花結い女官_02

 後宮にいる花結師は、仕える妃妾たちの言いなりだった。

 癒花ジュファの力を考えての花結いは、ほとんどしない。


 ただあでやかに、

 ただ華やかに、

 ただきらびやかに、

 ただただ目立つ結い方しかしていないのは、草苺の目からしても明らか。


 勿体無いとは思うが、独学で花結いをしている草苺ツァオメイが正規の花結師に口出しなどできるはずもなく。

 後ろ盾のない下級女官の立場では、花結師の試験も受けられない。それに、花結師の癒花は添え花として他者に与えることもある。

 後宮の花結師ともなれば、その癒花は妃嬪にも劣らない絢爛さが求められた。


「ああっ! まずいわ!」


 鶏の声が響き渡り、朝顔の女官は飛び跳ねるように立ち上がった。


「あたしもそろそろ支度しなきゃ! 本当にありがとう!」


 まだ身支度の終わっていない彼女は手鏡を草苺へと突き返す。


「草苺に花結いしてもらうと調子も良くなるのよね。またやってね!」


 こちらの返事も待たずに手を振って、笑顔で大部屋へと戻っていった。


「……花結師かあ」


 浮き足だった後ろ姿を見送ると草苺は深く肩を落とす。そっと手鏡を持ち上げた。


「そりゃあ、なれるならなりたいけど……」


 柔らかな陽光を反射した鏡のなか。

 映るのは、薄めた墨汁を連想させる髪。

 濁った黒髪のてっぺんには、世辞にも美しいとは言えない平たく薄い黄色の花が咲いている。

 そして、花よりも目立つのは大量の赤い実。


「花結師は見栄えも大事だし。わたしみたいな花じゃ、後宮の花結師なんてね……」


 若葉色の双眸を伏せ、自嘲混じりの嘆息とともに草苺は手鏡を懐に戻した。


「花というか、実だもんなあ」

「アラ? アチシは花より実が好きヨ」

「うひゃあ……っ!」


 唐突に背筋を張った物理的な悪寒に、草苺は奇声をあげる。

 草苺の着る服は他の女官達とは異なり古臭い。瞬く間に流行りの変わる後宮で後ろ盾のない草苺は、後宮にくる前から着ていた一枚布で作られる深衣しんいを繕い直して着ていた。その内側を好き勝手に這われるこそばゆい感覚に、草苺は身を捩った。


「特に、アンタの実はネ」


 厚手の深衣の短領えりから、一匹の黒蛇が這い出してくる。

 草苺の頭になる実と同色の眼。小柄だが草苺の腕よりも長さがある長い体躯は、黒曜の鱗に包まれている。黒曜石にも黒真珠にも劣らぬ美しい光沢は妖艶さすら醸し出していた。


メイ! まだ出てこないでよ!」

「平気ヨ。人の気配はないワ」

「それでも!」


 ケラケラと赤い舌を揺らす煤を両手で胸元に押さえつけて隠す。

 草苺は素早く周りを見回した。煤の言う通り廊下に人の気配はない。けれども人が動き出している気配はいたるところから感じられる。

 いつ廊下に人が出てきてもおかしくはない。


「早く行かなきゃ」


 裾のほつれた裙子くんすをバタバタと揺らして、草苺は外廊下から極彩色の庭へと飛び出した。


 目的地は、常に四季の花々が爛々と咲き乱れる庭園を抜けた先。

 いまは使われていない外の洗い場の、少し奥にある。そこは幽霊が出ると噂される古い枯れ井戸。


 近付く者は少なく、草苺は毎朝ここに足を運んでいた。


「草苺は気にしすぎなのヨ」

「煤が呑気すぎ! 前も言ったけど、蛇は大蛇の化身と言われてて人間にとっては不吉の象徴なの。癒花を尊重する後宮では、蛇を見るどころかその話題を出すだけでも嫌がる方々が多いんだから」

