一章

一章 雑草娘娘_01

「花が傷んでる人が多すぎる!」


 草苺ツァオメイが違和感に気付いたのは、八人目の女官の癒花ジユファを結った時。


 後宮には職務ごとに分けられた部署があり、女官は配属され割り当てられた仕事をこなす。

 けれども、草苺はどこにも属していなかった。

 ろくな花を咲かせず、咲いたとしてもすぐに実となる草苺は他の女官たちから見下されており、上位の女官から身体も服も汚れやすい雑草むしりばかりを言い付けられていた。


 まともな仕事は与えられず、その時その時に言い付けられた仕事をこなす底辺官女生粋の使いっ走り

 だが一部の女官は草苺の人並外れた手先の器用さに気付き、絶賛し、認めてくれている。


 その者たちから頼まれて、草苺は今朝のように花結いを行うことがしばしばあった。

 それでも――――


「さっきの人で八人目だよ? なんで今日はこんなに癒花が痛んでるの?」


 今日は草苺に花結いを頼んでくる女官があまりにも多過ぎる。数少ない顔見知りだけでなく、日頃草苺を蔑んでくる輩までで。饅頭などの手土産を持って頭を下げられれば断れず。

 草苺は、片っ端から癒花を結ってやった。


「しかも、みんな同じように癒花の一部が黒く変色してるし……」


 草苺は春の陽気を栄養に好き放題伸びた雑草をむしりつつぼやく。


 とある宮殿の一角。

 鮮やかな緋色の瓦は夕陽を浴びる細波のごとく端麗な視覚美。規則正しく佇む太い柱は上部に緻密な彫刻装飾が用いられ、細部までこだわっている。

 立派な石橋のかかった小川が流れるほどの広大な庭だが、手入れはまったく行き届いていない。手入れを放棄されているふうにも思える。


 後宮の庭園は特殊だ。

 女たちの咲かせる癒花の力の影響を受けて、季節も天候も関係なく常に四季折々の花々が爛々と咲き誇る。そのせいで雑草も伸びやすく、春となれば余計に成長が早い。


 花よりも雑草が生き生きと育つここが、誰の宮か分からない。

 豪華だが寂れた様子からして、あまり良い立場ではない妃嬪がいるのだろう。


「なんでだろうね?」


 周囲に人はおらず、一人であるのをいいことに草苺は堂々とメイに話し掛けていた。


「……煤?」


 太い雑草を五本抜き終わっても返事はない。


「おーい。煤老師ラオシー?」


 しゃがんでいた草苺は足を伸ばすと服の中の気配を探る。気配がない。


「ええっ……。また?」


 煤は勝手にいなくなることは多々あった。


「まあ、老師が誰かに見つかるなんてないと思うけど……」


 彼の立ち回り方は草苺よりもうまい。

 それでも、一言もなく勝手にそばを離れるのは肝を冷やす。


「独り言の心配をするなら声を掛けてからいなくなってよ。これじゃあ、本当に独り言が多い子になっちゃうよ」

「――草苺!」

「ひゃい……⁉︎」


 背後から叫ばれ、一人で文句をこぼしていた草苺は心臓と肩を跳ねさせる。

 跳ねた肩を勢いよく掴まれて、グルンと身体を回された。


「貴方がそうなの⁉︎」


 そこにいたのは豪快な薄紫の紫陽花バーシエンフアを咲かせた若い女性。

 裙子を胸元まで引き上げて珠飾りのついた帯を締め、襟を大きく緩めて首を飾る宝飾品を見せ付けた着方はいま流行りのもの。草苺の肩を掴む彼女の手は美しく、伸びた爪には汚れもない。

