第24話 新女王代理

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噂というものは、信じられないほどの速さで広まる。


モリーが辻馬車を捕まえて自宅に戻った時には、すでに王宮で何か一大事が起こったということは、モントゴメリー家の人々にまで伝わっていた。




疲れ切ったモリーは、話を聞きたくて仕方がないといった風情のモントゴメリー夫人を振り切って自室に飛び込んだ。




未来を見るまでもなく、自身とペンドラゴン卿との関係性がどうなったかは、よくわかっていた。




ヴィクトリアの最後の告白は、ただでさえ打ちのめされていた卿にとんでもない打撃を与えた。彼と血の繋がった二人の予知の恩寵者が、彼の父親も殺したも同然だったのだ。




そして、モリーも彼女らと同じ予知の力を持っている。




幽鬼のような表情で執務室を出て行く彼の姿が、瞼に焼きついて離れない。




モリーはベッドに倒れ込んだ。


自分に言い聞かす。


こうなるってわかっていたじゃないの、メアリー・モントゴメリー。ペンドラゴン卿となんて、うまく行くはずがない。


期待する方が馬鹿だし、わたしは期待しなかった。するはずがない。呪われた予知の力を持っている限り、幸せな人生などありえないのだから。




翌朝、部屋から出たモリーは事態が思っていた以上に深刻であることを知った。




昨日、モントゴメリー夫人は、モリーとペンドラゴン卿がバッキンガムに向かった直後に、左隣のタウンハウスに住むリーデル子爵夫人を訪れていた。そして、モリーが卿にプロポーズされたと嬉々として話した。この衝撃的ニュースは、〝ヴィクトリア女王代理が急病で一線を退くことになった〟というさらなる大ニュースにかき消されるまで、社交界をかけめぐった。




モリーの手元にある朝刊の一面は、もちろん女王代理の退任についてだったが、三面の社交界コラムはかなりの紙面を割いて彼女とペンドラゴン卿の件を扱っていた。知性あるコラムニストは「卿の婚姻と女王代理の退任、二つの大事件が同じ日で生じたのは偶然なのだろうか」と締めていた。




察しの悪いモントゴメリー夫人も、女王代理の〝急病〟が二人の訪問直後に起きたことは認識していた。




夫人は朝食室でクッキーをもそもそ食べるモリーに、震える声で聞いた。


「それで、ペンドラゴン卿はあなたとの婚姻の許可を得られたの?」




モリーはしばらく考えたあと、首を横に振った。


「お母さま、わたしとペンドラゴン卿は縁がなかったのよ」




夫人は何も言わずに気絶し、ソファに倒れ込んだ。




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翌々日までにはモリーがペンドラゴン卿に捨てられたというニュースがロンドン中に広まっていた。




ペンドラゴン卿からは言伝や手紙のひとつもなかった。




モリーは好奇の目に晒されることに嫌気が刺し、ヨークシャーにあるモントゴメリー家の本宅に引っ込んだ。




モントゴメリー家は、かつては広大な領地を保有する有力な一族だった。しかし、四代前の先祖が博打で身を持ち崩し、現在の領地は、極めて小さな村ひとつだけだ。村内の家の数は三十軒に満たず、彼らから受け取るあがりは貴族としての体面を保つのがやっとの金額だった。モリーの祖父に当たる八代目モントゴメリー男爵は、それまでの巨大な本宅は維持できず、村の橋にこぢんりまりとした屋敷を建てて、そこが以降の本宅となった。部屋数は十を下回り、ダンスホールもなければ、音楽室もない。それでも、モリーはこの屋敷が大好きだった。




食堂に腰を落ち着け、紅茶をいただきながら窓の外を眺めれば、綺麗に刈り込まれた芝生の庭園が広がっている。その向こうには陽光にきらめく小川、岸辺には白い花々が咲き乱れ、杭ににつながれたボートがゆらゆらと揺れている。二匹のチョウがつかず離れずの距離を保ちながら、ゆっくりと視界を横切って行く。




素晴らしい景色なのだが、モリーの目には、前回の帰省のときと違ってどこか色褪せて見えた。




このところずっとそうだ。




あの日、ペンドラゴン卿が立ち去って以降、何か大きなものが自分の中から消えてしまったように感じるのだ。もともと彼女のなかにはなく、卿が与えてくれたもの。それが消え失せていた。




