第12話 竜と百合と結婚レース

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翌日の朝刊は、どこもイーストエンドの爆発事件一色だった。




「深夜の惨劇!廃倉庫で謎の大爆発」


「集合住宅三棟が延焼」


「奇跡的にも死者ゼロか」


「浮浪児たちの抗争が原因?」


「何者かが強力な恩寵を使用」


「軍用の科学爆弾が炸裂?」




モントゴメリー家の人々は、執事が買い集めてきた主要な新聞を互いに奪い合うようにして読み漁った。




爆発の原因については、恩寵と見る新聞社もあれば、爆弾の類と見るところもある。




モリーの双子の妹、シーナとイブリンが「「まあ、見てお母さま!本当の犯人は印度独立運動の過激派ですって!」」と声を揃えて叫ぶ。




モントゴメリー夫人が、双子に近づき、横から紙面を見て「んまあっ!あなた!モリー!ご覧になって!」という。




モントゴメリー氏はキセルをくゆらせながら「三人とも落ち着きなさい。それは程度の低いゴシップ紙だよ。そんなところが、他社に先駆けて真実を突き止めたって?」




「あなた!これは社交界の情報をとても細かに伝えてくれる、信頼のおける新聞ですわ!」夫人が憤った。




「ああ、そうだな」


モントゴメリー氏はかぶりを振った。


モリーにだけ聞こえる大きさで「いやはや、家族の中で知性があるのはわたしとお前だけのようだな」と、ささやく。




「お父様」モリーはたしなめつつも、手元のザ・サウスロンドン紙から目を離せなかった。地元民の「バネ足ジャックを見た」という声を載せていたからだ。




彼女は居ても立っても居られなかった。




朝食が終わるとすぐに裏口から家を出た。




ーー正面から出ようとして母親に見つかったら、引き止められるのは確実だった。母親と双子は、バネ足の件だけでも震え上がっていた。そこに、植民地独立運動の過激派まで加わったのだ。三人の中では、いまやロンドンはアフガニスタンの戦場も同然だった。




モリーは乗合馬車を乗り継いでイーストエンドに向かった。




通りはいつも以上にごった返している。大量の野次馬に、警官や消防士、焼け出された人たちが押し合いへし合いしていた。空気は未だ焦げ臭い。




警官たちは赤白の規制線の張られた一角に集中していた、グウェンドリンら浮浪児たちのねぐらがある細道だ。




ああ、なんてこと。モリーは血の気が引いた。やっぱり、昨日の爆発はグウェンドリンがらみだったのだ。彼女は生きているのだろうか。記事には死者ゼロとあったが、そもそも浮浪児が役所の台帳に登録されているとは思えない。




彼女は人混みをかき分け、どうにか規制線の手前まで辿り着いたが、制服警官たちに邪魔されて先に進めない。




どうしたものかと辺りを見回すと、ちょうど規制線を潜ろうする、銀髪、銀縁眼鏡の男が目に入った。




「ちょっと!失礼します!シシリアンさん!」




彼女が駆け寄ると、ペンドラゴン卿の従者はぎょっとしたような顔になった。


「メアリー・モントゴメリー! あなた、なぜ、こんなところに?」




「それは、こちらのセリフですわ」




「わたしは能力犯罪捜査局の局員です。あなたも新聞を読んだなら、昨晩、ここで能力犯罪が発生したことはご存知でしょう? それで、あなたの方はどうしたわけで?」




「このあたりに友達が住んでいるので、安否を確認しにきたんです」




「イーストエンドに友達?」




「あら、人と人が友情を育むのに住所や身分は関係ありませんわ」




シシリアンがくすりと微笑んだ。


「その通りですね。よろしければ、わたしがあなたのお友達の安否を照会しましょう。何という名前なのですか?」




「ご親切にありがとう。友人の名はグウェンドリン・ハワードです」




シシリアンが手帳に万年筆を走らせる手を止めた。




「メアリーさん、あなたがグウェンドリン・ハワードの友人?」




「彼女をご存知なの?」




「彼女は東ロンドンでもっとも勢いのある犯罪組織の首領ですから。しかも、予知能力者ですから。彼女は我々の宿敵ともいうべき相手です。これまでは、後手を踏み続けてますが。なにしろ、彼女は未来が見えますから」




モリーはムッとした。


「お言葉ですけど、グウェンドリンは悪い子じゃありませんよ」




シシリアンが頷いた。


「わかります。じつをいいますと、わたしは密かに好感を持っています。彼女は福祉の網から漏れた子供たちを守っているのですからね。しかし、法は法。どのような理由であれ、犯罪者を見過ごすわけにはいきません」




