第21話 予知vs予知
モリーは咄嗟に腰を長椅子から落とし、身を深く鎮めた。
剣の刃は背もたれに食い込んだ。
ヴィクトリアが顔を顰める。
「そう動くとはね」
モリーは横に転がり、素早く立ち上がると右手の小指を強く掌に押しつけた。
やはり、無数のビジョンが溢れている。
未来がまるで定まっていない。
ただ、全体としては虚無の割合が多い。見えている未来が千通りあるとすれば、うち七百は死が待ち受けている。
「どういうことなのですか?」と、モリー。
なぜ、女王代理が自分を殺そうとするのか。
なぜ、未来が定まらないのか。
頭脳は答えを求めて猛烈に回り始めた。
ヴィクトリアが剣を背もたれから引き抜く。
「あなたが死んでくれれば、何もかもうまくいくということよ」
彼女が横薙ぎに振るった刃を、モリーは身を捻ってかわした。かすめた刃が、ドレスの太ももの辺りを切り裂いた。
モリーはその切れ目に手を入れると、ナイフを取り出した。ここしばらくの癖で、起きがけに装着していたのだ。
ヴィクトリアが片方の眉をあげた。
「女王に抵抗するというの?」
モリーはヴィクトリアの剣先を見つめながら考えた。
未来が定まらないということは、未来の分岐点にいるということ。
彼女が構えを変えると、未来がまた分岐した。
ナイフを動かすたび、未来は激しく揺れ動く。
「わたしが死ねば、何がうまくいくのですか?」と、彼女。
ヴィクトリアが剣先を動かすと、また未来がざわついた。
「もちろん、我が国の将来よ。〝蒼い男〟は〝繁栄の女王〟と手を携えて国を導くもの。あなたのような娘に渡すわけにはいかないのよ」
「わたしだって、ペンドラゴン卿と自分が釣り合っていないことくらい分かってます!」
「なら、なぜ彼の求婚を断らなかったの? 自らの命が危うくなることはわかっていたでしょう?」
モリーの背中の産毛が総毛だった。
宮殿に到着した時、己に虚無が見えたことは、まだ誰にも話していない。ペンドラゴン卿にすら。
また、ヴィクトリアは剣をふるうまで微塵の害意も見せなかった。常識的に考えて、モリーに、ヴィクトリアが自身を殺そうとしていると気付ける余地はなかった。
なのに、ヴィクトリアはモリーが見通していたかのように話している。
つまりーー。
「あなたの恩寵も〝予知〟なんですね」
ヴィクトリアは答えない。
「〝繁栄〟の恩寵なんてなかった。あなたは〝予知〟で未来を見ながら、政を行なっていた。そうでしょう?」
でも、まさか。モリーは震えた。女王代理の恩寵が、あらゆる人から忌避され続けた〝予知〟だなんて。
長い沈黙のあと、ヴィクトリアがため息をついた。
「ご推察通り。わたしの恩寵はあなたと同じ、未来を見る力よ」
為政者が予知の恩寵を持っていれば、国にとってどれほどの益があるだろう。諸外国との外交的駆け引き、戦争の趨勢、植民地経営の指針づくり、あらゆる面で他国よりも優位に立てる。
ヴィクトリアが続ける。
「マークはわたしと夫婦になる運命だったのよ。わたしと彼が初めて会ったときから、いえ、巡り合う前からその星の元に生まれていた。わたしと彼との間にエリザベスとアレクサンダーが生まれ、最高に幸せな家族になる。そして、エリザベスはわたしの後を継ぎ、我が国はさらに栄えていくの。それをあなたみたいな、ぽっとでの女に邪魔されてなるものですか」
「そんなに彼のことが好きだったのなら、どうしてもっと早いうちに婚約しなかったの?」
「わたしは女王代理よ!臣下に自分と結婚するよう仕向けられるものですか!だいいち、彼がわたしとの結婚を考え始めるのは、来年、カルロマンがわたしを狙ってからだと決まっていたのよ。わたしは彼を庇って負傷する。そこで初めて彼はわたしが予知の恩寵者だと気づくの。彼は予知能力者を嫌悪しているけれど、もっとも親しい友であるわたしがそうだったと知って、悩み、そしてわたしを受け入れる。そうなるはずだった」
モリーは突き出された剣を、どうにかかわした。
