第3話 公爵は能力犯罪捜査官

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ペンドラゴン卿がいった。


「君の恩寵の使用条件は素手で相手に触ることだ。昨晩の舞踏会でも、不自然に手袋を脱いだ手で紳士淑女に触れていたからな。どうかな?未来は見えたかな?」




モリーはどうにか笑みを作った。


卿は高慢な男だが、少なくとも観察力は優れている。




「まさか。見えるはずがありませんわ。わたしは恩寵を持っていませんから」




モリーは手を振り解こうとしたが、ペンドラゴン卿は放してくれない。彼女はむかつきと、恥じらいでどうにかなりそうだった。




なにしろ、これまでの人生で男性と手を繋いだことはないのだ。なのに、いきなり素手で掴まれている。しかも、相手は


見た目がよく、堂々として、高貴な男性なのだ。そして、そんな風に戸惑ってしまう相手が、ペンドラゴン卿であることに腹を立てていた。




小指と薬指からは二種の未来のビジョンが流れ込んでくる。




小指からは十年後の二人の食事風景、そして薬指からは一秒後のペンドラゴン卿がモリーに平手打ちするところだ。




ペンドラゴン卿の左肩が動いた。予知通りに左手が振りかぶられ、彼女の頬を狙う。とても大きな手だ。命中すればさぞかし痛いだろう。




避けようと思えば避けられる。




客間に乾いた音が響いた。




彼女は大袈裟にその場に倒れた。




「なんだと?」と、マーク。




と、いったいどこに潜んでいたのか、部屋の隅から細身の男性が滑り出てきた。ペンドラゴン卿の従者らしい。きっちりなでつけた銀髪と銀縁のメガネが理知的な印象を与える。歳は、卿と同じくらいか。彼がモリーを抱き起こした。




「メアリー様、誠に申し訳ございません。我が主人に代わってお詫び申し上げます」




モリーは半身を起こすとペンドラゴン卿を睨んだ。


「いきなり何をなさるんですか!」




卿は明らかにうろたえていた。


「いや、しかし、君には予知があるのだから、大人しくぶたれるはずがあるわけはーー」




モリーは立ち上がると、マークの頬を叩き返した。




腰の入った一撃だ。これで彼との結婚などという忌まわしい未来は消えるはず。ところが指先から伝わってきたビジョンは何ら変わっていなかった。




十年後の未来。荘厳ささえ感じる食堂で卿はむっすりと黙り込み、メアリーも一言も発しない。執事が甲斐甲斐しく二人の世話をしているが、最悪の雰囲気だ。喧嘩中なのか、それとも常にこうなのか。




どうして未来が変わらないの? 現在のモリーは思った。ここまで互いに無礼を極めたのに、なぜ?




現在のペンドラゴン卿が頭を振る。


「まったく、とんでもない女性だな」




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エクセイン公マーク・ペンドラゴンは腹を立てながら、同時に感心していた。




ふだん、彼の周りに群がってくる適齢期の美しい令嬢たちは、誰も彼も頭脳をどこかに忘れてきたかのように、自己の意志というものが感じられなかった。彼に気に入られようと必死なのか、己の本質を出そうとしないのだ。判をついたように台本でもあるかのような受け答えをし、優等生的に振る舞う。




どれほど外見が良くても、そんな相手と一生をともにする気など起きるはずがない。




一方、目の前の女性は、彼が伯爵であり、王位継承権を持ち、国の英雄であることなど、かけらも気にしていない。




昨晩、クラバットに水をかけられた瞬間に気付いたが、彼女には強靭な〝芯〟がある。自己への揺るぎない確信か、それとも狂気の一種か。




たしかに、外見は、一般的な美的感覚からすれば、少々体格が良すぎるし、鼻も大きすぎる。家格も低く、資産もない。しかし、その体も顔も、彼女の内面に潜む〝何か〟と合わさると、途端に太陽のような熱線を放ち始める。




彼女の父親がせめて伯爵だったら、いや、せめて彼女の年齢がもう五歳若く、また、初対面時にあれほどの無礼を公然と受けていなければ、千に一つ、いや万に一つ、彼女にダンスを申し込んだかもしれない。




だが、実際のところは、彼女の父親はしがない男爵で、母親はうんざりするほど喧しく、彼女はオールドミスで、しかも、おぞましい〝予知〟の恩寵持ちの可能性があるのだ。




ついでに、今も彼の頬を驚くほどの力で叩いた。




そういうわけで、芽生えた思いは、あっというまに心の奥底に仕舞い込まれ、表面的な怒りがめらめらと燃え上がった。




マークは睨みつけ、メアリー嬢も睨み返す。




「とんでもないのはあなたよ」と彼女。「まともな紳士なら、こんな早朝から女性の家に押しかけて、相手を叩いたりはしないわ」




「だから、それは君が予知の恩寵を保持していると思われる節があったからだ」




「何度でも言いますけど、わたしには恩寵がないの! だいたい、万が一、予知の恩寵を持っていたとしてもそれがなんだというの? いまはもう公に予知能力者が狩られるような時代でもないでしょう? 〝王の狩人〟の長官様」