彼女は紅茶を口にしたが、やはり景色同様に、どこか輪郭に欠けた味わいだった。




彼女は手を伸ばし、果物カゴに添えられていたナイフを手にした。




刃は窓から差し込む光を受けて、きらきらと輝く。


没落前の先祖から引き継がれてきた品だ。一目で、第一級の職人の手によるものだと分かる。




これならば、果物以外のものでもやすやすと切り裂けるに違いない。肉や骨でも容易に断てるはずだ。




ペンドラゴン卿の顔が脳裏をよぎる。


彼女が予知者である限り、彼との未来はない。


すべては失われた。




彼女はじっと自分の手を見つめた。




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女王執務室での戦いからの一週間、マーク・ペンドラゴンはタウンハウスの自室に篭もりっぱなしだった。




激烈な怒りが〝蒼い男〟を暴走させ、彼の部屋はまるで百発の砲弾が炸裂したかのような有様だった。〝蒼い男〟の腕は彼の感情に応じて壁を切り裂き、天井に大穴を開け、ベッドを粉砕した。




ときおり、従者のシシリアンが王宮からの呼び出しを伝えにきたが、〝蒼い男〟が暴走しているのに登城などできるはずがない。




その日、彼はまだ崩れていない壁にもたれかかり、シシリアンが扉から投げて寄越したチーズをかじり、ワインをボトルで煽った。




頭の中では、ぼやけつつある父親の顔と、イーストエンドの占い師の顔、ヴィクトリアの顔、ソフィアの顔が次々に浮かんでは消えた。




そして、メアリーが現れた。




遅まきながら自分のしでかしたことに気づいて、彼は叫びそうになった。


怒りが遠ざかり、かわって激しい焦りが現れた。


あのとき、なぜメアリー嬢に声もかけずに女王の執務室を出てしまったのか。


いまごろ、彼女は呆れ、怒り、幻滅しているに違いない。




なんといっても、彼は彼女との婚姻の許可を求めに従姉妹のヴィクトリアに会いに行ったのだ。なのに当の従兄弟が命を狙った挙句、彼は怒りにかまけてメアリーを一人置き去りにした。そんな男を夫としたい女性が、この世のどこにいるのか。




赦しを乞わねばならない。それも早急に。


だが、脚が動かなかった。




メアリーに会えば、自分の本心に向き合わざるを得ない。




彼はメアリーのことを心から思っているし、彼女が予知者であることなど、なんとも思っていないーーはずだった。




だが、彼の二人の親戚が、彼が消化したはずの予知者への怒りの炎をふたたび燃え上がらせた。それも、かつてとは比べ物にならないほどの勢いでだ。




もし、メアリーに会いに行き、彼女にまで嫌悪と怒りが湧きあがったら。彼女への想いが、かき消されてしまったらーー。




ワインを煽る手は止まらず、マークはさらに何日かに渡って呑んだくれ続けた。




彼の痛飲を止めたのは、王宮に入った新しい女王代理からの登城命令だった。今回、命令書を携えてきたのは、それまでのお上品ぶった文官ではなく、先日戦った仮面の男たちのうち二人だった。新代理は、度重なる呼び出しの無視にご立腹らしい。仮面たちは刀の柄に手をかけ、今度無視したなら切り捨てんといわんばかりだった。




酔いすぎたために、〝蒼い男〟を形成するだけの気力もなかった。


シシリアンが女中たちと共に彼を引きずり起こし、風呂に放り込み、どうにか身支度を整えさせて、王室の馬車に放り込んだ。




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女王の執務室は、先日の乱闘騒ぎなどなかったかのように、完璧に修復されていた。壁の大穴は埋められ、絨毯は新品に交換、散らばっていた武具は磨き上げられて再度壁に掛けられている。変わったことといえば、ヴィクトリアの肖像画が、新しい女王代理のそれに変わったことくらいか。




絵のなかの新しい代理は、女王ソフィアと同じ白金色の髪に緑の瞳、真っ白な肌の持ち主だ。




その新女王、グウェンドリン・ハワードが執務机の向こうからいった。


「あなた、いったい何をなさっているの?」




マークは目を擦ったが、眼前にいるのはたしかに暗黒街の浮浪児たちの元締めだ。


「君が、新しい代理?」




「ご存じなかった? わたしが着任して五日よ。あなた洞窟にでもこもってらしたの?」




グウェンドリンいわく、女王のソフィアが残した指示書には、次の代理として彼女の名と血筋が記されていた。グウェンドリンの父親は、ソフィアの大叔父である先代ランカスター公であり、グウェンドリンこそ〝繁栄〟の恩寵の持ち主、帝国の希望であると。




