第二部

《スサノオ》(1)

 「うわあっ」

 眼下に見下ろす広大な町を見て、シュランドは感嘆の声をあげた。

 いま立っている小高い丘をくだった先にある見晴らすかぎりの平原。向こうの山から大きな川が流れ、川によりそうように建つきらびやかな町。高い塀に囲まれた敷地はシュランドのいた村の百倍はありそう。町のなかは碁盤の目のような広い道が縦横に走り、五階も六階もあるような高い建物がずらりと並んでいる。人通りも多く、車を引く人、荷を運ぶ人、道端で商いをする人などが大勢いる。ここからでも商人の掛け声が聞こえてきそうな気がするほどだった。

 「大きな町だなあ。高天原以外にもこんな大きな町があるなんて知らなかったよ。なんて町だろう?」

 「わからないわ。わたしもここにきたのははじめてだから」

 シュランドの問いにカグヤは首を振った。その問いに答えたのは彼女ではなく、野太い男の声だった。

 「出雲いずもだよ」

 「えっ?」

 いきなりの声にシュランドとカグヤは声のしたほうを振り向いた。

 すぐそばに草むらをむしろにひとりの男が胡坐をかいて座っていた。大きな男だった。歳の頃は三十代前半か。身長は七尺ほど。獣の皮をなめして作ったズボンをはき、裸の上半身に大太刀を背負っている。腕の筋肉は巌のように盛り上がり、太股などはそこだけでカグヤの胴体よりも太く、重そうだった。たくましさの化身のような厚い胸板は、思わず石を投げつけて遊びたくなるぐらい頑健だった。

 ――なんで、声をかけられるまでこんな大きな人がいることに気がつかなかったんだ?

 シュランドは不思議に思った。これほどの大男、目に入らないほうがおかしい。まして、生粋の狩人である自分が気配すら感じとれなかったなんて。それだけでただものでないことがはっきりとわかる。

 男はシュランドの疑念などおかまいなしだった。豊かな声量で滔々と語りだした。

 「こここそは偉大なる出雲の地。百年ばかり前までこの辺りは小さな村が林立し、いさかいが耐えなかった。出雲もまた他より少しばかり大きな村のひとつに過ぎなかった。

 争いが尽きぬことを憂えた出雲の時の領主カンバヤとその息子、『若き武神』とまで呼ばれたヤチホコが周辺の村々を従え、ひとつにした。そして、出雲は国となった。そのとき作られたのが眼下に広がるあの町よ」

 男は町を見下ろし、巨木のような腕を広げて先人たちの業績を讃えた。百年も前のことを我が事のように自慢するその態度にシュランドもカグヤも不思議な違和感を感じた。

 「ところで……」

 男がふたりを振り返った。

 「お前さんたちは旅のものかな?」

 「ええ」

 「この町に用があるのかね?」

 「いえ、おれたちは日向の地をめざしているんです」

 「日向? 日向といえばここよりはるか南の地。ずいぶん遠くまで行くのだな」

 「いろいろ事情があるもので」

 「ふむ。まあよい。この地に用がないというならそれにこしたことはない。早々に立ち去るがいい」

 「それは……」

 どういう意味です?

 と、シュランドは尋ねようとした。その寸前、男が立ちあがった。岩のような巨体が風に乗ったタンポポの綿毛のように静かに、ゆっくりと動き出し、目の前の空間に溶け込むように立ち去っていった。その動作はあまりにも自然でなめらかだったので、シュランドもカグヤも声をかけることもできず、呆気にとられて眺めているしかできなかった。

 ようやくシュランドが我に返り、引きとめようと腕をのばした。そのときにはもう男の姿はふたりの視界から完全に消えていた。シュランドは手品を見せられたときのような気分になり、目をぱちくりさせた。

