第17話 プロポーズと予知
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本当はこんなところに来ている場合ではない。
マークはモントゴメリー家の玄関先の階段をあがりながら思った。
いまや、帝国の政界は上は下への大騒ぎだ。なんといっても、女王代理を長年補佐し、帝国の安定的発展に寄与してきたカルロマンが突如一線を退くことになったのだ。
マークですら、彼の手腕は認めざるを得ない。
経済政策は常に完璧でここ何年かは不況知らず。フランク王国や神聖帝国との交渉ごとに抜かりはなく、三度あった植民地の反乱も種火の間に抑え込んだ。
女王代理のヴィクトリアはことあるごとに、カルロマンの進言ゆえだと褒め称えた。
そのカルロマンが抜け、有力貴族たちは次の補佐役に自らの縁者を押し込もうと燃え上がっている。
一方、〝真実〟を知るマークと、それを伝えられたヴィクトリアおよび法務大臣のライオン卿は、事態の隠蔽におおわらわだった。
かの連続殺人鬼が、有力貴族だったと知られれば、市民の貴族への悪感情が高まりかねない。
もともと、市民は〝恩寵〟に恵まれ、長年自分たちを支配し、富を独占してきた貴族に対して、よい印象を持っていない。封建時代には、恩寵の前に黙って屈するしかなかったが、近年は兵器の発展がめざましく、いくつかの国では銃を手にした市民が貴族を打ち破って革命政府を樹立するまでになっている。
ライオン卿はフィッツジェラルド屋敷の使用人全てを軟禁し、徹底した箝口令を敷いた。また、カルロマン自身はライオン卿がスコットランド北端に所有する古城にむけて移送中だ。彼は、今後、そこで余生を過ごすことになる。
マークは、本日中にヴィクトリアとライオン卿に詳細な報告書を提出せねばならなかったが、バッキンガムを出た後、馬車を向かわせたのはモントゴメリー屋敷だった。
メアリー嬢には、もう危険はない。
バネ足だったカルロマンはもう何もできない。
昨日、捜査局の局員たちに自宅まで送らせ、それで終わり。
そのはずだった。
彼女には彼女の、自分には自分の人生がある。
彼女は予知の恩寵を隠したまま、平穏なる日々をおくり、いずれ、あまり条件の良くない相手に嫁ぐことになるだろう。地位も風采もパッとしない間抜けな男だろうが、メアリー嬢の支えがあれば家庭はうまく回るだろう。彼女はその男の子供を産み、つつましくも幸せな人生を送る。
マーク自身も年貢の納めどきだ。国を動かす立場にある有力な公爵がいつまで経っても独身ではまずい。頂点に立つヴィクトリアもまだ独り身ゆえに、宮廷の注目は彼女に集まっているが、ヴィクトリアが片づけば、マークにすさまじい圧力がかかるだろう。彼ほどの恩寵を持っている者の相手は、ただの貴族というわけにはいかない。政略結婚になるだろう。相手は神聖帝国やルーシ公国の皇女あたりか。
ここしばらくは、山あり谷あり、ある意味では心踊る日々だったが、そろそろ現実に帰る時だ。
たしかに、メアリー嬢には魅力的な面もある。
だからこそ、イーストエンドでは婚約とまで口走ったのだが、よくよく考えれば、やはりできることとできないことというものがある。
自分は偉大なる帝国の導き手の一人だ。どれほど惑わされたとしても、いるべき場所にいなければならない。
彼の手は、モントゴメリー家の扉を叩く直前で止まっていた。
手を下げるんだ。
引き返さなくては。
彼が心の中で呟いた時、目の前の扉が開いた。
口喧しいモントゴメリー夫人が、「まあまあまあ!ペンドラゴン卿!モリーをお誘いに来てくださったのですか!?」と、すっとんきょうな声で叫ぶ。
夫人のうしろにはメアリー嬢がいた。
昨日、あれほどの事件に巻き込まれたというのに、例によって輝かんばかりの何かを放射している。その何かに惹きつけられ、マークは彼女から目が離せなくなった。
口が勝手に動く。
「わたしは、お嬢さんに結婚を申し込みに来たのです」
モントゴメリー夫人が、怪鳥のような叫びを上げて気絶した。
マークはとっさに〝蒼い男〟の腕を出し、夫人が床に頭をぶつけないように支えた。
「ペンドラゴン卿、いまなんとおっしゃいました?」と、メアリー嬢。文字通り目を丸くして彼を見つめている。
わたしはいま何をいった?
結婚を申し込みに来た?
メアリー嬢に?
この、気が強く、おしゃべりで、知恵が周り、勇気を持ち、美しく、家柄が低く、社交界で不人気で、予知の恩寵を持った女性に?