もちろん、グウェンドリンの父親が本当に先代ランカスター公である証明などない。




それでも、元老たちはグウェンドリンを代理とするむねを受け入れた。ソフィアの威光もさることながら、〝繁栄〟の恩寵者抜きでの国政など考えられなかったからだ。




かくして、暗黒街の女王であるグウェンドリン・ハワードはライオン卿より代理就任を依頼され、孤児たちを引き連れてバッキンガムに移った。現在の彼女は仮代理という立場だ。ライオン卿の養子となるための手続きが進んでおり、それが終わり次第、大貴族の子女として正式に代理となる。




マークはいった。


「よく引き受けたな。君は政治に興味があるようには見えなかったが」




グウェンドリンが肩をすくめる。


「わたしにはわたしの都合があるの」




「元老たちは君を傀儡にしようと手ぐすねを引いてるだろう。君にどんな目論みがあるにせよ、うまくいくとは思えないが」




「権謀術数なら大歓迎よ。わたしの恩寵はとくにそうしたことに向いてますから。それより、あなたよ、ペンドラゴン卿。いったい何をしていらっしゃるの?」




「何を、とは?」




「わかっているでしょう? お姉さまよ。先週、わたしはお姉さまとあなたの婚約が発表される未来を見たわ。でも、実現しなかった。何があったのか想像は付くわ。ソフィア陛下がわたしを〝繁栄〟の恩寵者として指名したということは、つまり、ソフィア陛下もわたしと同じ恩寵の持ち主なのだろうし、ヴィクトリア代理もそうだということですもの。お姉さまを巻き込んだ何かが起こり、ヴィクトリア代理は引退し、お姉さまとあなたの婚約も消えた。そして、お姉さまはヨークシャーに引っ込んだ」




「ヨークシャー!?」




「呆れた。それすら知らなかったの? ペンドラゴン卿、あなた、お姉さまに何をしたの? 社交界新聞には、お姉さまがあなたに捨てられたと書かれていたわ。今日はそれを聞くために呼び出したのよ。まさかと思うけれど、お姉さまを弄んだのではないでしょうね? もしそうなら、たとえあなたがどれほどの英雄だろうが、報い受けてもらいますから」




グウェンドリンが、机の上に置かれた新聞を指で叩いた。社交界欄に、〝蒼い男〟、モントゴメリー嬢との婚約を破棄〟と書かれている。




「まさか!わたしは彼女を振ってなどいない!」マークは憤った。「わたしはーー」




「なに?」




「わたしはーーただ、怯えていただけだ。彼女への想いが消えてしまうことに怯えていたんだ」




グウェンドリンがため息をついた。


「あなたがどんな想いを持ってようが、お姉さまが深く傷ついたことは変らないわ。まったく。早く政務が落ち着かせてお姉さまを慰めてさしあげないと。あなたはご自分にふさわしいお相手を見つけることね。クリフォード家の御令嬢なんてどうかしら。少なくともお姉さまはあなたには勿体無いわ」




部屋の扉をノックして、従者が入ってきた。山のような新聞を抱えている。




グウェンドリンが手で目を絞った。


「さあ、もう帰っていただいて結構よ。あなたにお姉さまを守る資格がないことは確認できた。わたしはこれから、〝明日〟の夕刊に目を通さないといけないの。主要新聞すべてのね」




彼女は従者が置いた新聞束の一番上に載っていた一紙を広げ、目を落とし、「嘘!お姉さま!?」と叫んだ。


新聞を鷲掴みにし、激しく震える。




「なんだ? 彼女がどうしたんだ!?」


マークはグウェンドリンに駆け寄り、新聞を確認した。が、彼に見えるのは、神聖帝国の第二王子がグランドツアーに出発したという記事だけだった。




グウェンドリンがいった。


「あ、あ、あなたのせいよ! ペンドラゴン卿! あなたのせいで! あなたのせいでこんなことに!」




「どんなことだ!? 説明しろ! わたしには未来は読めない!」




「お姉さまよ! 自殺するの! いい、ここにはこう書いてあるわ。モントゴメリー家のメアリー嬢、ヨークシャーの自宅にて自死、と。ナイフで手首を切ったらしいわ。死亡推定時刻は、いまから二時間ほど後よ。二時間!」




