猫又様の愛しい人

 北鎌倉に戻ったのがちょうど昼時だったこともあり、タキさんのご厚意に甘えて、お昼は本邸でご馳走になった。


 鎌倉名物の釜揚げしらすと、しゃきっとフレッシュなキャベツが使われたペペロンチーノ。

 キューブ状に切られた分厚い鎌倉ハムの熟成ベーコンと玉ねぎをじっくり煮込んだコンソメスープも塩加減が絶妙で、あっという間に平らげてしまった。


「そういや鎌倉ハムの本店が小町通りの近くにあるんだけどな、そこで売られているコロッケも分厚いベーコンがゴロゴロ入ってて、幽世でも人気なんだ」


 今度一緒に行ってみるか、と笑うマオは、すっかりいつもの調子だ。

 出来ることなら、このまま誤魔化されていたい。

 だけど今の私には、きっと耐えられない。


 離れに戻り、洗濯乾燥機に洗濯物をセットする。

 外に干すには色々と気を遣うだろうと、狸絆さんの配慮で設置してくれたらしい。

 正直とてもありがたい。


 簡単に室内の掃除を済ませると、マオは狸絆さんに今日の報告とつづみ商店の打ち合わせをしてくると本邸に向かった。

 私は夕食の献立を決めるべく冷蔵庫の中身をチェックする。

 見るからに新鮮な野菜やお肉が、それぞれ絶妙な量で配置されている。


(そういえば、ここの中身って誰が入れてくれているんだろ)


 タキさんなのか、それとも、別の誰かなのか。

 今度タキさんに聞いてみようと決めながら、柔らかそうな春キャベツに目をとめた。

 そろそろ旬も終わるだろう。ロールキャベツにしてみようか。

 マオならきっと、少し教えれば上手に包んでくれるだろう。


「マオさん、器用だからなあ」


 離れでの同居生活は、思っていた以上に穏やかなものだった。

 マオは意外にも簡単な料理はこなせていて、新しいことも少し教えれば即座に吸収してしまう。

 二人で調理場に立つことが多いが、朝は時折、私よりも先に起きて余分に作ってくれていたりもする。


 家族ではないのに、心地いい。

 そう思えるのはひとえに、マオの気遣いが絶妙なんだと思う。


(甘やかされているなあ……)


 これも彼のアピールの一環なのだろうか。

 だとしたら、着実に攻略されてしまっているわけで。


「……トマト缶をつかって、スープはトマトベースにしようかな。マオさんにも相談してみなきゃ」


 呟いて、視線を落とす。


「……相談、出来るといいのだけど」


 そもそも夕食云々の前に、彼が離れを出ていってしまえば、それまでだ。

 夕食の献立の前に、打ち明けなければ。私は"ねね"ではないのだと。


 本音をいうのなら、もう暫く黙っていようと思っていた。

 可能なら、マオ自身が気付くまで。


 けれどもあんな、心を裂くようなマオの"覚悟"を聞いてしまったら。

 これ以上、狡いままじゃいられない。


(マオは、後悔してるんだ)


 もっと"ねね"と一緒にいたかったと。二人で手を取り合って、幸せな時を続けたかったと。

 あやかしとして百年以上を生きてまで、探し続けていた愛しい人。


 もう見なくなってしまった、けれども脳裏に焼き付いたあの夢が、嫌というほど教えてくれる。

 彼は次の生を誓うまでに、"ねね"を愛していたのだと。


 だけど私は"ねね"じゃない。

 マオが必死に求め続けた、愛しい人じゃない。


「……くるし」


 重く濁っていく胸に触れる。


(わかってたはずなのに、馬鹿だなあ)


 手放したくない。私を見つめる愛おし気な瞳も、安らげる大きな手も。

 自分がこんなに欲深いのだと、初めて知った。

 知ってしまったからには、手放してあげないと。


「"ねね"になれたら、よかったのに」


 馬鹿らしい、叶わない夢。だってそもそもが違うのだから。

 彼が私に全てを与えてくれるのは、私を通して"ねね"を見ていたから。

 幻想は、いつか崩れる。


「……人は、ある時とつぜんに死ぬ」


 帰ってこれなかった、お父さんとお母さんのように。

 元気だと思っていた、お祖母ちゃんのように。

 そして彼が愛してやまなかった、"ねね"のように。


 私だって例外じゃない。だから言わなければ。

 彼の優しさに甘えたまま死んでしまったなら、マオは、幻想の愛に縛られ続けてしまう。


***


 マオが離れに戻ってきたのは、十六時を過ぎたころだった。


「茉優、いいモン持ってきたぞ。ちょっと遅くなっちまったが、お茶にしないか?」


 にっと笑うマオの手には、縦長の茶色い小箱。白い満月状の穴には、向き合う大小二匹のリスが描かれている。

 ご機嫌なマオと紅茶を淹れて、縁側のテーブルセットへ。

 それぞれ椅子に腰を落とすと、さっそくとマオが小箱を開けた。


「鎌倉紅谷のクルミッ子ってやつでな、ここ最近のイチオシなんだ。現世住みのあやかしにも人気が高くてな、なかなか幽世には数を出せないのもあって、向こうじゃ結構な高値で取引されるんだ」


「え、そんな貴重なお菓子をいただいてしまっていいんですか?」


「仕事は仕事、プライベートはプライベートだからな。これは茉優と俺のぶん」


 ほい、と小皿に乗せられたのは、バターサンドのような、けれどもしっかりと厚みのある長方形の菓子。

 透明な包装紙でくるまれていて、クリーム色のインクでパッケージと同じ二匹のリスが描かれている。右上には「紅谷」の文字。


「クルミっ子……あ、この中のがクルミなんですね」


 ぺりぺりと包装を剥がしながら、サブレに似た薄い生地にサンドされた茶色いクリームの断面に気が付く。

 所せましと詰まった、たっぷりのクルミ。と、マオも包装を剥がしながら、


「運がいいとそこのクルミがハートになっているらしいんだが、茉優のはどうだ? 俺のは……ないな」


「私のは……あ、もしかしてコレですか?」


 くるりと回した反対側に、確かにハートに見えるクルミが。


「あったのか?」


「はい、ここに……」


 マオにも見せようと、自然と上半身と顔を寄せる。刹那、


「あーと、茉優。信頼してくれるのは嬉しいんだが、あまりに無防備だと俺も我慢がきかなくなるというか」


「はい?」


 ぱっと顔を上げた瞬間、視界いっぱいにマオの顔。

 額が触れてしまいそうな距離に現状をうまく処理できずにいると、苦笑を浮かべた彼が、「気付いたか?」と肩をすくめる。

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