「見過ごしてくださらないかしら」




「それは、マーク様にお伝えください」




シシリアンが制服警官に頷いて道を開けさせた。




「入れてくれるのですか?」と、モリー。




「マーク様に、あなたと会えるチャンスを潰したと知られたら、大目玉を食らいますからね」




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浮浪児たちが根城にしていた倉庫は、跡形もなかった。


外壁の一部を残し、崩れ去っている。石材、木材の残骸は真っ黒に焼けこげ、爆発から何時間も経っているのに、まだ熱を発していた。消防士たちが手押しポンプで、せっせと水をかけ続けている。




周辺の集合住宅の壁には、弾痕と思しき小さな穴が何百と空いていた。それに、巨大なカンナで石壁を削り取ったような傷、誰かの恩寵によるものだろうか。




消防士の間を、制服警官たちが走り回り、メモを書きつけ、証拠保全に努めている。




モリーはいった。


「これほどの被害なのに、死者は出なかったんですか?」




シシリアンが頷く。


「どうやら、グウェンドリンはあらかじめ周辺住民を避難させていたようです。未来を読んで、何が起こるかわかっていたんでしょうね」




「犯人はバネ足ジャックですか?」




「おそらく。ただ、浮浪児たちは何一つ話してくれないので確証はありません。グウェンドリンが箝口令を敷いたようです」




モリーはホッとした。ということは、グウェンドリンはまだ生きている。




さらに路地の奥に進むと、建物の間に布が張られていた。簡易の日除けらしい。その下に、警官たちが輪を作っていた。輪の中心にいるのは、ペンドラゴン卿と、見知らぬ大男、それにグウェンドリン含めた5、6人の浮浪児たちだ。




子供たちは地面に座り込み、手当を受けている。




医師や看護師たちが彼らの腕を消毒し、包帯を巻く横で、ライオンのような「たてがみ」を生やした大男がグウェンドリンに唾を飛ばして怒鳴っている。どうやら尋問しているらしいが、グウェンドリンは何も答える気がないようだ。




「シシリアン、なにをしてる?」ペンドラゴン卿が、二人に気づいて近づいてきた。「なぜ、メアリーさんがこんなところにいるんだ?」




シシリアンが手のひらでグウェンドリンを指した。


「彼女はグウェンドリン嬢のお友達だそうなのです。安否を確認しにきたと」




「友達? グウェンドリン・ハワードの?」




「ええ、それで、事情聴取のお役に立つのではと思いまして」




彼女はシシリアンを見つめた。


〝会えるチャンスをふいに〟などとよくいったものだ。


「わたしを使って、グウェンドリンから情報を引き出そうというのですか? いっておきますが、友人を売るような真似はしませんから」




「しかし、このままですと捜査が進みません。あなたやグウェンドリンさんの安全のためにも、ほんのわずかでもよいので、バネ足についての新しい情報が必要なのです」




ペンドラゴン卿が苦虫を噛み潰したような顔でいう。


「なぜ、こんなときにのこのこ外に出てくるんだ? 君自身も命を狙われていることを忘れたのか?」




卿がモリーの肩越しに誰かをにらんだ。


彼女が振り返ると、ちょうど通りの方から黒いコート姿の男が二人、息を切らせて駆け込んでくるところだった。モリーとペンドラゴン卿を見て、バツの悪い表情を浮かべている。




どうやらペンドラゴン卿の部下らしい。


でも、どうしてわたしにも視線を向けるの?




モリーはすぐに答えにたどり着いた。


「あなた、わたしを尾行させていたの?」




ペンドラゴン卿の顔がさらに渋くなった。


「君の安全のために、警護役を付けただけだ」




シシリアンが両の掌をあげた。


「まあまあ、メアリーさん、我が主の想いも汲んでください。愛しい相手の自ら守ることのできない立場ゆえ、泣く泣く部下を付けるしかなかったのです」




モリーは思わずドキリとした。


まさか。ペンドラゴン卿が?


