治癒の癒花_04

「…………」

「…………」


 それから。

 別の宮殿の一室に草苺ツァオメイが放られてから、どれだけの時間が経ったのか?

 ものの数分程度にも感じられたし、何時間にも感じられた。


 そろり、と室から出た草苺は廊下で腕を組んで待っていた角星スボシと向かい合う。向き合ったまま、二人は奇妙な沈黙を貫いていた。


「……せめて、なにか言って! 角星がやらせたんでしょう!」


 痺れを切らした草苺が、紅の引かれた潤んだ唇で角星に怒鳴った。


「…………化けるな」


 蒼天の目線が斜め上に逸らされて、微妙な感想を述べられる。


「化けるって……。けど、まあ」


 ――その通りだけど……。


 自覚しているので反論はできない。

 草苺の身を包むのは、あまい花の薫りが染み付いた薔薇色の上衣下裳。


 裙子は鮮やかな色に見合った華麗な薔薇模様。薄紅色の衫は陽気に合わせて薄繻子で、ここにも緻密な茨の刺繍が入っている。

 帯は白銀。帯留の装飾は赤瑪瑙。

 全体的に豪奢だが下品な派手さはなく、絢爛ながらも少女の愛らしさを引き立てていた。


 どれも高そう……と、草苺は慣れない衣に自然と動きが小さくなる。

 春風にさらわれそうな薄い披帛を潤った手で掴む。

 湯浴みのあと全身に香を焚かれ、たっぷりと保湿液を塗りたくられた。目を回しているうちに髪をすかれ、初めて化粧を施された。額には楚々とした花鈿まで描かれている。


「初めて他人に花結いされたよ」


 黒髪が、さらりと肩から滑り落ちた。

 いつもはまとめている髪をすべておろし、蛇苺の癒花は花冠でも被っているふうに花結いがされている。


 薄めた墨汁の色合いだった髪が入念な手入れによって艶を放つ。肌の調子も良い。

 ぬるくもなく、汚れてもいない新鮮な湯に肩までしっかり浸かったおかげで気分も清々しい。

 ここまで変わるとは自分でも驚きだ。

 これならば雑草は雑草でも小綺麗な雑草として皇帝に謁見しても失礼ではあるまい。


 髪をおろしたからか、煤もいつも以上に隠れやすそうだ。より近くに煤の気配を感じつつ、若葉色の目を角星へと移す。


「どーすっか。あいつ手ェ早いから……あー」

「角星?」

「かと言って、拝謁で適応な格好もなあ……うーん……」


 腕を組んで壁に寄りかかる角星は、一人で悶々と呻いている。彼の意識は自分の世界へと旅立っていて、草苺は蚊帳の外。


「すーぼーしー!」


 草苺が彼の眼前で披帛を振れば、どうにか角星は遠くに行っていた焦点を現実へと戻した。

 澄み渡る瞳が降りてくる。

 ふたつの蒼天に薔薇色の姿を染み渡らせるように、角星は草苺を上から下まで隅々と見直した。


「……なに?」


 真剣に熟視されると素直にむず痒くなってしまう。

 もしかしたら、真面目に褒めてくれるのかもしれない。草苺は淡い期待を胸に抱いた――のだが。


「雑草程度が丁度いいな」

「ふぎゃっ!」


 披帛を奪われ顔面を拭われた。

 入念に、しつこいほど、化粧を拭い落とされる。


「……あまり変わらねえな」


 舌打ち混じりのぼやきは、顔を揉みくちゃに拭われて目を回す草苺には届かなかった。

 草苺は、ぐわんぐわんと回る頭を押さえる。


「ス、角星。そうやって急に……」


 訴えの途中で披帛を投げるように肩に掛けられて、また。


「急にはやめて!」

「持ち上げた」

「行動前に報告しなさいっ!」


 また軽々と、唐突に抱き上げられた草苺は角星の額を指でドスドスと突っついた。


「はいはい。んじゃ、移動するから大人しくしておけよ」


 どれだけ額を突かれても角星は意に介さず、さっさと廊下を進み出す。

 草苺は諦めた。

 この短時間で口より先に手が出る彼の言葉足らずな性分が痛いほど身に染みてしまった。

 ただ、こちらばかり振り回されるのに慣れるのも癪なので、ちょっとした抗議として移動中はずっと彼の瞳を見続けてやろうと眼を付ける。


「慣れない格好で動き難いだろ?」

「え? あっ……うん。少し」


 まさかの、気付かれていた。


「なら着くまで大人しくしてろ。転ばれでもしたら面倒くせえ」


 彼は目付きが悪く、ぶっきらぼうなだけで根は優しい。

「ありがとう」

 その性根に免じて、凝視はやめた。




「ここだ」


 角星が草苺をおろしたのは一際は目立つ両開きの扉の前。

 威厳を放つ瑠璃色。細かな真鍮装飾具。中心には、蕐劍ゲケン皇族を示す剣と花弁の鱗をもつ龍の印。


「ここは一部の奴らにしか知らされていない。陛下の、秘密の憩い場みたいなもんだ」

「そんな場所にわたしが入っていいの?」

「今回は、色々と特例だからな」


 蒼天の視線が蛇苺の癒花に一瞬だけ注がれたが、その意図を草苺は読み取れなかった。


「準備はいいな?」


 すぐに正面に向き直った角星に問われ、草苺は慣れない衣の裾を整える。


「ここまで来たら、逃げないよ」

「いい心掛けだ」


 角星が右手をあげる。

 扉の左右に控えていた猫妖チミャオたちが二足で立ち上がった。二匹はそれぞれ真鍮装飾に括られる長い紐を咥えて、引っ張った。

 重厚な大扉が、呆気なく開かれていく。


 隙間から漂ってきた華やかな香り。

 扉の内側に垂れ下がる花を模した天然石の飾りすだれが、シャララ……と七色に歌った。


 極彩色の煌めきの向こう側におられるのは天上人。

 邪悪な大蛇を滅し、枯れた都を潤ませた賢帝。千里眼を携えているとすら噂される。


 ――大丈夫。作法は分かってる。


 草苺は感情を顔に乗せないように表情筋を硬くし、両手を胸の前で揃えた。

 少しだけ俯けて、高貴な尊顔を直視しないように注意する。


 ジャラリ、と角星が飾りすだれを掻き分ける。

 足元で、反射する虹色の影が揺らめいた。

 それを合図に、草苺は踏み出す――――はずが。


手前テメェ! 今日は連れてくるっつっただろーが!」

「っ⁉︎」


 草苺が踏み出す直前に、角星が室の奥へと怒鳴り散らした。


「んえー……だぁって。待ちくたびれちゃってさあ」

「うっせえ! 起きろ! ふかすな! ……ああっクソッ! 草苺!」


 呼ばれるや否や。返事どころか顔を上げる前に、身体がひょいっと持ち上げられた。


「な、なに⁉︎ どうしたの?」

「悪い。十分……いいや。五分だけ、待ってくれ」

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