【書籍好評発売中】後宮の花結師【Web版】

彁はるこ

序章

序章 花結い女官_01

 遥か昔、まだ神と人が共存していた時代。

 世は邪悪な大蛇オロチによって滅びかけたが、神は魔と対峙するための力を人間に与えた。

 男には、己の影から魔祓まばらいの武器を喚ぶ力を。

 女には、癒やしの花を身体から咲かせる力を。

 神から与えられた奇跡により人は大蛇を封じ、封印の上に国を造った。


 それがここ――蕐劍ゲケン

 天上の大神――花龍カリュウ白天ハクテン神君シンクンの寵愛を受ける大国である。


 大蛇が討伐されて早千年。

 邪欲じゃよくに堕ちた皇帝紫円シエンのおぞましい愚行により大蛇は蘇るが、皇太子白匣ハクコウによって倒される。

 脅威の再来に伴い、女たちが咲かせる花――癒花ジユファの重要性は高まっていた。


 この時代、癒花は女の命だった。

 無論、これは比喩だが蕐劍の中心――春季ノ都の後宮に住まう女には直接的な意味となる。

 大蛇復活を機に己の美貌よりも癒花のあり方が尊重され、それはつまり皇帝に見初められたくば己に咲き誇る癒花を磨き、なによりも癒花を美しく魅せねばならない。

 女の命である癒花を整える者を、人々は敬意を込めて〈花結師はなゆいし〉と呼んだ。



 𑁍  𑁍  𑁍



草苺ツァオメイ! あなたの花結いはすごいわ!」


 早朝の湿った空に随喜ずいきの声が響いた。

 淡い青の朝顔チアンニウフアを頭に生やす若い女官は歓喜と興奮に顔を上気させる。廊下に座る彼女は手にする小さな丸鏡を様々な角度に移動させ、自分の髪型――朝顔のツルを編み込んで丸めた団子頭を何度も確認しては吐息を零した。そこには、感嘆だけでなく安堵も含まれている。


「話には聞いてたけど、本当に花結いがうまいのね!」

「ありがとう」


 喜色満面な彼女に、彼女の花を結ってやった少女女官――草苺も口元を綻ばせる。

 素朴な雰囲気ながらも目鼻立ちは整っており、微笑む姿は愛嬌があった。


「こちらこそ、喜んでもらえてよかったよ」


 瑞々しい若葉色の瞳。適度に日焼けした健康的な肌。歳は十六前後だろう。背丈が低く、やや幼く感じられた。



 事の発端は、夜が明けきらぬ誰時たれどき


 草苺はとある事情で他の女官よりも早く起きる癖があった。他の女官が寝息を立てる中身支度を終わらせ下級女官が雑魚寝する大部屋の外にそっと出たところ、啜り泣いている彼女を発見。

 野暮ったい瓦燈がとうの灯る寂然せきぜんとした飾り気ない廊下の隅。暁闇ぎょうあんにぼんやりと浮かぶ見慣れた朝顔により彼女が同室の下級女官だと気付いた草苺は放っておけず、声を掛けた。


「切れていた葉は女郎蜘蛛じょろうぐもの糸で縫い合わせたよ。黒くなってる部分は周りのツルと髪を一緒に編み込んで後ろで団子にして被せるように密集させたから、そこまで目立って見えないはず」


 泣いていた理由が彼女に咲く朝顔が傷んでいたせいだと知った草苺は、彼女の癒花を整えてやり、いまに至る。


「たんぽぽの乳液と朝露を混ぜたノリで固めておいたから」


 草苺は束になっている朝顔を軽く摘み、最後の確認をする。

 朝顔は金色の暁光を浴びて燦々と美しく咲き誇っていた。傷んでいたとは思えない。


「うん。形も崩れないと思うよ」


 切れて変色した朝顔は、密集する他の朝顔によってうまく隠れていた。まとめた朝顔を掻き分けられてしつこく奥まで見られない限り、傷んでいたとは分からないだろう。


「剪定はできないから、新しい癒花が咲くまで我慢してね」

「切ることができれば一番いいんだけどねえ」

「仕方がないよ。いくら自分の癒花とはいえ、これは神様からの恩恵だから」

「自然に枯れるか、花結師じゃないと切ることが許されないなんて……こういう時に困るわ!」


 朝顔の女官は頬を膨らませて不満を爆発させる。

 女の頭を彩る癒花は神からの贈り物。

 己の花であろうと、安易に切ることは神に対しての不敬。

 なにより後宮では癒花は女の美の象徴とされているため、花を切る行為は女を捨てることと同一視されていた。だが、癒花を傷めることも女として恥ずかしいと後ろ指をさされる。