「そんなにペラペラ喋っていいの?」
ヴィクトリアは笑った。
「わたしの悪い癖だわ。一度話し始めると止まらなくなるの。でも、あなたには少なからず気分を害されてる。さんざわたしの邪魔をしてくれて。斬り殺す前に、この苛立ちを少しくらいぶつけさせてもらってもいいわよね? まあ、心配しなくても大丈夫よ。わたしにはあなたの死に様がはっきり見えているから」
ヴィクトリアのいうとおりだ。
モリーは唇を噛んだ。
さきほどから、余地に含まれる虚無の割合がどんどん増えている。互いに予知がつかえないとなれば、長剣とナイフ、獲物の差がそのまま未来につながるのだろう。
「ここでわたしを殺したとして、ペンドラゴン卿にはどういいわけするつもりなの?」
「もちろん、〝バネ足〟が現れたというわ。わたしはあなたを守ろうと奮戦したものの、力及ばずあなたは殺されてしまった」
「そんな嘘、誰が信じるの? カルロマンは軟禁されたのよ?」
「あら、知らないの? 彼はもうライオン卿の手から逃れてるわよ。わたしの送りこんだ傭兵たちが奪還したの。彼は恨み真髄よ。彼の中では、あと少しで念願かなってわたしと結婚できるはずだったのに、マークとあなたに全てぶち壊された。あなたを惨殺する理由としては十分だわ」
「カルロマンさんが、逃亡? あなたと結婚?」
「もちろん、彼が一方的にそう思い込んでいただけよ。所詮、恩寵を持たない人間が王族と結婚できるはずなどないのにね」
モリーはじりじりと壁際に寄った。
壁にかかっているヴィクトリアの巨大な肖像画の額縁が、肩に触れる。
モリーから見て壁は左、対峙するヴィクトリアからは右だ。剣を右手に持つヴィクトリアはほんのわずかだが不利になったはずだ。だが、まだ得物の差を埋め切れていない。
「なぜ、あなたがカルロマンさんを逃すの? 重罪人なのよ」
果たして、ヴィクトリアはどれくらい先の未来を見られるのだろうか。モリーは問いかけながら考えた。おそらく、自分と同じ遠近両用だ。話しぶりからすると、遠距離は彼女の十年先よりも遠くまで見通せる。では、近距離は? 自由に任意の未来を見れるのか。何らかの制限があるのか。
「思ったほど賢くないのね。あなたなら、すでに気づいていると思ったのだけれど。あの世でゆっくり考えるといいわ」
ヴィクトリアはそういうと、一気に踏み込んできた。
モリーは壁の肖像画に手をかけると、一気に手前に引き寄せた。小さな家の壁ほどもある絵が止め釘から外れ、ヴィクトリアにのしかかる。
が、ヴィクトリアはすいと一歩引いて、あっさりとかわした。
絵が床に叩きつけられ、大音響を立てる。
「惜しかったわね」と、ヴィクトリア。「発想はよかったけれど、身体が絵によりすぎていたわ。それじゃあ、未来の選択肢は狭まり、読みやすくなる」
モリーは首を横に振った。
「あなたも全てを見通せるわけではないみたいね。近未来は一秒か二秒程度先が限界みたい」
モリーは一秒先の未来のビジョンを見た。ヴィクトリアも同じ未来を見たのだろう。顔色が変わった。
「賢くないといったのは訂正するわ」
声が宙から消える前に、控えの間から十人近い護衛兵たちが飛び込んできた。全員仮面を被っている。おそらくは皆が恩寵持ちだ。抜き放った剣の刀身が炎に包まれていたり、霧状に変化したりしている。上腕が異様に盛り上がっているものもいれば、ナイフを体の横に浮かべているものもいる。
続いて、廊下につながる扉を蹴破るようにしてペンドラゴン卿が飛び込んできた。〝蒼い男〟をまとい、流れるような動きでモリーの横に立った。
卿がヴィクトリアを見た。
「いったいどうなっているのか、教えてもらえるかな?」
彼女が顔を顰め、ため息をつく。
「メアリー、あなたは最悪の選択をしたわ。おかげで、今後十年、我が国の軍事力は大きく落ち込むことになる」
モリーの声は震えた。
「マーク・ペンドラゴンは、帝国一の騎士よ」
