治癒の癒花_02
「なるほどネ。
増えた蛇苺の実を処理しながら
「よく頑張ったワネ。アンタはアチシの自慢の娘だワ」
「ううっ、老師……!」
感極まった草苺は、細い煤を両手で抱き締めた。
「アンタは悪くないワヨ。胸を張りナサイ」
「でも、花結師じゃないのに剪定までしちゃったし、やっぱり死罪になるかも……」
「そんなコト、アチシが許さないワ。大丈夫ヨ」
聡明で人語を解するとはいえ、所詮は蛇。
蛇一匹にできることなどないだろうが、草苺にとって煤の言葉は何よりも力強かった。
皇帝相手でも、煤がいればどうにかなるとすら思えてしまうほどに。
「よし」
草苺は軽くなった頭を結い直す。
いつもと同じ髪型だが、いつも以上に気合いを入れて結った。
深呼吸をして、背筋を伸ばす。
朝陽に照らされる世界のなか、将軍の呼び名に相応しい佇まいの猫とまっすぐに向き合った。
「行こう!」
案内されたのは、日頃は近付くことすら許されていない宮廷の中心部だった。
下級女官の登場に官吏たちが怪訝な眼差しでひそひそと囁くも、尻尾を伸ばして堂々と闊歩する薄汚れ将軍のおかげで呼び止められはしなかった。
宮城の奥に進むにつれて人の数は減り、ついに二足歩行をする猫妖たちしかいなくなる。
二又尻尾を揺らして行き交うもふもふに、草苺の緊張が和らいだ絶妙な状態の――その時。
「よお」
最悪の人物と、再会した。
「その節はどーも。逃げ足はえーのな」
四季万彩の庭に築かれた渡り廊の途中。
現れたのは、極彩の情景に不釣り合いな粗野な剣を腰に携える軽装の青年。
空色の双眸に草苺の引き攣った顔を映すと彼は親しみぶかい笑みを浮かべるが、左手では苛立たしげに耳飾りの房を揉んでいた。
「今度はそうはいかねえぞ」
長房を指先で弾き、大股に一歩近付いてくる。
咄嗟に草苺は後退りしかけたが、踵がぬくもりに触れる。
「え? うわっ!」
いつの間にか周りを甲冑をつけた
心臓が激しく脈打つのは甲冑姿すら愛らしいせいか、逃げ道を塞がれたせいか。
「こいつらはお前より疾いからな」
猫妖に罪はない、と草苺は覚悟を決めて、ふたつの青空を見上げた。
「なぜ、角星さまがここにいらっしゃるのですか?」
相手の立場が不明なので敬称をつける。
同じ失敗はできないと丁寧な言動を心掛けたのだが――なぜか、豪快に噴飯された。
「ハア? なんだよそれ。昨日はあれだけ騒いでたくせに」
「それは、昨日は色々と突然でしたので……」
「あーあー! やめろ! 昨日みたいに普通でいい。かったるいのは苦手なんだ」
「…………本当に、いいの?」
「いまさら」
角星は鼻で笑う。
「じゃあ、角星」
「なんだよ、草苺」
「聞きたいんだけど、どうしてここにいるの? やっぱり、わたしは……」
話しやすくなったついでに聞いてしまおうと思ったが、いざ「死罪になるの?」とは、はっきりと聞けず、言葉尻が震え消える。
覚悟は決めてきてつもりだったが、簡単にはいかなかった。
けれど、問題を後回しにするわけにもいかない。大人しく死罪になるつもりはなく、どうにか隙を見つけて逃げようと企む。だからこそ、引き出せる情報は早めに聞き出さねばならない。
――煤と一緒なら、なにが起きても大丈夫。
草苺は唇の内側を噛み締めた。襟の内側に隠れる煤へと手を添える。
この先なにが起きてもがむしゃらに生きる覚悟を決めたところで。
「なーんか、勘違いしてねえか?」
角星が訝しげに小首を捻った。
「別にお前を罰する気で呼んだんじゃないぞ」
「……そう、なの?」
「おう」
「わたしは、花結師でもないのに勝手に花結いをしちゃったよ?」
「頼んだのは俺だろ。処罰するならこんなとこじゃなくて牢に引っ張って行く。……ったく。んな無駄なことで悩んで逃げたのかよ」
「無駄って……。立て続けに変なことが色々おきて、悩まないわけないでしょ。それに……あんな形相で追われたら」
「逃げなけりゃ追わなかった。顔は、慣れろ」
角星は草苺から視線を逸らし、むすっと片眉を皺を顰めた。気まずそうに耳飾りの房を人差し指でクルクルと回す。
「これでも、目付き悪い自覚はあんだよ……」
きつい眼差しのまま低い声で呟いた角星だったが、ふと、己を見上げる猫妖と目が合う。
瞬時に、彼は険しくなった眼を意識してかっ開いた。残念なことに眼力は増し、より強面になる。
「もしかして、目付き悪いの気にしてるの?」
「……ハア? 気にしてねえよ。別に目が合った仔猫妖に逃げられるからって自分の目付きを恨んだことはねえし? こっちが安心させようとゆっくり瞬きしても、目ェ瞑ろうとするとさらに目付き悪くなって喧嘩売ってると勘違いされるとか……ねえから! 悲しくねえから!」
早口になる角星。
せかせかする弁舌に合わせて、耳元の房を指でしつこく弄る。どうやら彼は感情が昂ると耳飾りに触れる癖があるようだ。
猫妖たちが、すさぶ心情を察して角星の両脚に頭を擦り付け始めた。
「き、気にしてねえって言ってるだろ! 散れ!」
威嚇する猫よろしく彼は歯を剥き出しに怒鳴る。シッシッ、と手を振って猫妖たちを払った。
けれども猫妖たちは角星の態度に焦る様子もなく、微笑ましげに尻尾を一度揺らした。
「ふっ、ふふ……」
一人で必死になっている角星の姿に堪えきれず、草苺は小さく吹き出した。
ほぼ条件反射に近いのだろう。角星が鋭い眼光で睨み付けてきたが、もはやその眼を恐ろしいとは思えない。
視線がかち合った瞬間、草苺は我慢できずに盛大な笑い声をあげた。
「笑うな!」
「あはははっ、ごめん……っ! でも、なんか……あはははは!」
笑いすぎて呼吸が苦しくなる。涙まであふれてきた。
どうにか落ち着こうと、草苺は掠れた深呼吸をひいひいと必死に繰り返す。
「そもそも! 妖とはいえ、相手は猫だ! 猫の目をじっと見るのは喧嘩売ってるのと同義だからな! 見るべきじゃねえんだよ!」
「うん。うん。そうだね」
「だから! 俺は間違ってねえよ!」
「誤解がとけてよかったね」
肩を震わせながらも草苺は目元を拭った。
「けど、少し勿体ないと思うな」
「ハア? 勿体無い?」
「角星の目って、澄んでてきれいな色だから」
背伸びをして、下から炯眼を覗き込む。
「蒼天を溶かし込んだみたいにきれい」
清澄な青は吸い込まれそうで。
実際に草苺は吸い寄せられるように……じいっ、とふたつの蒼天を直視し続けて。
「――――っ、近い!」
「むぎゃ!」
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