第4話 暗黒街令嬢と鉄の怪物

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「まあ!ペンドラゴン卿が、お姉さまの手を握った!?」




モリーの年下の親友である、グウェンドリン・ハワードが昼日中のハイドパークで、大声を上げた。




散歩中の紳士淑女たちが、なにごとかと視線を向ける。




モリーはあわててグウェンドリンの口を手袋をした手で押さえた。




グウェンドリンはそれでもなお、もがもがいっている。




彼女は花も恥じらう十七歳の乙女ざかりだ。外見、性格、礼儀作法すべてが完璧な一人前のレディだが、社交界の一員ではない。




彼女の母親は娼婦だった。母親は彼女が三歳の頃に亡くなり、以降は、娼館の下働きをして食べ物と寝床を得た。




やがて客の一人が彼女に目をつけた。その男は彼女を金貨二十枚で身請けし、超一流の教育を施した。自らの理想とする完璧な淑女を作り出そうとしたのだ。




そして、グウェンドリンが十三になった日、男は彼女を〝完璧〟と認め、襲った。幸い、彼女は直前に〝予知〟の恩寵に目覚めていた。彼女は恩寵を用いて男の屋敷から逃げ出し、イーストエンドに流れ着いて浮浪児たちの仲間に加わった。




そして、頭角を表した。ほんの数ヶ月で浮浪児たちの首領となり、現在ではイーストエンドを仕切る顔役の一人とまでいわれている。




彼女の美貌は、界隈に知れ渡っているが、口説こうとする命知らずはいない。男に襲われた影響か、極度の男嫌いだからだ。彼女はモリーと会うたびに、「恋人なんて一生いらない」「歳をとったら海辺の小さな屋敷を買い取って、お姉さまといっしょに生きていくの!」と夢を語っている。




グウェンドリンは、むすっとした表情でいった。




「それで、お姉さまは彼に触れて、どんな未来を見たんですか?」




モリーが、結婚のビジョンについて話すと、グウェンドリンは手元の新聞を握りつぶした。




喉の奥から搾り出すような声でいう。


「おめでとうございます、お姉さま。わたし、いつか必ずお姉さまの魅力をわかってくれる男性が現れると思ってましたわ。それが、あのペンドラゴン卿だなんて。素敵なお話ですね」




「待って。わたしは彼と結婚する気なんてないの」




「なぜです? ペンドラゴン卿ですよ? お目にかかったことはありませんけど、たいへんな美男子だと聞いています。恩寵は一騎当千の〝青い男〟。財産も王室に匹敵するほどだとか」


そういいながら、声にはかすかに嬉しさがにじんでいた。彼女はモリーに男となど結婚してほしくないのだ。




「わたしが結婚相手に求めるのは、地位でも財産でもなければ、見た目や恩寵でもないの。大切なのは〝性格〟よ。そして、ペンドラゴン卿ほど無礼で尊大で高慢な男性はいないわ。あの人、手を握ったあと、どうしたと思う? わたしの頬を叩いたのよ」




グウェンドリンが怒りで真っ赤になった。


「まさか! お姉さま、そんな野蛮人と結婚なんて絶対にダメです!」




「だから、何としても未来を元に戻したいの」




「なら、先方に何か不躾なことをするのはどうでしょう? 嫌われるんです」




「すぐにしたわ。わたし、叩き返したの」




グウェンドリンが拍手した。




「でも、だめ。わたしがペンドラゴン卿と結婚する未来は変わってないわ」




「あの方との未来はどうなったんです? 半年ほど前にお姉様が予知したコーンウォールの聖職者の方」




聖職者クラーク・ジョンソン、ペンドラゴン卿が現れなければモリーの夫になったかもしれない男性だ。見た目は普通、財産もほどほどだが、超がつくほどの真面目で、なにより生まれつき性欲というものがほとんどない。なので、モリーは彼と肉体的接触をする必要がない。まさに理想の結婚相手だ。




モリーは首を小さく横に振った。




「彼との未来は遠くなってる。昨日から、何度か未来を確認してるんだけど、ペンドラゴン卿との結婚は、むしろ確固たるものになってるようなの。わたしは彼をぶったというのに。なぜ、そうなるのかわからない。どこかの別の予知者の行動が影響を与えているのかしら」




「ほかの予知能力者? オックスフォードの天気予言師やリバプールの仲買人が、お姉さまとペンドラゴン卿の関係に介入してると?」




「そうね。たとえばペンドラゴン卿が、何かの拍子に天気予言師の予知を見て、旅行に行くのを取りやめたとするじゃない? すると、彼が泊まるはずだった宿に空きが出る。そこに飛び込みでロンドンからの新婚旅行中の夫婦が宿泊する。その夜の行為で子供ができる。その子がペンドラゴン卿の親戚で、卿の結婚観に影響を与える、とか?」




「もっと簡単な理由もあるんじゃないですかお姉さまの行動で、ペンドラゴン卿がお姉さまのことを気に入ってしまったのかも」




「まさか! わたしみたいな不器量な年増を気にいるなんてありえないわ」




グウェンドリンが口を尖らせた。


「お姉さまははとっても綺麗です」




「ありがとう。そんなことをいってくれるのは、あなただけよ」




会話ははずんだが、やがて空模様が変わり、霧が漂い始めた。




二人はまた翌週に散歩を共にする約束をすると、それぞれの家路に着いた。




モリーの捕まえた流しの馬車が、ダウンストリートの角を曲がったときだった。




御者が馬車を急停止させた。モリーは思わずつんのめった。


「ばかやろー!そんなところに突っ立てんじゃねえ!」と御者の声。




続けて、ズシン!ズシン!と象の足音のようなものが響いた。




御者の声が響く。


「ば、ば、バネ足だっ! お助けっ」




モリーがあわてて外に飛び出すと、御者が馬車から飛び降り逃げていくところだった。




霧の中、激しい噴気音が響いた。




彼女は口をボカンと開けるしかなかった。




彼女の眼前に、鉄の巨人が立っていた。身長は二メートル五十センチほどか。背中に樽のようなものを背負い、そこから伸びた無数のホースが身体の各部位に連結している。大量のバネとシリンダーが全身を覆い、生き物のように伸び縮みしていた。




モリーは我にかえると、すぐさま左手の手袋を外し、薬指を掌に押し当てた。




巨人は蒸気を吹き上げ、破壊槌のような拳を構え、尋常ならざる速度でモリーめがけて振り下ろした。


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