あまりに意外な事実だが、不思議といやな気はしなかった。




「シシリアン! 誤解を招くようなことをいうな!」


ペンドラゴン卿は、そういったあと、あわてて付け足した。


「いえ、メアリーさん。わたしはあなたに女性としての魅力がないといっているわけではないのです。わたしには能力犯罪捜査局の局長として、市民守る義務があるといいたいのです」




「ええ、わかっていますわ」


モリーは、自分が思った以上に険のある口調になってしまったことに驚いた。




卿がため息をつく。


「とにかく、来てしまったものは仕方がない。シシリアン、すぐに彼女をご自宅まで送るんだ」




「いいえ、わたくしはグウェンドリンと話すまで帰りませんわ」


苛立っていたモリーは、ペンドラゴン卿の思い通りになってたまるものですか!という気分になっていた。




「さっきは話すのを嫌がっていたじゃないか」




シシリアンがペンドラゴン卿を抑えた。


「まあまあ。マーク様、それではわたしが少し段取りを組んで参りますので」




シシリアンが警官たちの中に入り、ライオンのような壮年の大男と少し話し、彼を連れてきた。




大男はモリーをじろりと見下ろしたあと、ペンドラゴン卿を見た。


「この娘なら、あの小娘から何があったか聞き出せると?」




ペンドラゴン卿が口をへの字に曲がる。


「いえ、わたしはこの件に彼女を巻き込むべきではないと思います」




大男が太い眉を動かす。


「おいおいマーク、いま大事なのは、聞き出せるのか、聞き出せないかだ。わしらの働きに帝国の威信、ロンドン市民の命がかかっとることを忘れるな」




モリーは素早く手を上げた。


「わたし、できますわ!」




ここでようやく、警官たちに囲まれていたグウェンドリンがモリーに気づいた。モリーは彼に小さく手を振った。




ライオンのような大男が頷く。


「うむ!なら、すぐに頼む」




シシリアンが手のひらで通りを指した。


「あちらに休憩所として居酒屋を一つ貸し切っております。メアリーさんのような立場の女性が、おおぜいの警官や新聞記者の前でグウェンドリンさんと話すのは問題がありますからね。二人きりになれるよう取り計らいましょう」




「おお、気が利くな」ライオン卿が頷く。




ペンドラゴン卿がモリーの横に立った。


「では、わたしも立ち合いましょう。相手は年若いとはいえ、犯罪組織の首領です。淑女に何かあってはたいへんですからね」




「ええ!? 結構ですわ。グウェンドリンはわたしを傷つけたりしませんから」




「そういう問題ではない。淑女を犯罪者と二人きりになどさせられないといっているのです」




「あら、わたしにはこれ以上下がるような評判なんてありませんわ。天下のペンドラゴン卿に水をかけるようなオールドミスですよ?」




「だから、そういう問題ではない!」




ペンドラゴン卿はてこでも折れなかった。




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イーストエンドの居酒屋は、質が悪いことで知られている。


出される酒は、アルコール度数が高いだけで味はテムズ川の水のようだし、料理は何でもかんでも油であげるしか能がない。しかも、その油が取り替えられるのは週に一度で、捨てる時にはドス黒い不気味な液体に変わっている。




「ネルソン」は、そんな安居酒屋の代表格だった。




ろくに掃除もしてないせいか、テーブルは脂でベタつき、床板には吐瀉物のシミがあちこちについている。壁には喧嘩でできただろう大穴があき、タール紙で補修されていた。




モリー、グウェンドリン、ペンドラゴン卿は、店のど真ん中のテーブルに着いていた。三人の前には、濁った水の入ったグラスが置かれている。




グウェンドリンは包帯だらけだった。目の下には大きなクマができている。昨晩からろくに寝ていないのだろう。彼女は態度の悪さを隠そうともせずに、ペンドラゴン卿を指差した。


「どうしてあなたがいるんですか? 駆けつけてくれた想い人との逢瀬を邪魔しないでいただけます?」




ペンドラゴン卿がモリーとグウェンドリンを交互に見た。


「どういうことだ!?君たちはそういう関係なのか!?メアリーさん、君は貴族の誇りを忘れたのか?しかも、その、女性同士で!?」




モリーは手を伸ばして、グウェンドリンの指を下ろした。


「違います。わたしと彼女はそういう関係ではありません」




ペンドラゴン卿が露骨にほっとした顔になった。




モリーは続けた。


「でも、貴族の誇りとかじゃありませんから。わたしはお付き合いする方は、地位や財産、性別ではなく、その高潔さで選びたいと思っています」




グウェンドリンが喧嘩を売るように胸を張る。


「わたしとお姉さまは一緒に暮らす約束をしてるのよ」




「まだ返事はしてないわよ」と、モリー。




ペンドラゴン卿がグウェンドリンをにらむ。


「なんだと?」




「あら、聞こえませんでした? わたしはお姉さまと一緒に暮らすんです」


相手は天下の〝蒼い男〟の使い手なのにグウェンドリンはまるで臆していない。




モリーは手を叩いた。


「二人とも、どうでもいい話はやめて! グウェンドリン。昨晩、何があったかのか教えてちょうだい。バネ足のことは警告したんだから、あなたの能力なら予め逃げることもできたでしょう? なんで、わたしの数少ない友人の一人はバネ足に襲われて死にかけたの?」