 装いと、癒花からして官女子ではなく位を持つ妃妾だと察せられた。


「貴女が雑草ザーツァオ娘娘ニャンニャンの草苺⁉︎」

「雑草娘娘?」


 娘娘は高位の女性に対しての呼び方だ。

 しかし、雑草とついている時点で明らかにいい意味のあだ名ではない。

 自分は影でそんなふうに呼ばれていたのかと、草苺は悲しむどころか名付けの感性に感心した。


 後宮の雑草むしりしか仕事のない草苺は滅多に人と関わらず、一人で黙々と業務こなしている。

 馬鹿にされているとはいえ、こんなにも壮麗な方に顔を知られているとは驚きだった。


「違……! ツァ、草苺! 貴女が雑草むしりばかりしてる草苺でしょう?」


 紫陽花の妃妾は慌てて取り繕う。

 きちんと取り繕えているかと問われれば草苺は首を縦には振れないが、彼女なりには言葉を整えたつもりだろう。

 草苺は土で汚れた両手を胸の前に揃え、一礼をする。


「はい。わたしが草苺です」


 この程度でいちいち心をかき乱されては棘だらけの花が咲く後宮では暮らしていけない。

 草苺は気にした素振りを微塵も見せず、笑顔で対応した。


「なにか御用ですか?」


 草苺の屈託のない笑みに、妃妾がほっとしたのが分かった。


「貴女、花結いが得意なんでしょう? これ、どうにかならない⁉︎」


 紫陽花の妃妾は背の低い草苺に合わせて軽く膝を折る。


「っ――!」


 草苺は息を飲んだ。

 彼女の後頭部を覆うように生えている紫陽花。その一ヶ所にびっしりと小さな蟲が犇いていた。


「こ、これは……あの時の?」


 全体的に黒い蟲は、蜘蛛に似ていた。

 だが腹部はまるで頭蓋骨の形をしている。丸い腹に頭蓋骨に似た模様があるのではない。紅い眼孔部分は実際に内側に窪み、骨ばった凹凸感のある腹部はとても気味が悪い。

 この蜘蛛を草苺は見たことがあった。

 今朝、花結いをしてやった朝顔の女官についていた蜘蛛だ。

 あの時は一匹だけで死骸だったためそこまで気にならなかったが、こうして大量に蠢いているのを目にすると生理的嫌悪感に襲われる。


「なんて酷い……」


 愕然とした草苺の呟きに紫陽花の妃妾は、わっ! と顔を両手で覆った。


「どうにかしてよ! こんなに醜くてはここにいられないわ!」

「あなたのような方なら花結師に頼めるのではないですか?」


 彼女がどれほどの位にいるかは分からない。それでもこれだけ上等な身なりの御仁なら、伝手はあるはずだ。ここまで悲惨な症状に見舞われれば花結師が動いてくれる。


「頼めるわけないでしょ!」


 けれども返ってきたのは信じられない言葉。

 泣き腫らした顔で、強く睨まれた。


「花結師に頼んだら、私の癒花が醜くなったと周りに知られるじゃない! 花の手入れもできないなんて、それこそ笑い者にされるわ!」


 紫陽花の妃妾は、高級な召物が汚れるのも厭わずその場に泣き崩れる。

 下級女官も苦労するが、登りつめた者には登りつめた先での苦労があるらしい。後宮では女の戦いが蔓延り、上の地位になるほど険しさとおどろおどろしさを増すだろう。

 下級女官に頼ってでも、彼女が周りに弱味を晒したくない気持ちは察する。


 気持ち悪いが、蜘蛛を払えないわけではない。

 劣悪な環境に身を置いていた草苺からすれば蜘蛛を排除するのは容易い。

 花結いだって、草苺は高貴な出の貴人すら満足させられる自信があった。


 ここで紫陽花の妃妾の花結いをして認められれば、草苺は彼女の口添えで後宮の花結師との伝手を得られるかもしれない。

 うまくいけば、妃妾からの推薦として花結師の試験を受けられる可能性もある。

 草苺は、眼前の好機に生唾を飲み込む。

 手を伸ばせば、手に入る。


「申し訳ありません」


 真摯に頭を下げ、草苺は素直に伝えた。


「わたしができるのは、誤魔化す程度の花結いです。こんなことになっていては、剪定のできないわたしではお力添えできません」


 自分の願いのために彼女の癒花を利用するなど、妃嬪たちのご機嫌取りをするだけの花結師たちと変わらない。

 花結いはただの身嗜みではない。

 女の命だ。

 草苺は癒花を、女の命を整える花結師に焦がれている。癒花には真摯に向き合わねばならない。

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