きっとたいへんな騒ぎになる。
古参の貴族たちからは白い目で見られるだろう。
弟のウーゼルは呆れ返るだろうし、彼女が表向き恩寵ナシである以上、下手をすれば家督をウーゼルに譲らなければならないかもしれない。
だが、このような女性は今後二度と現れないと断言できる。
卿はようやく気づいた。
家柄が低かろうが、かしましい母親がついてようが、予知という大きな欠点を持っていようが関係ない。
彼女こそ、自分から生涯をともにすべき相手なのだ。クリフォード家の晩餐会で初めて会ったときから、分かりきっていたことだ。なぜ、いまのいままで、認識できなかったのか自分でも理解できない。
いや、違う。おそらくは〝蒼い男〟だ。メアリー嬢と霊体を通して一体となったことをきっかけに、曇っていた眼が開いたのだろう。見えるべきものが、ようやく見えるようになった。
じっさい、彼女との暮らしを想像すると、まったくもって悪くないものに思えてきた。
エクセインの本宅で、毎朝彼女と共に目覚め、朝食をともにし、心からの会話を楽しみ、馬で遠出し、草原で戯れる。たまに喧嘩することもあるだろう。彼も彼女も一個の人間なのだ。ぶつからないほうがおかしいというもの。だが、険悪な時は長続きはしない。夜になればしとねを共にするのだ。長続きしようはずがない。
マークは頷いた。
「わたしは、君に結婚を申し込む。メアリー・モントゴメリー」
彼はじつにすっきりした気持ちだった。
これこそ、自分の人生のあるべき姿だと、魂のどこかが告げている。
そして、メアリーの目を見れば、彼女もまたそう感じていることがわかる。〝蒼い男〟を通してつながったときから。いや、そのずっと前からわかっていたことなのだ。
メアリーがゆっくりと口を動かした。
「お断りしますわ、ペンドラゴン卿」
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プロポーズを断られたペンドラゴン卿の顔は、まさにドラゴンの炎のように耳まで真っ赤になり、それからすうっと青ざめた。
怒りを押し殺した声でいう。
「メアリー嬢、よく聞こえなかったから、もう一度いってくれないか? しっかりと考えた上で」
モリーは両手を腰に当てた。
「わたしは、お断りするといったのよ」
ペンドラゴン卿の体から、ぴりぴりと青白い電撃のようなものが放たれている。〝蒼い男〟だ。具現化しては消えるを繰り返している。
「なぜだ!」卿が怒鳴った。「断る理由が分からない!」
「理由ですって? そんなこというまでもないでしょう!? わたしは社交界随一の売れ残り女で、あなたは一番人気の殿方だからよ。いくらなんでもこんな冗談は失礼よ!」
「冗談? わたしの言葉を冗談だというのか!?」
あまりの怒気に、モリーはたじろいだ。
「だって、ほら、初めて会ったときに、わたしと結婚する相手は気の毒だって、いっていたじゃないの」
「誰だって、いきなり水をかけられれば、それくらいのことはいう」
「わかったわ。初対面のときのことは忘れる。でも、そのあとだって、あなたはわたしに辱めを与えようとしたわ。外でドレスを剥ぎ取ろうとしたのよ」
「それについては謝罪する。あのときのわたしの判断は誤りだった」
「いまも誤った判断をしているわよ。だいいち、あなた、わたしのことを好きじゃないでしょう? あなたみたいな人がわたしのことを好きになるはずがないのよ」
卿の身体を包む光体がいっそう激しく反応した。
「わたしはイーストエンドで、君に婚約を申し込んだぞ」
「あれはグウェンドリンに張り合っただけでしょう!?」
「たしかに、あのときは勢いもあったことは否定しない。だが、わたしはあの時点で、すでに君と生涯を共にしたいと考え始めていた」
卿はまっすぐに彼女を見つめている。
まさか。モリーは一歩室内に引っ込んだ。自分の人生で、こんな風に求婚されることがあるだなんて。しかも、それがペンドラゴン卿だなんて。
「でも、わたしは予知の恩寵者よ。世間から蔑まれる能力者」
「わかっている。このさいハッキリいうが、わたしは予知の恩寵というものを好ましく思っていない」
「まあ、あら。ずいぶんとハッキリいうわね」
モリーはホッと息を吐いた。どうやら、この話の流れなら、ペンドラゴン卿を一時の気の迷いから正気に戻せそうだ。
「だが、わたしは君のことは好ましく思っている」
モリーは胸を押さえた。男性に好意を示されたのは生まれて初めてなのだ。
「わたしは君と共に生きたいと考えている。そして、きみもまたわたしと共に生きたいと考えている」
「それは」
「否定はできないはずだ。目を見ればわかる。わたしたちは互いに惹かれあっている」
モリーはあわててペンドラゴン卿から目を逸らした。
「でも、無理よ」
「まだいうのか?」
「未来を見たもの。たしかに、わたしたちが結婚するという未来もあるわ。でも、それは決して幸せなものではないの。わたしは左で触れた相手の十年後の姿を見ることができる。わたしはあなたとのビジョンを見たわ。わたしとあなたは大きなダイニングにいた。壁には炎の竜と青い大男のタペストリー、暖炉の上には錆びた剣が飾られていた」
ペンドラゴン卿が腕を組んだ。
「ハイパレス。エクセインにあるペンドラゴン一族の本宅だ」
「そこでわたしたちは食事をしていた。贅を尽くした料理よ。でも、わたしたちの間に会話はない。わたしたちは互いに怒っていたの。恐ろしい雰囲気だったわ」
「それで?」
「それで? わからないの!? わたしたちの結婚はうまくいきっこないということよ」
ペンドラゴン卿がむすっとした調子でいう。
「わたしはそうは思わない。君が見た未来は、わたしたちが十年後に喧嘩をしていたというだけの話だ。どんな夫婦でも喧嘩くらいするものだ。むしろ、喧嘩がないほうが夫婦として不健全だろう。君の予知は、わたしたちの将来についての参考にはならない」
「でも」
「仮に、本当に未来の私たちの関係性がよくなかったとして、そのためにいま君を諦めるなんてことは絶対にしない。わたしはもう二度と未来に負けるつもりはない」
「その気持ちは嬉しいのだけど、やっぱりあなたとわたしとではーー」
ペンドラゴン卿の周囲で光体がひときわ激しく明滅した。具現化しかけていた蒼い光体が、はっきりと手を形作った。モリーの身体を掴み、ペンドラゴン卿に引き寄せる。
ペンドラゴン卿の生身の手があらあらしくモリーの顎を掴んだ。
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