後宮の花結師たち_03
痛みに眉を顰める
「そっ。後宮には常に陰謀が蠢いてる。華やかなのは表面だけだ。派閥や、それ以外のこと……。情報は時に命より重い。知ったと言うだけで巻き込まれる。お前は、自分と大切な奴を守るためにそれらとの接触を意図的に絶ってた。
つーか、どこに行ってもなんらかの噂が漂う後宮で、知らんふりを貫き通すほうがすごくないか? 普通はどっかでボロが出たり、ひけらかしたくなるだろ? 読み書きも、計算も、花結いもできる。それなのに普通の女官、いや、
ニッ、と歯を見せる角星。
「ただ逃げてて、できるもんじゃねえよ」
不器用で乱暴で、口より先に手が出る彼はいつだって気持ちをそのまま吐き出す。
すなわち、角星は嘘が下手だ。
舌先から嘘を形取る前に、影から刃を手に取る。
「無責任じゃねえよ。お前は、守る大変さと責任の重さを知ってるんだ。安心しろ」
皮の厚い彼の手は、刃を握り慣れている。
「自分の守り方を知ってる奴は自分以外の奴も守れる。お前の手は、ちゃんと花結師らしい」
角星は草苺の頭に落ちた桜の花弁を払った。
「俺は、それが下手だから斬りかかることしかできねえけど」
自嘲気味に笑う角星。
だが桜を払ってくれた彼の手付きは、紛れもなく
だからこそ、誰よりも彼の言葉は草苺に浸透した。
迂闊にも目の端が熱くなる。
教本を額を当て、草苺は滲む視界を隠した。
「…………角星の手も、ちゃんと守れてるよ」
少なからずこの瞬間、草苺の心は守られた。
「なら守るのがうまい者同士、お前が守りきれなそうなものは俺が守ってやるよ。その代わり、俺が無理な時は頼んでいいか?」
草苺はゆっくりと顔をあげる。
答える前に、角星の腹が鳴った。
それはそれは、盛大に。
「………」
「………」
「………」
「……うぐぐぐっ」
「う、嬉しかったよ! ありがとう角星! 元気出た!」
最後の最後で腹の虫に壊された空気感。
角星は奥歯を噛み締め、思い切り、叩く勢いで自分の顔面を手で覆った。
バチン! と痛々しい音が鳴る。
「本当に、本当にね! 嬉しかったから! わたしも今後は視野を広げていくよ!」
「もういい! 全部忘れろ!」
「うわっ! や、八つ当たりしないでよ! きゃーっ癒花も乱れるじゃない!」
大きな手にわしゃわしゃと髪を掻き乱され、草苺は頭を教本で隠そうとしたが。
「あ……」
「っ! やだ。ねえ、い、いま嫌な感覚が……!」
「悪い。とれた。蛇苺の実」
呆然と中途半端な位置でとまっている角星の右手。中指と小指の間には、蛇苺の実がついた茎が一本挟まっていた。
「最悪! とれたじゃないわよー! なんてことするの⁉︎」
「わ、わざとじゃねえよ!」
「当たり前でしょ! ……ああっ信じられない。癒花は神からの賜物。勝手に切るのは神に対しての不敬なの! 癒花を花結師以外に切られたって知られたら……ただでさえ後宮では癒花は女の命なのに! 他の人の癒花だったら今頃もっと大変な、責任問題になってるわよ!」
「他の奴の癒花なんて迂闊に触れねえよ! あんなキラッキラした花を触ってなにかあったらどーすんだ!」
「雑草で悪かったわねえ!」
暴言に草苺の拳が唸ったが、角星に左手だけで受けとめられる。
それでも拳はおろさず、鬱憤を乗せて……ぐぐぐっ! と角星の手のひらに拳を捩じ込んだ。
「実が千切れたくらいでピーピーうるせえな! 要は誰にも知られなけりゃいいんだろ!」
怒鳴るや否や、角星は一口で、茎や葉ごと、
蛇苺を食らった。
たった二度の咀嚼。
喉が動き、すべて、本当に丸ごと、跡形もなく食べられた。
「……ぁん? 蛇苺って味しなくてスカッスカだよな? これ、甘くないか?」
角星は頭上に疑問符を浮かべると、後味を確認するためにモゴモゴと口腔を舌で探り出す。
彼が無神経な男だと分かっていたつもりだが、それでも、草苺は絶句した。
真剣に味覚を探る角星を前に、はくはくと唇を戦慄かせるだけ。
バサリ、と教本が震える手から落ちてしまった。
その音を聞き、角星の意識が草苺へと移る。
「草苺? どうし――――あっ!」
顔面から湯気を出しそうな草苺に、角星もようやくことの重大さに気付いた様子。
「実も含めて、お前の癒花か……?」
角星が恐る恐る呟く。
草苺は黙って頷いた。
二人はお互いに、どちらともなく沸騰したような顔を逸らし、一歩距離を取る。
たっぷりと十秒の沈黙。
「もおー! 本当にあんたはー!」
耐え切れず草苺はしゃがみ込み、頭を抱えた。
「少しは考えてから動きなさいよおー!」
「癒花って花だろ? 実ってなると癒花って感じがなくて……無意識で。すまん。腹も減ってたし。他意はなくてだな……あっ、蛇苺にしてはマカロンみたいに美味かったぞ!」
「言葉選びも下手なんだから黙ってて!」
「はい! すみません!」
「あぁああーっもうっ! おばか!」
癒花は美の象徴。
女の命。
女、そのもの。
それを食らうなど、無神経を通り越した蛮行だ。
蛇である煤に食べられることと、異性である角星に食べられるのではまったく感覚が異なる。
「分かってるわよ。実のなる癒花なんて普通はないものね。それでも、わたしの癒花は実も含めて癒花なわけで……。それを、た、食べ、っ食べる、なんて……」
俯いた草苺は、茹で上がりそうな自分の頭をそろそろと撫でる。
彼に他意はなくとも「はい。そうですか」と安易に許せる行為ではない。一発。いいや、二発は殴らねば気が済まない。
草苺が拳を握り直した瞬間「草苺!」
角星に強く腕を引かれて立たされた。
「ちょうどいいわ! 角星、あんた殴らせ――」
「俺の顔!」
「は? ……か、お?」
ずいっ! と顔を近付けられたのだが、顔を殴るのはさすがに……と草苺は拳を解く。
そもそも、顔を殴れと自分から主張してくる相手を殴るのは「……気持ち悪い」心の中で言うつもりが、ぽろりと口に出てしまった。
角星が雷に打たれたように目を剥く。
「き、気持ち悪い⁉︎」
「あっ、違う違う! 角星の顔には慣れたよ! そうじゃな、く、て……え?」
ふと、角星の顔に違和感を覚える。
「……頬の傷が、ない?」
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