花を贈っていたのは
刹那、マオが鋭い眼光で右方を見た。
「マオさん?」
どうしたのだろうかと視線の先を追う前に、マオが私の肩を抱き寄せて、
「俺達になんの用だ? 悪いが道には詳しくないぞ」
え、と今度こそその視線の向いた先を見遣ると、路地に佇む一人の女の子。
小柄な子だ。面持ちはおそらく二十歳を超えたか超えいないかだと思うけれど、パッチリうる目な小動物を彷彿させるメイクもあって、年齢がよくわからない。
緩く波を描き、小さな角のように両サイドでくくられたピンクアッシュの髪。
手首の広がる襟付きの白いブラウスの首元には、黒いリボンが。
太もも丈の淡いピンクベージュのワンピースが、彼女のふわりとした雰囲気によく似合う。
かわいい子。それが私の第一印象だったけれど、マオからは警戒の気配が強く伝わってくる。
彼女はにこりと愛らしい笑みを浮かべると、「ちょっとお尋ねしたいんですけれどお」と鈴のような声で、
「お二人はあ、里香とどんな関係なんですかあ?」
「!?」
脳裏に、里香さんの言葉が思い起こされる。
『もし、誰かにアタシのことを聞かれたら――』
(まさか、この子が……!?)
マオは私の肩を抱いたまま、口角を吊り上げ、
「俺達か? 俺達は里香の親友だよ」
「親友? そーんなバレバレな嘘じゃ、騙されませんよお。あいり、こう見えて馬鹿ではないんでえ」
(あいり、って名前なんだ)
マオはなおも余裕に笑って、
「なぜ嘘だと断言できるんだ? 現に俺達は今も里香の家に遊びにいってたのに。な?」
「そ、そうです! すっごく楽しかったです!」
私が同調するようにして大きく頷くと、マオは「ほらな」とあいりさんを見遣って、
「そっちこそ、里香とはどんな関係なんだよ」
「あいり? あいりは里香の、一番大好きな人だよ」
「里香は男と住んでるんだぞ? 冗談じゃないのなら、ひどい妄想だな」
「妄想じゃないし!」
「ならなんで里香は男と住んでるってんだ。二人で一つの部屋で、ベッドだって一つしかないんだぞ」
「それは……!」
声を荒げたあいりさんが、ぐっと下唇を噛む。
かと思うと、今度は打って変わって可愛らしい笑みを浮かべ、
「それはねえ、あいりに嫉妬してほしいからだよお。あいり、里香の考えていることなんて、ぜーんぶお見通しなんだから。だってあいりも、里香が一番に大好きなんだもん」
(こ、これは思っていた以上に、まずそうな"ストーカー"さんなのでは……!)
口元に手を寄せ、クスクス笑うあいりさん。
その指先は、桜色と赤いネイル。
(ん? あの色って……)
それと、あの指は。
「残念だが、お前の嫌がらせは効いてないぞ」
嘲笑交じりに告げるマオに、あいりさんがぴくりと肩を揺らした。
「あの程度で怯えるような男なら、とっくに出ていっているはずだろ。だがいまだに一緒にいるってことは、とっくに二人にとって、あの花は脅威でもなんでもないってことだ。下手な悪あがきはやめるんだな」
「……うるさい」
「いくら過去に縋ろうと、時間は進んで行くんだ。いい加減、現実を直視したらどうだ?」
「うるさい、うるさいっ!」
耳を塞いだあいりさんは勢いよく首を振って、
「あの男が悪いんだ! あの男が里香を騙して! 汚い! きたないっ!! アンタ達だって、里香の気持ちなんてちっとも理解してあげらないくせに! 親友? そんなの里香に必要ない! 里香に必要なのはあいり、あいりしかいないの!」
「あ、あいりさん」
落ち着いてください、と続けようとした私の口を、マオが無言のまま片手でそっと制す。
その視線を冷たく細めて、
「そうやって他人に理由を求めてばっかりじゃ、どれだけ時間が過ぎようと何も変わらないぞ」
「……っ」
行こう、と。マオは私の肩を引き寄せたまま歩き出す。
あいりさんは俯いたまま佇んでいた。心配だったけれど、これ以上何か出来るようにも思えなくて、私も彼女から視線を切り歩き出す。
無言のまましばらく行った所で、後ろを確認したマオは「悪かったな、茉優」と私の肩に回していた手を離した。
なにかあった際に、即座に守れるようにとの行動だったのだろう。
そう予測が出来るくらいには、マオとの付き合いも深まってきた。
あまりの近さに心臓がドキドキしてしまったのは、生理現象のようなものなので許してほしい。
私は「いえ、ありがとうございました」と一礼してから、
「あの子が"ストーカー"だったんですね」
「だな。ったく、隠す気もないどころか直接対峙してくるなんて。あんなまどろっこしいやり方で牙をむくくらいなら、直接本人と話せってんだ」
くたびれたようにして、マオが頭をかく。
(……なんだろう、この違和感)
たしかに強烈な子だった。
里香さんに確認のできない今、里香さんか彼女とどういった関係だったのかなんてわからない。
あいりさんの言い分だけを聞くのなら、きっと二人は深い中だったのだろう。"恋人"ではないけれど。
(恋人ではないけれど、里香さんはあいりさんを拒絶した?)
それを受け入れられなくて、嫌がらせが始まったのだろうか。
起因が里香さんだったから、出来るだけ穏便に解決したいと、私達が呼ばれた。
あいりさんを止めるため。
そもそも里香さんは、あいりさんが自分に接触してはこないと考えている。
けれど、玄影さんと一緒に住んでいるのは、あいりさん向けの対策で……?
(分離したネイル。同じ色の指。足と、手。左薬指)
その時、どうしてか、玄影さんの姿が過った。
『本当……捨てるばかりが道ではありませんね。特に、自分で捨てきれないものは』
「……マオさん。もしかすると私、大きな勘違いをしていたのかもしれません」
もしかしたらマオは、すでに気が付いていたのかもしれない。
見上げた私に苦笑を浮かべると、「面倒事を引き受けちまったな」と同意を示すようにして頷いた。
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