治癒の癒花_09
「怪我はないか?」
「少し掠った程度だよ」
「掠った?
「ぶえっ!」
両頬を潰す勢いで掴まれた。
「大丈夫なのか⁉︎」
言葉とは裏腹に彼は動作が雑で。心配するならもう少し優しくしてほしい。
「っ、角星……ち、力、強いから――っ!」
文句を言おうと草苺は視線を持ち上げ、息を呑む。
真剣な顔付き。吐息がかかる距離で迫られて、澄み切った瞳の純粋さに心臓が固まった。
骨ばった大きな手が頬を包み、指先が耳に触れる。煤とはまったく違う彼の高い体温をありありと感じた。
「どこをやられた? 顔に傷が残るのはまずいだろ!」
毒蟲が草苺の顔に向かってきていたのを目撃した彼は顔を傷付けられたと勘違いしている様子。
隅々まで確認しようと彼の手が動き、意図せずその指先が草苺の小さな耳の縁をなぞった。
「っ……」
首の後ろに経験のない柔らかな痺れが走り、草苺が肩を竦めた瞬間。
「ィ――ったあ!」
角星の右手の甲に、
「くはねえけど……。こんの凶暴蛇! 急になにすんだ!」
角星が怒鳴り、煤が牙を剥いて威嚇し返す。
「……い、いまのは角星が悪い」
草苺は触れられた耳を押さえ、辛うじてそれだけぼやいた。
「ハア? 俺は心配して」
「か、顔じゃなくて手だから!」
草苺は傷跡どころか赤くもなってもいない右手を角星へ、ずいっ! と見せ付ける。
「痛かったけどなんともないよ。心配してくれてありがとう」
さっと顔を逸らし、高鳴った心臓の音を聞かれないよう草苺は足早に黄紗のもとへと戻った。
だから背後で愕然と目を見開いた角星の様子はもちろん、
「平気ですか?」
草苺は頭髪を押さえている
「はい。私は。……貴女こそ。まさか毒蟲がついていたなんて……」
「なんともありません。少しチクッとしただけです」
草苺は安心させるために黄紗へときれいな手の甲を見せる。
「あっ、この蛇も毒蟲ではないのでご安心ください。わたしの大切な家族です」
ついでに、首元にいる煤を紹介した。
「毒蟲に襲われて、チクッと? それだけ……?」
「えっ? はい」
黄紗は煤を一瞥すらせず、草苺の手だけを凝視し続けた。
「驚きましたけど。別になんともありません。わたしよりあなたの
毒蟲の姿はおぞましいが、害を受けなければなんともない。花断鋏を拾い上げ、草苺は黄紗の背後に回ると再び花結いをしにかかった。
今度は慎重に花の影まで気を配る。
毒蟲はいない。
「もう大丈夫そう。なら、添え花を……」
草苺は自分の癒花へと花断鋏を添えようとして、ブチッと慣れた感覚が走る。
「煤。切ってくれたの? ありがとう」
花断鋏を懐にしまって、両手を頭上へとのばす。
自分で切るよりも安心感があり、草苺は剪定は煤に任せることにした。
「金百合の美しさを活かして。髪型は……ううん。そこは気にする必要はない」
黄紗の髪を高い位置でひとつに束ね、蛇苺の蔓でまとめた。束ねた位置に金百合を集める。
彼女の姿は凛としていて美しい。
長髪を雑におろし、癒花が傷付き、弱々しくふらついていながらも彼女の存在感は濁ってはいなかった。
髪型を、気にする必要はない。
それに、草苺は花結いをしに来た。
髪結いと花結いは違う。
「できました」
草苺は宣言する。
「どうでしょうか?」
問い掛ければ、黄紗は全身を虚脱させて深く息を吐いた。不健康的に青白かった頬に、うっすらと紅がさす。
「ええ。大変、心地良い花結いです」
「よかった」
「ただひとつ、聞いてもいい? どうしてただ束ねただけなの? 妃嬪たちに同じ花結いをしたら地味だと嫌がられますよ」
確かに地味な髪型で、派手な花結いが好きな後宮の妃嬪たちには不評だろう。
「だって、十分にお美しいですから」
それでも、目の前の彼女にはこれが一番似合うと思った。
「金百合の癒花はそれだけで存在感があります。同様に貴方さまも凛としていて、そこにいらっしゃるだけで目を惹くお方だと思いました。だから髪型を派手にする必要はないと思い、わたしの蛇苺で髪をひとつに結い、金百合を飾りました」
実際にやってみて、改めて思う。
凛と美しい彼女には小細工などいらず、この花結いで十分だったと。
「そう」
「……お気に召さなかったでしょうか?」
自信があっただけに、黄紗の鈍い反応に草苺は表情を曇らせる。
やはり地味な花結いでは認められないのだろうか?
「二人とも。そっちで可愛く囀ってないで、こちらへおいで」
白匣に手招かれると黄紗は黙って踵を返してしまった。後を追い、草苺も賢帝の前で足を揃える。
「そうだなあ。まずは……」
白匣はだらけていた姿勢を持ち上げた。草苺が膝を折る前に彼の手が伸びてきて、すい……と、その指先が繊細な刺繍を撫でるかのように、滑らかな所作で草苺の裙子を摘み寄せた。
「まず先に、謝罪させてほしい」
裙子に、白匣が口付けた。
「余は花結いの腕を見たかっただけだ。君を危険に晒すつもりはなかった。毒蟲が残っていたのはこちらの不手際だ。誠に申し訳ない」
「しゅ、主上! おやめくだ――」
「おい」
一変した白匣の堅実な雰囲気に戸惑っていると、横から怒気をまとう腕が伸びてきた。
怒気を滲ませた角星が、皇帝の胸ぐらを容赦なく掴み上げる。
「二度はねえぞ」
「分かっているよ。兄弟」
声を潜められた二人だけのやり取りは、戸惑う草苺の耳にまで届かない。
角星は彼を突き飛ばすように手を放すと耳飾りを触りながら草苺のすぐ後ろであぐらをかいた。
――ど、どうしよう……。
草苺が立ち尽くしていると、袖を引かれる。
顔だけで振り返れば角星に座れと視線で促された。
草苺はそろりと黄紗を一瞥。
彼女は遠からず近からずの適度な位置に直立していた。
品のある彼女が立っているのに、女官とは名ばかりで下女と差して変わらぬ自分が座るなど失礼だろうと躊躇するが、角星が裾を離してくれない。
白匣への言動といい、角星の態度はあまりにも堂々と、そして自由すぎていて、どちらが皇帝か疑わしいほどだ。
「失礼、します……」
おずおずと草苺が腰をおろすと角星の手は満足げに離れていく。
「さぁてと。約束通り、お話しようかあ」
己の影から飛び出した影猫に衣服を直してもらいつつ、白匣は水煙管をふかした。
彼の雰囲気は再び日向ぼっこをしている猫に似た、ふわりとしたものに戻っている。
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