雑草娘娘_05

「これ以上はお前の傷が……!」

「いいの!」


 角星スボシを制し、草苺ツァオメイは傷を無理やり広げて出血量を増やす。

 真っ赤に染まった右手で腐った紫陽花バーシエンフアを掴んだ。

 ぐしょり、どろり……と不気味な手触り。奇異な甘ったるさを孕んだ腐敗臭。


 いつもなら反射的に手を離しただろうが、草苺は微塵も怯まずにおぞましく腐敗した紫陽花を排除する。腐った紫陽花は切れるではなく蕩けるように彼女の頭から剥がれた。鋏は必要ない。

 草苺は素手で紫陽花を剪定する。

 花を、葉を、黒ずんだ茎を細かく丁寧に丁寧に剪定していく。


「ふう……。これで華氣フアリが出ていくのは防げたはずだよ」


 妃妾の上体を起こし、そばの樹木に寄り掛からせる。改めて癒花を隅々まで確認する。

 華氣の漏れはない。


「うん。大丈夫」

「本当か! よかった……」


 見守っていた角星も胸を撫で下ろす。


「けど、まだだよ」

「華氣の漏れは防げたんだろう?」

「角星がわたしに頼んだのは花結いでしょ?」


 草苺は黒い花汁で汚れた手を払う。

 爪の隙間にまで崩れた花の残骸が挟まって気持ちが悪いが、まだ休めない。


「まだ花を結ってない」


 草苺はどす黒く腐った部位を排除し、周りの無事な紫陽花を重ねていく。

 彼女の後頭部を覆うように生えていた紫陽花は数があまりにも減ってしまった。だから草苺は彼女の長い髪とともに残った紫陽花を左右に分けた。


「ここから、こうして……」


 高い位置で紫陽花を集める。

 小振りだが、なんとか紫陽花の群生を左右で二ヶ所作り上げた。


「よかった。まとまった」


 草苺は一度、服の裾で汚れた手を拭く。


「今度はこれを……」


 汚れを拭った手で紫陽花の小さな群生を再度整えると、今度はその下で髪を三つ編みにする。三つ編みをゆるい輪っかにして紫陽花へと引っ掛けた。


「すごいな」


 興味深そうに、角星が感嘆の息を吐く。

 彼は傍らで腕を組み、じっと草苺の花結いを観察し続けていた。


「完成か?」

「まだだよ。これじゃあ足りない」


 草苺は自分の頭に、自分の癒花に手を伸ばす。

 大きく息を吸ったあと一気に引っ張った。


「っ――お前! なにやってるんだ!」


 だが、蛇苺を千切るよりも早く、角星が草苺の手首を掴む。

 それもそうだろう。自分の癒花をむしろうとする凶行を目の当たりにして止めない者はいまい。



「大丈夫! わたしは華氣が強いから!」

「なんでそんなことが分かるんだ! そうだとしても、なぜ自分で自分の癒花を……!?」

「癒花が弱った時に他者から癒花を添えてもらうの。知らない?」

「添えて……あっ。ああ、見たことあるな。その人の癒花とは別の癒花が頭に咲いているところ」

「癒花がなんらかの理由で弱った時の対処法は『弱った部分の剪定』『血を与える』『他者の癒花を添えてもらう』このみっつ。この人の癒花は弱り切ってる。剪定して血を与えたけど足りない。だから、わたしの癒花を添える」

