治癒の癒花_07
「苺みたいに甘そうで。ついねえ」
毛繕いでもするふうに白匣は指につく砂糖を舐めた。
赤い舌先が湿った砂糖を口腔へしまい込んだのを目にした途端、なぞられた触感が一気に唇に蘇り、あまい感覚を処理できず草苺は俯いた。
「
表情も、口調も、態度も、気配も――あまりにもそのままで。
だから白匣が何の話をしているのか、草苺はすぐに理解できなかった。
「小苺は?」
理解したのは、顔を上げたせいで砂糖のカケラが口に滑り落ちてきたあと。
「小苺は、薔薇は好きかなあ?」
猫が日向ぼっこをしている穏やかさを漂わせて、焼けた針を呑ますような質問をしてくる。
薔薇は貴妃
白匣は貴妃薔華の話をしている。
病に伏せる後宮の悪妃の話を、病に伏せる己の寵妃の話をしている。
不意を突かれ、答えられずにいる草苺の唇から、砂糖の粒がこぼれた。
「あのどこまでも気高い青薔薇を、余は誇りにも思っている」
薔薇の揺蕩う茉莉花茶を白匣は一気に煽る。
「また、美しく咲くのが見たいんだよねえ」
空になった茶器が敷物に置かれるのと、角星が声を荒げたのは同時だった。
「
険しい焦燥を含んだ声に意識を弾かれた草苺は、角星の視線が向かった先へと目を移す。
支柱の死角からおぼつかない足取りで姿を現したのは、知らない女性。
理知的な美貌は品が良く、歳は二十後半ほどだろう。厚い唇に咲く笑い黒子がなんとも印象深い。身長は高く、女性的な色気をまとった肉付きで、草苺にはないふくよかな果実が実っている。
上品な黄丹色の衣で身を着飾る、角星に黄紗と呼ばれた女性の頭には。
「ッ――!」
草苺は言葉を失う。
彼女の頭に咲く
禍々しさを放つ不気味な黒ずみがなんなのか、草苺は一目で理解する。
「あれは、
「見ただけで分かるんだあ。すごいねえ」
くわあ……と、白匣は欠伸まじりに感心した。
「君の花結いが見たくてね。君を呼んだよ」
相変わらず猫が日向で脱力している穏やかな空気感のまま。
目隠しの奥に隠された瞳の真意は読めない。温和な三日月を描く唇からも、なにも読めない。
「彼女の花結いをしてよお」
「どういうことだ!」
先に白匣へと強い反応を示したのは角星。
「花結いをさせるのは、すでに毒蟲に穢された者のはずだろう! 黄紗は」
「黄紗本人の希望だよ。この子の腕前を直に体験したいと」
「そのために自ら進んで毒蟲に穢されたと? なぜとめなかった!」
「とめたよお。お花が汚れるところなんて皇帝として見たくないだろう? 余も、お前も」
己の目隠しをなぞったあと白匣の手は角星の目線の高さまで、彼の双眸を隠すふうに掲げられた。
「けれど彼女は芯の強い花だ。余では手折れなかったよ」
「もし治せなかったらどうするつもりだ」
「スウはこの子を信用していないということかなあ?」
大袈裟に首を傾げた白匣。
角星は、ぐっと奥歯を噛み締めた。
「彼女は自分の癒花の力を知ったうえで隠しているのかもしれない。なら、先日と同じように逃げられない状態を作るほうがいい」
「こいつは、草苺はそんな奴じゃない」
「では、余計に信じておやりよ」
自分が話題の中心になっているのは分かるが、二人が何の話をしているのかは理解できない。
癒花の力は浄化の力。
確かに草苺の癒花は他の癒花よりも華氣の量は多いが、別に浄化の力まで強いわけではない。強いて言うなら、人一倍健康なくらい。
それだけ。
隠すもなにもない。
「
白匣の笑みが深まり、本能的にビクリと草苺の身体に力がこもった。
千里眼を持つと噂される賢帝の微笑みは、本当に心の中まで見透かされている気がした。
背筋に嫌な汗が流れる。
「君なら毒蟲に穢された癒花を治せるよね?」
「それは……どういうことでしょうか?」
「はてさて。隠しているのか? 本当に気付いていないのか? ……まーあ、いいかあ。花結いをしてもらえば分かることだしねえ」
白匣は戸惑う草苺からにこやかなかんばせを外した。ゆるりと姿勢を崩して、影猫が用意した綿入りの大きな背掛け枕に体重を預ける。
白匣が腕を伸ばせば、すぐに影猫が水煙管を持ってきた。
「今回はその小さなおててを傷付けてはいけないよお。添え花だけで結ってごらん。大丈夫、彼女は紫陽花のように変貌はしない。ただ、君が結ってくれないとどんどん花は汚れるだろうがねえ」
甘い煙が草苺の癒花へとかけられる。
煙の濃さに草苺は小さく咳き込んだ。
「花が汚れる辛さは同じ花ならよく分かるよねえ」
ぶぐっ……と、一際大きな泡が水煙管の中であがる。
水煙管の硝子壺に反射して映る女性が、音を立てて倒れ込んだ。
「ああ。彼女もさすがに限界かあ」
呑気に白匣は水煙管をふかす。
状況は飲み込めないが、耐え切れずに草苺は苦しげな女性へと駆け出した。
「大丈夫ですか!」
草苺は黄紗のふらついている身体を起こすのを手伝う。
異常に汗をかいているのに、彼女の身体は雪のように冷たい。ゆっくりと持ち上がった金茶色の瞳は、やや焦点がふらついている。
「……ええ……」
返事は、青白い唇は、小刻みに震えていた。
大丈夫なわけがない。
「なんで、こんな……昨日から、どうして?」
昨日から現実が、平穏が、崩れ続けている。
詳しい説明もないままに。
草苺を置いて、世界だけが進んでいる。
草苺に関係がないのなら、それでもいい。
知らないほうがいいことも世にはある。
しかし明らかにこちらにも関係がある口振りで語り、そのくせ、詳しくは教えてくれない。
それはあまりにも、あまりにも、腹立たしかった。
「――主上!」
草苺は眉を吊り上げて、白匣へと強い火の灯った眼をさす。
「わたくしがこの方の花結いをしましたら、詳しくお話ししていただけるのですね?」
「そうだねえ。けど、すべて聞いてしまっていいのかなあ? 後戻りできなくなるかもよ?」
「構いません」
草苺は即答した。
自ら知らないでいることと、意図的に知らされないことはまったく違う。
後者は利用される。
利用された。
草苺は、経験者だ。
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