後宮の花結師たち_02

 角星スボシが藁のついた癖毛を掻きむしり、腹立たしげに寝転がる。

 彼は容赦のない稽古により全身がボロボロ。

 顔にまで引っ掻き傷がついている。


「平気? 頬の傷、結構すごいけど……」

「これでも今日は軽い方。舐めときゃ治る」

「駄目だよ。あとでちゃんと処置してもらいなね」

「へいへい」


 投げやりに傷だらけの手を振る角星。

 草苺ツァオメイは肩を落として溜め息を吐くと、自分の腕を枕にして寝ている彼の右隣に腰をおろした。


「少しは息抜きになったか?」


 座った途端、訊ねられる。


「うん。ありがとう。……気付いてたんだ」

「気付いてたというよりも、普通に考えたらそうだろ? 突然、自分の癒花ジユファが他と違うとか言われて、呪いだのなんだの話を聞かされた挙げ句に貴妃の花結いを直々に頼まれたら、どれだけ肝が据わってようが悩まねえほうが無理な話だ。しかも、軟禁状態だしな……」


 あれから草苺は女官部屋に戻れず、広い宮を与えられた。蛇苺の癒花に宿る治癒能力については内々にされているため、女官代理の影猫たちが身の回りの世話をしてくれている。


 朝一に影猫へ蛇苺の実を渡し、他の時間は花結いの勉強に勤しむ。文字の読み書きや、計算ができることに驚かれはしたものの、それならば話は早いと教材を山のように譲ってもらった。

 夜には短い時間ながらも筆頭花結師である黄紗から直々に学ばせてもらえる贅沢な機会までもうけられた。


 実質軟禁状態ではあるが、草苺はとても充実していた。充実しているからこそ。

 学べば学ぶほど、本当に自分が貴妃の花結いをしていいのか悩んでしまった。


「閉じこもって勉強ばかりしてても退屈だろ」

「そうだね」


 稽古を見せてやると連れ出された時は正直戸惑ったが、それは宮に引きこもって教本の山と睨み合う草苺を心配しての行動で。不器用な角星の気遣いに、草苺の心は確かに軽くなった。


「あー……その、あれだ。お前の悩みはお前のもんだからお前にしか解決できねえけど、解決するための手助けくらいは、俺にもできそうだし?」


 自分の両腕を後頭部に添え、天を仰いだ状態で、角星はぶっきらぼうに告げる。

 直訳すれば、悩んでいるなら話を聞くと言いたいのだろう。


「癒花が特別だからって、それだけの理由で貴妃の花結いをしてもいいのかなあって……」


 草苺は教本ごと膝を抱える。


「それだけの理由なら、お前の癒花をもらって終わってる。毒蟲に穢された癒花は、草苺の癒花のおかげでちゃんと治ってきてるからな」

「よかった。毎朝煤に不貞腐れながらも渡してる甲斐があるよ」

「あのクソヘ――じゃなくて、煤は?」

「…………お留守番」


 実際は今朝から姿が見えないのだが、正直に伝えるわけにはいかない。

 煤の話題がこれ以上続かないように草苺は教本を適当にめくって誤魔化した。


「お前、読み書きができるんだろ? 計算も」

「うん。一通りは」

「花結いはどこで教わったんだ? お前、実は名家の姫とかじゃ……」

「そんなわけないでしょ。わたし、孤児なんだ」

「孤児? 孤児がどうして後宮に? まさか、人攫いに売られて給金間引かれてるんじゃねえだろうな⁉︎ そういうのは、いまは取り締まってて――」

「違う違う! お給金は全部もらってるよ! わたしを拾ってくれた人が後宮に縁があったんだ。その人、自分が亡くなった後にわたしが路頭に迷わないよう、後宮に案内してくれたの」


 今更隠す必要もないので素直に過去を語った。


「気付いた時には一人で、そこから煤に出会って、色々あって旅の花結師に拾われたんだ。この人が後宮に縁があって、亡くなる寸前に後宮への紹介状をくれたんだよ」


 紹介状のおかげで就職はできたが、後宮内でその花結師の身元が分かったわけでも、関係者に会えたわけでもないため、むしろそこからのほうが苦労したが。


「その人と一緒に旅をしてた時に色々と手伝ってね。ただ、詳しく教わったわけではないんだよね。見て、覚える感じ。だからいま黄紗キィシャ花結長にきちんと花結いの作法を教わって、驚いてる」


 草苺は自分の右手を持ち上げた。


「後宮での花結いは、血を使うことは滅多にないんだね」


 始まりの日。

 紫陽花の癒花に血を与えた花結い方法は、けして間違いではない。

 それでも、後宮では血を与える花結い方法は、癒花だけでなく宿主自身も弱っている場合のみ。


 衣食住がしっかりとした後宮内で血を与えるやり方は、逆に癒花に力を与えすぎてしまい、妃嬪たちの癒花の均衡を崩す可能性があるそうだ。

 そこを危惧して、後宮では医局と花結長から許可が出た時のみ血液を利用する。それ以外は、他者の癒花を添えて整えていた。

 後宮には、後宮だからこその花結いの規則があった。


「わたし、後宮のことなにも知らないんだよね。……ううん。わざと知らないふりをしてた。わたしはただ煤と一緒にいられればよくて、時々女官たちの花結いをできればよくて……。花結師には憧れてたけど、結局わたしは憧れよりも平穏を選んで、後宮のことをなにもかも知らんふりした。そんなわたしが、貴妃の花結いなんて……」


 無責任だと思う……。と、草苺は舌の上で懊悩を転がす。

 苦虫よりも苦く、ここ数日飲み込めずにいた重い悩み。

 それを、角星は――


「ハア?」の、一音で潰した。


 彼が言葉足らずなのは理解しているが、それでも、これはない。


「そっちから話を聞く姿勢を示したんでしょう!」

「――っだだだ! 悪かった! つい、ついな!」

「ついで本当に口が悪い!」


 右耳を引っ張れば、角星が大袈裟なほど身を捩る。このくらい薄汚れ将軍の鍛錬に比べれば蚊に刺される程度だろうに。

 その証拠に、向こうからは過激な轟音と編星の悲鳴が桜吹雪にのって響いてくる。


「それ、なにも問題ないだろ……っ!」


「だって狡いでしょ? いままで後宮事情から散々逃げてたくせに、いまさら……」

「それがお前の処世術だっただけじゃねえか」

「……処世術?」


 意外な返答に、草苺は手を離した。

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