帰ってこなかった家族

 だんだん下がっていく視線。

 けれど最後まで伝えなければと、私は必死に口を動かす。


「"家族"は、大切にしたほうがいいと思うんです。帰りを待ってくれているのなら、なおさら」


 七歳の時、突如として帰らぬ人になってしまった、両親の姿が思い起こされる。


「それじゃあ、行ってくるからな、茉優。ごめんな、寂しい思いをさせて」


「仕事が終わったら、すぐに帰ってくるから。お祖母ちゃんに甘えすぎて、我儘ばかり言っては駄目だからね」


 多忙だった両親が夜分、突然仕事に呼び出されるのはたびたびあることで。そうした日は決まって、二駅ほど隣にある祖母の家でお泊りをしていた。

 よくあることだった。二人の帰宅を、疑いもしなかった。いつものように。


 お祖母ちゃんと夕飯を食べて、お風呂に入って。畳に並べて敷いた布団にくるまりながら、内緒話をして眠りにつく。

 障子ごしに届く柔らかい朝陽に目が覚めると、慣れ親しんだ車の音が聞こえてきて。

 しばらくすれば、お化粧をしたままのお母さんが起こしにきてくれて、お祖母ちゃんと朝ご飯を並べてくれていたお父さんが「おはよう」って、ちょっと申し訳なさそうに微笑んでくれる。

 その日も、同じなのだと。


「――白菊さん! 白菊さん、起きてる!?」


 待ち望んだ車のエンジン音ではなく、激しくドアを叩く女性の声にぱちりと目を開く。

 この声はたしか、斜め前のおばさんだ。もっと小さかった時から、何度もお菓子をもらったことがある。

 ただならぬ様子に、私も起き上がって玄関に向かった。

 朝ご飯の支度をしてくれていたのだろう。エプロンをつけたお祖母ちゃんが扉を開くと、おばさんは見たこともないような青白さで、


「茉優ちゃん、やっぱり来てたのね……!」


 まるでいてほしくはなかったかのような口調で、おばさんはお祖母ちゃんに視線を移す、


「あのね、落ち着いて聞いてね。さっき、公園の角で事故があったみたいなのよ。いま、救急車を待っているみたいなんだけれど、それでその、その、事故にあった車がね……」


(まさか)


 予感に、駆け出した。

 驚くお祖母ちゃんとおばさんの間をすり抜け、裸足のまま全力で走る。

 後ろから何度も名前を呼ぶ声がしたけれど、聞こえているようで聞こえてはいなかった。


 心臓がばくばくとうるさい。

 そんなはずない、足を汚してって、あとで叱られちゃうなんて考えながらも、振り切れない恐怖が襲ってくる。


(おとうさん、おかあさん……!)


 足が止まる。よく遊びに行く公園のブランコの向こう側で、たくさんの人と、飛び交う怒号。

 大きなトラックと、ブロック塀の間に挟まり潰れていた一台の車。

 間違いなく、私が帰りを待っていた車だった。


 あれから私はお祖母ちゃん引き取られ、たくさんの人に可愛がってもらいながら、大きくなったのだけれど。

 いまだに長時間誰かの帰りを待つのは、苦手なままだ。


(待ってくれているのなら、ちゃんと、帰ってあげたい)


 私は鞄を抱きしめ、意識的に顔を上げた。

 マオの横顔を見つめる。


「"嫁"ではなくとも、よろしいのであれば。ご迷惑でなければ、私もご一緒させてください」


「茉優……!」


 感激しようにして瞳を輝かせたマオが、はっと前を向く。何度も私に指摘されているからだろう。

 彼はそのまま溢れんばかりに破顔して、


「ありがとうな、茉優! 今世でもこんなに優しくしてもらえるなんて、俺は世界で一番の幸せ者だ!」


「お、おおげさですよ! ただ事情説明に同行するってだけですし……」


「そんなことないさ。かなり勇気のいる決断だったろう? あ~~茉優! 一日でも早く夫にしてもいいって思ってもらえるように、俺、頑張るからな!」


(え、夫になるのは確定してるの?)


 たとえ本当に前世で夫婦だったとしても、今の私は彼の知る"ねね"じゃない。

 共有できる思い出もない、完全に別人なのに、"面影がある"ってだけで突っ走りすぎでは……。


(けれどすぐに、思い直してくれるかな)


 マオも今はまだ、前世の記憶に引っ張られているだけ。

 今の……"茉優"である私を知れば、きっと結婚の話はなかったことにしようと言い出すはず。

 だって彼が愛したのも、嫁に迎え入れたのも。

 約束を交わしたのだって、何も持たない私ではなく"ねね"なのだから――。


(あ、あれ?)


 ちくり、と。胸に小さな痛み。

 驚きと、自己嫌悪が混ざり合う。


(なにを勝手に傷ついているんだか)


 求められていたのは私じゃない。わかっていたことだろう、と。

 マオには気付かれないように、薄く息を吐きだした。

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