友人という言葉に、グウェンドリンは多少気落ちした顔になり、ペンドラゴン卿は口の端をわずかに持ち上げた。




グウェンドリンが米国人のように肩をすくめる。




「たしかにお姉さまのいう通り、わたしは未来を見て奴の襲撃を知っていました。ただ、お姉さまを狙う悪漢が姿を現わすチャンスは逃せないと思っただけです」




ペンドラゴン卿が「なんという無謀な振る舞いだ」と呟いた。




「勝算はあったんです。わたしの仲間には、〝蒼い男〟さん、あなたに匹敵するほどの恩寵の持ち主もいるんですから」




「浮浪児に、それほどの恩寵が?」




「このあたりの売春宿には、あなたたち貴族のお殿様も足繁く通っていらっしゃるのよ。結果的に〝古い血〟を引いて生まれてくる子供も多いの。話を戻すけど、恩寵持ち以外に、最新のガトリング砲も揃えたんです。たった一人の男を迎え撃つには十分なはずでしょう?」




モリーは、前回、グウェンドリンのところを訪れた時のことを思い出した。あのとき、妙に大きな木箱が搬入されてた。




「あなた、前回わたしが行く前に、もう何が起こるか知ってたのね」




「まあ、そうですね。ただ、なんであいつが襲ってくるのかまではわからなかったので、教えてもらえて大変助かったんですよ。で、こっちは万全の体勢で迎え撃ちました。あいつが飛び込んできたところを、ガトリングガンで斉射したんです。蜂の巣だと思いますよね? ところが、あいつ、銃が効かないんです。あいつの鎧、分厚すぎですわ。とても人間が着られる重さじゃありません」




「筋力を強化するタイプの恩寵だろう」と、ペンドラゴン卿。




「それで、わたしたちは接近戦に切り替えたんです。まっさきにぶつかったのは、鉄の男マックス。全身が鋼鉄のように硬くなり、怪力を発揮できる恩寵を持っているんです」




「おいおい。そいつはリンドン家の恩寵じゃないか」ペンドラゴン卿がつぶやく。




「マックスはバネ足に一撃で吹き飛ばされました。そこからはこっちも本気です。あらゆる恩寵の攻撃をぶつけました。バネ足の方も、小さなガトリング砲を撃ちまくり、爆発物を投げつけてきた。で、最後には互いの最高の一撃がぶつかりあってドカーン、です。わたしたちは〝障壁〟の恩寵持ちの陰に隠れましたが、それでも全員気絶しました。目が覚めた時には、街はこの有様」




「奴は、バネ足はどうなったんだ?」




「落とし物を残して消えましたわ」




「落とし物?」と、モリー。




グウェンドリンは席を立つと、モリーとペンドラゴン卿を促した。




店を出て、警官たちのなかをすり抜け、細い路地に入り、右に左と曲がる。人々の喧騒が小さくなり、やがて、彼らは古ぼけた小さな倉庫にたどり着いた。




倉庫の扉の前には、浮浪児が二人、警官のように背筋を伸ばして立っていた。




グウェンドリンが手を振ると、彼らが錆びついた扉を押し開けた。




なかは薄暗く、埃っぽかった。明かりは小さな天窓から差し込む、弱々しい日光だけだ。




そのなかで、銀色の〝腕〟がぼんやりと光っていた。




モリーが「あれって」と、つぶやく。


ペンドラゴン卿が「奴の腕か?」という。




グウェンドリンが、靴の先で腕を軽く蹴った。


ガウン、と鈍い音が響く。


「中身は入ってませんけど」




ペンドラゴン卿の身体から青白く発光する手が伸び出した。〝腕〟を掴み、自分のそばに引き寄せる。




隣に立つモリーも、じっと観察する。




腕まわりは直径三十センチはある。この腕部分だけで百キロくらいあるかもしれない。普通の人間が装着したら、指一本動かせないだろう。




彼女は目線を動かした。




関節の継ぎ目は、装甲が互いの動きを邪魔しないよう、複雑に重なっている。製作者の加工技術の高さを窺わせる。




肩部分の穴から中が見えた。シリンダーや歯車の類がぎっしりと詰まっている。鎧を着ていた人間の腕が通っていたであろうスペースは随分と小さい。そして、大小無数のパイプが血管のよう張り巡らされている。このパイプは何のためにあるのだろうか。




