第19話 眠れる女王と不吉な予感

「どうした?」ペンドラゴン卿が不安げに彼女を見つめた。「火傷したのか?」




「い、いえ。こんなシミのついた手袋をつけていくのと、素手のまま謁見するのでは、どちらがマシかと思っただけ」




「素手がいいだろう。舞踏会に行くわけじゃないんだ。それに、君の手はとても綺麗だからね」




「ありがとう」




彼女はどうにか誤魔化したが、頭の中は激しく混乱していた。




どういうことなのか。


彼女の命を狙ったバネ足ジャックことアバドーン公カルロマン・フィッツジェラルドは既にペンドラゴン卿の手で捕縛されている。


なのに、死の運命が消えていない。




女王付きの従者が部屋に入ってきて、謁見の準備が整ったと知らせた。




モリーは促されるままに、ペンドラゴン卿にくっついて足を動かした。廊下に出て、階段をあがり、突き当たりの扉を抜ける。そこが、女王の私室だった。




本来ならば、大ロイグリア帝国の女王の部屋に入ったのだから、緊張もピークに達するはずだが、モリーは予知に気を取られてそれどころではなかった。ぼんやりとした頭のまま、周りを眺める。




部屋はこぢんまりとしていた。モントゴメリー屋敷の朝食室程度か。暖炉の上に小さな肖像画がいくつも並んでいる。女王の親戚たちだろう。双子の男の子は、ペンドラゴン卿と弟のウーゼル大佐のようだ。




家具は飾り気のない執務机と椅子、それに安宿にでもありそうな質素な木枠のベッドがひとつきり。




そこに、ロイグリア帝国第六十三代女王ソフィア・オーガスタ・ザールフィールドが眠っていた。麻の寝巻きに身を包んだ彼女を見て、予知に気を取られていたモリーも思わず目をむいた。




ソフィア女王の年齢は少なくとも八十歳は超えていたはずだ。だが、目の前の女性はどうみても四十半ばほどだった。どこかペンドラゴン卿に似た容貌で、長い髪は窓から差し込む日光を受けて白金に輝いている。




モリーは小声でつぶやいた。


「ねえ、ほんとうにこの方がソフィア陛下なの?」




マークが微笑んだ。


「ああ、間違いないよ。この人がぼくの大叔母、帝国の現女王だ」




「でも、その、ずいぶんとお若くない?」




「不思議だよな。叔母の恩寵は〝繁栄〟であり、帝国全体を良い方向に導く力といわれている。〝不老〟や〝長寿〟ではないはずなんだが、この通り老化が遅いんだ。円卓貴族のお偉方が正式な代替わりを決断できない理由もここにある。代理のヴィクトリアも〝繁栄〟の恩寵を持っているし、立派に帝国を運営してはいるが、彼らいわく大叔母の方が判断がより的確だったらしい。だから、彼らは大叔母が目を覚まし、以前のような政務を行う希望を捨てきれないのさ」




そのとき、女王の口元が動いた。


艶のある声がいう。


「ああ、なんて美しいの」




「え?」と、モリー。まさか女王陛下がわたしを褒めたの?




だが、女王は目を閉じたまま、さらに言葉を紡いだ。


「まるで暗闇に浮かぶ青い宝石だわ。あの小さな島が我がブリテン島だなんて、信じられない」




なに? 女王陛下は何をおっしゃってるの?




ペンドラゴン卿が笑った。


「気にしなくていい。寝言だよ。大叔母はどんな夢を見ているのか知らないが、いつもの訳の分からない寝言をいうんだ」




「そうなの?」


モリーは相槌を打ちながら、左手の小指を掌に押し付けた。




今度は虚無ではなく、どこかの屋敷の庭園が見えた。未来の彼女の隣にはペンドラゴン卿が立っていた。表情は見えない。笑っているのか、怒っているのか、肩が小刻みに震えている。




それから、また虚無が取って代わった。




モリーは唇を噛んだ。




二つのビジョンが見えたということは、彼女は二つの未来の分岐点に近づいているということだ。




卿が女王の肩をゆすった。


「叔母さん? ぼくです。マークです。起きてくれませんか? 結婚したい女性を連れてきたんです」




だが、女王は相変わらず眠りこけている。




卿が肩を落とした。


「目を覚ますはずがないとはわかってはいたんだが」




彼が振り返っていう。


「眠ってはいるが、一言挨拶してくれないか?」




「え、ええ」




モリーは一歩前に出た。




女王は胸元で手を組んで、気持ちよさそうに目を閉じている。寝息がすぴすぴと聞こえた。




モリーは女王の手にそっと自分の右手を重ねた。


「はじめまして陛下、わたくしジョナサン・モントゴメリー男爵が長女メアリーと申します」




女王の寝息が一瞬止まったように感じられた。




ペンドラゴン卿が彼女の手に、自分の手を重ねた。


「ぼくは彼女と結婚するつもりなんだ」




しばらくの沈黙の後、ペンドラゴン卿が身を離した。


「きっと、伝わったよ。さあ、次はヴィクトリアだ。こっちの方がたいへんだぞ。なにしろ、彼女は起きている」




モリーは女王から離れると、ペンドラゴン卿に続いて女王の部屋を出た。


左手の小指を掌に押し付けると、虚無はまだ居座っていた。

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