マークはグウェンドリンの肩を掴んだ。


「どこだ!? 彼女はヨークシャーのどこにいる!? 君はモントゴメリー家の本宅の場所を知っているのか?」




「コルセーよ。一度お姉さまに連れて行ってもらったもの。ああ、なんてことなの。どうしよう。どんな早馬や恩寵者でも、二時間でヨークシャーなんて絶対に無理だわ。どうすれば助けられるの!?」




「いや、絶対に無理というわけではない」


マークは〝蒼い男〟を出現させると、グウェンドリンを内部に取り込み、そのまま彼女ごと窓から飛び出した。宮殿の外壁を〝蒼い男〟の足で蹴り飛ばす。外壁が轟音と共にひび割れ、マークたちは宙を跳んだ。




グウェンドリンが悲鳴をあげる。




猛烈な速度で、通りを隔てたシェルマイン公爵家の屋根に着地し、今度は公爵家の屋根を破壊して、また宙に飛び上がる。




「何!? なんなの!」とグウェンドリン。




マークは耳元で唸りをあげる風に負けないよう叫んだ。


「このままヨークシャーに行く!」




「バカ言わないで! こんな強い恩寵を二時間も維持できるはずないわ!」




マークは何も答えず、次の着地に備えた。




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モリーはナイフを左手の小指と薬指に当てた。




そっと力を入れると、刃は薬指の第一関節に沈み、微かな痛みとともに血が溢れ出した。




恐怖で呼吸が荒くなる。だが、ペンドラゴン卿をこのまま失うのはさらに恐ろしい。




彼女が覚悟を決めて、刃を一気に押し下げようとしたときだった。




窓の外から悲鳴が聞こえた。屋敷の管理人夫妻の妻の方の声だ。そして、衝突音と木がめりめりと倒れる音。




続けて屋敷の玄関扉が打ち破られるような音が響き、モリーが反応する間も無くダイニングの扉が弾け飛んだ。




現れたのは〝蒼い男〟をまとったペンドラゴン卿だ。


額に脂汗をにじませ、目を血走らせている。右の鼻腔からは鼻血が垂れていた。




「ペンドラゴン卿? なぜここに? いきなりどうしたの!?」と、彼女。




卿が彼女を睨む。


「君の方こそ、そのナイフはなんだ?」




モリーは血のついた刃を素早く背中に隠した。


「リンゴをむこうとして、ちょっと手が滑っただけよ」




卿は駆け寄ると、生身の手で彼女の手をひねり、現れたナイフの刃を握りしめた。握られた指の間から見る間に血が流れ出す。




「ペンドラゴン卿!」彼女は叫んだ。




彼が悲痛な声でいう。


「頼む。こんなことはやめてくれ」




モリーは目を伏せた。


「だめよ。わたしがこうするしかないの」




「そんなことはない」




「あるわよ。だって、予知の恩寵がある限り、あなたはわたしと一緒にいられない」




彼が、彼女の手からナイフを静かに抜き取った。


「一緒にいられるさ」




「いいえ。あなたは受けいられない。わたしはあなたをあれほど傷つけた予知の恩寵の持ち主だもの」




「いいや、わたしを傷つけたのはソフィアとヴィクトリアという二人の人間であって、予知の恩寵ではない」




「口ではそういえるかもしれない。でも、そんな簡単な物なの?」




彼が彼女の顎に手を当て、彼女の顔を起こした。


彼女の目をまっすぐに見つめる。


「わかっている。そう簡単ではない。だが、簡単に分かることもある。それは、ぼくには君が必要だということだ。そして、君という女性は恩寵も〝込み〟で君なんだ。恩寵があったことで、君はさまざまなことを経験し、感じ、いまの君が形作られた。予知を持たない君は君ではない」




「この呪われた力が、わたしを作った?」




モリーは喉の奥に何か熱いものが込み上げるのを感じた。




ペンドラゴン卿が力強く頷く。


「呪われた力などではない。その力のおかげでぼくは君と出会うことができたんだ」




モリーは涙を堪えながらいった。


「そこまでいうなら、この一週間何をしていたの? わたしがどんな思いでいたかわかってるの? わたしはあなたに婚約破棄されたも同然だったのよ?」




「ぼくの愚かさが君を深く傷つけたことはよくわかってる。本当にすまない」




ペンドラゴン卿が片膝をついた。




「償いをさせてくれ。一生をかけて」




〝蒼い男〟が彼の手からナイフを抜き取り、柄と刃に分解し、刃の方を握り込んだ。すさまじい圧力に刃が潰れ、完全な球体になる。蒼い手が繭玉から系をよるように金属の糸を練り出し、それを束ね、ねじって指輪を作り出した。