「アラヤダ! この艶やかな美貌の価値が分からないなんて……損してるワ」

「ちゃんと聞いてよ! そんな後宮に蛇を連れてきたと知られたら、どうなることか!」

「ハイハイ。昔は気にしなかったクセに。言うようになったワネ」


 井戸のそばで草苺は煤の細長い体躯を両手で掴んで怒鳴る。


「仕方がないじゃナイ。文句が言いたいなら、自分の性質にお言いなさいヨ」


 煤は悪びれた様子もなく滑らかな動きで草苺の腕を這う。

 腕から肩に、肩から頭までのぼった煤は、尾の先で露骨に草苺の頭に生える赤い実を揺らした。


「今日も大量ネ! 一日でこんなに実るなんて、普通はあり得ないワヨ」

「気にしてるんだから言わないでよ……」


 嬉しそうな煤に、草苺はがっくりと肩を落とす。


「ただでさえ実が生るのは珍しいのに……。こんなに大量に生るなんて恥ずかしい」

「どれだけ実が重くなって、頭が痛くなっても、勝手に切れないとか……面倒ヨネ」

「だから煤に頼んでるんでしょ」


 草苺は頬を膨らませた。


「早く食べてよ。頭が重くて仕方ないんだから」

「言われなくてもいただくワ」


 煤は興奮気味に舌を蠢かした。

 大口を開くと、草苺の頭に生る蛇苺の実を、一口でまとめて三粒頬張った。


「草苺の実は最高ヨ! こんなに美味しいの食べたことないワ!」


 煤は次々と頭の実を食べていく。

 実だけではなく、ぶちぶち……と噛みちぎられた葉や茎も足元に落ちてくる。

 草苺は散らばったそれを足で集める。


 女の癒花は花結師以外が切ることは禁じられているが、例外が存在した。

 それは人間以外の生き物によって切られること。

 草苺は、蛇の煤に過剰に実る蛇苺を食べてもらっていた。これが草苺が他の女官よりも早起きし、人の来ない枯れ井戸に通う理由。


「神から賜った女の花は、女達が自然に愛されている証拠。だから人間以外の生き物によって花が散らされることは許される、って言うけど……さすがに毎朝コソコソと食べてもらうのもなあ」

「なにヨ。アチシじゃ不満なワケ?」

「そうじゃないけど。ねえ、そもそも蛇って肉食だよね? なんで煤は蛇苺しか食べないの?」

「前も言ったデショ。アチシは菜食主義なのヨ」

「だーから、蛇のくせに行き倒れるんだよ。蛇の行き倒れなんて意味分かんない」

「うるっさいワネ! 結局イイ関係を築けてるんだから問題ないデショ!」

「うわっ! 口に入れたまま喋らないでよ!」


 降ってくる蛇苺の食べカス。

 草苺は顔にぶつかったそれを手で払う。


「もう……」


 自称菜食主義の奇妙な黒蛇――煤と、一夜にして大量の蛇苺がなってしまう異常な急成長体質の草苺が出会ったのは、随分と昔。


 指をさされて冷え冷えとした失笑を受けながらも頭の蛇苺を自ら千切り、干からびたクズ野菜や腐った果物と交換していた頃。

 ろくな言葉も話せず、知識もなく、だから砂利道の端で干からびていた蛇を小袋だと信じて拾い、その口に蛇苺を捩じ込んだのが出会い。


 腹を満たして目を覚ました煤は、その日から草苺の老師先生となった。


 草苺に名前をつけてくれたのも煤だ。

 両親は知らない。生まれた日も分からない。物心ついた頃には路上で暮らす人々の中におり、他の人を真似て、時に騙されながらも細々と生きていたが、煤が老師になってから生活は一変した。

 煤は草苺に言葉と文字を教え、計算を教え、常識を教え、生き方を啓蒙してくれた。

 おかげで、草苺はのちに旅の花結師と出逢う。


 目の不自由なその花結師に、器用な手先と利発さを認められて煤とともに旅に同行し、花結いの手伝いをしながら見聞を広げられた。

 教えを乞い、旅の中で様々な経験を培ううちに蛇が言語を扱うことに疑問が生じたが、世には人語を解する妖も存在すると知る。

 煤もその一種だろうと草苺は勝手に解釈し、納得した。

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