そう。帝国最強の戦士だ。たとえ十人の恩寵者がいても、ペンドラゴン卿には敵わないはず。彼女は不安に囚われた。なのに、なぜ、ヴィクトリアはペンドラゴン卿が死ぬかのような口振りなのか。
ヴィクトリアが護衛兵の一人をあごで示した。
「あなたは知らないようだから教えてあげるけど、彼ら〝仮面の男〟たちは、ただの騎士ではないわ。一人一人が超絶的な恩寵の持ち主、マークですら無傷では済まない使い手なのよ」
ペンドラゴン卿がモリーを見てうなずいた。
「本当だ。女王に仕える〝仮面の男〟は、ぼくと大差ない力を持っている」
ヴィクトリアが卿にいう。
「マーク、無駄だとは知ってるけれど、一応、確認するわ。回れ右して、入ってきた扉から出て行ってもらえないかしら」
卿はモリーを抱き寄せた。
「断るよ。ヴィクトリア。何が起きているのかはわからないが、彼女はぼくの妻になるべき女性だ。こんなところに一人残すわけにはいかない」
卿の大きな手は力強く、こんなときだというのにモリーは胸の高鳴りを抑えられなかった。
〝蒼い男〟がモリーを内部に取り込んでいく。
ヴィクトリアがいう。
「死ぬことになってもいいの?」
「ぼくは〝蒼い男〟だ。そうかんたんに殺されはしない」
「いいえ、殺されるのよ」
「それはわからないわ」
モリーは両手で卿の手を握りしめた。
未来が渾然一体となって押し寄せてくる。
彼女とペンドラゴン卿がどこかの庭園のベンチに並んで座っている。見事な薔薇が一面に咲いている。ペンドラゴン卿そっくりの男の子が、満面の笑みを浮かべて二人に向かって駆けてくる。
彼女は一人、モントゴメリー家のダイニングテーブルに座っている。父も母も、妹もいない。屋敷内はひたすらに静かだ。花瓶のなか、枯れた花から茶色の花びらが一枚落ちた。
冷徹な虚無。暖かくも冷たくもなく、上も下もなく、前も後もなく、ただ無だけが広がっている。
そしてありとあらゆるすぐそこにある未来。
「左後ろから来るわ」
モリーがつぶやくと、卿が即座に反応した。
〝蒼い男〟が身を捻り、左後方にパンチを繰り出すと、衝撃が走った。目には見えない何かに直撃したのだ。そのなにかは、吹き飛ばされ、壁に大穴を開けて隣の部屋に消えた。
卿がいう。
「いまのは紅の仮面だな。透明化の恩寵者だ」
「右から体当たり!」モリーが叫んだ。
〝蒼い男〟が右から風のような速さで突っ込んできた仮面の大男を組み伏せ、膝蹴りを叩き込んだ。
大男が床に倒れ伏す。
ヴィクトリアが舌打ちした。
彼女は仮面たちのなかでも、とりわけ小柄な一人を呼び寄せ、その手を握った。
仮面たち全員がぶるりと震える。
ペンドラゴン卿がいう。
「〝同調〟だ。ヴィクトリアが指揮をとるようだな」
彼は〝蒼い男〟の手の本数を増やし、計四本にすると、壁にかかっていた二本の剣と二本の槍を握らせた。
青い仮面の男が、奇声をあげた。
とてつもない高音で、部屋のガラスが一斉に割れた。
ペンドラゴン卿が気を取られた隙をついて、二人の仮面が〝蒼い男〟の前後から突進してくる。が、ここはモリーの予知が勝った。〝蒼い男〟が生やした新しい二本の手が彼らを弾き飛ばす。
すさまじい乱闘となった。ヴィクトリアとモリーは互いに未来を読み合い、ペンドラゴン卿と仮面たちは二人の判断に絶対の信頼を置いてぶつかり合う。
そして、ペンドラゴン卿が〝蒼い男〟でヴィクトリアを捉え、仮面の男たちがモリーを〝蒼い男〟から引き剥がしたときだった。
場の雰囲気に似つかわしくない、涼やかな声が響いた。
「双方、剣を引きなさい」
声がした瞬間、モリーは不確定だった未来が、一気に収束するのを感じた。枝分かれしていた道が、一本道に変わる。
仮面の男たちが、素早くモリーとペンドラゴン卿から離れ、一斉に床に膝をついた。
ペンドラゴン卿の〝蒼い男〟がヴィクトリアの首から手を離した。
「叔母さま」と、ヴィクトリアがつぶやく。
部屋に入ってきたのは、ロイグリア帝国女王のソフィアだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます