雑草娘娘_03
「
自然と
装飾など一切ない無骨な剣を影から生み出した丁年ほどの青年は空色の眼で草苺を見下す。
刃のごとく研ぎ澄まされた炯眼はすぐに外れて、地面に横たわる妃妾を睨め付けた。
青年に蹴り飛ばされた妃妾は、ぴくりともしない。
草苺のほうが不安を抱く。
「あの……その方、様子が変で――」
「動くな!」
倒れる彼女を睨んだまま、青年は両手に握る影の剣を構えた。草苺を庇って前へと出る。
刹那、鼓膜をつんざく咆哮が上がった。
異形と化した紫陽花の妃妾が肢体を歪に捻って地面から起き上がる。そこには美を意識する後宮の妃嬪らしさどころか、人間らしさすらなかった。
口から蜘蛛の涎を、ぼたぼたと垂らして唸る。
だらりと下げられている彼女の手先に蜘蛛が群がった。蠢く蜘蛛たちが、彼女の五指を獣の鉤爪に似た凶暴な形に変貌させる。
ぐぐぐぅ……と、
二瞬目、土埃が舞うほど強く地面を蹴った。
「危ない――!」
草苺は咄嗟に叫ぶ。
青年と妃妾の距離が一気に詰まった。
悪意ある黒腕が、豪速で青年に襲い掛かる。
紙一重で影の剣が黒い爪を防いだ。
ガギン! と、人の手と刃が触れ合って出るべきではない音が爆ぜた。黒指が刃を掴む。彼女の黒い手は鋭利な刃をものともせず剣を力強く握り締めた。
ギヂ、ギギギギギッ……! と黒指と刃の間で、甲高くも濁った音が響く。
しかし、攻防は呆気なく終わった。
青年がわざと剣を引き、圧を横へと流した。深くかけていた力を受け流された異形は体軸を崩す。
生まれた一瞬の隙。青年は死角に回り、黒い頭部へと刃を振りおろした。
「――!」
草苺は身体を強張らせる。
一拍の間のあと、妃妾に纏わりついていた蜘蛛が霧散した。
本当に、霧のように。
黒い霧の下から妃妾の顔が現れる。焦点のぶれた瞳はすぐに瞼を落とし、彼女は意識を失った。
倒れる前に青年が彼女の虚脱した体躯を支える。
二振りの剣は、青年の影へと溶けるように戻っていった。
「…………一体、なにが……」
頭が追い付かない。
草苺は呆然と二人を凝視して「……え?」
また、奇妙な出来事を目の当たりにした。
青年に支えられている妃妾の、頭に咲く変色した紫陽花から煙が吹き出していた。
星屑に似た煌めきをまとった不可思議な煙。
見つめていると胸が締め付けられ、懐かしさと愛しさと、なにより安心感を抱いて掻き乱されていた心が癒やされた。
草苺が、ほう……と一息ついた瞬間「そこの女官!」と険しい尖り声が草苺を刺す。
「は、はい!」
草苺は考えるよりも先に立ち上がった。
立ったあとに自分が立てたことに驚く。
恐怖と緊張でどうしようもなかった身体が軽くなっていた。
「無事か? 無事なら早急に花結師を呼んでこい!」
「は、花結師を、ですか?」
「早くしろ!」
怒鳴られて、草苺は肩を跳ねさせる。
「あ、あの……呼んできたいのですが、ええと」
「なんだ! 一刻を争うんだぞ!」
「ここ、どこだか分からなくて。この辺りに花結師がいるんですか?」
素直に草苺は訊いた。
「その方に追われて、気付いたらここにいて……。だからここがどこで、どこに花結師がいるかも分からないのです」
青年はただでさえ鋭利な眼光をより険しく細めて舌を打つ。彼の左耳で長房の耳飾りが揺れた。
「ここは貴妃薔華の春薔薇宮だ!」
「あの貴妃の⁉︎」
予想もしてなかった人物の名が上がり、草苺の顔面から血の気が引いた。
皇妃の次位たる四季人は『春の貴妃』『夏の淑妃』『秋の徳妃』『冬の賢妃』と、四季にそった位がある。春を司る貴妃は四季人のなかで最高位。
実質、後宮の頂点は春の貴妃――薔華である。
貴妃薔華には常に黒い噂が付きまとう。
今朝だって、悪評を聞いたばかりだ。
「関係がないならどうしてここにいる? ここはいま立ち入り禁止だぞ!」
追撃を受け、草苺はさらに顔色を悪くする。
四季人はそれぞれ司る季節の花で己の庭を彩る。四季折々の花々が咲く後宮だからこその特権で、だから雑草ばかりの庭の持ち主が貴妃だとは予想すらできなかった。
「すみません!」
草苺は頭を下げた。
謝って済む問題ではなく、死罪になってもおかしくない。
それでも。
少しでも、罪を軽くするために何をすべきかと思考を巡らす。
「……あっ、花結師を呼ばなきゃ!」
青年に言われた内容を思い出した。
「でも貴妃は専属の花結師を辞めさせたって……。なら、ここには花結師はいない?」
どこに探しに行けばいいのか。草苺は辺りを見渡すが、動揺する視界に映るのは貴妃の住まう宮殿の敷地とは到底思えない雑草だらけの庭。
そして、もどかしげに奥歯を噛み締める青年だけ。
「くそっ! あれだけの
「ち、ちんちくりんっ……⁉︎」
苛立ちを露骨に当てられる。
いつもの草苺ならば嘲笑も冷笑も陰口も受け流す。草苺はただ煤がそばにいてくれればよかった。他者の言動などいちいち気にならない。けれども、今回は心の有り様が異なっていた。
訳の分からない人面蜘蛛。それに寄生されて我を失い、人間性すら消失した女性。襲われ、突然現れた青年が助けてくれたかと思いきや、一方的に捲し立てられてちんちくりん呼ばわりされる。
なにより、もっとも重要な点。
いつもならばなにかあった時にはすぐに草苺を慰め、労り、感情の整理を手伝ってくれる煤老師がここにはいない。
「誰がちんちくりんよ!」
となれば、感情が爆発してもなんらおかしくはない。
そもそも草苺の本来の性分は大人しいほうではなかった。むしろ真逆。感情的で喧嘩っ早い。
ドブ沼のごとくどろついた後宮で落ち着いて暮らせているのは煤がいるから。草苺は、煤と二人だけの世界に浸れているからこそ周りからの悪意を受け流せていた。
「このっ、苔頭のくせに!」
彼のいないいま、草苺はぶつけられたものはぶつけ返す。
「苔あた……ハア⁉︎ 俺のこと言ってんのか⁉︎」
「そうよ! このもっじゃり真っ黒苔!」
「も、もっじゃりってなんだ! もっじゃりって! 変な表現を使うんじゃねえ!」
「そのひっどい癖毛をもっじゃり以外に喩えられるわけないでしょ!」
「も、もふもふとか……? とにかく、言い方はいくらでもあるだろう!」
「もふもふなんてそんな可愛いものじゃないわ!」
「こんの……っ、ちんちくりんのくせに!」
草苺の若葉色の瞳と、青年の空色の眼が一直線にぶつかる。
睨み合う二人の間で火花が散った。
二人は同時に息を吸う。相手へと攻撃しようとしたが、互いの声帯が震える前に紫陽花の妃妾がか細い呻き声を上げた。
二人は我に返る。口喧嘩などしている場合ではないと現実を見直した。
「というか、花結師より先に医師じゃないんですか⁉︎」
顔色が悪く、苦しげな妃妾の様子に、草苺は青年へと食ってかかる。
「あんなにたくさんの蜘蛛に襲われて……く、口の中にまでいましたよ! 確かに癒花から出ているそのキラキラした煙も気になりますけど、まずは医師に診せたほうが――ひえ!」
強烈な眼光を受け、草苺は言葉を詰まらせる。
草苺を睨んでくる青年の圧が凄まじい。
視線だけで人を卒倒させそうで、少なからず草苺は倒れそうになった。
蛇に睨まれた蛙の気分。いや、蛇のほうが優しいと草苺は恩師の姿を思い描く。思い描いて、彼はどこに行ったのだと泣き叫びたくなった。
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