猫又様は幸せにしたい

「茉優、平気か」


 朱角さんとの間に割り入り、心配げに眉根を寄せかがみこんでくれるマオ。

 私ははっと気が付いて、


「誤解です、マオさん。私がお仕事の邪魔をしてしまっただけで、朱角さんは何も――」


「逃げるのなら、取り返しのつかない事態に陥る前に逃げたほうがいいと教えたまでだ。心配せずとも、お前が隠したい"余計な事"は告げていないから安心しろ」


「朱角!」


 怒りの様相でマオが叫ぶ。

 けれども朱角さんは一切動じることなく、「仕事に戻る」と薄暗い廊下を歩いていってしまった。

 マオが忌々し気に額をおさえる。


「ったく、あの野郎」


「あの、マオさん。言い難いことでしたら結構なのですが、朱角さんのおっしゃってた"余計なこと"って……?」


「あー……そうだな」


 マオは苦笑交じりに庭へと視線を流し、


「腹ごなしがてら、少し歩かないか?」


***


 マオに連れられ、庭を歩く。

 周囲の民家とは距離があるからか、空も木々も、よく知るいつもの"夜"よりも深い藍色に染まっていている。

 ホー、と聞こえた独特なくぐもった声に、思わず興奮気味に「フクロウですか?」と訊ねれば、マオは噴き出すようにして笑って「ああ、フクロウだ」と答えてくれた。


「この辺りじゃさほど珍しくもないが、茉優は初めてか?」


「テレビや動画でなら、聞いたこともありますけど……自然の鳴き声を聞くのは初めてです」


「そうか。……今じゃ聞いたことのないほうが多いよな。ああ、足元、気を付けてな」


 当然のように差し出された掌に、少しだけ迷ってから手を乗せる。

 水の音がすると思ったら、池があるらしい。覗きこむと、立派な体躯の鯉が数匹、ゆったりと尾を揺らし泳いでいる。

 黒い水面に映る月。満月になるまで、もう数日といったところだろうか。


「朱角のこと、すまないな。茉優が悪いってんじゃなくて、アイツは、人間を嫌っているんだ」


「……それは、私が聞いてしまっても平気はお話でしょうか。朱角さんにとって、その、あまり触れられたくない内容なのではないかと……」


「問題ない。隠しているわけでもないし、この屋敷の者は皆、心得ていることだ。……これから生活を共にするからな。茉優も、知っておいたほうがいいと思う」


 アイツは半妖なんだ、と。

 池の水面で、マオの姿がゆらめく。


「アイツの父親は牛鬼ってあやかしで、母親が人間だった。半妖といっても、人間に寄るもの、あやかしに近いものと、色々あってな。朱角はあやかしの血の方が濃かったんだが、そのせいで随分と人間から虐げられたんだ」


 マオは優しい声で続ける。


「父親はとっくに姿をくらませていて、どこにいるともわからない。頼みの母親も、初めこそ可愛がっていたそうだが、物心ついた時には別に男を作っていたらしい。疎まれ、虐げられ、いいように使われて。恨みと憎しみを募らせ、あとほんの僅かでもそこにいたら殺してしまいそうになっていたところを、親父が拾ってきたんだ。俺が拾われる、少し前の話だな」


「そんな……っ」


 あまりの壮絶な過去に絶句していると、マオは「まあ、珍しくもない話なんだがな」と肩をすくめ、


「人間とあやかし。双方の血を持つってのは、つまるところどちらにとっても異質だということだ。どちらにもなれない。茉優がこれから"仕事"にいく先で出会うのも、多少の差はあれど、そうした葛藤を抱いている奴らになる。だからといって、無関係な他者を攻撃していい理由にはならないけどな。朱角のは極端すぎるとも思うが、その心づもりだけはしておいてくれるか? 朱角のことは、出来るだけ茉優に近づけさせないように、俺も気を配っておく」


 告げるマオの顔は真剣で、その姿に、彼に家を継がせたいと言った狸絆さんを思い起こす。

 私は「大丈夫です」と首を振って、


「マオさん、どうか私ではなく、朱角さんに気を配ってあげてください。突然、私のような無知な人間が生活圏に飛びこんできたんです。それでも"仕事"だからと耐えてくださっているのですから。お辛いはずです」


「っ、いくら茉優の頼みとはいえど、それは了承できない。茉優は優しすぎる。……前世の時から、そうだ」


 泣きそうな、苦しそうな顔をして、マオが私の両手をぎゅうと握りしめる。


「これから言うのは、"余計なこと"だ」


 赤い瞳が熱に染まる。


「誰かを救うためにと、茉優が傷を負わなくていいんだ。茉優が自身を制して、他者の幸せを願う必要などない。茉優、キミはもっと、自分を愛してくれ。そして愛されることを、受け入れてくれ。他の誰でもない。茉優は、幸せであるべきなのだから」


 マオが包み込んだ私の手を、そっと自身の口元に近づけた。

 私の手の甲に、掠めるようにして唇を落とす。


「俺はずっと、キミを幸せにしたかった」


「!」


 赤く輝く強い眼差しが、逃さないと私の心を射る。


「幸せであってくれ、茉優。そして願わくば、幸せに笑う姿を、一番近くで見せてくれ。もっと貪欲に、多くを望んでくれ。俺に……茉優を、守らせてくれ」


 祈るような彼の言葉ひとつひとつが、胸の内で花火のように弾けて、溶けた綿あめのごとくとろりと沁み込んでくる。

 苦しい。けれど、初めて知る……身体の芯が痺れるような、胸の閉塞感。


(錯覚してしまいそうになる)


 彼に望まれているのは、自分なのではないかと。

 本当に、マオは私を愛してくれるのではないかと。

 ふと、マオが自嘲気味に口角を上げた。


「言わずにおこうと思っていたんだがなあ。重いだろう?」


「……いえ」


 うれしいのに、かなしい。

 相反する感情が、同時に成り立つとは思わなかった。


「ありがとうございます、マオさん」


 拒絶もできず、受け止めることも出来ず。

 ただ、感謝を告げることしかできなかった私に、マオは一度俯いてから、「やっぱり茉優は優しいな」と微笑んだ。

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