 女の園である後宮では、特に癒花の手入れは重要視されていた。


「花結師に花を整えてもらうなんて、私達みたいな下っ端女官じゃ無理なのに!」


 朝顔の女官は尖った声で吐き捨てる。

 彼女の言う通り。実際に癒花に気を配り、美しく整えられるのは一部の者だけだ。

 後宮には細かい階級が存在するが、大きく分ければ二種類。


 絢爛豪華で人目をひく癒花を咲かせた妃妾ひしょうたち。

 宮内の雑務をこなす、つつましい癒花の女たち。


 どちらに属していようと後宮にいる限り皇帝陛下の癒花として女たちは己と癒花を磨かなければならないが、現実は厳しい。

 後宮には大勢の人が暮らす。反して癒花に手を加えることを許されている花結師は後宮内に数えられる程度しかいない。

 正規の花結師に結ってもらえる者は、限られた妃嬪ひひんのみだった。


四季人よんきじんには専属の花結師がいるっていうし、羨ましいわよねえ」

「そうだね」

「あっ、でも薔華ソウカ貴妃はまーた花結師を辞めさせたらしいわよ」

 後宮には黒い噂も蔓延っている。娯楽の少ない女官たちは噂に花を咲かせるのが好きだ。

 彼女もそのようで、聞いてもいない話をペラペラと語り始める。


「数少ない花結師を取っ替え引っ替えできるなんて……さすがは血染めの薔薇。新しい花結師は決まってないんだって。あんな癇癪持ちの悪妃の専属花結師になんてなりたくないわよねえ! 知ってる? この間は突然女官の癒花を引き千切ったそうよ! 恐ろしいわ」


 傷付いた癒花が整った気分の良さもあるのだろう。


「四季人の侍女になれば専属の花結師の恩恵をもらえるだろうけど、薔華貴妃の侍女にだけは絶対になりたくないわ!」


 とまらない彼女に、草苺は苦笑いしか返せなかった。

「ねえ! 草苺なら花結師になれるわよ! こんなに器用なんだもの」


 唐突に、朝顔の女官は言う。


「あ、ありがとう。嬉しいよ」

「お世辞じゃないわ。本当に思ってるのよ!」


 彼女の気持ちは、その様子からしっかりと伝わってくる。ここまで純粋に喜ばれると少し気恥ずかしさすら覚えるが。もちろん悪い気はせず、草苺は頬を淡く染めて口元を緩ませた。


「草苺も花結師になればいいのに!」

「うーん。残念だけど、器用なだけじゃ花結師にはなれないんだ……」

「そうなの?」


 きょとん……と、首を捻る女官。

 草苺は上擦る心を落ち着かせながら頷く。


「癒花はただの花じゃない。浄化と癒しの力を持つ花だから、それを扱う花結師は癒花に流れる力の循環を理解してないと駄目なんだ」

「力の循環?」

「よく勘違いされるけど、花結師は花をきれいに保つだけの仕事じゃないの。癒花は結い方次第で癒花そのものの力が強くなったり、弱くなったりするんだよ」

「えっ! なにそれ⁉︎」


 朝顔の女官は目を見開いた。興味深そうに視線で話の続きを催促してくる。

 草苺も楽しくなってきて、笑顔でゆっくりと説明を続けた。


「癒花には血は流れてないけど、その人の生気が流れ巡ってる。剪定だって、痛んだ花や余分な花を切ってるだけじゃないんだ。剪定によって花に流れるその人の生気を整えて、花の隅々まで滞りなく循環させることで癒花の力を強めてるの。だから、花結師になるのは大変なんだよ」

「へえー……。けど後宮にいる花結師はそこまで意識してるの? 誰もかれも派手なだけじゃん」


 あまりにも素直な感想をもらす朝顔の女官に、草苺は視線を泳がせた。

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