マークが眉を寄せた。


「女性にしては博識だな」




〝王の狩人〟は、アーサー王の時代から続く貴族の官位のひとつだ。湖の騎士ランスロットが初代を務め、罪を犯した恩寵者を断罪する任を与えられる。




「ゴシップ欄以外を読む女もおりますのよ」




「なら、知っていると思うが、現在の名称は〝能力者犯罪捜査局〟だ」




スコットランドヤードの設立と同時期に、〝王の狩人〟も近代的組織に生まれ変わった。十数人の恩寵者と彼らを支援する百人ほどの職員が、日々、一般警察の手に負えない凶悪恩寵者を追いかけている。




「それで、能力者犯罪捜査局の長官様が予知能力者の家に早朝から押しかけるのは、どういった理由ですの? もちろん、わたしは予知の恩寵なんて持っていませんけど」




「機密事項だ」




「はあ? あなたはわたしを殴ったのよ。それくらい教えてくれてもよろしくありませんこと?」




「よろしくないな」




「なら、せめて誠意ある謝罪があってしかるべきでは?」




「わたしも君に殴られている」




「まあ」




彼の従者シシリウス・レノックスが素早く二人の間に割って入った。


「さあさあ、マーク様。そろそろ退散致しましょう。メアリー様、誠に申し訳ございませんでした。また改めてお詫びにお伺いさせていただきます」




「けっこうですわ。あなたのご主人が、この先、わたしに近づかなければ十分です」




「昨日、近づいてきたのは君であって、ぼくではない」


マークはむっとした調子でいった。




「マーク様!」と、シシリウスが手を引っ張る。従者は手短に退去の挨拶を述べると、主人を引きずるようにして表に待たせてあった馬車に押し込んだ。従者に「バッキンガムへ!」と告げる。馬車がゆっくりと動き出す。




マークは不満気にいった。


「なあ、彼女は絶対に怪しいぞ。もう少し詰問すべきだったと思うが」




シシリウスが懐中時計を開いて、時刻を確認する。


「わたくしには、ごく一般的な淑女にしか見えませんでしたが。それに、次の約束の時間も迫っております」




「一般的? 彼女のような女性のどこが一般的なんだ?」




シシリウスが目を細める。


「マーク、捜査場上の関心と、一個人の女性に対する関心を取り違えてはいけません」




「はあ? なにをいってる? ぼくは純粋に捜査上の関心しかない!」




「まあ、そういうことにしておきましょうか。しかし、あの間の抜けた尋問は何なのですか。昨晩の処理で徹夜しているとはいえ、酷すぎますよ。予知は貴族の女性が最も備えてはならない恩寵です。真正面から聞いて正直に答えるはずがないではありませんか。それに、いきなり頬を叩いてどうするのです。予知者なら避けるはずだと? メアリー嬢が本当に未来を見ているなら、避ければあなたがそれ見たことかとかさかにかかってくることまで知っていたでしょう」




マークは反論しようとしたが、ぐうの音も出なかった。




「彼女が明確に否定した以上、われわれにできるのは去ることだけです。下手に接触し続ければ、彼女が危険にさらされます。捜査局の長官がオールドミスの女性を訪ねる理由は、そう多くありませんからね」




シシリアンが懐中時計を閉じた。




「幸い、訪問は三十分未満です。これなら、〝やつ〟の目を引くこともないでしょう。たぶん」




馬車は早朝の通りを快走し、二十分後にはバッキンガム宮殿の敷地に入っていた。




マークは、シシリアンを残して正面階段を登った。 




遠く、ウェストミンスターの鐘の音が響いている。




衛兵たちは彼の姿を認めると、さっと敬礼した。




彼は衛兵たちの瞳に、いつもと同じように畏怖を感じた。




〝蒼い男〟の武力は一個大隊に等しいとまでいわれている。恩寵を持たない人間にとって、彼はある意味、象のようなものだ。理性を保っている分にはとても役に立つが、万一暴走すれば何もかもを踏み潰しかねない。そんな存在が、手の届く距離を通り過ぎるのだ。怯えるなというほうが無理だ。




マークは侍従の案内で女王の執務室に入った。




部屋はトラファルガー広場に面しており、天井まである窓からは、数年前にエジプトから運ばせたオベリスクがよく見える。女王代理のヴィクトリアは、毛足の長い絨毯の上に置かれた丸テーブルで紅茶を楽しんでいた。




