治癒の癒花_08
後宮では利用されたくないとわざと情報を遮断することで他者と距離を取っていた。
知らないふりをするほうが、
読み書きも計算もできない、少し手先が器用なだけの
少なからず、いままではそうだった。
今後は、そうはいかない。
草苺は、覚悟を決めた。
「むしろわたしが逃げようとしたら『ここまで知っておきながら』と、逆に知り過ぎたことを理由に咎めるおつもりだったのでは? しかも、ここは一部の者しか知らない秘密裏の憩い場とお聞きしました。陛下の大事な場所を、下級女官が知っているのはよくないでしょう?」
「……驚いたあ。存外度胸のある雑草だ」
「雑草だからです」
草苺は披帛を慣れた手つきで操り、長い袖をまとめる。
「雑草はどこでだって生えるんです。油断していると、大切なお庭も雑草に食われますよ?」
胸の内では感情を沸騰させるも表面上は落ち着いて、微笑みすら作ってみせた。
「へ?」と
初めて、底知れぬ賢帝が人間らしさを垣間見せた。
草苺は口を半開きにする白匣に一礼をして、さっさと顔を逸らす。
背後から全身を猫じゃらしでくすぐられているような、正直引くほどの豪快な哄笑が響いてきたが、草苺は無視して
――? この方、どこかで会ったことある?
ふと彼女にぼんやりと覚えがある気がするも、いまは呑気に記憶を探っている場合ではない。
草苺はすぐに頭を切り替えた。
「失礼いたします。癒花に触らせていただきますね」
黒ずんだ茎を指で摘む。表面は腐っているが、芯があった。
癒花は女の命。
癒花がそうであるように、この女性は凛と気高く、心根が強いのだろう。
「力強くて、美しい癒花ですね」
自然と言葉が口をつく。
「草苺と申します。僭越ながら、わたしが花結いをさせていただきます。よろしくお願いします」
「金百合の、黄紗です。お願い致します」
「はい。必ず、整えます」
凛然たる百合は、癒花のなかでも一目置かれる存在だ。
金百合を結えるなど大変貴重な体験。
しかも今回は皇帝のお墨付き。
緊張も困惑も吹っ切れた草苺は堂々と金百合に触れ、細部まで調べていく。
「黒ずみはあるけど、
彼女の癒花は数が少なく、合計で六輪の癒花が後頭部の高い位置に群生している。
癒花の数が少ない場合、添え花をして整えるのは基礎中の基礎。けれども今回もただの花結いではなく、ただ添え花をすればいい話ではない。
まずは、毒蟲に汚された癒花をどうにかしなくては。
「これなら、剪定すれば問題ない。けど茎に芯の残っているこの状態だと、あの時みたいに手で剪定するわけにはいかない。
「草苺。使え」
考えあぐねている草苺へ、真横から
「これ、本物の花断鋏?」
片手で扱える銀鋏は植木鋏と似ているが、持ち手のところに花の彫り込みがされている。
随分と古い型の、年季が入った代物だが、手入れはされており刃は煌々としていた。
「いいの?」
「ないと話にならないだろ」
花断鋏は癒花に影響を与えずに選定できる特別な鋏であり、花結師の証でもある。
これを手にできるのは、花結師だけ。
「……ありがとう」
少し迷ったが、これがなければどうにもならないので素直に受け取った。
花断鋏は小さな姿なのに、重い。
重みに向き合い、草苺は刃を動かした。
「失礼します」
茎の状態だけでなく葉と花も確認。剪定する必要があるのは、一輪だけだと判断した。
茎まで黒ずんでいる一輪を、髪を掻き分けて頭皮の近くで切る。自分でも驚くほど、すぐに切れた。
心穏やかに、僅かな細波もたたずに、冷静に手が動く。
黒ずんだ葉を切っていると、奥につぼみを見つけた。
真新しいつぼみだが、黄色の花弁は黒に染まっている。放っておけば茎まで侵食されるだろう。
――これは、切らなきゃだめだ。
草苺はすぐに花断鋏をつぼみへと向ける。
刃が触れる前に、つぼみが震えた。
「……なに?」
どす黒いつぼみの影から、なにかが這い出してきた。
渇いた血の色をした、蜂に似た、
「蜂……?」
確かめるふうにポツリと呟いて――――頭の芯まで、総毛立った。
「違う! まさか、これ……!」
本能が、警告する。
「――逃げろ草苺ッ!」
切羽詰まった角星の声に反応できないまま。
草苺は、眼前の蟲と、目が合った。
「これも毒蟲⁉︎」
おぞましい正体を理解し、身体ごと花断鋏を握る腕を引っ込める。が、一足早く毒蟲が右手の甲を擦った。たったそれだけなのに、焼けた刃を押し付けられたような強烈な激痛に襲われた。
「ぅあっ……!」
痛みに痙攣した手から花断鋏が落ち、顰めた視界の端に影から剣を呼び出す角星が映る。
しかし、彼よりも、誰よりも早く。
蜂に似た毒蟲がブンッと低い羽音とともに草苺へと襲い掛かり――――グシュッ!
と、嫌な咀嚼音が爆ぜた。
「――
間髪入れずに草苺の襟首から飛び出した煤が、毒蟲へと噛み付いた。
大きく飛躍して離れた位置へと落下した煤は長躯を揺らして頭を持ち上げると、まだ口腔で蠢く毒蟲を咀嚼する。丸呑みせず、攻撃の意思を持って毒蟲に何度も牙を刺してから、丸ごと嚥下した。
緊張が一気に解けて、草苺の頬に自然と笑みが溢れた。
「煤
草苺は煤に駆け寄ろうとしたが、角星が前へと出て、壁になる。
あろうことか、彼は殺意の滲む刃先を煤へと向けた。
「毒蟲は蟲以外の姿にもなる。下がってろ」
彼が勘違いをしているとすぐさま気付いた。
「待って! 煤は違うの!」
草苺は煤を庇い、角星の前に飛び出す。
「煤はわたしの大切な家族で、毒蟲なんかじゃない!」
「家族? 蛇だぞ?」
「煤は煤だよ。わたしの尊敬する老師で、わたしの
煤へと向き直ると膝をついて腕を伸ばす。毒蟲が掠った右手の甲を労るように舐められた。
「ありがとう」
細い身体が草苺の腕を這い上がる。肩までくると優しく頬擦りをされた。
「うん。わたしは大丈夫。煤老師のおかげだよ」
身を案じてくれる煤に草苺は頬擦りを返す。
「……確かに、お前によく懐いてるな」
「角星。そういう言い方しないで。煤に失礼でしょ」
「蛇に失礼もなにも……」
「角星!」
「あー、悪い悪い」
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