第13話 バネ足ジャックと蒸気機関

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アバドーン公カルロマンのロンドンでの住居は、セントジェームズの中心部に聳える大豪邸だった。ファサードにはローマ様式の柱列が立ち並び、その合間からは神々の像が屋敷を訪れる者を睥睨している。




モリーは前階段を登ると、バラ型のノッカーを扉に打ち付けた。ゴウン、と鈍い音が響く。




しばらくすると、筋骨隆々とした男が顔を覗かせた。歳は五十歳ほどか。執事の服を着ているが、盗賊や傭兵かと思うほどの強面だ。




モリーは膝を折って口上を述べた。


「わたくし、メアリー・モントゴメリーと申します。アバドーン公にお目にかかりたいのですが」




「失礼ですが、レディ、お約束はございますか?」と、執事。




「いえ、約束はしておりませんわ」




執事がかすかに震えた。もし、モリーの恩寵が〝読心〟ならは、女性が一人で約束もなしに男性の屋敷に訪れるのか?という声が聞こえたろう。




しかし、さすがに大貴族の執事だけあって、侮蔑を表情に出すことなく、「主はお忙しい身です。お会いできないかもしれませんよ」といいながら、中に通した。




屋敷の応接室は、これまた金がかかったつくりだった。




床一面を覆うペルシア絨毯は程良く傷み、格別の風あいをかもしている。おそらく、これ一枚でモントゴメリー家の屋敷そのものを買い取れるくらいするだろう。




暖炉の石材は芸術的ともいえる精度で積み上げられ、ミリ単位の隙間すらない。




壁には、ロマン派の重厚な絵画。題材はアーサー王の竜退治か。アーサーがペンドラゴン卿にそっくりな〝蒼い男〟を身にまとい、神霊剣エクスカリバーで〝暗黒龍〟をまとった邪悪王モルドレッドの心臓を貫く様が描かれている。




窓からは、テムズ川の流れがよく見えた。荷を満載した商船が、風に帆をたて、ゆっくりと川を遡っている。




モリーは一瞬なにかを閃きそうになったが、そのなにかが形をなす前に、部屋の扉が開いてカルロマンが入ってきた。




相変わらずの美男子ぶりで、黒い巻き毛をゆらしながら「おお!メアリーさん、ようこそ我が屋敷に!」と両手を広げ、彼女を抱きしめんと近づいてくる。




彼女がサッとかわすと、カルロマンはわずかにぴくりと震えた。




ご機嫌をそこねちゃったかしら? モリーは様子を伺ったが、彼の表情はどこか愉快そうだった。




カルロマンが苦笑する。


「これは残念。先日のダンスの続きができるのかと思ったのですが」




「申し訳ありません、アバドーン公。今日、お伺いしたのは真面目なお話をするためなんです。あなたに助けていただきたいんです」




何か察したのか、彼の顔に張り付いていた笑みが消えた。


彼は優雅な動きで椅子を示した。


「わたしも、じっくりお話ししたいと思っていたところなのです」




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モリーは、自分の予知能力については隠しつつ、イーストエンドでのグウェンドリンとバネ足の死闘、さらにその後のグウェンドリンおよびペンドラゴン卿との賭けの話までを細かく語った。




カルロマンは、メイドが運んできた紅茶を口にしながら聞き入っていた。ときおり、その瞳が興味深げに光った。




話が終わったところで、カルロマンは楽しげに手を叩いた。


「いや、面白い。メアリーさん、あなたはやはりたいへんな女性だ。今度は彼と勝負をするですって? しかも、かかっているのが婚約? いやはや、たいへんな難儀ですね」




「そうなのです。わたしのことを毛嫌いしているくせに、グウェンドリンと張りあってあんな馬鹿な賭けをふっかけてくるだなんて。信じられませんわ」




カルロマンが、ほっそりした指を組み合わせた。


「果たして、彼の行動は馬鹿げているのでしょうか」




「と、いいますと?」




「先日の晩餐会で、彼は半ば強引にあなたをダンスに連れ出した。さらに、あなたのお友達と張り合って婚約を口にする? 物事をそのまま捉えるなら、彼はあなたを嫌ってなどいないのでは? いや、それどころか、求婚したいほど想っているのではありませんか?」




「そんなはずありませんわ!」といいつつも、彼女は顔が火照るのを感じた。ペンドラゴン卿が、わたしのことを本気で想ってる? 一瞬、胸が苦しくなった。が、すぐに思い返した。




いやいや、あんな傲慢な見下し屋に好かれたからといってどうなのか。たしかに、立派な血筋だし、恩恵も凄いし、お金もうなるほど持っている。でも、わたしが結婚したいと思うのは、高潔な魂の持ち主だ。まかりまちがっても、わたしの頬を張ったり、服を切り裂こうとするような人物ではない。




カルロマンが頷いた。


「その通りです。いえ、失礼。決してあなたが美しくないといっているわけではありません。あなたは輝かんばかりの魅力を放っています。ただ、彼とあなたとでは身分に差がありすぎる」




