第20話 女王の剣
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「マーク!あなた、このたいへんなときにどこにいってたのよ!? おかげで、カルロマンの後任決めが進まなかったじゃないの。わたしはあなたになってほしかったのに。あら、そのお隣の方は? ひょっとして、あなたが、マークの〝いいひと〟のメアリーさん!? ようやくお会いできたわね!」
女王代理の執務室に入るや否や、女王代理のアレクサンドリナ・ヴィクトリアが、執務机からさっと立ち上がって駆け寄ってきた。
モリーは早くペンドラゴン卿に言わないと!と激しく焦った。このままだと卿に恥をかかせることになる。廊下に出て、お受けできませんと断りを入れる。ただそれだけなのに。心のどこかが拒否しているのだ。
女王が手を振ると、控えていた衛兵や従僕がさっと隣の部屋へと姿を消した。
執務室は、さきほどのソフィア女王の寝室の二十倍はありそうだった。黒壇の執務机はキングサイズのベットほどもあり、書類が山積みになっている。壁の一面はまるごと世界地図になっており、栄光のロイグリア帝国の版図が青く塗られていた(植民地を含めれば世界のおよそ三割は帝国だ)。別の壁には時代がかった剣や槍の類がずらりと並んでいる。モリーはその一振りの説明書きに、ガラティーンの文字を読み取った。御伽噺に出てくる、湖の騎士ガラハッドの一振りだ。
ヴィクトリアがモリーに顔を近づけた。
「マークが選んだだけあって、お綺麗な方ね」
モリーは、これまでに新聞の細密画などで幾度もヴィクトリアの顔を目にしていたが、こうして近くで見る彼女は、誌面から受ける印象とはまるで異なっていた。
紙のなかでは、常に冷静で落ち着き払っている若き才女という感じだが、目の前に立つ彼女は、燃えるような存在感を放っていた。ペンドラゴン卿より年上のはずだが、驚くほど若々しく、賑やかしい。
卿が眉をひそめた。
「ドリナ、どうして知ってるんだ? ぼくが彼女に求婚したのはほんの二時間前だぞ?」
「あら、あなたが彼女にゾッコンだということくらい、先日の舞踏会での様子を見れば、誰にだってわかるわよ。ねえ、モリー。あら、モリーと呼んでもよろしくて?」
「も、もちろんです陛下」
「陛下だなんてかたっくるしいわね。マークと同じようにドリナと呼んでちょうだい。なんといっても、あなたはマークと結婚するんだから。わたしの親戚になるのよ?」
ペンドラゴン卿が腕を組んだ。
「ぼくが、彼女に惹かれているのが誰にでもわかっていた? まさか」
「マーク、あなたは自分が思っているほどの鉄仮面ではなくてよ。昔からそうなんだから。神聖帝国の第三皇子がわたしに粉をかけてきたときもそうだったでしょう? 無意識に〝蒼い男〟を出してたいへんなことになったじゃないの」
「臣下たるもの、誰だって主君を侮辱されれば怒りもする」
「彼はわたしを口説こうとしただけよ? しかも、向こうはわたしがロイグリアのヴィクトリアだと知らなかったんだから」
卿が苦笑した。
「わたしも若かったのさ。まだ十代だったんだ。大目に見てくれよ」
女王がクスクス笑った。
「とにかく、あなたの旦那様は世間にいわれてるほどの完璧な人間ではないの。ときには失敗もすると思うけど、許してあげてね」
「え、ええ」
「それと、マークは食べ物の好みが一風変わってるの」
「そうなんですか?」
「彼はインドやスリランカのスパイスに目がないのよ。六年前に派遣されたときにのめり込んで、帰国後もこっそりリバプールまで買い付けにいってるの。結婚したらあなたもあのわけのわからないスープを食べさせられることになるわよ」
ペンドラゴン卿が両手を上げた。
「おいおいおい、そのへんで勘弁してくれないか」
「勘弁できないわ」ヴィクトリアがニカッと笑った。「わたしは親戚の一人として、あなたの奥さんに、あなたのことをしっかりと伝える義務があるのよ」
卿が天を仰いで踵を返した。
「月の間と配達夫を何人か借りるよ。バネ足の件の残務処理が山のようにあるんでね。話が終わったら、彼女を寄越してくれ」
彼はそのまま玉座の間を出ていった。
いまや巨大な広間に残っているのは、モリーとヴィクトリアの二人だけだ。