ペンドラゴン卿はモリーの左手を取った。


蒼い手が、小指に指輪をそっと差し込む。




彼がいう。


「あらためて頼む。ぼくと結婚してくれないか。メアリー・モントゴメリー。ぼくは君の人生など考えられないんだ」




モリーは涙を拭った。


「わたしと結婚する男は、この世でもっとも不幸な人間になるかもしれないのよ?」




「耳が痛いな。だが、どのような未来が待ち構えていても関係ない。君と共に歩めるなら、それだけでぼくはこの世でいちばん幸福な人間になれる」




「ペンドラゴン卿」




「マークと呼んでくれ」




ペンドラゴン卿が身を起こし、彼女を抱き寄せた。


彼等は静かに身を寄せ合った。




はじめのうち、モリーはただ幸福感に浸っているだけだったが、ペンドラゴン卿と密着するうちに、自分でもよくわからない焦燥感のようなものを感じ始めた。呼吸は早くなり、顔がほてり、鏡を見ずとも真っ赤になっているのがよくわかる。




彼女は自分の状態を彼に悟られまいと、さきほどから頭の隅で考えていた疑問を口にした。


「それで、どうしてわかったの?」




卿がわずかに身を離す。


「なにがだ?」


声には若干の不満が混ざっていた。どうやら、言葉を発するような場面ではなかったらしい。だが、会話を始めてしまったものは仕方がない。


「わたしが、左手の小指と薬指を切り落とそうと考えたことよ」




卿は眉を顰めた。


「指? 君は命を絶とうとしていたのでは?」




「まさか!」




そのとき戸口の方から声がした。「終わった?」見れば、グウェンドリンが外から顔を覗かせている。




モリーは卿を突き飛ばすようにして、あわてて離れた。


「グウェン!?なんで?」




卿がいう。


「どういうことだ? 君はメアリーさんの死を予知したのではないのか? それにどうしてここにいる!? ロンドンからどうやってここに来たんだ!?」




グウェンドリンが肩をすくめた。


「お姉さまは危うく死んでしまうところだったでしょう? 予知の恩寵も含めてお姉さまなのだから。移動手段については、あなたの知らない能力者を知っているとだけいっておくわ」




ペンドラゴン卿の蒼い男が一瞬ふくらみ、すぐに消えた。


「これだから、予知能力者というやつは! いや、訂正する。グウェンドリン・ハワード。わたしは君が好きになれない」




「あら、気が合うわね。わたしもあなたを好きにはなれないわ。お姉さまをこんなに苦しめたんだもの。いいこと? ちゃんと償わないとただじゃおきませんからね」


グウェンドリンが左手に握りしめていた新聞を開いた。


記事に目を走らせていう。


「うーん。もう一声ね」




「なに?」とペンドラゴン卿。




グウェンドリンが新聞を一度閉じてもう一度開く。


「まだ足りないわ」


「うんうん、そうじゃないと」


「そうそう。これくらいがお姉さまにはふさわしいわ」




モリーが訊いた。


「ちょ、ちょっとグウェン。あなたは何を見てるのよ?」




「あら、お姉さま。それはこのあとのお楽しみですわ。では、わたくしはこの辺りで失礼しますわ。早めにロンドンに戻ってくださいね。お姉さまのいないロンドンは退屈すぎますから」


グウェンドリンはそれだけいうと、戸口から消えた。




屋敷が静けさを取り戻したところで、モリーは口を開いた。


「あの子がいったことは気にしないでね」




「わかってるさ。予知者がどんな未来を見たにせよ、相手に本当のことを告げているとは限らないからな。彼女は君を大切にしろといいたいだけだろう。ただ、彼女にいわれるまでもないことだし、わたしが彼女の言葉で君への扱いを変えるような男だとは思ってほしくないな。わたしは最初から全身全霊を尽くすつもりだ」




「あ、ありがとう」




「では、ひとまずはさきほどの続きだ」




「つ、続きって?」




ペンドラゴン卿は彼女の問いに答える代わりに、彼女の左手の小指を生身の手でそっと握った。


「ぼくがどうするつもりか分かるかな?」




モリーはまた顔が赤くなるのを感じた。




ペンドラゴン卿はニヤリと笑うと、彼女に口付けた。

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高慢と偏見と予知能力〜悪役令嬢として放っておいて欲しいのに、傲慢英雄公爵との結婚ルートから逃れることができません〜 ころぽっかー @sikiasaka

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