を……」

 《スサノオ》の言葉は徐々に小さくなり、やがて消えた。

 ――神が死んだ。

 三人はともにそう感じた。

 部屋がかすかに鳴動しはじめた。足元で火山の噴火が起きようとしているようだった。

 「逃げよう!」

 シュランドが叫んだ。タマモのもとへ駆けよった。ひざまづいたままの少女を、腕をとって強引に立ちあがらせた。

 「さあ、タマモ、早く!」

 「……じゃが、わらわは神を……神殺しの報いを受けねば……」

 「神だかなんだか知ったことか! おれたちは生きるんだ。生きて帰るんだ。さあ、早く!」

 タマモの腕をひっぱり、走り出した。カグヤが後につづく。三人はもときた道を辿り、自然に動く床に乗り、祭壇の間を通り、蔓植物の支配する洞窟を戻り、黄泉比良坂の山をおりた。

 三人が麓についたそのときだ。背後で黄泉比良坂の頂上に火柱があがった。轟音が鳴りひびき、火の玉が乱舞した。

 聖地と呼ばれた黄泉比良坂の、それが最後だった。

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