モリーは、バネ足が背中に背負っていた小型の蒸気機関らしきものを思い出した。




あれは腕のガトリング銃を駆動するためのものだと思っていたけど、まさか、この巨大な鎧そのものを動かしていたとか?




彼女は額を叩いた。こういった特殊な蒸気機関についての記事をどこかで読んだような気がする。なのに、どこで見たのか思い出せない。バッキンガムの王室図書館? それとも、大英博物館の分室?




ペンドラゴン卿がいう。


「なぜ、この腕を隠したんだ?」




グウェンドリンが笑った。


「これは、あの怪物を追いかけるための手がかりですもの。警察なんかに渡せるものですか。バネ足さんにはわたしたちの家をバラバラしてくれた落とし前をつけてもらわないと」




「ライオン卿とわたしが捕まえられない相手を、君たちが見つけられると?」




グウェンドリンは壁に向かって首を振った。




壁にはロンドンシティの地図が貼り付けてある。地図の中、先日、モリーが襲われた地点と、ここイーストエンドを中心に二つの円が描かれてる。さらに、そのふたつを覆うほどの第三の円。




グウェンドリンが第三の円を指す。


「これが、あなたたちの警戒線。多少の穴はあれど、あんな大きな怪物が誰にも見られずに抜けるのは無理ですわ」




「奴はまだ警戒線の中にいるといいたいのか? しかし、線内はライオン卿がしらみつぶしにしている。奴が潜んでいるなら、見つかるのは時間の問題だ」




「エジンバラでも、同じ状況に追い込んだのに取り逃したのでしょう? つまり、あなたたちの捜索には盲点があるんです」




グウェンドリンがタウンハウスが集まっているセントジェームズ周辺を指した。




「まさか、君は、貴族のなかに犯人を匿っているものがいるというのか?」




「ロイグリア国教会は数十年前に〝予知〟への迫害を止めさせたけれど、カトリックはいまでも予知能力者は悪魔の使いだといってます。この国の貴族は建前では国教会を信奉してるけれど、本当はどうでしょうか? 未だにカトリックの教義を貫いている人もいるのではありませんこと?」




「カトリックの信奉は叛逆にも等しい行為だ。そんな貴族がいるものか」




「いずれにせよ、いま〝嗅覚〟の恩寵持ちに、あの腕の部品を持たせて市内を回らせてます。じきに、やつがどこにいったか分かります。そうしたら、今度はこっちの番ですわ」




ペンドラゴン卿が眉間に皺を寄せた。


「馬鹿な真似はよすんだな」




「尻尾ひとつ掴めない人にいわれたくありません」




「なんだと!」




二人が額を突き合わせんばかりに近づいて睨み合う。




「ちょっと!」モリーは間に割って入った。「グウェンドリン、あなたもう少し礼儀正しく出来ないの? いつものあなたはどうしたのよ。ペンドラゴン卿もなんですか!相手は怪我してる女の子よ?」




卿が鼻を鳴らした。


「その通りだ。怪我人は引っ込んでいたまえ。バネ足はわたしが捕らえる」




「冗談じゃありません。あいつはわたしの獲物です。愛する相手を狙う敵を仕留めるのは騎士の義務ですもの」




モリーはグウェンドリンを軽くこづいた。


「そういう誤解を招くようなことはいわない」




「誤解じゃありませんわ。わたしお姉さまを愛してるもの」グウェンドリンが大真面目にいう。「だから、バネ足をわたしが倒したあかつきには、いっしょに暮らしましょう?」




「ええ?」




ペンドラゴン卿が苛立った調子で額を押した。


「なんと身の程を知らない子供だ。メアリーさんが困っているのが分からないのか?」




「あなたには関係ない話ですけど」




「関係あるとも。紳士たるもの、目の前で困っている女性を放っておくなどできるものか」




「そこまでいうなら、あなたがバネ足を捕まえるんですね。そう、それがいい!わたしがあいつを仕留めたら、わたしはお姉さまといっしょに暮らす。あなたがあいつを捕まえたなら、いっしょに暮らすのは諦めます」