 「なんだ、あれ?」

 シュランドは思わず呟いた。

 「さあ……」

 カグヤは首をかしげた。彼女としてもそう答えるしかない。

 「お侍みたいだったけど……」と、カグヤ。

 侍とは陰陽師とならび人々を守る使命をもつ特殊な人種である。その身体能力は人間をはるかにしのぎ、戦士として桁違いの力を発揮する。

 「なんだか、この町に近よらせたくないみたいだったわね」

 「なにかあるのかな? 見たところ、平和な町みたいだけど」

 「わからないけど……。どちらにしても、わたしはこの町にはよれないわ。こんな大きな町に《すさまじきもの》が現れたら大変だもの」

 「そうだな。第一、おれたちの目的地は日向だ。さっさと向かうとしよう」

 シュランドはそう言って歩きだした。こんな大きな町を素通りするのは残念な気もするが、自分たちには縁のない場所だ。そう思って歩を早めた。ところが……、

 突然のことだった。突然、空気を裂いて稲妻のような音が鳴り響いた。あまりの大きさ、激しさに、シュランドもカグヤも飛びあがって驚いた。

 何事かと視線をめぐらす。音は町から出ていた。防壁に築かれた物見櫓の上で兵士たちがラッパを吹き鳴らし、大きな銅鑼を力のかぎりに叩いていたのだ。

 まわりはとたんに大騒ぎになった。人々がその表情を恐怖に引きつらせ、悲鳴をあげながら我れ先にと防壁に殺到し、門をくぐって町中に入ろうとする。あわてたせいで転んだ人間がいたが、助け起こそうとするどころか、かまっていられるかとばかりに踏みつけて進む始末。その有様はシュランドに十年前の『あの日』のことを思い出させた。

 ――ここまで人が怯えるなんて……。

 シュランドは不吉な予感にとらわれた。

 「あれを見て!」

 カグヤが指を差して叫んだ。

 町のすぐそばを流れる川の上流。その方向から異形の一団が町に迫りつつあった。

 それは人の姿していた。しかし、それは断じて人間ではなかった。こんな人間がいるはずがなかった。いや、いていいはずがなかった。

 胴体の上に頭がひとつ、腕と脚が二本ずつ突き出している。そこまではたしかに人間の姿だ。しかし、他はまったくちがう。肌は千年も経た古紙のように黄ばみ、乾ききり、ぼろぼろになっている。目は虚ろなくぽみのようでどんな意志も、知性も、生命力さえ感じさせない。どんな下等な動物だってこれほどまでに虚ろな目はしていない。それでいて筋肉は異様に発達していて体だけ見ていれば岩が動いているのかと見まちがうほど。

 虚ろな目とぽっかりと開いた口。なにかを訴えるかのように両腕を伸ばし、あえぐような表情を浮かべている。見ているだけで心の底が冷えきり、嫌悪感が込み上げてくる。幼い頃から狩人として血と臓物にまみれて生きてきたシュランドにして、思わず吐き気を覚えるほどおぞましい姿だった。

 シュランドの横ではカグヤも美しい顔を歪めて口もとを押さえ、目をそらしている。なまじ人と同じ姿をしているだけにその姿はなおさらおぞましい。それは『人間』という存在それ自体を冒涜する『なにか』だった。そして、それでもなお――。

 人間だった。

 川に舟を浮かべて漁をしていたせいで逃げ遅れ、異形の人間たちに捕まった漁師の一団がいた。異形の人間たちは漁師に近づき、その太い腕でしっかりと捕まえた。漁師たちは悲鳴をあげた。手足を振りまわした。しかし、屈強な漁師たちがいくら暴れても異形の人間たちはびくともしなかった。あるいは頭、あるいは肩をつかみ、じりじりと引きよせ、首もとに食らいつく。

 「血を吸ってる!」

 信じられない光景にシュランドは叫び声をあげた。生きて動いている人間が黄ばんだ古紙のような皮膚をもつ異形の人間に捕まり、生きたまま血を吸われている。その悪夢めいた有様をどう理解していいかわからず、茫然とその場に立ち尽くしていた。カグヤもまた、この冷静な少女らしくもなく、両手を口に当て、大きく目を見開いてその光景に見入っている。

 時がとまったようだった。風でさえ、吹くのをやめた。小鳥たちのさえずりもいまはどこにもない。ただ、血を吸われ、屍となっていく人間の姿だけがゆっくりと動いている。

 沈黙を破ったのはこの場には似つかわしくない、かわいいとさえ言える高い声だった。 「おのれえっ、このかいせんども!」

 町の守備兵だろう。武士の一団が太刀を手に城門から飛び出してきた。その先頭に立つ一際きらびやかな甲冑に身を包んだ、しかし、ひどく小柄な武士。それが先ほどの声の主だった。

 その武士を先頭に守備兵たちは尸解仙と呼んだ異形の人間たちの群れに突撃していった。しかし、数がちがいすぎる。尸解仙たちは優に二~三百人はいる。それにひきかえ、守備兵の一団は百人にも満たない。それを見てシュランドは『逃げるわけにはいかない』と思った。

