クレヨンは牛乳で落としちゃいましょう

「クレヨン、はみでちゃった」


「んー? どれどれ、そんなに焦らなくても、クレヨンくらい拭いたら取れるだろう」


 マオが持参した布巾を手にするが、今度は沙雪さんが慌てはじめて、


「いえ、そのクレヨンは油性でして、こすっただけでは取れないんです」


「なんだって?」


「いつもはクレンジングオイルで落としていますので、今お持ちして――」


「あ、大丈夫ですよ」


 私は「ちょっと冷蔵庫、失礼しますね」と台所に向かい、


「机の上でしたら、これで落とせますから」


「これって……牛乳、ですか?」


 不安げな沙雪さんに「はい」と頷いて、折り畳んだキッチンペーパーに、垂れない程度に沁みこませる。


「私も小さい頃、よく床や机にクレヨンをはみ出しちゃっていたんですけれど、そのたびに祖母と拭いてたんです」


 ちょっとごめんね、と戻った食卓で画用紙を退け、牛乳を沁み込ませたキッチンペーパーで軽くこする。

 描かれたいたのが少量だったからか、ほんの数度往復させるだけで、クレヨンは綺麗になくなった。


「とれた……!」


 感動の声を上げる風斗くんに、私は頷いて。


「最後にウエットティッシュで拭いて、お終いです。これならまたはみ出ちゃった時も、風斗くんが自分で綺麗にできますか?」


「うん! 自分でできる! じゃあまたかくね!」


 笑顔で再びお絵かきを始めた風斗くんが微笑ましい。

 立ち上がると、マオと沙雪さんが驚いたように目を丸めていた。


「牛乳で落ちるものなのですね……」


「机やフローリングといった表面がつるりとしたもの限定ですが。牛乳のたんぱく質などの脂質が、クレヨンの油分を吸収してくれるそうです。でもやっぱり水分が多いので、カーペットや壁でしたら、クレンジングオイルのほうが向いているかと」


「そうだったんですね。全然知りませんで……この机で風斗もご飯やおやつを食べるので、メイク落としより安心です」


「身近なものでも、思いもしない事実が隠れていることってありますよね」


「思いもしない、事実……」


 沙雪さんが目を伏せる。あれ、と過った刹那、


「さっそくお手柄だな、茉優。俺も覚えておかなきゃな」


「っ、はい。祖母のおかげですね。……って沙雪さん、お時間大丈夫ですか?」


 あ、と時計を確認した沙雪さんの表情から察するに、ギリギリだったのだろう。

 時刻は十七時半。よろしくお願いします、と後を任された私達は、ひとまず役割を分担することにした。

 私は夕食の支度を、マオは風斗くんの遊び相手を。


(ハンバーグは作ってくれているから、サラダとスープを追加しようかな)


 先ほど冷蔵庫を開けた時に見えた山盛りのハンバーグを思い出しながら、献立を考える。


(ハンバーグといえば……)


 ふと、先ほどの風斗くんの呟きを思い出した。


(もしかして、風斗くんはハンバーグが苦手……?)


 気づけばお絵かきを終え、今度はマオとジグソーパズルに挑戦中な風斗くんに声をかける。


「風斗くん、夜ご飯はお母さんが作ってくれたハンバーグに、サラダとお野菜スープにしようかなって思っているんですが、嫌いなモノってありますか?」


 風斗くんは難しい顔をして黙り込んでから、


「……ぼく、ハンバーグ、たべたくない」


「ハンバーグが嫌いなのか?」


 訊ねるマオに、風斗くんは「きらいじゃないけど……」とやはり顔の中心に皺を寄せながら、


「ハンバーグがすきなのは、パパだから」


(お父さんのこと、あまり好きじゃないのかな?)


 私はマオと軽く視線を交わしてから、


「風斗くんはなにが好きなんですか?」


「ぼくはねー、カレーがすき!」


「カレー……。なら、キーマカレーにしちゃいましょうか」


「カレーにできるの?」


「はい。出来あがるまで、もうちょっと遊んでてくださいね」


「うん!」


 嬉し気に「ほら! おにいちゃん次やって!」とパズルに向かいだした風斗くんに、ほっと安堵を覚えながらハンバーグを取り出す。


(気になることはあるけれど、まずはご飯だよね)


 山盛りの中から半分ほどを頂いて、綺麗な楕円にごめんさいと胸中で謝りながら、ボールに入れてフォークで潰していく。

 それをフライパンにうつして、料理酒と、ダイス状にカットしたトマト。それから風斗くんの気にならない程度に、チューブのショウガとニンニクを少しだけ。


 戸棚にあった甘口のカレールーをひと欠け細かく刻んで加えたら、ルーが全体に馴染むまで焦がさないように炒めて。

 具材の頭が出る程度の水とコンソメを加えて少し煮込んだら、最後にカレールーを数個追加。

 ふつふつするまで弱火で軽く煮込めば、リメイクキーマカレーの出来上がり。


 付け合わせはレタスとシーチキンのサラダと、お野菜たっぷりのコンソメスープ。

 子供でも食べやすいように、人参、キャベツ、ジャガイモに玉ねぎは細かく刻んで、とろっと柔らかくなるまで煮込んだ。


「キーマカレーに目玉焼きを乗せたい人はいますか?」


「お、いいな! 俺は貰ってもいいか?」


「え、じゃあぼくも! ぼくものせてみる!」


「わかりました」


(もしかしたら風斗くんは、目玉焼き乗せるのはじめてかな?)


 卵を三個落としたフライパンに水を入れて蓋をして、その隙に平皿にホカホカご飯を盛り付けていく。

 スパイスの香りが食欲をそそるキーマカレーと、半熟の目玉焼きを乗せて。


「出来ましたよー! 手を洗ってきてください」

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