治癒の癒花_05
眉間に皺を刻み、瞳孔が揺れるほど心を昂らせた角星によって外へと放られる。
「うん……」
困惑するしかない草苺の眼前で、大扉が音を立てて閉まる。状況を飲み込めないでいると。
「草苺!」
「! こ、今度はなに⁉︎」
扉が片側だけ開いて、角星が顔を覗かせた。
「これやる!」
「わっ……とっと!」
草苺は放り投げられたそれを、辿々しくもなんとか両手で捕まえる。
「なにかの、装飾品?」
手の中に収まったのは、濃い桜色の、可愛らしいまるいもの。
「違う。食いもんだ。異国の半生菓子」
「異国菓子⁉︎ これが……⁉︎」
「ベリーマカロン・リュス。卵白や扁桃粉、粉砂糖を混ぜて作った生地に、数種類のベリークリームが入ってる」
「べり? まかろん……りゅう、しゅ? べりい、くりむう?」
「ベリーってのは、あれだ。お前と同じやつが練り込まれてる」
角星は草苺の頭を、蛇苺を指差した。
「それ食って、待っててくれ」
隙間なく、完全に大扉が閉まる。
猫妖が欠伸をこぼした。
草苺はそろりと扉に近付いて「……やめよう」
盗み見は駄目だと自分を叱る。
大股で離れて、扉に背を向けた。
大扉よりも、もらった異国菓子に集中する。
「これが噂の異国菓子……! べりいまかろん、なんとか!」
蕐劍は交易が盛んだ。
先帝の時代は交易が悪い方向に利用され、民も都も廃れるばかりだったが、いまは賢帝白匣の手腕により改善された。
港は潤い、後宮にも家具から菓子類まで様々な異国品が溢れている。下級女官の草苺には、どれも無縁の代物だったが。いまは、目の前にある。
「可愛くて宝石みたい。こんなにきれいなのに、食べものなんだ」
――食べるのが惜しいなあ。でも……。
食べ物は食べるためにある。
泥も土もついてなく、腐ってもいないことに有り難みを感じながら草苺は思い切って大口を開き――やはり、一口は勿体無いと唇を半分よりもさらに小口した。
ちみっ……と啄む。
「んんっ⁉︎」
口の中で、花畑が広がった。
濃厚ながらも上品な甘味が鼻を抜ける。
甘酸っぱい果実の風味が舌の上で溶けた。
食感も不思議で、表面はサクッとしているのに中は少しベタついて味が深まっている。
「なにこれ。中のやつは、果実を潰して煮詰めたのかな? こんなの食べたことない!」
感動して声が震えた。
「煤も食べる? すごくおいしいよ!」
「アチシはアンタの食べてお腹いっぱいヨ。草苺がお食べナサイ」
「いいの? 本当に、本当にわたしだけで全部食べちゃうよ?」
「ドーゾ」
髪の奥に潜んだまま出てこない煤の優しい言葉に甘えて、草苺は一人でマカロンを味わう。
ちまちまと、サクサクと、少しずつ、大切に。
「こんなに美味しい果実とわたしの実が同じなわけないでしょ」
指に付いた甘味の名残りすら余さず舐めて堪能して、草苺は頬を蕩けさせた。
「悪い! 待たせた!」
「うわっ!」
驚いて振り返ると、戻ってきた角星が影でできた箒と塵取りを持って佇んでいた。
どうやら草苺は五分かけてマカロンを平らげていたらしい。美味しくて、時間を忘れていた。
「……お前。あいつの前で、この先で、絶対にそのツラ見せんなよ」
言われて、舌が出たままだと気付く。
草苺は両手で口元を覆った。
「主上の前では変な顔しないよ!」
「そういう意味じゃ……あー、いいか。ついて来い」
「ついて行くけど、角星はそのままでいいの?」
「ぁあ? ……あっ!」
角星はいそいそと箒と塵取りを影の中に戻す。彼の能力は武器以外も影から作り出せるらしい。
耳飾りを軽く撫でてから角星は「行くぞ」と室の中に入って行った。
草苺は笑いを堪え、背筋を伸ばす。
「失礼いたします」
一礼をしてから、踏み込んだ。
咽せ返るほどの花の香りに抱かれる。
天井を這う梁や筋交いの木材から枝が伸び、梅花や桜、藤に白木蓮、梔子、金木犀、銀木犀、山茶花、椿……他にも様々な、数え切れないほどの花々が天井を絶美に飾り立てていた。
左右の石床には溝が掘られ、室内でありながら流水がせせらく。
凄絶とすら感じられる典雅さ。
曼荼羅の世界に入り込んだ気分だ。
――なんてすごい室……。
草苺は気圧されそうになるも、ハッと角星の忠告を思い出す。
呆け顔を晒すわけにはいけないと表情筋を引き締めて、足元にだけ集中した。
皇帝のもとには毎朝妃嬪たちの癒花が献上される。それらが贅沢に散りばめられた床を進み、角星が立ち止まったのを視界の端で確認すると草苺も足を揃える。すぐに膝を折った。
両手を揃えて掲げ、袖で自分の視界を隠す。
尊顔を許しなく拝見しないための礼儀作法だ。
筆頭女官にすら匹敵する完璧な跪拝礼に、傍らで角星が少し驚いた気配を感じた。
「満開満開。大満開。ここに蛇苺の草苺。晴朗なる皇帝陛下にお目に掛かります」
草苺に姓はない。
そう珍しいことではなく、姓のない女は己に咲く癒花を名乗るのが礼儀だ。
勤めて冷静に、緊張で戦慄きそうな身体に力を込めて、賢帝に拝謁する。このあと「花をあげよ」とお声をいただけるはずだ。
いただいてから、一礼をして立ち上がる。
草苺は次の作法を思い浮かべて、心の準備をした。
「そんなにかしこまらなくていいよお」
奏でられた玉音は、ゆったりと、まったりと、猫の欠伸のように間伸びしたもの。
「ちっさぁいお花あげて。お顔見たーい」
予想とは違った声掛けだが、草苺は静かに一礼をし、腰を持ち上げた。
「御尊顔を拝し奉り、一輪の癒花として恐悦至極に存じ――」
「だーから、そんなのいいよお。ちゃんとお花あげて」
「仰せのままに……」
適当な声掛けに従い、草苺は若葉色の瞳をおずおずともたげる。
極彩色の光に、一瞬、目の奥が痛んだ。
正面には四季の花を彩った四枚の色硝子が嵌め込まれる善美な窓。その手前には黒檀の長椅子が置かれ、目隠しをした男が横になって悠々とくつろいでいる。
「雑草娘娘というからどんな
背後から射し込む四季の陽光が、男の長い癖毛に神秘的な虹色の艶を作り出す。
ぶぐぶぐ……と花弁の混ざった水の入る水煙管を吸い、男は薄い唇から煙を吐き出した。
虹色の光を浴びて瞬く煙は、華氣に似ていた。
「かぁいらしい
男は布に覆われた目を草苺の隣で直立する角星へと向ける。
「俺に振るな」
「
「黙ってろ」
角星に睨まれても笑うだけの男は、ただならぬ存在感はあるも、いかんせんだらしがない。
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