 小柄な武士は漁師を捕まえている尸解仙に斬りかかった。狙いはあやまたず、その太刀は尸解仙の首筋に打ち込まれた。肉が裂け、血がしぶいた。それだけだった。尸解仙と呼ばれた異形の人間たちは痛みなど感じないらしく首の中程まで食い込んだ刃を気にする風でさえなかった。

 尸解仙は虚ろな風洞のような目を武士に向けた。首に食い込んだ太刀を指でつまむと、肌につく虫でも払うかのように軽々とのけた。血を吸い尽くした漁師を放り出し、武士に向かって腕を延ばした。

 武士は逃げなかった。太刀を振りあげ、尸解仙の顔面に大上段から斬りおろした。岩でも両断できそうな勢い。神技の域に達した名人の描いた水墨画のように美しい太刀筋。氷のように白く光る刃が尸解仙の顔面に食い込み、頭部を両断した。しかし――。

 やはり、それだけだった。尸解仙は両断された頭部を左右に開き、ぶらぶらと揺らしたながら武士につめよった。

 黄ばんだ古紙のようでありながら、どんな屈強な人間でも赤子に見えるような筋肉の甲に包まれた腕が武士の肩をつかんだ。

 武士はあがいた。なんとか逃れようとした。切っ先で突いた。足で蹴りつけた。なんの効果もない。尸解仙は武士の首もとに口をよせようとした……が、その頭部はすでに両断され、左右に開き、本来の位置に口はない。武士の首筋に食いつこうとしても傷口をすりつけるばかり。だが、尸解仙はそのことにも気づかない様子でひたすら血を吸おうとしている。

 そこへ、他の尸解仙たちがやってきた。新しい獲物を横取りしようというのだ。他の武士たちが小柄な武士を救おうと突撃した。その武士たちには他の尸解仙が襲いかかった。

 他の武士たちはさすがに小柄な武士とはちがい、膂力に長けていた。太刀のかわりに貫通力のある槍や破壊力に富んだ斧を振るい、尸解仙たちの肉体を斬るのではなく、破壊していく。だが、尸解仙たちに『痛み』という概念は無縁のようだ。頭を砕かれ、腕を落とされ、腹を貫かれても、それでもなお、新たな血を求めて武士たちにつめよっていく。そして、一度捕まえてしまえばその握力、腕力は屈強な武士たちでさえ振りほどけないものだった。

 武士たちは明らかに不利だった。一対一でも手に余すというのに尸解仙の数は兵士よりずっと多いのだ。

 シュランドは全力で突進すると小柄な武士を捕まえている尸解仙に体ごと突撃した。その勢いにさしもの筋肉の化物もよろめいた。武士をつかむ腕がかすかにゆるんだ。

 シュランドはその隙を逃さなかった。地面を蹴って方向をかえると、今度は力一杯、小柄な武士にぶつかった。その勢いを使ってもぎとるようにして武士の体を尸解仙から引きはがした。

 シュランドと武士はそろって地面に倒れ込んだ。その勢いで武士の兜が転げ落ちた。若々しい顔があらわになった。シュランドは叫んだ。

 「女の子⁉」

 髪は短く調え、大きな目には強い意志の光が満ちている。表情はあくまでも凛々しく、ちょっと見には美しい少年に思えそうな顔立ち。しかし、ほそやかな顎、やわらかな顔の線は明らかに少女のものだった。たおやかな風情のカグヤとはまったく対照的な雰囲気をもつ、しかし、美しい同世代の女の子だった。

 こんな若い女の子が甲兜に身を包み、太刀を振るっている。

 あまりに意外なことにシュランドは茫然として立ちすくんだ。そこに背後から尸解仙が迫りつつあった。

 「危ない、シュランド!」

 カグヤの叫びがシュランドを我に返した。足が地面を蹴り、尸解仙の膝めがけて突撃する。尸解仙は力はあっても動きそのものは決して速くはない。崖を駈けおりる野兎のように俊敏なシュランドの動きに反応できず、膝に突撃を受け前のめった。少女武士はその機を逃さなかった。

 「もらった!」

 叫びとともに起き上がり、太刀を振るう。驚くべき正確さだった。少女の振るった太刀は最初の一撃でつけた首の傷口にたたき込まれ、今度こそその首を跳ね飛ばした。

 不死身と思えた尸解仙にも限界はあった。首を跳ねられた尸解仙は数歩前に進むと、ゆっくりとくずおれ、音をたてて倒れ込んだ。そして、それきり動かなかった。

 その頃には戦いは終わっていた。さしもの尸解仙の集団も武士たちの死に物狂いの奮闘の前に全滅していた。だが、勝利とは言えないだろう。武士たちもまたそのほとんどがこときれ、屍を野にさらしていたのだから。