「それでも! 弱ってもない健康な癒花を千切るなんて……お前にも負担があるだろ! せめて、花結師を探してはな断鋏たちばさみを」

「時間が勿体無いよ」


 草苺は至って冷静に角星の手を振り払う。

 ブチブチ……と、自分の癒花を千切った。頭に近い根の部分まで毟らないように垂れ下がる部分だけを取っていく。


 草苺本人よりも角星のほうが痛々しい表情になり、目を逸らした。


「わたしは花よりも実がたくさん生る体質なの。それは華氣が強過ぎてる証拠なんだよ」


 少しでも彼の気が晴れればと説明してやる。


「だからこれくらい大丈夫。むしろ楽になるよ。生り過ぎてても重いから」


 草苺は自分の頭部から毟り取った蛇苺の生る茎を彼女の三つ編みに絡めていく。

 丁寧に。

 丁寧に。

 有り余っている華氣を編み込んでいく。


 三つ編みに茎を絡め終わると瞼は閉じたままだが彼女の呼吸は落ち着きを取り戻した。

 顔色も幾分ましになっている。これならばそのうち目を覚ましてくれるだろう。


「……花結い。終わったよ」


 自分の唇が花結いの終了を告げた瞬間、心地よく総毛立った。


「はあー……」


 とても清々しい気持ちだった。

 服は腐った花汁でドロドロ。

 傷の広がった手のひらは痛い。

 癒花を乱暴にむしったせいで若干の頭痛が出てきた。


 それでも、心は満たされていた。


 甘美な多幸感に包まれる。

 気を抜くと変な笑い声をあげてところ構わず走り回りそうになった。


「……ふう……」


 草苺は胸に手を当てて、歓喜に濡れる息を落とした。

 余韻に浸る。

 花結いの余韻に。

 咲き誇る命に触れ、命を結った余韻に。


「最高に、気持ちがいい花結いだった」


 草苺は心酔していた。

 極上の花結いに。

 自分がしてきたなかでもっとも満足し、最高傑作だと言い切れる花結いに。

 高揚感に頬を染め、うっとりと自分の世界に陶酔する。


 だからその肩を掴まれるまで、草苺はすっかり角星の存在を忘れていた。


「草苺」

「……ぁえ?」


 寝起きにも出さない素っ頓狂な声が草苺から漏れる。

 草苺の肩を角星が強く掴んでいた。


「礼を言う。ありがとう」


 手を離し、彼は姿勢を正すと草苺へと頭を下げた。あまりにも洗練された誠実な礼。

 草苺のほうが虚をつかれる。


「……こ、こちらこそ! 助けてくれて、ありがとうございます!」


 一瞬にして花結いの余韻から現実へと引き戻された草苺も角星へと頭を下げる。

 そろそろと顔を上げる。

 澱みのない空色の瞳が草苺を直視していた。気圧されて、草苺は生唾を飲み込む。


「草苺。一緒にこい」

「うん?」


 地鳴りと勘違いするほど低くなった角星の声。


「俺についてこい」


 もう一度、角星が静かに言う。

 数秒の沈黙。

 後に、ぶわっ! と草苺は全身から汗が吹き出した。


 ――やってしまった!


 ここまでやらかしてから草苺は自分の罪を自覚した。

 草苺は花結師ではない。

 なのに妃妾の癒花を剪定し、結った。


 花結いをしろと命じたのは角星であるが、彼は剪定をしろとは一言も述べていない。よくよく思い返せば、彼は自分が指示すると言った。草苺はそれを無視して、勝手に花結いを進めてしまった。


 角星が何者なのかは分からない。宦官ではないのはたしか。

 装いは軽装で、だがしっかりした縫い目の生地は上等。

 警備兵でもないだろう。


 ならば何者か?

 何者だろうと、もはや関係ない。

 実行犯は草苺。

 草苺は妃妾相手に勝手な花結いをした。公になればタダでは済まない。


 紫陽花の妃妾本人に花結いを頼まれてはいるが、草苺は一度断っている。その上で彼女を怒らせているため、弁護してもらえるかは難しい。


「お前、花結いに詳しすぎやしないか? 誰か師でもいるのか? ……いや。この際どちらでもいい。詳しく話をさせてくれ」

「――……っ!」


 詳しい話もなにもない。この展開はまずいと草苺は焦る。

 きっとこのままでは死罪だ。

 間違いなく死罪。


「毒蟲も華氣も視えている。そしてなにより、この腕前。これなら、もしかしたら薔華も……」


 もう草苺の頭の中は自分の首と胴が離れる図しか浮かんでいない。ぶつぶつと思案する角星の呟きも、草苺には一句だって耳に入ってはこなかった。


「……なあ。お前、花結師になる気は」

「ああっ! 紫陽花のお方が!」


 草苺は甲高い大声を出して妃妾を指差した。

「どうした⁉︎」


 角星が警戒心を露わにすかさず彼女を振り返った。

 横たわる紫陽花の妃妾は落ち着いた呼吸を繰り返している。周辺も西に傾き出した太陽によって赤く染められているだけ。

 静穏なそよ風が、火照った身に沁みる。


「なんだ。なにもねえじゃ――」

「すみませんでした!」


 草苺は脱兎した。

 全力で。

 死にたくないので、死ぬ気で走る。


「ハア?」


 虚を突かれた角星の、素っ頓狂な声。

「――って、ゴルァア!」からの、野獣の咆哮にも勝る怒声。

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