ヴィクトリアがモリーにウインクした。
「出ていってくれて好都合だわ。女性だけでないと話せないこともあるものね」
女王代理は壁際の長椅子を指し、二人は端と端に腰掛けた。
モリーは息を吸った。
こうなっては、まずはヴィクトリアに告げるほかない。
ペンドラゴン卿は気の迷いを起こしているだけなのだと。
だが、彼女が言葉にする前にヴィクトリアが口を開いた。
「それで、あなたとマークはいったいどこで出会ったの?」
「クリストファー男爵家の舞踏会です」
「それって、カルローーいえ、バネ足が襲撃したところでしょう?」
「はい。襲撃の少し前、ダンスホールで初めてペンドラゴン卿にお目にかかったんです」
「そこでマークがあなたを誘ったの? 彼は女性に対して積極的とはいえないから、ちょっと意外ね」
モリーは首を横に振った。
「まさか、ぜんぜん違います。わたしたちの初対面はよいものではなかったんです。その、わたしが彼に水をかけてしまったんです。それで、怒らせてしまって。とにかく、出会い方としては最悪でした」
「マークに水をかけた? 天下無敵の〝蒼い男〟に? それで、あなたはどうしたの? 謝って許してもらえた?」
「いえ、彼がわたしを侮辱してきたので、言い返しました」
「そこから、どうしたら彼に求婚されるわけ?」
「わたしにもわかりません。そのあとも、彼とは何度も言い争いましたし、正直、彼がどうしてわたしを気に入ってるのかサッパリです」
ヴィクトリアの目から笑みが消えた。何事かを見定めるようにじっとモリーを見つめる。
「案外、あなたのその素直さに惹かれたのかもしれないわね。わたし含め、一流貴族の女性はみな本心を表に出さないものだから。
それで、念のため確認しておきたいことがあるの。マークがあなたに恋していることはよくわかったわ。あなたの方はどうなのかしら? 彼のことを想ってくれてるの? それとも、公爵夫人という立場に憧れているだけ?
ごめんなさいね。ぶしつけなものいいで。でも、マークはただの人気者の独身男性ではないの。アバコーン公に不幸があったいま、彼は今後、いままで以上に王室の一員としての責務を負うことになるわ。もし、あなたが本心から彼を愛しているのでない限り、あなたにとっても彼にとっても不幸な未来が待ち受けることになる。それなら、彼の求婚を断ってほしいの。
もちろん、あとのことはわたしが保証するわ。公爵は無理にしても、男爵、子爵の独身男性をお世話してあげられるし、あなたのお父様の爵位を上げることもできる。あなた本人にも五万ポンドの支度金を用意するわ」
モリーは即答した。
「わたしも彼のことを本気で想っています。ですから、お申し出はお断りするほかありません」
彼女は、あわてて口を抑えた。
いまの女王代理の申し出は渡りに船だったのに、どうして乗らなかったのか。
もちろん、さすがのモリーも答えはわかっていた。
ただ、自分の気持ちを認めてしまうと、あとがつらくなることもわかっている。
まだ間に合う。代理にイエスといわなくては。
だが、モリーが口を開く前に、ヴィクトリアが微笑みながら立ち上がった。
「相思相愛というわけね。素敵だわ。出会うはずのなかった二人が出会い、恋に落ちる。夢のような物語ね」
「い、いえ。そういうわけでは」
ヴィクトリアが壁にかけられていた聖剣ガラティーンを手に取った。刀身が細身だから見た目ほど重くないのか、気軽にぶんぶん振り回す。
「でも、あなたたちは運命の相手ではないの」
ヴィクトリアが剣をゆっくりとモリーに近づける。
「あなたは本来あるべき運命を歪めてしまった。とても残念だけど、修正せざるを得ないわ」
「何をおっしゃっているんですか?」
ヴィクトリアが剣を振りかぶった。
「あなたには消えてもらわねばならないの」
女王代理がなにをいってるのか理解できない。
が、目の前の剣が振り下ろされるのは確実だ。
彼女は回避すべく、左の小指を掌に押しつけた。
ところが、無数の未来が乱立し、近未来のビジョンがまるで定まらない。ヴィクトリアの一秒先の姿が見えない。
「さようなら、メアリーさん」と、ヴィクトリア。
剣が振り下ろされた。
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