もっともな指摘とはいえ、第三者にズバッといわれてモリーは少々凹んだ。




カルロマンが探るように彼女を見つめる。


「あるいは、わたしの知らない何らかの魅力があなたにあるのでしょうか」




「もし、そんな魅力が私に眠っているのなら、うれしいですわ」


そういいつつも、モリーは〝なるほど〟と感じていた。




予知の力は能力犯罪捜査局としては、のどから手が出るほど欲しい恩恵だろう。ペンドラゴン卿たちは、彼女の予知が具体的にどのような条件等で発動するかは知らないが、グウェンドリンの〝未来新聞〟のような予知なら、犯罪の発生すら未然に防ぐことができる。




ペンドラゴン卿がグウェンドリンの話に乗ったのも、わたしの恩寵を利用するため? そう、彼は本当はわたしと婚約する気なんてないのかも。ただ、グウェンドリンにわたしをとられまいとしただけ。




カルロマンは秘密を見出そうとするかのように、じっとモリーを見つめている。


「それで、メアリーさんはなぜわたしのところへ? あなたを巡る賭けへの参加を促しに来たというなら嬉しいのですが」




「ち、違います! その、わたしが苦境を抜け出るのに、あなたのお知恵をお借りできればと思いまして」




「知恵といっても、わたしは犯罪捜査には疎いですよ。スコットランドヤードを指揮するライオン卿を紹介するくらいならできますが」




「いえ、それがあなたのお知恵が役立つのです。昨晩ですが、バネ足ジャックはグウェンドリンとの戦いで腕を落としていきました」




カルロマンが目を大きく開いた。


「では、事件は解決では? そんな重症では医者にかかるしかないでしょうから、警察がすべての病院を張ればいいだけです」




「それが。腕には中身がなかったのです。中にあったのは複雑な歯車とポンプ、配管、バネ、シリンダーの類です。構造から見て、バネ足ジャックは蒸気機関で動いていたとみて間違いないかと」




「蒸気機関ですって!? まさか」




「わたくし、その線から追いかけたいのですけど、あいにく実用科学に詳しい知り合いがおりませんの。ですので、あなたのお力を借りに来たのです」




「わたしの力を? たしかにわたしは実用科学の造詣が深いかもしれませんが、しかし、なぜそれをご存知なのですか?」




モリーは、どきりとした。未来のビジョンのなか、同衾していた金髪の女性が蔵書を読んでいるところを見たとはいえない。




「噂ですわ。よりよい結婚相手を狙う乙女たちが、どれほど情報収集に長けているかを知ったら驚かれますわ」




カルロマンが笑った。


「なるほど、たしかに独身女性は侮れないものですね」




彼が呼び鈴を鳴らすと、さきほどの大柄な執事が風のように現れた。


彼がいう。


「メアリーさんをあそこに招待しようと思うんだ。おもてなしの準備しておいてくれないか?」




執事は素早く部屋を出ていった。




モリーが訊く。


「あそことは?」




「わたしが〝知恵の倉庫〟と呼んでいる部屋です。多少、散らかっているのが恥ずかしいですが、この先のお話は、あそこで伺うべきでしょう」




五分後、彼らは応接間を出た。




カルロマンは絨毯の敷かれた廊下を抜け、階段を下り、廊下を右に折れ、やがて現れたひときわ大きな扉を押し開いた。




中は薄暗い。




まわりはよく見えないが、空気の感じからして相当大きな空間らしい。




カルロマンが扉を閉めると、真っ暗になった。


間を置いて、部屋全体がパッと明るくなる。




モリーは驚いて上を見上げた。強烈な光が降り注いでいるが、太陽のそれではない。




高い高い天井には、見たことのない発光物が、ずらりと並び、煌々と輝いてていた。




「あれはなんですの!?ジョゼフ・スワンの白熱電球に似ていますが、発光量が桁違いですね」




「神聖帝国のハインリヒ・ガイスラー博士が発明したガイスラー管を改良したものです。アルゴンガスを封入し、両端に電極をつけ、その間に誘導コイルを置いて電圧を加えると、内部のガスがあのように蛍光するのです」




「すごい発明ですわね!」モリーは、ゆっくりと目線を下ろした。




部屋の全体像が見てとれた。彼女らがいるのは、巨大な工場とでもいうべき場所だった。何トンもありそうな旋盤や、ドリルカッター、蒸気機関式のプレス機、クレーン、溶接機。貴族の屋敷に似つかわしくない工作機械が並び、それらの中心には、見覚えのある巨体が鎮座していた。




全身を覆う銀色の分厚い装甲。右腕に装着されたガトリング砲、背中に背負っている小型蒸気機関。グウェンドリンとの戦いで失われたはずの左腕は、予備があったのか復活している。




胸部は前方に向かって大きく開き、内部構造がよく見えた。幾重にも重なった金属装甲の下に、ゴムのような簡易装甲、赤と黒の無数の配線、ガラス質の計器やさまざまなボタン、スイッチ。




モリーが後ろを振り向くと、入ってきた通用扉の前に先ほどの大柄な執事が立ち塞がっていた。手には銃を握っている。




カルロマンは平然と歩をすすめ、ゆっくりとバネ足ジャックに乗り込んだ。




バネ足が背中に背負った樽、いや、蒸気機関から、猛烈な勢いで蒸気が噴き出し、ドドドドと駆動音が鳴り響いた。




胸部の装甲が閉じ、バネ足がゆっくりと立ち上がる。




中から、カルロマンがいった。


「では、お散歩帰りの戦いの続きといきましょう。メアリーさん」

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