 やがて町のなかから人々が現れ、武士たちの死体を町中に運び、尸解仙の死体を川に投げ込みはじめた。その表情はいずれも恐怖と不安と疲れと、そして、やりきれなさに満ちていた。そんな人々の様子にシュランドもまた、やりきれない思いにさせされた。

 シュランドとカグヤの前に少女武士が立った。大きく凛々しい目で見つめられ、シュランドはこんなときにもかかわらず頬を赤く染め、うつむいてしまった。

 少女武士がシュランドに話しかけた。上位から話しかけることに慣れた口調だった。

 「そなたはシュランドどのと言うのか?」

 「あ、ああ、おれはシュランド。彼女はカグヤ」

 「旅のものか?」

 「ああ」

 「そうか。せっかくの客人にとんでもない思いをさせてしまったな。すまぬ。そして、心より礼を言う。シュランドどの、カグヤどの、そなたらのおかげで助かった。ありがとう」

 少女の態度と口調はこの年ごろの女の子には似つかわしくない堅苦しさに包まれていた。そのことを不思議に思いながら、シュランドは尋ねずにいられなかった。

 「あ、あのう……なんでその、君みたいな若い女の子が戦いの場に……?」

 「それが、わらわの義務じゃからの」

 「義務?」

 少女武士は誇り高い態度でうなずいた。

 「わらわの名はタマモ。出雲の王ミカゲの娘じゃ」

 「王さまの娘⁉」

 「出雲のお姫さま⁉」

 シュランドとカグヤは驚いて同時に声をあげた。

 「そ、そんな……お姫さまがなんであんな危険なこと……」

 「姫なればこそじゃ。王族たるもの、その身命は民のために使わねばならぬ。民や武士を危険にさらしながら自分だけのうのうと隠れているわけにはゆかぬ」

 「でも、女の子なのに……」

 シュランドは小さく呟いた。

 タマモの心意気は立派だが、それは男のすることだとシュランドは信じている。戦場に出て太刀を振るい、人々を守るのは男の役目だ。女性、ましてこんな若い女の子がする必要なんてないのに。

 そう思うのだ。

 それなのに、ミカゲとかいう王さまはこんな若い娘を戦場に出すなんてなにを考えているのだろう。いや、そもそも、自分こそが出てくるべきではないか。それを自分は宮殿の奥深くに引っ込んでいて娘に戦わせるなんて。なんてひどいやつだ。男の風上にもおけない。一言、文句を言ってやりたい……。

 シュランドが内心で義憤を燃え立たせていると、死体を片付けていた武士のひとりが遠慮がちにタマモに近づいてきた。

 「……姫さま」

 「どうした?」

 「そのう……」

 武士はひどく言いづらそうだ。『これで察してくれ』とばかりに視線を地面に送る。そこには尸解仙の死体があった。女だ。よくよく見れば顔立ちもそこそこわかる。

 タマモはその尸解仙をじっと見つめていた。表情どころか、眉ひとつ動かさなかったが、握りしめられた両手が小刻みに震えていることにカグヤだけは気がついた。

 「……より不憫じゃな。このような姿になっても面影が残っていようとは」

 「姫……」

 「かまわぬ。他の尸解仙と同じく川に投げ込め」

 「ですが、この方は……!」

 「たわけ! 皆、同じ思いをしておるのじゃ。姫たるわらわが特別扱いなどできるか!」

 タマモに一喝され、武士は身をすくめた。ふいに、タマモの表情と口調が沈痛なものにかわった。

 「それに……このような変わり果てた姿を父上にお見せするには忍びない」

 「はっ……」

 タマモの思いは武士にも伝わったらしい。そのまま巌のような巨体を引きずっていき、川に投げ込んだ。その様子を見守るタマモの姿は、底知れない悲しみとさびしさを必死に耐えているのがよくわかった。

 「あの……まさかとは思うけど、あの怪物を知ってるのか?」

 そんなはずはないと思いながら、シュランドは尋ねた。タマモはうなずいた。

 「わが母じゃ」

 「なに⁉」

 「五年前に亡くなった、わが母上なのじゃ」

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