「なんだそれは? そんなものは公正な勝負とはいわない。いいかね? 君がバネ足を仕留めたら、メアリーさんは君のものだ。しかし、わたしがやつを捕まえたなら、わたしがメアリーさんと暮らす」




「「はあ?」」モリーとグウェンドリンは思わず声を揃えた。




ペンドラゴン卿が清々しい笑顔で頷く。


「そうだ。それこそ公正な条件というものだ。メアリーさんは我がペンドラゴンに相応しい家格とはいえないが、騎士道にのっとった勝負である以上はいたしかたない!」




モリーは目を細めた。


「ペンドラゴン卿、あなた、本気でおっしゃってるの?」




モリーは、ペンドラゴン卿が一緒に暮らす、と告げた時、一瞬、心が浮かれたことを悔やんだ。どのような形であれ、男性に求婚されたのは初めてだったのだ。




でも、相応しい家格ではないが、仕方なく暮らしてやる、ですって? 




ペンドラゴン卿はモリーの不快感に気づかず、自信満々にいった。


「無論だ。紳士に二言はない。わたしは君と婚約する」




グウェンドリンがペンドラゴン卿を睨む。


「いいわ。わたしが勝てば、お姉さまはわたしと暮らす。あなたが勝てば、あなたが婚約する」




「決まりだな。我が先祖の血に誓おう」




「わたしも誓うわ。亡くなった母さまの魂に」




なんなの、この二人。モリーは唖然とした。何を勝手に誓っているのか。わたしはどちらとも婚約する気なんてないのに。もちろん、いつか誰かと添い遂げられたら嬉しいけれど、グウェンドリンは幻想を愛と勘違いしてるようにしか思えないし、ペンドラゴン卿はそもそもわたしのことを嫌っているはずなのに!




彼女は喉の奥から声を絞り出した。


「ちょ、ちょっと待って」




「いいや、待ちはしない」と、ペンドラゴン卿。




「そう、わたしたちはもう誓ってしまったのよお姉さまは。まさか、誓いを破らせる気じゃないですよね?」と、グウェンドリン。




「騎士の誓いの重さ、君が知らないはずはないだろう。何人たりとも手出しは許されない」




ペンドラゴン卿とグウェンドリンは目線を合わせると、うんうんと頷き合った。




騎士の誓い。ロイグリア帝国の古い血筋の貴族にとっては、命より重いとされる誓約だ。二十年前には、当時の継承権第一位の王子が誓いの破棄を理由に王室を離脱した。現在の女王はそのために繰り上がる形で王位についたのだ。




いかにふざけた内容でも、誓いは誓いだ。




モリーは頷いた。


「わかってます。ただ、わたしはあなたたちの争いは公正じゃないといいたいの。勝った方がわたしと婚約する? とても漢らしいけど、わたしの意思はどうなるわけ? わたしの婚約を巡っているのに、わたしは蚊帳の外? そんなのありえない。だから、こうしましょう。わたしも参加するわ。グウェンドリンが勝ったら、グウェンドリンと暮らすし、ペンドラゴン卿が勝ったらペンドラゴン卿と婚約します。そして、わたしが勝ったら、わたしがバネ足を捕まえたら、この話はなし! いいでしょう?」




ペンドラゴン卿とグウェンドリンが顔を見合わせた。




卿がいう。


「君がバネ足を追うだって? 本気か? 君にはわたしのような捜査網もなければ、グウェンドリンくんのように仲間もいない」




「ええ、でも、わたしには無駄に鍛えた頭脳と恩寵があるわ」




グウェンドリンが指で丸を描いた。


「わたしは認めるわ。なにしろ、お姉さまが一緒に暮らすことを受け入れてくれるんだから」




ペンドラゴン卿が小さく頭を横に振った。


「もう勝ったつもりか? まあ、いい。勝ち目のないメアリーさんには少々気の毒だがね」




モリーは笑った。


「あなたたちは、婚約したい相手がどんな人間かわかってないんじゃないの?」




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モリーはペンドラゴン卿と共に倉庫を出ると、卿とも別れ、人混みをかき分けて流しの馬車を捕まえた。




馬車の窓からイーストエンドの喧騒を眺めつつ、思考を巡らせる。




たしかに、大勢の部下を抱えた二人と、たった一人で勝負することの不利は否めない。ここは、助けを求めないとーー。




モリーの指示で、馬車は一路セントジェームズを目指した。

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