ヴィクトリアは、今年二十八になるが相変わらず若々しい。たっぷりと艶のある白金色の髪に、赤ん坊のようにきめ細かく真っ白な肌。一見、十代にしか見えない。だが、その眼差しは、逆に実年齢以上の深みを持っていた。




彼女がよく通る声でいう。


「おはよう、マーク。席についてちょうだい。朝ご飯はまだ? よかったらスコーンを試してみて。新しい料理人を雇ったのよ。大陸仕込みで、お菓子作りの腕がいいの」




ヴィクトリアが微笑みをよこす一方で、彼女の隣に座る男は若干苛立った視線をマークに投げてきた。細身の優男で、髪も、眉も、目も、着ているものまで何もかもが黒い。




グラフトン公カルロマン・ド・ホールデン。女王代理の懐刀だ。大陸貴族の血を引き、頭も切れるので、恩寵さえ保持していれば王位の目とあったといわれている。趣味は女性を口説くこと。恩寵がないというハンデこそあれ、外見、爵位、財産、口のうまさから社交界屈指の遊び人として名を馳せている。




「カルロマン」マークは嫌悪をできるだけ抑えていった。




カルロマンも「おはようございます。ペンドラゴン卿」と慇懃無礼に返す。




二人はイートン校の同期であり、それぞれが生まれ持ったカリスマ性で周りの男子学生を引きつけた。学業、スポーツ、芸術、あらゆる面で二人はライバル関係にあった。




正面きっての対立は、カルロマンが、マークが妹のように可愛いがっていた寮付き使用人の少女を口説いたことに始まる。カルロマンは、甘い言葉でまだ十一歳だった少女に近づき、妊娠させ、捨てた。少女は絶望のあまり、自ら命を絶ち、激怒したマークはカルロマンに決闘を挑んだ。




カルロマンは決闘の条件として、マークが〝蒼い男〟を使わないよう要求した。当時、マークはいまほどの大男ではなかったので、恩寵さえなければ己に分があると踏んだのだ。 




だが、マークは恩寵に頼りきりの貴族のお坊ちゃんではなかった。彼は校舎裏での殴り合いを制して、カルロマンの奥歯三本をへし折った。以来、二人は今に至るまで不倶戴天の敵同士だ。




ヴィクトリアが二人の様子を見て、小さくため息をついた。


「それで、どうなのマーク? バネ足がとうとうロンドンに現れたの?」




マークはスコーンをとって一口かじった。


なるほど、自慢するだけのことはある。


「今回の襲撃ですが、撃ち込まれた小銃弾はエジンバラの事件のさいに奴が放ったのと同種のものでした。ただ、射主の姿は見えませんでしたし、狙われたのが、わたしなのか、ウージーなのか、クリフォード嬢なのかも判別できません」




「仮にどこかの国の機関が、あなたとウージーを狙ったのなら、小銃弾ということはないでしょう。わたしなら大砲を撃ち込むわ」




カルロマンが薄い笑みを作る。


「しかし、どういうわけで、ペンドラゴン卿と弟君の両方がクリフォード嬢の私室にいたのですか?」




ヴィクトリアがうなずく。


「そうね。実に気になるわ」




「予知の恩寵者が襲撃を予告してくれたのです。そこで、わたしとウージーで守りを固めたのですよ」




「まあ、クリフォード嬢が? あの子には本当に未来を見る力があったの?」




「まさか。別の方ですよ」




「どなたですか?」と、カルロマン。「予知能力者嫌いのあなたが、よく従ったものだ。ひょっとして会場にいた貴族の誰なのですか? 教えてください。どうせ調べればすぐにわかるのですから」




「まだ〝予知の恩寵を持っているかもしれない〟という程度なんだ。今後確認し、彼女が本当に未来を見ていると確信した段階で、リストに追加する」




「彼女? 女性なのですか?」カルロマンが大仰にいう。




「あら、そうなの?」女王が目をほそめた。「もしあなたに想い人ができたというのなら、ぜひ紹介してほしいわね」




「想い人? 冗談じゃない。あんな無礼な女と付き合うくらいなら、オーストラリアに流刑にされた方がマシというものです」




マークは手元の紅茶を一気に飲み干すと、席を立った。


「それでは、市中の見回りがありますので失礼させていただきます」




彼が部屋の扉を押し開けたとき、背後から女王の声が追いかけてきた。


「今日はもう寝なさいな。それと、明日の王室主催のパーティには必ず出るのよ。これは命令ですからね」




彼は何も答えず、肩をいからせながら廊下をつっきった。




メアリー・モントゴメリーが想い人だと? あんな無礼者が? しかし、外見は好ましい。いまどき流行りの、吹かれれば折れるような軟弱な女性ではない。それに、不可思議な内面も興味深くはある。捜査対象として。




感情が昂りすぎたせいか、身体から、青白い〝蒼い男〟が漏れ出し、衛兵たちが怯えるように身をすくませた。




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