治癒の癒花_03

 顔面を掴まれ、若葉色の焦点は蒼天から強制的に外された。

 すぐに離れた彼の手はやはり耳飾りへと持ち上がり、ワシワシと房を触る。

 外方そっぽを向いている彼の耳は、赤くなっていた。


「……てない……」


 ぽつり、と角星スボシが呟く。


「……慣れてないから、やめろ……」


 耳から顔面まで茹だるほど赤らめたまま、彼は呻いた。

 本当にどう反応すればいいのか分からない様子で、弱々しさすら感じさせる。


 草苺ツァオメイは理解した。

 猫妖チミャオにすら恐れられる目付きだ。人間相手なら余計に勘違いされてもおかしくはない。

 草苺だって、最初はそうだった。


 いまとなっては目付きだけで判断してしまい、申し訳ないと心から反省しているが……。

 目付きだけで人柄を判断されるのは、寂しい。

 草苺も癒花が蛇苺というだけで嗤笑され、嘲弄の的とされた。

 角星の前に回り込み、草苺は逸らされた蒼天の双眸を覗き込む。


「好きだよ」


 房を握り潰す勢いで耳飾りを弄る角星へと、草苺は笑顔で伝えた。


「すごくきれいな色だもの。わたしは好きだよ、角星の目」


 出会いが出会いだったせいで角星に対してあまりいい印象がなかったが、いまは違う。

 猫妖たちとのやり取りからしても彼が悪い人でないのは瞭然。


 角星の眉間に険しく皺が寄る。

 炯眼が鋭利さを強めたが、赤面したまま僅かに震える彼にどんな恐怖心が抱けるというのか。


「ありがとさん!」


 また顔面を掴まれた。

 乱暴な照れ隠しに、草苺は爛漫な笑声を蒼天へと響かせる。つられて、角星も声を出して笑った。


「さて、ここからは俺が案内する」


 咳払いのあと、角星は渡り廊の奥を顎でさした。


「この先は皇帝に認められた一部の者と、猫たちしか入れねえ。間違っても走り回るなよ」

「追い掛けられない限りしないよ」


 二人は顔を見合わせて小さく笑う。

 軽くなった空気に安心した草苺は、なんとなしに角星へと疑問をぶつけた。


「ねえ、角星って何者なの?」

「俺? 俺は……ちょいと特殊な立ち位置でな。なんつーか、皇帝の直属なんだよ。その時々に合わせて動くから自由がきくわけだ」

「自由とはいえ、後宮にまで入っていいの?」

「別にそこらも詳しく話してやってもいいが……。知りすぎると、どうなってもしらねえぞ」

「これ以上どうにもなりたくないので聞こえませーん!」


 草苺は大袈裟な動作で両耳をしっかと塞ぐ。

 角星がくつくつと肩を揺らした。


「察してるとは思うが、お前にはこれから白匣ハクコウ陛下に拝謁してもらいたい」


 角星の雰囲気が真剣なものになる。

 空気が張り詰めたのを感じ取った草苺も、自然と表情が引き締まった。


「草苺がやった先日の花結いで少し気になることがあってな。詳しくはあとで話すが、悪いようにはしない。約束する」

「分かった」

「ただ、その前に……」


 角星は草苺の顔を掴んでいた自分の右手のひらを注視。訝しげに、片眉を顰めた。


「お前……。すっげー汚れてねえか?」

「うっ! い、言わないでよ!」


 今度は草苺が耳まで赤くなる番だった。

 それはいい感情によるものではなく、劣等感混じりの羞恥心によって。真面目な顔付きで言われたので、余計に気恥ずかしい。


「わ、わたしは女官のなかでも下も下だから……湯浴みは五日に一度しか入れないんだよ。井戸水も勝手に汲んじゃいけないし……。でも、後宮には雑草に混ざって薬草も生えててね! 後宮って貿易品がそのまま入ってきたりするでしょ? 持ち込まれた異国の植物が広がって、庭園以外でも生えてたりするんだ。わたしの仕事は雑草むしり! 庭園の外に生えてしまった異国植物もむしってて、コッソリ持ち帰ってるの」

「ほおー……。んで、つまり?」

「つ、つまり、いつもはそういう薬草をすり込んだりして気を付けてるんだよ! 今回は、昨日色々あったから余裕がなくて……!」


 草苺は必死に弁解した。

 派手に着飾る気はないが、必要最低限の身嗜みは意識している。


雑草ザーツァオ娘娘ニャンニャンなんて呼ばれてるけど、それはあくまでもこの貧相な癒花ジユファが役立たずで、雑草むしりばかり任されてるせいだからで……」

「癒花が役立たず? お前の癒花が?」


 すかさず角星が怪訝に反応する。


 ぼやいたものの、食い付かれると気まずい。

 草苺は深衣の裾を掴んだ。


「うん。あー……でもまあ、こんなに汚れてると、やっぱりわたし自身が雑草みたいだよね」


 どれだけ言い訳をしようとも、酷い格好である事実は変わらない。

 他の女官は密かに湯浴みの順番を変えてもらったり、位の高い相手から香油などを譲ってもらっている。草苺は煤とともにいることを優先して、進んで他の者たちと関わろうとしなかった。

 関わるのは花結いを頼まれた時だけだ。


 改めて考えると、自分の世界は狭かったと痛感する。

 昨日の出来事はおぞましく、恐ろしく、甘美で、至福で、衝撃的だった。

 一日で数年分の経験をした気分だ。


 こんな気分は煤と出会った時以来で。草苺は、後宮に身を置く自分を見つめ直していた。

 まだ、漠然とではあるが。


「お前は、いままで誰の癒花にも添え花をしたことがないのか?」


「こんな癒花を添え花にしたい人がいるわけないでしょ。昨日の方が初めて」


 そこまで話して、昨日の紫陽花の妃嬪を思い出す。彼女がどうなったのか聞こうとしたところで、重力が変化した。足が浮く。


「ふへ?」


 変化に思考が追い付かず、ぽかん、と口を半開く草苺。

 至近距離にふたつの蒼天が――角星の顔があり、あまりの近さにぎょっと息を呑む。

 草苺は、角星に軽々と抱きかかえられていた。


「後宮にいる女どもの好みは分かんねえけど、あれだろう? 小洒落た格好すりゃあ多少の文句は減るわけだ。拝謁もあるし、ちょうどいい」

「え? え? なに言ってるの? 何の話?」

「こっちの話」

「ああもう! この言葉足らず! ……って、角星が汚れるよ! 降ろして!」

「暴れると怪我するぞ。皇帝への謁見前に怪我したらどうする気だ?」


 皇帝への謁見。

 重い言葉に、草苺は抵抗をやめる。


「あいつの着てた昔の服が残ってたよな? 時間もまだある。……よし。誰か! ひと足先に影猫イェマオどもに湯浴みの用意をするよう伝えてきてくれ!」


 角星の指示を聞き、真っ白な毛並みの猫妖が渡り廊から躊躇なく飛び降りた。

 華麗に着地した猫妖は庭を駆け抜けていく。

 一拍遅れて、角星が渡り廊の柵へと片足を掛けた。


「……ス、角星?」

「喋るな。舌噛むぞ」

「嘘でしょ、まさか! ここって結構な高さが!」

「問題ない」


 ある! と草苺が叫ぶ前に、角星が強く柵を蹴った。重力が、一気に変化する。

 彼は猫たちとともにあっという間に極彩の中庭を抜けて――――それから。

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